『永すぎた夏』(1987年モンゴルキノ作品)

監督 J.セレンゲスレン
脚本 S.ジャルガルサイハン
 B.バルジンニャム
撮影 N.ゾンドイ
美術 P.ボルドバータル
音楽 B.シャラブ

ガルバドラフ(ガラー) D.ソソルバラム
アリョーナー  O.オヨーン
ダワージャブ  S.セレンゲ

[あらすじ]
 フブスグル湖北端の港町ハンハに、足の不自由な娘アリヨーナーが、母親といっしょにやって来た。
 彼らが住むことになった湖畔の木造住宅の隣りには、船荷の積み下ろし人夫のガラーがいる。彼は陽気で気立てのいい男だが、曲がったことが大嫌いな一本気の性格。行く先々で人々と衝突して仕事を失い、それが原因で妻子にも逃げられた。
 ガラーは、アリョーナーの足がなかなか良くならないのは、彼女の精神状態に原因があると知って、閉じこもり勝ちの彼女の心を何とか外に向けさせようとする。
 一方、船荷積み下ろしを牛耳るボスたちは、ガラーたちの給料をピンはねしていた。ガラーは事務所にどなり込むが、反対にたたき出されてしまう。
 ガラーは友達に頼んで、アリョーナーのために車椅子を作ってもらう。
 そんな彼の献身によってアリョーナーの心はしだいに開かれていくが、それとは逆にガラーは信頼していた船積み場の長にも見はなされ追いつめられていく。
 次の給料日、彼の口を封じるために給料が増されているのを見て腹を立てたガラーは、また事務所にどなり込み、またしても職を失ってしまう。
 その上、彼は暴行の容疑で湖の南の港町ハトガルまで連行されて行くことになる。アリョーナーにはダンプカーの講習を受けに行くと嘘を言うが、彼女はその嘘をなじる。二人はお互いを離れがたい存在と思うようになっていたのだ。アリョーナーのガラーを思う気持ちはついに彼女を立たせる。

[解説]
 ほかのモンゴル映画とは一味違って湖を背景にした作品。雪をいただく山々の姿も美しい。この映画の舞台ハンハは、フブスグル湖の北端の町、旧ソ連・ロシアからの物資の中継地として重要なところだ。ここで積み荷は船に移しかえられ、湖南端の町ハトガルまで運ばれる。
 脚本には、『マンドハイ』『チンギス・ハーン』の監督のバルジンニャムが参加している。彼は撮影出身だが、『ゴビの蜃気楼』など脚本も多い。ガラー役のソソルバラムは、モンゴルで最も有名な俳優のひとり。民主化運動の初期から中心メンバーのひとりとして活躍したほか、モンゴル喜劇の第一人者バトザヤーの寸劇にも登場して笑いをさらう多才な人物である。
 物語は、アリョーナーが外に向かって心を開いていく過程と、ガラーがしだいに心理的に追いつめられていく過程とが対比して描かれる。ガラーはアリョーナーの心を癒すが、彼自身の心はしだいに荒れていってしまう。しかし、彼が不正と正面きってぶつかり合うのは、アリョーナーへの献身と同じく、人間の本質への無垢ともいえる信頼があるからなのだ。その無垢さゆえに居所のなくなっていく彼の姿によって、社会の不条理があらわにされていく。
 映画の最後にも挿入される、浜辺に打ち上げられたゴミを拾って歩く老婆「海の母」の姿は、湖の自浄作用を象徴しているのだろう。そしてもちろん、人間社会の自浄作用も。
 フブスグル湖は燐鉱山開発反対運動の舞台にもなった。
 

翻訳
 

もどる