『迎える季節』(1986年モンゴルキノ作品)

[スタッフ]
監督 J.ボンタル
脚本 D.トゥルバト
撮影 G.マシ
美術 L.マハバル
音楽 Z.ハンガル

[キャスト]
バガヤー  L.ロブサン
マラルマー B.ゲレルマー
シャグダル N.ツェウェーンラブダン
シャダブ  S.ボジガル

[あらすじ]
 牧民の娘マラルマーは、兵役に行った恋人ゴトブを待っている。娘のゴトブとの結婚を願う父バガヤーも、彼の帰りを心待ちにしていた。バガヤーは羊飼い一筋の老人。近頃の若者や家畜の過保護には批判的だ。
 ある嵐の晩の翌日、彼は知り合いの青年に預けた自分の子羊たちが囲いに閉じ込められているのを見て、怒りのあまりその場に倒れてしまう。彼を診察した医者は、ほかの羊も他人に預けて入院するよう説得するが、彼は首をたてに振らない。
 しかし、娘だけでは羊の世話が行き届かないと悟ったバガヤーは、隣りのシャダブに羊を預ける気になる。シャダブはゴトブの父。バガヤーに教えを請うたこともある彼の弟子だ。だが何故か彼は羊を預かるのを断わる。
 ラジオから流れたゴトブからのメッセージを聞いて、バガヤーの病状はいったん軽くなるが、娘マラルマーの心配はつのるばかりだ。
 一方、シャダブのところには、牧民になるためソロンゴが弟子入りしていた。ウランバートル育ちの彼女は、大学に進学できず、兄が協同組合長を勤めるこの郡にやって来ていたのだ。その彼女もひそかにゴトブを待っていた。
 ゴトブの帰る日、シャダブの家では新居を建てて祝う。しかしそれはゴトブとソロンゴのための新居だった。
 そして、ゴトブがついに帰って来た。暴かれるシャダブの本心。つのるバガヤー親子の焦燥。果して、マラルマーとバガヤーの「迎える季節」は来るのだろうか?
 

[解説]
 日本で紹介された『偉大なタカ』(1983)の監督、J.ボンタルの作品。
 この映画の制作された1986年は、モンゴルの牧畜の停滞状況が危機感を持って叫びはじめられた年だ。モンゴルは牧畜部門に高水準の設備投資を続けて来たが、それに見合う生産の伸びは得られなかった。その理由には都市人口の急激な増加や牧畜協同組合制でのノルマの形だけの達成といった社会主義の非効率性をあげることができる。一方で環境問題への関心が高まり、伝統的な牧畜形態が再評価されはじめていた。
 題名の「迎える季節」とは夏を指す。映画の舞台も草原の夏である。
 モンゴルでは夏は自然からの恵みを満喫する祝祭の季節だ。その到来を誰もが待ち望んでいる。映画ではこの季節の到来をゴトブの帰還に重ね合わす。「迎える季節」はゴトブの帰還でもあるのだ。
 このような意味の二重性は映画のいたるところに見られる。
 囲い飼いされた家畜は現代の若者そのものだし、方向感覚を無くし群れから取り残された若羊は、自分の将来を自分で決めることの出来ない娘ソロンゴの姿だ。バガヤーが羊について語る言葉は、すべてそのまま人間に対しても当てはまる。この映画では、人間が家畜の暗喩となり、家畜が人間の暗喩になっているのだ。
 この暗喩はわれわれを遊牧文化と現代文明についての思索へと導く。物語の大きな枠組みは、お決まりのラブ・ストーリーだが、主題はバガヤーの「文明」との孤軍奮闘だ。

[感想]

 はじめてウランバートルで映画に行ったのは、留学してからだいぶたってから、町の中心に近い「アルド(人民)」という映画館だった。立ち見の人もいる観客たちの熱い息、彼らの服からたちのぼる甘酸っぱい乳製品の匂い。そういったモンゴルの映画館の独特の雰囲気に圧倒的され、映画のほうの印象はいまいち鮮明でない。その時見た映画は当時の最新作の『迎える季節』だった。モンゴル人の友人のほめぶりから、かえって批判的な目でしか見られなかったのだろう。ありきたりの物語展開に失望したことをかすかに覚えている。ラブ・ストーリーなのに主人公の女の子がそれほど美少女ではなかったり、映画の作りの雑なところがまず目についてしまって、ストーリーそのものにも入り込んでいくことが出来なかった。
 ところが、この映画の翻訳をすることになって、試写室でほぼ10年ぶりに見ると、まるで印象が違ったのでびっくりした。ゲルの外を流れる風、老人バガヤーの物言いや物腰といった映画の持つ細部が、モンゴルの田舎での感覚や生理の記憶を呼び覚ました。たぶんモンゴルの田舎の生活を知る人には(そういうモンゴル人も減りつつあるが)、たまらない映画だろう。
 この映画の監督ボンタル氏は、『マンドハイ』(B.バルジンニャム監督作品)が東京国際映画祭に参加したとき、モンゴル・キノ映画製作所所長として来日され、筆者は通訳としてつきっきりだった。昨年バルジンニャム監督に会って消息をたずねると、もう亡くなられて2年になるという。生きておられる間にこの作品の感想をつたえたかったのにと思った。

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