モンゴル映画史の流れ-映画は遊牧社会をどのようにとらえてきたか?
『Film network』(No.10,1998) 国際交流基金/(財)国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)

上村 明




 モンゴル映画祭で公開されたソムフー監督の『モーターの音』(1973)という作品に、「“ゴビの抒情”アンサンブル」と横腹に書かれたバスが出てくる。歌手、楽団員のグループを乗せたそのバスは、主人公の住むモーター小屋にやってきて、近くの牧民を集め一夜だけの公演を行なう。ゴビの単調な生活の場が、つかの間のきらびやかな舞台に変わるシーンだ。その幕がおり、彼らが去った翌朝からは、また物憂い日常がなにごともなかったかのようにはじまる。
 社会主義の時代、このような旅まわりの一団は、「芸能生産大隊」とか「チョールガン(アンサンブル)」とか呼ばれて、夏の暖かい時期になると遊牧地帯を回っていた。メンバーは、ふだんは県都の劇場に所属する職業芸術家たちが主となり、歌や音楽のほかに、演劇はもちろん、写真屋、絵描きなども同行することがあった。その一団に、映写技師が加わり、小型発電機で映写機をまわして、野外やゲルのなかで映画を上映することもめずらしくなかった。そして、もちろん映写技師だけが、トラックや時には牛車に映写機を積んで田舎を巡ることもよくあった。モンゴル映画は、まずはこうした地方に住む牧民を啓蒙し、かれらに娯楽を提供するために存在していたのである。
 モンゴルでの映画の歴史は1936年ソ連の監督によって作られた『モンゴルの息子』からはじまると言われている。初期のモンゴル映画は、政治的プロパガンダの要素がつよいが、同時にソ連映画のよき伝統をしっかり受け継いでいる。歴史大作『ツォグト・タイジ』(1945)も、ソ連の映画人の協力で作られた。その共同作業の中で、のちに人民革命をあつかった『人民の使者』(1959)を監督するD.ジグジドなどモンゴル第一世代の映画人が育つ。
 映画のテーマは、上の2つの歴史映画や『迷いの果てに』(1966)のように、革命や民族の歴史的事件を描いたもの、『また馬に乗りたい』(1959)や『フフーの結婚』(1962)のように、社会主義の改革がどういうものかコメディー仕立てで知らしめるといった、啓蒙に重きを置いたものが多かった。そのすべてがプロパガンダ的であったとはいえ、明快なストーリーと主張で牧民たちにおおいに受け入れられた。
 1960年代の終わりになると、ストレートな表現の映画とはちがって、複雑な心理描写が特徴の叙情的映画が現れる。『はじめの一歩』(1969)が、その最初の作品である。この映画には、田舎で奮闘する都市からやってきた大学生の女の子ミャダグが登場する。この主人公像は、『モーターの音』では、ゴビの田舎でモーター技師として働くやはり都会生まれの主人公ガナーに引き継がれる。前者は、主人公がファイトで困難を克服するという点で、教訓的な映画の片鱗をのこしているが、『モーターの音』では、むしろ主人公ガナーをとおしてゴビの日常のリアリティーをどう表現するかが課題とされている。
 このような叙情的リアリズムの手法は、都市と地方とのギャップというモンゴルの社会問題をあつかうための知識人の内省の手段として映画を意識させはじめる。その成果が、『伴侶』(1975)という作品であるといってよいだろう。
 そのような内省はまた、もともと映画による啓蒙の対象であり、所与のものであった遊牧社会や地方の生活を、リアリズム的な描写の対象としてとらえなおすことにもつながる。このころ、都市人口が急増するとともに、都市と地方との比重は逆転しはじめていた。「遊牧社会」は、モンゴル人自身にとっても、意識して描かなければならない何かに変わりつつあったのだ。
 『ゴビの蜃気楼』(1980)には、やはり都会からゴビ地方の郡の中心の学校に赴任した若者ハシフーが登場する。しかし、そこには『はじめの一歩』のような主人公の模範性や『伴侶』での知識人の内省は感じられない。『モーターの音』に見られた都会の人間からの視点は、とつぜん主人公との恋のさやあてに破れた土地の男アルスランの側に移される。これは地方の生活者内部からの視線を得ようとするこの映画の試みといってよいだろう。
 『迎える季節』(1986)になると、「遊牧」の消滅が病に犯された老牧民バガヤーの姿をとおして予感させられる。これは『はじめの一歩』に登場する元気な老人たちとは対照的といってよい。
 この映画の特徴は、老人の物腰や物言い、遊牧生活の各場面のディテールがリアリティーを持って描かれている点である。このリアリティーは彼の家畜に対するエートスに裏打ちされている。現在失われつつあるのは、このエートスそのものであり、時代という不可逆の大きな流れは、それを老人もろとも押し流してしまおうとしていると、いやおうなしに思いいたらせてしまう。そして、このエートスは、「遊牧社会」を背景にしているが、それと直接関係のないテーマをあつかった『さまよう雄鹿』(1993)や『天の馬』(1995)などの作品にはもう感じられなくなる。
  モンゴル国は、現在首都ウランバートルに全人口の4分の1が集中する都市化の進んだ国だ。伝統的な生業である遊牧にたずさわる人たちは、ウランバートルの人口と同じ60万人程度だろう。この都市化は、1921年の社会主義革命以降、急激なスピードで行われた。しかし、都市に見るべき産業は育たなかった。都市の見かけの繁栄は、じつはソ連からの援助と地方の牧民の搾取に支えられていたのである。ソ連経済の崩壊によってその虚飾がはがれたあとの惨状は、オランチメグ監督の『枷』(1991)という作品によく描かれている。そこには「遊牧」への回帰が、唯一の救済の希望として夢想されているだけだ。

(雑誌掲載のものと若干異なります)



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