2023年度 活動日誌
3月 活動日誌
2024年3月22日
GJOコーディネーター 田口 和美
3月のロンドンレポートはジャパンリサーチセンターのドクター・鈴木さとな、とドクター・ギギ・ファビオが企画したイベントです。このイベントはS O A Sと日本の福島は会津にある諸橋近代美術館のコラボレーションの紹介から始まりました。
諸橋近代美術館の創始者は諸橋廷蔵氏で、諸橋氏は服飾産業からスタートし、その後、スポーツ産業に事業を広めよく知られているXebioブランドも立ち上げました。
ユナイテッド・スポーツ・ファンデーションのダイレクターでXebioホールディングの顧問をしている創始者の娘の諸橋ひろ子さんは、彼女の父である創始者がどのようにして近代ヨーロッパの美術品を蒐集し、彼の故郷の福島で美術館を立ち上げたかを説明してくれました。
諸橋ひろ子さんは、彼女のお父さんは常に人を喜ばせるよりは、驚かせたかった、と語ってくれました。ひろ子さんは、お父さんが多くの地元の人たちに西洋近代美術の素晴らしい美術品を見て楽しむ機会を作りたかったそうで、そのために美術館を建てるのに真剣に挑んていた事が強く印象に残っているそうです。
2番目のスピーカーは諸橋近代美術館が購入し展示してある作品を描いたアーティストによる物でした。彼女の作品の数多くは諸橋美術館が買い取りました。
3番目のスピーカーは版画研究家、ドクター・モニカ・ヒンケルで、AIが学問の場において如何に研究を発展させ貢献することができるかの可能性について語ってくれました。
トークの合間と終わってからの時間に、民謡歌手・望月あかりさんと津軽三味線奏者(申し訳ありませんが名前がわかりません)による民謡パフォーマンスがありました。
トークの後は、フォイエに移り、素晴らしいお寿司と酒テイスティングイベントが観客を待っていました。
とてもリラックスした格式貼らないイベントで、とても楽しいひとときでした。J R C企画のヒットイベントがまた生まれました。
2月 活動日誌
2024年2月29日
GJOコーディネーター 田口 和美
2月のロンドンレポートは1月のレポートでカバーできなかった、あまり知られていない場所です。
それは巨大な(約10メーター)木像のマリア像です。これを彫った彫刻家は藤沢在住の親松英治さんで、南島原の原城で起きた島原一揆(1637−1638)で亡くなった犠牲者の魂を弔うためにマリア像を40年以上の数月を掛け完成させ、南島原に寄付しました。
天草と南島原は一時クリスチャン大名が統治していたため、クリスチャン信仰が盛んなところで、地元の住民にもそれが浸透していきました。
作家の遠藤周作は徳川幕府がこの土地に住んでいたクリスチャン教徒を迫害した時代を背景にした小説、沈黙を書き、この小説をもとに後に映画化もされました。
この巨大なマリア像を拝見できたのは、とてもラッキーでした。彫刻家の親松さんは信仰のために亡くなったクリスチャン教徒の霊を慰めるために40年もかかってこのマリア像を掘ったという事実は、本当に驚くべきことです。
2番目のトピックはロンドンの大和基金で行われたトークに関してです。トークはオックスフォード大学の研究生、ジョエル・リトラーさんによるものでした。彼の研究課題は明治時代の革命家で浪花節の語り手、宮崎滔天についてでした。
宮崎滔天の名前と彼が革命家でなにわ武士の語り手という情報に出会したのは、夏目漱石の漢詩を研究している時でした。漱石と滔天を結ぶ共通点は、自由と人権運動の活動家で、衆議院議員も務めた政治家でもあった前田案山子です。
政治家としての活動を退いた後、前田案山子は故郷の熊本は小天に住みました。彼は家の離れと温泉を、知識や情報交換が出来るような文化サロンに似た場所として当時の知識人に開放しました。
漱石は熊本の第五高等学校に勤務していた時、前田家の温泉を数回訪れました。漱石はこの小天での経験を元に草枕という小説を後に書き、発表しました。
宮崎滔天は前田案山子の三女、槌子と結婚します。彼女は滔天の革命家としての活動を支えました。
ジョエル・リトラーさんのトークは非常に興味深く、ケンブリッジ大学出版社から出されているモダンアジアンスタディーズに入っている彼の研究論文を必ず読むつもりです。
3番目のトピックはSO A Sスチューデントユニオンが主催した旧正月のコンサートについてです。主なアーティストは程玉(琵琶と古琴の名手)とベイベイ・ワング(打楽器の名手)でした。
程玉は古琴のグループとの演奏、中国古典音楽アンサンブルとの演奏を披露してくれ、ベイべいは2人組みと四人組のパーカッションの演奏を披露してくれました。残念ながら、ベイベイの演奏に没頭していたため、写真を撮るチャンスと見逃しました。
非常に高度な技術を持つ音楽家達の素晴らしい演奏に我も忘れる思いでした。S O A Sのスチューデントユニオンがこのような高い質のコンサートを企画できる、という事実を非常に頼もしく思った夜でした。
1月 活動日誌
2024年1月31日
GJOコーディネーター 田口 和美
皆様、新年明けましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。
日本語を読む読者から、日本語のレポートも再開してほしいというリクエストがありましたので、再度、日本語版も続けていきます。
2019年に提出した博士号論文の延長として企画した、夏目漱石―漢詩ヴィデオの第2シリーズ制作のために必要な映像収録にかけた7週間の日本滞在の旅から帰ってきました。
漱石が日本政府からの派遣でロンドンに2年間留学する前に5年間滞在した熊本を訪れました。
漢詩ヴィデオシリーズ1で、漱石が教鞭から骨休めに訪れた那古井温泉を紹介しました。今回は熊本市にある第五高等学校をご紹介します。第五高等学校は現在熊本大学に呼び方が変わりましたが、写真で見るとわかりますが、昔の建物が素晴らしく良い状態で保管されています。
その後、昔、外国に旅する客が出入国した港、長崎を訪れました。軍艦島の写真を載せています。軍艦島は炭鉱の島で、炭鉱が栄えていた頃は島全体が炭鉱コミュニティーを成し、住居、学校、病院、ショッピングセンターなどがありました。漱石が長崎から出港した頃は、軍艦島は存在しませんでしたが、近代化への発展の道を辿る当時の日本にとって海運業が重要だった頃の名残を物語っています。
長崎を後にして向かうは、漱石の漢詩とは全く関係ない相撲なのですが、お相撲が大好きな私は福岡へ駆けつけました。観戦中に気づいたのは、相撲に熱心な西洋人の多いことでした。彼らは私に負けないくらい相撲観戦を満喫していました。
それから広島経由で四国は松山を目指しました。松山は漱石の親友、子規の出身地です。漱石は東京を離れて英語の教師として松山に移りました。一年松山に滞在した後、他の教師の仕事の為、熊本に移動しました。漱石の松山滞在の1年間の思い出は、その後、漱石の小説の作品の一つ、坊ちゃんを描く下敷きとなります。松山時代の漱石は、道後温泉に浸かる時間を好みました。
京都に禅寺を訪れもしました。嵐山の方に出向いたのですが、素晴らしくデザインされた庭や山が表現してくれる風景芸術に魅了されました。撮った写真は漱石が好んだ渡月橋から見た風景です。漱石は特に病気の時に精神的な癒しとなったさりげない自然が好きでした。
京都を経った後は、漱石が大学生時代に目を病んだ時に療養に訪れた箱根の姥子温泉に行ってきました。この温泉は商業的な運営はしておらず、修験道の業者が魂の修行に来たという歴史があります。温泉には大きなしめ縄が岩石の表面に祀ってあります。入浴時、目の前の巨大な岩石を見て自然の持つ偉大な力を感じました。
鎌倉の円覚寺にも行き、漱石が坐禅を組んだもう一つの禅寺を発見しました。今回の新しい発見はとても喜ばしい出来事でした。禅寺は実際に出向く坐禅の会と坐禅のズーム版も坐禅に興味のある個人には提供しています。
若い頃は海水浴にそしてその後温泉も訪れた千葉にも行ってきました。房総半島はかず多くの海岸がある事で有名で、漱石が訪れた海岸は、今は房総海水浴発祥の地と呼ばれています。
漱石の生誕の地であり、ロンドンから帰国後ずっと住み着いた東京を忘れてはいけません。新宿にある漱石記念館を訪れ、生前、漱石が使っていた様子を再現した漱石の書斎を見てきました。漱石は彼の弟子、生徒が集まり興味のあることを話し合い、意見を交換し、漱石に助言を聞ける木曜会というサロンをここで設けていました。
今日の近代文学の生みの親の重要な人物の一人である漱石を考えると、神奈川近代文学館を訪れるのは自然です。横浜の港が見渡せる素晴らしい場所に位置しています。漱石は漢詩作品のためによく水墨画を描きましたが、その作品の一つを見ることができたのは、非常に幸運でした。
日本からロンドンに向けて旅立つ直前に、漱石が胃潰瘍の大病から回復するときに滞在した伊豆の修善寺に何とか訪れることができました。修善寺は山の奥にあり、大都市から逃れるためには完璧なロケーションです。漱石が大都市の仕事から逃れ、静かで精神的に落ち着く環境を求めて修善寺を選んだのがよく理解できます。
11月、12月の日本の旅をまとめた1月のロンドンレポートでした。
6月 活動日誌
2023年6月30日
GJOコーディネーター 田口 和美
5月のロンドンレポートは、SOASブルネイギャラリーで行われたSOAS SIZHU ENSEMBLE AND FRIENDS (A concert of Chinese, Japanese, & Chinese-Peruvian Music)に関してお届けします。
このイヴェントの企画者はS O A Sの音楽学部の博士号を持つDr. Hwee San Tanです。Dr. Tanが率いるSOAS Sizhu Ensembleは上海ティーハウスミュージックから2曲演奏してくれました。演奏された楽器は木管楽器のDizi(笛子)、Erhu(二胡)、Zhonghu(中胡)、Sanxian(三弦)、Zhongruan(中阮)、Xiaoruan(小阮)、Sheng(笙)、drums(太鼓)、Guzheng(古筝)でした。観客はこの音楽を聞いて、あたかも中国のティーハウスにいる様な感覚を味わうことができました。
第二の出し物は、S O A Sの学生のJaydee Cozziさんによる太鼓のソロ演奏でした。2曲演奏された曲はどちらも非常に力強く感動的でした。その後に続いたのが、お馴染みのロンドン沖縄三線会による沖縄民謡の披露でした。3曲の民謡を演奏してくれましたが、見事な踊りも入り、観客をリラックスさせると同時にエキサイトする雰囲気を会場に作ってくれました。
4番目の演奏は、中国の木簡とヴァイオリンによる中国現代音楽でした。非常に緊張感のある魅力的な音楽でした。その次の出し物は、SOAS Sizhu Ensembleとペルーからのアーティスト Jose Navarroさんによる、中国民謡と操り人形のパフォーマンスでした。ペルー人のアーティストが糸で操る人形は、文楽で使われる人形と同じくらいの大きさでした。ペルーの操り人形との違いは、ペルーの人形は糸で操られ、一人の操り人形師だけという点でした。
6番目のパフォーマンスはS O A S民謡グループによる日本の民謡の披露でした。北海道のアイヌ民族の民謡も含め、日本のいろんな地方の民謡の演目が選択されていました。民謡グループは日本の伝統的な労働作業の時に歌われていた、米とぎ歌や牛追い歌の民謡を歌ってくれました。和やかで楽しいパフォーマンスでした。
その後は、デンマーク在住の中国オペラ歌手が、中国オペラから抜粋した一部を披露してくれました。歌ってくれたのは、北京オペラと崑曲オペラの2種類のオペラでした。非常に魅力的な歌声でした。最後の出し物は、型式にとらわれずフレンドリーではあるけど内容的にはとても濃い文化的イヴェントを終わるのに最適な、スリリングなペルーの民謡の披露でした。
5月 活動日誌
2023年5月31日
GJOコーディネーター 田口 和美
5月のロンドンレポートは、コーディネーターの私が、音楽活動で私の属するフランクチキンズのリーダーの法貴和子さんと、なんちゃって日本文化紹介(日本文化理解は難しくないですよー)として忍者寿司巻きシェフとして参加した、ラディカル・アンティー・エクスペリエンスというイベントに関してお送りします。
行き方をA Iに頼ってしまったため、大変な遠回りをして、東ロンドン観光バスのようなルートを通ってやっと目的地(東ロンドンチャイニーズコミュニティセンター)へ到着しました。最初にみんなで自己紹介をし、それぞれの活動を確かめ、いざイベント開始です。
コミュニティーセンターのキッチンを提供してもらい、和子さんと私は忍者コスチュームをつけて、イベントの寿司シェフ担当です。二人で必死に巻いて、色んな人と話す機会もあり即席寿司シェフ役割担当を楽しみました。ラディカルアンティ体験として来て下さった人たちの期待を裏切らなかった事を祈ります。
イベントオーガナイザーの一人で友人のシーちゃん(Dr. Shzr Tan)は、ロンドン大学ローヤルホロウェイで民族音楽を教えていて、このイヴェントも大学の方から支援されています。Dr. Tanは教鞭をとる他、人権平等運動の意識を高める “レイシャル・アウェアネス” 運動の一環として定期的にセミナーをオーガナイズしています。
ラディカル・アンティ・エクスペリエンスのイベント第一回は、とてもよくできた企画だと思いました。太極拳の体験、折り紙作り、スクエアーダンス、癒しのマッサージ、そして忍者寿司、その他見捨てられ必死親父のカードコーナー?など盛り沢山でした。
こうご期待という所でしょうか?!
4月 活動日誌
2023年4月30日
GJOコーディネーター 田口 和美
4月のロンドンレポートは、S O A Sのブルネイギャラリーで行われたバリのガメランコンサートをご紹介します。
S O A Sの屋内でのコンサート上演はコロナ感染阻止のため、長い間中止されていました。
ブルネイギャラリーのホールが解禁になったのは知っていましたが、まだ行ったことはありませんでした。
今回、バリのガメランの演奏があると聞いて、音楽家の友人と共に3年以上ぶりにブルネイギャラリーに足を運びました。
当日のプログラムは、S O A Sの音楽学部で教えているニック・グレイが指導し率いるバリ・ガメラングループ、Segara Madu(蜂蜜の海)の演奏とバリの変身と魔法の昔話を題材にしたショートフィルムの上映でした。
久しぶりに大人も子供もリラックスした環境で、グローバル音楽に触れることができるS O A Sのコンサート会場に戻ってくることができ、昔の日常に近い感覚に安心感を感じたひとときでした。
バリのガメラン音楽は、Javaのガメランオーケストラとは異なり、銅製の薄い鉄琴楽器だけのオーケストラで、円盤型のバチを使って叩きながら掌の横の部分を使って音をダンプしながら早いテンポで演奏する複雑な演奏から成り立っています。
音楽の伝統的な役割は、インドの昔話を影絵で演じる時の伴奏オーケストラの役割です。その他にはバリにおけるヒンドウー教文化伝承の豊年祭、寺祭り、お清めの儀式、葬儀の時の音楽の担当です。
非常に早いリズムで複雑なメロディーを伴うバリのガメランは、音楽自体が肌で物語を奏でてくれる様な、瞑想的な体験でした。