3案調整のための一つの提案

2000年3月12日

高橋(正)

 

T.言語学部と地域文化学部(いずれも仮称)の2学部とする。地域・国際と総合文化は一つの学部にする。

その理由

1.地域研究と総合文化では境界領域が大きく重なり合う。文学を一方の極とし、国際関係論を他方の極としつつ、両極間にグラデーションをなしてスペクトル状にさまざまな学問領域が並んでいる。

2.さまざまな理由に基づいて言語・情報講座から強い反対が出ている状況では、言語教育における共通授業の設定はほぼ不可能である。だが、各学部が独自に言語教育を行うことになると、3学部ではきわめて難しい。

(参考)地域・国際講座のアンケートから

(…)各組織改革案を眺めてみると,もっとも現行組織・教育に近く,柔軟な対応ができる高橋案がよさそうに見えます。なぜなら,2学部案は 現行の講座・コース制を再び再編するという荒療治が必要ですし,3学部案は対文部省という点で,また言語教育がいっそう難しいという点から,実現可能性が0に等しいと考えるからです。2学部にしても,(たとえ単位を減らしたとしても)26専攻語教育がはたして可能かどうか,充分慎重な検討が必要です。いずれにしても,小言科の特色を失わずに,充実した教育がいかにして可能かをまず考えることが先決です。

 

U.同一学部にすると同時に、地域・国際と総合文化を異なった課程に分け、相対的な独立性を維持する。入試選抜方法、カリキュラム編成などではそれぞれが独自の方式で行う。しかし、言語教育については協力し合う。

例:総合文化課程では言語別に選抜を行う。他方、地域・国際課程では専攻別(国際・広域専攻、地域研究1〜4専攻)に行う。

 

(参考)地域・国際講座のアンケートから (…)7課程以外の「地域研究」とは別に、入学定員として「国際研究」の枠を設ける。この学生は、英語を主専攻語とするが、「地域研究」の英語主専攻とは異なり、国際経済論、国際社会論などを学ぶことを主たる目的とする。

地域研究と並んで、社会科学、人文科学のしっかりしたコースを準備すべきである。「地域」を重視するあまり、社会科学、人文科学の基礎理論系科目が手薄になっている。他大学との単位互換で、という考え方は、現実な実現可能性の点で、不確定の要素が多すぎるうえ、むしろ学生は、地域(言語)にとらわれないかたちで、国際関係、国際協力関連の専門教育に進みたがるのではないか。文化の多様性を認識させる意味で、英語以外の言語を必修とするのは賛成だが、専門教育を地域に無理に関連させるのは、現状の言語による縛りと同じ結果になるのではないか。地域と並んで、やはり強力な社会科学、人文科学の専攻コースを設けるべきであろう。

 「基本概念」では「言語単位に所属しない教官の配置については,全学的観点と履修コースの観点から検討する」と言及されていたと思います。「基本概念」を概念を提起された先生方にしてみれば,同改革構想の中に社会系列の教官をどう位置づけるのか,当事者からの建設的意見を望んでおられるのだと理解してはいるのですが...。未だ思案中です。

 結局,「基本概念」の原則にある「言語・文化・地域研究の柔軟な連関を図る。『ディシプリン』の名の下に学問研究・教育の領域・区分を固定化することをしない。」というコンセプトに基本的に賛同しつつも,系列の教官の顔ぶれを想起しながら具体的な配置の問題について考えあぐねているといったところでしょうか。(社会系列)

 

V.言語教育を工夫する。

1.必修コマ数を再検討する。(例えば、現在より1コマ現の5コマにするなど)

2.クラス編成の方式を検討する。

選択肢1: 地域・国際は入学後選択制として半年間を準備期間とし、言語教育は合同で10月から開始する。

選択肢2: 地域・国際では出願の際に第1志望から第3志望まで志望専攻語を提出させ、入試の成績を基準に言語クラスを振り分け、4月から合同で言語教育を開始する。

3.語学教育の合理化、近代化を推進する。

(1) 1年次、2年次それぞれについて、到達目標と到達度評価のシステムを導入する。その一環として、各年時(あるいは各学期)ごとに到達目標となる文法知識と単語を定め、それに基づいて教材を作成し、授業計画を立て、成績を評価する。

(2) 自学自習を単位履修制度に本格的に導入する。例えば、履修すべき文法事項を分節化し、項目ごとにユニット化されたAV教材、コンピュータ教材を作成する。一定期間ごとに、ユニットごとの試験を、また学期ごとに複数ユニットの試験を行い、その成績を単位認定に取り入れる。

(註)そのためにも、現在、芝野さんが呼びかけているCALLシステムのプロジェクト推進を強力にバックアップする。

 

(参考)地域・国際講座のアンケートから

もう一つの争点たる英語教育について,全学部共通に今よりも濃密な授業を行うためには,英語教員を大幅に増員するか,または一定の教員が英語教育に専念するという,これもまた現在ではいささか困難な課題が突きつけられます。前に書いたように,全員に英語をくまなく教えることよりも,研究言語として第3言語の開講コマを増やし,英語についても先端的な授業を選択でとれるようにカリキュラムを柔軟にすることと,パソコン・AV機器を使った自主学習ができる施設を整えることが早急に必要だと思います。

「外語らしさ」のために、前から思っていたことをひとつ提案します。

 現在、原則として旧一般の教官は4コマ、旧語科の教官は5コマのノルマ基準があり、旧一般の方は語学教育に携わっていません。このノルマ基準は、実際上、不自然です。旧一般のすべてが大教室で多くの学生を抱えているわけではありません。旧語科の教官が、地域基礎をもてば100人以上の学生を相手にします。演習にしても、各教官によるばらつきはあっても、旧一般の人が必ずしも沢山の学生を抱えているわけではありません。それから、外語大の故に、すべての教官が語学教育(この場合、広い意味での読解力向上)に携わることができますし、またすべきだと思います。

ですから、取り敢えず目安として、200人以上の大教室の授業、10人以上の演習をもつような場合を除いて、旧一般の人も「英語文献講読(あるいは中国語その他)」を原則として少なくとも半コマ開講するということを提案します。すると、とくに地域・国際コースにくる学生は1〜2年の間に、社会科学の文献を読む力を培うことができます。なによりも、「外語大ではすべての教官が語学教育に携わる」というのは、キャッチフレーズになると思います。  そして、これらによって開いた非常勤コマは、専攻語を担当し、学部で7コマ、8コマを持っている人の負担を軽減するために活用する、あるいは総合科目を持った場合にはその人のコマ数を軽減する方向に活用するのが宜しいかと思います。