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小川英文プロフィール
これまでの人生: 八幡大学(現在九州国際大学)附属高校卒(1974) (小倉で4番目のランクの高校入試を失敗。 不定詞のtoのあとに動詞の原型がくることを高2で知り、 教師を唖然とさせるが、人生がすこし明るくなった気になる)。 慶応義塾大学文学部仏文科卒(1979) (卒論はシモーヌ・ヴェイユ。子供のころから考古学者になろうと考えていたが、 東京に出てくるとそれがなぜか悠長な学問に思え、思想史に興味が出て仏文科へ。 しかしほとんど大学へは行かず「阿佐ヶ谷の寝たきり青年」と呼ばれる。 たまに大学に行っても友人と茶店でダベって、「君が言っているのはラカンの対象Bだね」 などとわけのわからない会話をしていた。 人生の悩みを抱えていたが、ある日阿佐ヶ谷駅前の花壇をみて 「人生には意味はないが世界は美しい。とりあえず社会で 役割を果たそう」と突然考え、大学に入りなおす)。 早稲田大学第二文学部東洋文化科卒(1981) (卒論は北部九州の初期古墳。この間、関東、近畿、九州の 古墳群を歩く。世田谷の発掘現場に住み込んで発掘の 基礎を学ぶと同時に、生活費を稼ぐ)。 早稲田大学大学院博士後期課程(考古学)中退(1988) (修論は東南アジア島嶼部の剥片石器群について。大学院から フィリピン調査を始める。ヒゲの先生にエジプトで調査経営を仕込まれる。 85-88年までフィリピン北部のラロ貝塚群で調査。 マニラでまず5ヶ月間タガログ語を勉強する)。 早稲田大学教務課校地埋蔵文化財調査室嘱託(1988) 国士舘大学教養部(1989-1994) (お願いだから考古学の話しは控えて、フィリピンで見てきたこと、 ナマのフィリピンを学生に伝えてくれと言われて面食らう。 この間、ベトナム、インドネシア、マレーシア、ブルネイなどの調査にたずさわる)。 現職(1994-) |