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ふるさと小松は私の原点:中橋京香さんインタビュー

外大生インタビュー

「私のふるさと~外大生にインタビュー~」第5弾では、中橋京香(なかはしきょうか)さん(本学大学院博士前期課程2年)のふるさと、石川県小松市を取り上げます。中橋さんは、大学入学までの19年間を小松市で過ごし、その後上京して、現在はオーストリアに留学をされています。ふるさと、東京、そしてオーストリアという大きく異なる環境に身を置いてきたからこそ得られたのであろう視点や深い気付きが印象的でした。

取材担当:言語文化学部ポーランド語3年・山口紗和(やまぐちさわ)さん
記事担当:国際社会学部中央ヨーロッパ地域/チェコ語3年・金澤鼓(かなざわつづみ)さん
(以上、広報マネジメント・オフィス学生取材班)

ふるさと小松を象徴するもの

―――こちらはどのような地区の行事ですか?

地元は石川県の加賀地方で、そこでは「加賀獅子」という獅子舞の伝統的な秋祭りがあります。秋祭りというだけあって、田んぼや畑での豊作を祝って神様に感謝を伝え、新しい季節に備えるためにおこなわれるもので、「加賀獅子」は町内の家を一軒一軒回り邪気を払ってくれます。小学校の子どもたちが主な担い手として、獅子の中に入って舞ったり、笛を吹いたり、太鼓を叩いたりしています。これは私が赤ちゃんの時の写真ですが、子どもの頭を獅子に噛ませると頭がよくなるという迷信があります。これは大胆に噛まれていますね(笑)。この頃、おそらく1歳にも達しておらず自我がなかったため、このようにされるがままという感じでしたが、2歳ごろから怖くなり出して、獅子舞が近づいてきたらとっさに逃げていました。とても怖くて大泣きでした。

―――こちらはどういった場面の写真ですか?

これは、偶然、帰省していた時に行われた母校の閉校式での写真です。私が住んでいた地域には、規模が小さめの小学校が3つ集まっており、小学生の頃、同級生は15人でした。中学校に関しては、その3校の卒業生が1つの中学校で合流する形で成り立っていたのですが、中学校と同様に、小学校もまとめて一本化するという統廃合の形がとられたことで、私が通っていた小学校は廃校になってしまいました。年々子どもが少なくなっているのは普段から感じていたので、ついにそうなってしまうのか…と落ち込みました。玄関の下駄箱に「ありがとう さようなら」と書いてあって、廃校は仕方がないことではあるのですが、とても悲しい気持ちになりました。

―――アマビエの置物、とてもかわいらしいですね! こうした焼き物は地元で有名なのですか?

これは、九谷焼(くたにやき)と呼ばれる焼き物です。最初に九谷という場所で焼成されたことにその名前が由来する焼き物で、小松市にもたくさんの職人がいて、私の母もその一人です。そして、このアマビエの置物は母が絵付けをしたものです。現在、母は独立して自宅に工房を持っていますが、最近では、デジタル化の波が押し寄せているので、もはやアナログな方法では太刀打ちできないということで、私は母と協力してネットショップを立ち上げました。さらには、職人の現状が芳しくなく、高齢化が進んでいることと、賃金があまりにも低いこととで、職人の数がどんどん減っているという状況を変えたいという思いがありました。現在、ネットショップではこのアマビエの置物を販売しており、時々注文が入ってきて、予想より好評でやってよかったなと思っています。母がつくるのは主に置物なので、実家に飾ってありますし、家のお皿は基本的に九谷焼だったと思います。そのおかげで、東京に引っ越してからも、焼き物を見ると、釉薬の色や焼き方で、「あ、これ九谷焼だな」と気づくこともしばしばです。

―――のどかな様子が伝わってきますね。冬はこんな景色が広がっているのですか?

そうですね。田んぼは稲刈りが終わって白く染まっていて、山も葉っぱがないので黒ずんでいます。冬はこのような寂しい感じの風景になります。ちなみに私の好きな季節は冬です。スキーもできますし、雪が音を吸い込んでくれるので、町が静かになって、精神が落ち着くというか、その雰囲気がとても好きで、冬はいいなと感じています。

―――スキーがお好きということですが、幼いころからスキーをやっていたのですか?

自転車と同じで早め早めがいいと家族から言われていたので、幼いころから冬になると毎週末スキー場に連れていかれていました。祖父は、夏場は職人として、冬はスキー場の職員として働いており、インストラクターの資格も持っています。私は決して運動が得意ではないのですが、地道な練習のおかげでスキーはできるようになりました。

幼い頃の思い出

―――ふるさとではどんな幼少期を過ごしていましたか?

幼いころからずっと本を読んでいて、それ以外は友達と外で遊んだり虫や蛇を触ったりしていました。男の子ともよく一緒に遊んでいて、夏はカブトムシやセミなどの虫取りをしていました。それから、子どもたちは皆、蛇と遊ぶのが大好きだったので、アオダイショウという無毒の蛇を平気で触ったりもしていました。

―――家族や友人と訪れた思い出の場所はありますか?

石川県小松市にある安宅(あたか)の海です。歌舞伎の演目「勧進帳」(義経が弁慶と一緒に追手から逃げているときに、「安宅の関」という小松市にあった難関の関所をどうにかして乗り越えたというお話)で、安宅の海が舞台になったということで、子どものときからよく「ここはすごいんだぞ」と言われていました。海を見るとあまりに雄大で、気持ちが落ち着きます。

小松から上京して

―――ふるさとと東京を比較して、どのようなことを感じますか?

東京の人とふるさとの人はお互いがお互いをよく知らないと感じます。というのも東京で起きていることと私のふるさとのような地方で起こっていることは真逆だからです。東京はどんどん発展しているので、東京の人は、人をほとんど見かけない、虫が多くいる、山が近い、熊が出る、お店がどんどんなくなっていくといったような地域を想像するのが難しいと思います。でも逆に、田舎の人もそのような過疎の中にあって、東京はすごい町だと聞いても、どれだけ便利な街かわからないし、東京の人がどんなマインドで生活しているかも知らないというように、お互いがお互いの生活を想像できないのではないかと思います。それから、東京は非常に文化的ですね。私は美術史を専攻しているので、それに関連していうと、例えば、東京には美術館がたくさんあり、かつものすごい速さで展覧会が展開していくので、文化との距離が近いなとつくづく感じます。あとは、他国からの方々と接する機会が多いし、レストランを一つとっても、地元は和食料理屋さんが圧倒的で、海外にルーツのある方がされている料理店といえばたまにインド料理屋さんがあるくらいですが、東京だと本当に世界各国の料理があってすごいと思います。ただ、地元もある意味で世界が広いと言えるかもしれません。地元は、世界に通じていない、東京と違って文化と接する機会が限られているという意味ではすごく閉じた世界ではあるのですが、その地域で長年蓄積されてきた歴史というのがもちろんあって、私は、そういうものを知るとその地域に対する理解がぐっと深まって世界が広まったという気持ちになります。例えば、語り部の方が小学校に来て地域の民話を語って聞かせてくれるというような、口承文芸に触れる機会がありました。地域の歴史や伝統、行事を深掘りしていくと、何もないと思っていたところにどんどん世界が広がっていく感覚がありました。また、私の家は山を所有していたので、父親によく山に連れていかれ、「この木はこういう特徴があるんだ」、「ここでわさびがとれてこういう時期に食べるとおいしいんだ」と教えてもらっていて、これもまた世界が広がる手段の一つだと思います。そうした意味で、その地域に根付いた世界を知ろうと思えばすごく広い世界に通じていけるのかなと考えています。

―――上京後、ふるさとのご友人とは連絡を取り合うなどしていますか?

高校の友人はほとんど全国に散ったので、お互いの住む街を旅行がてらに訪れています。仲良しの友人がそれぞれ京都と仙台に住んでいるのですが、京都に行ったときは鴨川に行ってお酒を飲んで、地元の大学生っぽいことをさせてもらったのが楽しかったですし、仙台に行ったときは地元民しか知らないようなおいしい牛タン屋さんにつれていってもらったことがすごく嬉しかったですね。とにかく、そこに暮らしている人たちの暮らしを体験させてもらったというのが楽しかったです。

高まる美術への情熱、そしてウィーンへ

―――現在、オーストリアに留学されているとのことですが、どのような経緯で東京外国語大学大学院へ進学されましたか?

美術史を学ぶにあたって、自分の研究を指導してくれる先生がいたこと、そして、もともとウィーン大学への留学を希望していたので、ウィーン大学と協定関係にあったことが理由で東京外大大学院へ進学しました。具体的にウィーンに関心を持ったのは大学2年生のときです。美術が好きで、高校の時に美大に行くか普通の大学に行くか迷っていたのですが、結局文学系に行くことに決めました。ただ、やはり美術の研究面白そうだなと思ったときに、ドイツ語圏の好きな画家グスタフ・クリムトの作品を研究したい、かつ当時ジェンダーにも興味があったので、彼の作品の女性像をジェンダー的に掘り下げていくとどうなるのか気になり、それらをミックスさせて今の研究に至っています。今年2月の頭にウィーンに来て、そこから約1か月間、語学学校に通っていました。3月からは大学での講義が始まりました。ウィーンでは現地の美術館で絵画を鑑賞することと、美術史とドイツ語の授業を受けて研究を深め、修士論文執筆に向けて準備を進めていくことが目標です。

おわりに

―――将来の展望を教えてください。

私は日本に関心があるので、日本で伝える仕事をしたいと考えています。今のところ、メディア系で記者の仕事あるいは番組制作に携わりたいと思っています。自身が育ってきたところと東京の差を目の当たりにして、かつ海外に行ったというのもあって、いろんな視点から日本の現状や地方の現状を見ることができたので、その違いを私の経験から伝えることができるのではないかということで、伝える仕事がしたいです。

―――将来、ふるさとでやりたいことはありますか?

老後、あるいは早期退職して地元でカフェを開けたらいいと思っています。私の実家が山間部にあり、家族が集まるたびに、山の古い家をどうするかということが議題に挙がります。私は「その家、カフェにするから使わせてよ」とよく言っていて、いずれ古民家カフェみたいなものができたらと考えています。私は、紅茶を入れたりご飯を作ったりすることが好きなので、そういうスキルも活かせたらなと思っています。

―――あなたにとってふるさととは?

ふるさととはどこに行っても切って切り離せないものだと思います。小学生の頃、本を読んで歩きながら帰っていてよく怒られていたのですが、その時、本を読んで「外の世界ってこうなんだ~すごくわくわくするな」と思っていました。そして、そのまま大きくなり、今オーストリアに来ているような気がしていて、ふるさとにいたときに持っていた感受性のまま今を生きていると思います。なので、そういった形でふるさとは常に私の心の根底にあるものだと思っています。

編集後記

中橋さんの温和なお人柄のおかげで、インタビューの雰囲気がとても和み、あっという間の時間でした。インタビューの中では、高校時代、毎日山を越えて12kmの通学路を自転車で通っていたというお話が衝撃的でした。子供時代からの美術愛が現在のウィーン留学につながっているのかなと感じて、新たな場所で一歩を踏み出している中橋さんはとてもかっこよく見えました。ありがとうございました。

金澤鼓(国際社会学部中央ヨーロッパ地域/チェコ語3年)

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