Arturo Escobar, Encountering Development: the making and unmaking of the third world, Princeton, New Jersey: Princeton University Press, 1995.

野田 俊平

この本はArturo Escobarによって書かれたものである。彼はマサチューセッツ大学の助教授で、専攻は人類学である。この本は1995年にPrinceton University Pressより出版された。  

本書はタイトルが示す通り「開発」をテーマに書かれており、全部で6つの章からなる。第1章はイントロダクションであり、著者がこの本を書くに至った動機、研究の方法などが述べられている。第2章では貧困、第3章では経済開発、第4章では飢えと食料、第5章では農民・女性・環境といった分野においてどのような研究が成されてきたのかを概観し、それぞれの研究における問題点を著者独自の視点から議論している。第6章はコンクルージョンで、これからの「開発」がどのようにあるべきか指針を示している。  

そもそもこの本は著者が抱いた2つの疑問に端を発している。今日まで「開発」というものは困難な状況に陥ってしまった途上国を救う魔法であるかのように捉えられ盛んに行われてきた。しかし結果的に開発は失敗に終わり、新たに第3世界なるものを生み出してしまったのである。そこで著者は2つの問いを立てる。1つは「開発」はどのように変遷していったのかという問いである。もう1つは「第3世界」はどのようにして生み出されたのかというものである。これはなぜ「開発」は失敗したのかと言いかえることも出来る。  

ではこの本はどのように評価することが出来るのだろうか。この本において最も評価すべき点は開発への警告であると私は考える。近現代まで何の疑問も持たれることなく、猫も杓子もといった様子で積極的に開発は行われてきた。その結果途上国の情況は改善されたであろうか。答えは否である。上記にも書いたが「開発」は途上国を救うどころか新たに第3世界というものを生み出してしまった。もちろん失敗の原因を探る試みはこれまでになされてきていたが、「開発」そのものを見直そうという動きはあまり見られなかった。そこで登場したのがこの本である。  

しかし著者の意見を受け入れるならばこれまでの「開発」に変わる途上国の救済策を考え出さなければならないと私は考える。私がこの著作を読んで残念に思った点はこれまで行われてきた「開発」に対する代替案が具体的に示されていないことである。著者はただ「途上国の中でもそれぞれの国・地域における歴史的背景、情況などが異なっていることを考慮に入れなければならない」と述べるにとどまっている。さらに言えば途上国別・地域別にどのような情況にあって、どのような問題点があるのかを示して欲しかった。この本では著者がフィールドワーク等でおもに研究してきたコロンビアの事例を取り上げているだけである。  

別の観点から言えば、この本は性格上これまでの「開発」をめぐる議論を一通り取り上げて考察している。各研究者の議論を限られたスペースで取り上げているため、少々難解になってしまっているが、これまでの「開発」を概観しようとする場合には有益であると私は考える。