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いくら何でも曲解が過ぎないか?

書く癖が戻ってくると気になることが多々あるのだが、IAEAのF1処理水に関する報告書に関して、政府の見解や日本の報道がおかしいという指摘をメーリスへの投稿で読んだ。大阪経済法科大学のF教授による投稿で、以下に抜粋してみる(F教授がIAEA報告書原文から抜粋し、「IAEAは日本政府を支持しているわけではない」と論拠を示した部分。なお報告書は下記である。 https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf 

◯事務局長序言の最後の部分
「最後に、福島第一原子力発電所に貯蔵されている処理水の放出は、日本政府による国家的決定であり、この報告書はその方針を推奨するものでも支持するものでもないことを強調しておきたい。」(Finally, I would like to emphasise that the release of the treated water stored at Fukushima Daiichi Power Station is a national decision by the Government of Japan and that this report is neither a recommendation nor an endorsement of that policy.)(Director General's Foreword ,P.III)

◯本文「2.4.正当化」の結論部分

「ALPS処理水の排出を正当化する責任は、日本政府にある。」(The responsibility for justifying the decision to discharge the ALPS treated water falls to the Government of Japan.) (P.19)

今報告書を入手したばかりでまだちゃんと読んでいないが、これを「IAEAが処理水放出を支持している」とするのは、いくらなんでも曲解が過ぎないだろうか。報告書をしっかり読んでから続報したい。

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2023年7月 6日 22:33に投稿されたエントリーのページです。

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