明治十四年版外務省蔵版「交隣須知」 浦瀬裕校正増補

(明治14(1881)年印行)

当館請求記号:K/II/234~256

外務省雇朝鮮語学教授浦瀬裕が校正増補し、外務省蔵版として釜山で印行した朝鮮語学習書である。江戸時代を通 して徳川幕府と唯一の国交関係をもっていた朝鮮との外交実務は、対馬藩がこれを担当していた。このため、日本における朝鮮語学習および教育は、薩摩苗代川などの例外を除けば、主に対馬で行なわれてきた。享保12(1727)年、雨森芳洲の建議により対馬府中(現在の厳原)に朝鮮通 詞養成所が開設された。このための中心的教材の一つとして江戸期を通して使用されてきたのが、「交隣須知」である。自ら釜山で朝鮮語を研鑽し、他に多くの朝鮮語学関連の著述をもつ雨森芳洲がこの本の編纂に大きく関与したと考えられている。「交隣須知」は、天文、時節などの七十項目別 にそれに関する「日」、「月」、「春」、「夏」などの語を漢字で掲げ、それを含む短文を日本語・朝鮮語の対訳で示したものである(例「夏・夏ハ日モ甚ダアツク長雨モツツイテメイワクニゴザル」朝鮮文略)。「交隣須知」は対馬と薩摩において写 本の形で伝えられてきた。

 廃藩置県に伴い対朝鮮外交が外務省の直接管轄下に置かれるに至り、明治5(1872)年に対馬厳原に外務省厳原韓語学所を、翌明治6(1873)年にはこれを釜山草梁に移して外務省草梁館語学所を開設した。この外務省韓語学所の教官・生徒及び朝鮮語教育の内容は江戸期以来の対馬藩朝鮮通 詞養成所のそれを引き継ぐものであった。この最初級の教科書として使用されたのも「交隣須知」(写 本)であった。明治13(1880)年、東京外国語学校に朝鮮語学科が設置されるに伴い外務省韓語学所はこれに移管される形で廃止された。東京外国語学校朝鮮語学科はその教授陣、生徒の一部、教科書、教育法において対馬藩以来のそれを継承してスタートしたことになる。

 外務省蔵版「交隣須知」はこうした中で出版されたものである。明治13(1880)年5月の日付をもつ浦瀬裕による識語によれば、永年写 本として使用されてきた「交隣須知」は釜山近辺の方言が混じり訛言が多く「今日の用に適するに足ら」ないため、朝鮮国江原道の士金守喜およびソウルの学士に疑問点を質し、「昔日の面 目にあらず」と言えるほどにこれを訂正した。外務省が日韓活字および印刷機を付与し、明治14(1881)年1月釜山においてこれを印行した。

 明治十四年版外務省蔵版「交隣須知」と称されるこの本は四巻四冊、四周双辺、七行廿一字、活字本の線装本で、韓国では釜山市立市民図書館所蔵本が唯一本として知られている。日本国内では浜田敦氏所蔵本(零本)、福島邦道氏所蔵本が知られている。東京外国語大学図書館には全部で二十三の完本(図書記号K/II/234, 235, 236, 237, 238, 239, 240, 241, 242, 243, 244, 245, 246, 247, 248, 249, 250, 251, 252, 253, 254, 255, 256)が所蔵されている。明治十三・十四年「東京外国語学校一覧」の朝鮮語学科のカリキュラムによれば、第一年第二期の教材として「交隣須知」が挙げられており、この本が実際のテキストとして使用されたものと考えられる。上記のK/II/234からK/II/252までの各本の各冊には「生徒用」の付箋が付されており、発行後に一斉に墨書朱書されたと思しき訂正以外に生徒による鉛筆等による書きこみがあり、それらの中には古語を現代語に替えたものなどがあって興味をひく。各冊末尾に「大正四年十二月壱日保管転換受東京高等商業学校ヨリ」の印記があり、第一張には新旧二つの東京外国語学校と高等商業学校の図書印が押され、東京外国語学校の変遷とともにこの本が辿った足跡を伺わせる。明治30年代にはすでに稀覯本とされた明治十四年版外務省蔵版「交隣須知」が、本学図書館に数多く所蔵されているのは、以上のような歴史的経緯によると思われる。

(東アジア課程朝鮮語 : 伊藤英人)

2000年6月作成

*この資料は、2002年10月まで「今月の1冊」として紹介されていたものです*