研究活動報告

「 タガログ語、タグリッシュ、英語そしてチャバカノ語
 − カオスの中のアイデンティティー −」  (3/4ページ)
荻原 寛(長崎県立大学名誉教授)


 

3.5  カビテ語とテルナテ語の現状
3.5.1  Lesho and Sippola (2013)の調査報告

 UNESCOのLanguage Vitality and Endangerment (2003:17)は、言語消滅の危機状況を段階的に示すために以下の9つの評価因子を示し、それぞれの結果について、最も安定しているレベル6 から消滅のレベル0まで6 段階の評価を付けるフォーマットを作成した。Lesho and Sippola (2013: 9-22)は、これらの基準をカビテ市とテルナテに適用して、2003年から2012年までの9年間、断続的に長期にわたる言語調査を行った。調査対象話者はカビテ市で44人、年齢は20歳から87歳で、そのほとんどが50歳以上だった。テルナテでは54人で年齢は11歳から87歳だった。以下は、その詳細な結果を筆者が表にまとめたものである。二人の評価は因子ごとに示した。


 

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[17] Lipski (2001: 9-11)、同(2002: 16-18)、Romanillos(2006:1)、Lesho and Sippola (2014: 6n.)


 この調査結果から窺えることは、カビテ語はテルナテ語に比べて消滅の危険度が極めて高いということである。学校教育の場でチャバカノ語を第一言語とする子供のために補助言語として取り入れられたが、教材も教員も不足している状態で、何よりも学童のほうからの需要がなかった。個人レベルで教科書が編まれるなど、一時は盛り上がった民間の言語保護育成運動も運営する人が高齢や死去のために活動が急激に下降している。しかし、市長自らが先頭に立って復興促進条例を制定させたので、青少年の教育の現場に明るい兆しが見られそうである。テルナテ語の存続に関して、最も期待できるのは世代間で言語の継承が確実に行われているということである。少なくとも家族、友人、仲間など内輪の使用領域が存続する限り、当分の間は消滅しないであろうと予測される。
 

3.5.2  英語のチャバカノ語への影響
3.5.2.1  カビテ市とテルナテにおける現地調査

 2016年2月、同年5月、同年10月の3回に分けて、カビテ市とテルナテで、英語がどの程度チャバカノ語に影響を与えているかの調査を行った。日程等の詳細は以下の表に示した通りである。第1回目は他の研究テーマによる現地調査から17年もの歳月が経っていたため、調査協力者へのコンタクトの再構築にほとんどの時間を割かなければならず、本格的な調査は第2回目と第3回目で行った。
 


 

 音声および一部映像データの採取方法は、チャバカノ語の母語話者に集まってもらい、自由なテーマの会話を採録し、その中から英語が混ざる個所を抜き取って分析する方法を採った。カビテ市では40歳代2名、50歳代5名、60歳代11名、70歳代6名、80歳代1名、90歳代1名の男女計26名、テルナテでは70歳代2名、50歳代1名、40歳代1名、20歳代1名の男女計5名の協力者を得た。録音時間は。カビテ市では4か所で収録、延べ2時間18分56秒、テルナテでは1か所で収録、13分37秒であった。
  

3.5.2.2  データの分析と結果

 採録の当初は、日常生活から町の歴史や料理、高齢者が多いため思い出話など、いくつか話題を提供したが、時折英語ないしタグリッシュへのランゲージ・シフトはあっても、英語が語彙レベルで混ざる発話が出てこなかった。そこで、この数年で急激に普及した携帯電話について話題を振ると、ようやくいくつか英語語彙が入り込むようになった。以下は採録した発話の中で英語の混在がみられた発話の全てである。同じ語彙が含まれる発話は除外し、カビテ語とテルナテ語に大別して英語の品詞ごとに分類し、該当個所には下線を施した。ただし、一文中に異なる品詞の例が含まれているものもある。
 
 i) カビテ語
  ①名詞
   (59) Ese   ta llama conmigo loud speaker sin parar.
     そいつは 呼ぶ  私を          止まらない
   (60) June sixteen, mismo birthday di mio.
             まさに      私の
   (61) Peanut and rice ta haci yo aquel pagkatapos, ta manda  a hace
             作る 私が その 後で         命じる するように
      giling.
      米を挽く
   (62) Cuanto veses  yo  ya hace ya  ese action.
                  何度も  私は  した    その    
   (63) Coffee ya  lang  na    un vaso
               もう だけ  の中には コップ
   (64) Baka  subi        di       mi  sugar    
        多分 上に行く のことで 私の
   (65) Cosa el text or cosa el message del cellphone?
        何       何          の
   (66) Tiene    yo   rin   mga  chabacano,  el kopya  del  mga poem(ママ)
     持っている 私は も 複数小辞            コピーを の    詩
      di Eliodoro Ballesteros.
     の
   (67) American  at saka Filipina  el mujer.
     アメリカ人 で フィリピン人 奥さん
 
  ②数詞
   (68) Dale   seven days lang  ilo    aqui.
        与えている       だけ 彼らは ここで
   (69) Ya hace apply yo sixty five.
     なった       私は
 
  ③形容詞
   (70) El cuerpo bunito, sexy.
        体形が きれい
   (71) Kaya O.K.  lang,  alegre  ya  naman.
         だから    ただ 喜んで  もう  こちらも
   (72) Aqui  el lugar de  mga        pobre,   kasi      aqui  depressed area.
        ここは 場所   の  複数小辞  貧乏人 だから ここは
   (73) Willing man   ilo   ta trabaja.
     やる気のある人 彼らは 働いている
   (74) No more merienda.
          おやつ
   (75) Working Lola. 
                 ローラは

  ④副詞
   (76) Kaya  aquel el trabajo di mio, aquel el business, therefore.
     だから あれが 仕事    私の あれは
   (77) First ba           el merienda bago el conversacion?
                    疑問小辞  おやつ        の前に 会話
   (78) Anytime quiere   llama   cuntigo tuyu mujer,  donde   tu   talla.
        したい 電話する  君に 君の奥さん どこに  君がいようと
 
  ⑤前置詞句
   (79) During first week del month ta cuci   yo  tamalis
                          の       料理する  私が タマーレを 
   (80) Llama   tu      otra vez  after one hour.
      電話する 君は もう一度
 
  ⑥動詞
   (81) Avirigua    di            ibig sabihin,     di          esi  explain you contigo. 
     調べなさい について 言いたいことに ついて そのこと         自分に 
   (82) No pwede ilos man-translate na chabacano aquel, que  ta usa  ya
     できない 彼らは      に    あれを だから 使っている もう
     aquel  mga  English words.
     あの 複数小辞
 
  ⑦動詞句hace + N 構造
   (83) Na iglesia ilo ta haci serve.
     で 教会 彼らは している 奉仕活動
   (84) Dale bo muna bago bo hace check.
     あげて 君は まず君が 前に  チェックを入れる         
   (85) Ta hace manicure alli na mga elementary teacher.
     マニキュアをする  あそこ 
   (86) Ya hace   ele           interview         cumigo para  cuci   bakalaw.
     した   彼(女)は インタビュー 私に ため  料理する  干鱈を
   (87) Aquel   qui    hace      ka-partner.  
     あの人 関係代名詞 している 接頭辞(仲間を表す)
 
  ⑧ランゲージ・シフト
   (88) El government, el govierno provided cun  eso as department head cellphone
       政府は               を  それ
    (89) Tiene    nisos      telepono dos.  Yo no cellphone, mi  hermana tieni.
     持っている 私たちは 電話を    2台   私は                   私の姉妹 持っている 
        I don’t know how to use it. I want to learn it, but, who will teach me? Nobody.
   (90) Como   yo, I am senior citizen, pero   nuay       yo.
      のように 私             しかし 持っていない 私は
 
 ii) テルナテ語
  ①名詞
   (91) Ta prigunta  eli     si           di sirvi         quel  Bahra        na cellphone.
            訪ねている   彼は かどうか 将来役立つ その テルナテ語が  で
   (92) Omey     pa   ta hace      cunmigu text, masqui no SMS, masqui    quel
      オメイは まだ 作っている 私と              ではないが       ではないが その
       message lang.
                だけ
 
 対象者および収録時間の少なさを勘案しても、カビテ語はテルナテ語に比べて圧倒的に英語の影響が少なく、英語の混在も名詞に限られているのは、テルナテ語のほうが存続の危機が薄いこと、すなわち小さな閉鎖的な町で外部の人間と接する機会がカビテ市に比べて少ないだけでなく、対象者たちがテルナテ語をアイデンティティーとして強く意識し、後述するカリスマ的存在の人物を軸に、強固な保護運動グループを結成していることに関係している可能性もあながち否定できない。一方、カビテ市は市庁所在地であり、マニラ首都圏とマニラ湾を隔てて互いに遠望できる距離にあり、住民もタガログ語話者がほとんどである。そのため、言語環境はマニラ市内とほぼ変わらなく、その分、英語やタグリッシュに接する機会が多い。このことから様々なパターンの混在が見られた可能性が高い。いずれにしても、今回得られたデータから文法上の事象について次のことが判明した。
 
 i) 英語またはタグリッシュとの接触が、チャバカノ語の文法構造に与える影響は、少なくとも今回のデータに限って言えば、まったく見当たらない。
 ii) 英語の名詞の混在が最も多く、そのうちの一部は動詞hace(する)と結びついて動詞句を形成する。
 iii) 数詞の読み方は、スペイン語あるいはタガログ語のスペイン語語源の数詞の読み方よりも英語の数詞の読み方が好まれる。
  iv)  英語の形容詞が導入されるときは英語の名詞を伴い、チャバカノ語の語彙を修飾することはない。
 v) 進行形のBE動詞は連繋辞として解釈され、チャバカノ語には連携辞がないため脱落し、現在分詞のみ形容詞の叙述用法として受け入れられる。
 vii) 副詞および前置詞句はチャバカノ語の文法に従い、文頭または文末に置かれる。
 viii) 動詞は相小辞(ya、ta、di)を伴って主動詞となることはなく、不定詞として
のみ導入されるか、その部分のみ英語の主語を伴って部分的にランゲージ・
シフトする。
 ix) 導入された名詞や動詞には、チャバカノ語場合と同様に、自由に接辞を付けてさまざまなニュアンスを加えることができる。
 
 全体を通して予想以上に英語の影響が少ない理由として2つのことが考えられる。まず、タガログ語寄りのタグリッシュの場合は、Thompson (203:144-149)が指摘するように、タガログ語の焦点システムに抵触しないためのさまざまな工夫が行われるが、チャバカノ語は形成の長い歴史の中で、基層語であるタガログ語の主語焦点機能と格標識、および動詞への複雑な義務的接辞付加システムを捨てているので、スペイン語と同じヨーロッパ語の英語と接しても、かつての上層語であるスペイン語に対してと同様に、単なる語彙供給言語lexifierとして向き合っているに過ぎない。つまり、自己の文法に深刻な影響を与えないための装置はすでに構造の中に備えているということである。もう1つの理由は、学校教育を通して英語が広く行きわたっただけでなく、テレビや映画、ビデオはもちろんのこと、インターネットの急速な発展普及により、パソコン、SNS、フェイスブック、ツイッターなどの媒体を通じて、いわゆる正統派の英語に即座に容易に接することができ、英語運用能力を維持しやすいという点があげられる。そこが、系統だったスペイン語教育を行わず、現場におけるタガログ語話者とスペイン語話者との拙い意思相通の積み重ねに任せ、クレオールが生まれればそれで十分としていた時代とは、大きく異なる点である。仮に、学校教育もテレビやインターネットなどの科学技術もない時代に、上層語としての英語に接し、日々の糧を得るために何とか英語話者と意思疎通を図らなければならない状況に追い込まれていたら、それなりの影響がチャバカノ語の文法構造に現れていたであろう。しかし現代は社会的状況がまったく異なり、チャバカノ語ないしタガログ語で意思疎通ができなければ、英語ないしタグリッシュにランゲージ・シフトすれば良く、わざわざ自分たちの言語であるチャバカノ語を英語化してまで意思疎通を図る必要などないのである。つまり、チャバカノ語にとって英語とは、単なるlexifierに過ぎず、英語以外に対象を表現する用語がない場合を除き、発話を彩る一種の装飾品のような存在であるといえよう。


 

              
              
              
              
              

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