東京外国語大学大学院 総合国際学研究科 博士後期課程

多文化共生イノベーション研究育成フェローシップ

沼畑向穂

研究対象

ドイツ語の「進行形」と呼ばれている表現が表す意味・機能を研究しています。

ある言語形式の観察は、道の観察に似ています。何もなかったところを人が何度も通るとそこには跡がつきます。さらに人が通り、馬が通り、車が通り、風が吹き、道ができます。

  • どうしてここに道があるんだろう?
  • あの人はどうしてここを通ることにしたんだろう?
  • そもそも理由があるんだろうか?
  • 周辺の地理の中でこの道はどういう役割を果たすんだろう?
  • この道はどうなっていくんだろう?(どんどん大きくなるかもしれないし、もしかしたら誰も通らなくなって草がぼうぼう生えて見えなくなってしまうかも)

そういったことを道のそばに座り込んで、行き交う人々を眺めながら、時には遠くまでうろうろして考えていたいです。そのような活動を支援してくださっているmiraiプログラムにとても感謝しています。

言葉の可能性

大学1年生の夏、大学の短期留学制度で1か月アイルランドに行きました。その時初めて非母語である英語を実際に喋ってみました。しかし、机の上で眺めていた文字は、口に出してみると、たしかな感触を少しも含んでいませんでした。

大学3年生の春、大学の交換留学制度でドイツに渡りました。留学先のゲッティンゲン大学の学生証は列車のチケットとしても使え、北はハンブルクやブレーメン、南はヘッセン州の一部まで無料で移動できました。それをよいことに、よくあてどもなく列車に乗り込んでは時を過ごしていました。 ドイツで過ごして1か月ほど経った5月の初め、その日も無計画にハノーファーからハンブルク行きの列車に乗っていました。窓の外をぼんやり眺めていると、車内の人の声がいつもよりも大きく聞こえるように感じました。不思議に思いながら周囲を見回すと、英語を話す留学生のグループの会話が、無意識に私の耳に入ってきているのだとわかりました。英語が以前よりも聞き取れるようになっているのだとうれしく思ったその時、ふと、人の話す言葉がわかれば、より多様な声を聞けるのだと気がつきました。

言語研究の道へ

言語全体から見ると、1人の人間が生み出す言葉は、とても小さくて点に過ぎません。しかし、1人の人にとっては日々言葉を自分のものとしてつかうことは大きな意味を持ち得ます。言葉を学ぶ、そして自分に属していないように感じる言葉について考えるという行為そのものに意味があると思うようになりました。ドイツという異国の地で生活していくなかでその思いは深まっていき、言語学という学問にたどりつきました。

当時私は経済学部に所属していたので、本来他学部の専門コースを履修することはできませんでしたが、言語学部の学部長に直接メールで熱意を伝えたところ、言語学部のコースを履修することを許可していただけました。留学から帰ってきてからは、経済ゼミと並行して現在所属しているゼミに副ゼミで参加させてもらい、大学院では言語研究の道に進むことを決心しました。そして、今に至ります。