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 東京外国語大学 府中キャンパス移転20周年

1. 西ヶ原キャンパスからの移転の背景

目次
■戦前の西ヶ原校舎
■戦後の西ヶ原キャンパスの増改築
■西ヶ原キャンパスの敷地問題


・戦前の西ヶ原校舎

 1923年(大正12)の関東大震災により校舎を失った東京外国語学校は、移転先の選定に難航します。1933年(昭和8)移転先として確保された用地が、滝野川区西ヶ原町にあった海軍爆薬部の跡地でした。翌年、大蔵省よりこの地の引継ぎを受けますが、不況のあおりを受け、新校舎の建設は遅れ、当初設置されたのは校門と敷地を囲む塀のみで、長らくグラウンドとして利用されていました(下写真)。
 1940年1月校舎建設に着工し、1944年に空襲からの疎開を兼ねて竹平町校舎から西ヶ原新校舎に移転します。しかし、翌年4月13日、東京西北部一帯を襲った城北大空襲により、わずか1年を待たず焼失してしまいます。
 そのため、東京外事専門学校(東京外国語学校が改称)は、戦後上野の東京技術学校の一部等を間借りして終戦を迎えます。次いで、板橋区上石神井の智山中学校と元電波兵器技術専修学校の木造校舎を借用し授業を再開します。1949年(昭和24)3月23日、新制大学発足直前に西ヶ原キャンパスに戦災復興校舎が建設され、1951年に新キャンパスへの移転が完了します。

(左)戦前の西ヶ原グラウンド  (右)戦前の西ヶ原校舎正門
正門横には「許可ナクシテコノ内ニ立入スヘカラス」との注意書きが掲げられました。


・戦後の西ヶ原キャンパスの増改築

 西ヶ原キャンパスでは、1952年に鉄筋コンクリート校舎の新築が始まり、1950年代に従来の木造校舎から鉄筋コンクリート造校舎への移行が進みます。1960年代、学内では学部の増設、海外事情研究所やアジア・アフリカ言語文化研究所の設置も行われ、設備の充実化が図られました。
 これを受け、1960年代には1号館・2号館体育館が、1970年代には3号館・4号館・図書館新館が、1980年代には5号館・国際交流会館が建設されます。1961年11月は大学創立60周年を記念して建設された講堂では、入学式・卒業式の式典が挙行されるだけでなく、語劇の舞台として利用されました。

(左)創立六十周年記念講堂(1961年竣工) (右)2号館(AA研、1968年度増築完成)

【表_西ヶ原キャンパスの増改築略年表】※『東外大ニュース』No.52「年表をつくる、みる」参照

1961年(昭和36)

一号館・講堂

1964年(昭和39)AA研、1966年(昭和41)大学院(外国語学)設置

1967年(昭和42)

二号館

1968年(昭和43)

体育館

1968(昭和43)年 紛争・閉鎖事件

1971年(昭和46) 

三号館

1972年(昭和47)

四号館 保健管理センター

1975年(昭和50)大学院(日本語学)、1977年(昭和52)大学院(地域)設置

1979年(昭和54)

図書館新館・LL

1982年(昭和57)

五号館

1985年(昭和60)

国際交流会館


・西ヶ原キャンパスの敷地問題

語学科や大学院の設置に伴い、新制大学発足当初は約1500人であった在学生数が、1980年代には2500人を超え、キャンパス移転直前には大学院生・留学生を含めると4000人を超えるようになります。
 学生数の増加を受け、西ヶ原キャンパスでは増改築が繰り返されましたが、校地面積に限りがあり、早くから移転が検討されてきました。戦後の新制大学発足を機に初代学長に就任した澤田節蔵の頃から校舎移転地の確保は大学の重要課題であり、目黒の旧海軍軍令部跡への移転が計画に上ったこともありました。
 1962年、政府が大学や研究機関を集めた「研究学園都市構想」の計画を発表すると、東京教育大学とほぼ同時期に東京外国語大学もまた筑波移転を検討します。結果的に移転は断念されますが、移転地の確保は歴代学長の一番の課題となり続けます。また大学の設置については、1959年の工場等制限法により都市部での新設・増設が規制されます。1984年には大学設置審議会大学設置計画分科会において「昭和六十一年度以降の高等教育の計画的整備について」が示され、都市部への大学の集中が抑制され、キャンパスの増設を目指す大学の郊外移転が進みます。

   
 @1959年航空写真:写真中央の建設中の建物は1号館の増築分に当たり、2年後に1号館は完成を迎えました。 A1964年航空写真: 写真中央には完成した1号館が、左側には60周年記念講堂が確認できます。約2年後1966年には1号館の奥に食堂が、その翌年には手前に2号館が建設されます。
   
 B1975年航空写真:戦災復旧校舎として戦後の外語を支えた木造校舎が一部解体され、新たに体育館が建設されました。その後、木造校舎は完全に取り壊され、同地には5号館が建設されます。
 C1997年航空写真:1979年には一号館に囲まれた広場に新たな附属図書館が、1号館-2号館の間に視聴覚教室が建設された。



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