「弁証法的形象」としてのアレゴリー
――後期ベンヤミンの視点からの『ドイツ悲劇の根源』

1997年6月29日 阪神ドイツ文学会研究発表原稿



今日の発表の副題には「後期ベンヤミンの視点からの『ドイツ悲劇の根源』」とありますが、「後期ベンヤミン」という言葉は比較的よく使われる表現であるにもかかわらず、厳密な時期区分に関する一般的了解がどれほどあるかということについては、疑問の余地があります。しかし、いずれにしてもベンヤミンの著作活動において、24年から25年にかけて執筆された『ドイツ悲劇の根源』が大きな切れ目になっているということは指摘できると思われます。というのも、一つには、この著作をもってベンヤミンはアカデミズムから離れて著作活動を行うようになったということ、そしてもう一つは(こちらの方がより重要なことですが)、この頃、現実面でマルクス主義に接近していったということがあげられるからです。私が「後期ベンヤミン」という場合、特にこの二番目の視点を念頭においており、直接的・間接的にマルクス主義的な方向が著作のうちに見られるようになった30年 代のベンヤミンのことを考えています。

こういった「後期ベンヤミン」の性格に対して、やはりしばしば用いられている「初期ベンヤミン」というという表現によって一般に思い浮かべられるのは、『ドイツロマン主義における芸術批評の概念』(1919)やゲーテの『親和力論』(1922)といったGermanistikの領域での仕事や、なによりも1916年の言語論や21年の暴力批判論などに顕著に見られる神秘主義的・魔術的傾向あるいは神学的傾向ではないかと思います。

さて、さきほどベンヤミンの著作活動の転機に当たると位置づけた『ドイツ悲劇の根源』は、明らかに「初期」の著作活動の圏内にあります。フランクフルト大学の美学の教授資格論文として書かれたこの著作は、芸術哲学的立場を基本としているものの、対象自体はいうまでもなくGermanistikの範疇に入るものであり、すでに書かれたロマン派論や親和力論にも関わっています。そして、ルネサンスなどの魔術思想について言及されているだけでなく、1916年の言語論が大幅に取り入れられ、特にそこでの神学的な思考法がこの著作全体を決定的に方向づけています。しかし、他方でこの著作にはこういった「初期ベンヤミン」の特徴とともに、後期の著作につながる要素がやはり決定的な意味を持っており、30年代のベンヤミン自身がこのことを非常に意識していました。彼が自分自身の「弁証法的唯物論」の立場について言及している193137日 付のMax Rychner宛の書簡では、(引用1の最初の下線部参照)「すでに弁証法的ではあるにしても、確かに唯物論的ではない」(BB,523)とこのバロック悲劇論を位置づけており、また「パサージュ論」の方法論的な断片が集められたNの項では、(引用2)バロック論が現代を通じて17世紀に光を当てたのと同様に、しかしそれ以上に明確に、ここでも[パサージュ論でも]そういったことが行われなければならな い(V,573 [N1a,2])と述べています。私が、今日のこの発表で目指していることは、基本的には初期の著作の連関にある『ドイツ悲劇の根源』のもつ思考の枠組みが、後期ベンヤミンにおける弁証法的唯物論の思考の枠組みへとどのようにつながっていくか、また、初期の思想から後期の思想への一貫した展開が確認されるとき、『ドイツ悲劇の根源』において見られる諸概念の配置(今日扱うことができるのは、もちろんその一部分ですが)はどのようなものとして捉え直すことができるか、ということの輪郭を提示することです。また、それによって、互いに相容れないもののように見える初期の思想と後期の思想を媒介する視点をも提示することができると考えています。

この問題はベンヤミン自身明確に意識していたものであり、さきほどと同じMax Rychner宛の書簡の中で(引用1の二番目の下線部)私のきわめて特殊な言語哲学の地点から、弁証法的唯物論の見方へは、いまだ緊張した、問題を孕んだものであるにせよ、ある媒介が存在するということ(BB,523)に言及しています。こういった後期ベンヤミンの視点から初期の著作に属する『ドイツ悲劇の根源』を捉えるためには、まず、後期ベンヤミンにおける弁証法的唯物論の思考の枠組みを提示しておく必要があります。(この部分については、私はすでに論文の形で表しているのですが、続く論議の土台とするために、ごく大まかに概観しておきたいと思います。)30年代のベンヤミンが書いた数多くの文章、 しかもきわめて重要ないくつもの文章をもとに、後期ベンヤミンの思想圏を再構成するという作業は、確かにそれ自体非常に慎重を要する、複雑な作業ではありますが、私は1931年に発表されたカール・クラウス論が、後期ベンヤミンの思考の骨組みをいわばミニチュアモデルとして提示していると考えています。さきほどの同じ書簡の最後に、ベンヤミンの弁証法的唯物論の立場を問いただすMax Rychnerに対して、(引用1の最後の下線部)エッセイ『カール・クラウス』の行間に(BB,524)その答えを見いだすだろうとベンヤミンは述べており、またこのクラウス論がきわめて成功したものであることを後になって書簡の中でほのめかしてもいます。このエッセイ『カール・クラウス』は、「全人間Allmensch」「デーモンDamon」「非人間Unmensch」と題された3つの章から成り立っています。( 参考2参照)このクラウス論のもつ構成的意図は、Suhrkampの全集の註に含まれている クラウス論補遺Paralipomena zum Kraus ≫ を分析することによって一層はっきりとしてくるのですが、まず全体としては、これら三つの章が弁証法的な構成をとっていることが示されています。最初の「全人間」という像によって含意されているのは、クラウス信奉者たちが彼のうちに見ていた倫理的人格であり、「古典的ヒューマニズム」の体現者です。この「全人間」という像がいわば明るい昼の光のうちにあるのに対して、「デーモン」という像によって描かれているのは、夜の世界・夢の世界の存在としてのクラウスの暗黒面といえます。クラウスの性格や彼の取り組んだ対象にしたがって、ベンヤミンはクラウスにおける「虚栄心」「模倣」「法」「罪」そして「精神と性」について語っていくのですが、ここで強調しなければならないことは、それらがすべて「二義的zweideutig」という特質を持つと、ベンヤミンが執拗に繰り返していることです。つまり、ベンヤミンにとって「二義性Zweideutigkeit」 がデーモンの本質的な特性であるということが、決定的なこととして示されています。最後の章「非人間」はこういったデーモン的な二義性を克服し、ベンヤミンにとっての「弁証法的唯物論」の到達段階として考えられている「現実的ヒューマニズム」、つまりベンヤミンにとってのマルクス主義が想定している理想的な人間の存在様式を体現する人物像として描かれています。

ベンヤミンの意図においては、当然ながらこの最終段階こそが提起されるべき最も重要な状況なのですが、ここではむしろ第二段階で示されているデーモンの二義性にアクセントを置きたいと思います。これら「デーモン」「二義性」あるいは「二義的」という言葉は、ベンヤミンの比較的初期の文章、『運命と性格』(1919)『暴力批判論』(1921)『親和力論』(1921-22)そして『ドイツ悲劇の根源』などにしばしば現れており、『親和力論』では「デーモン」はゲーテの『詩と真実』の中の記述、また『ドイツ悲劇の根源』ではソクラテスやアウグスティヌスに言及しながらも主にルネサンスの魔術思想に関連づけられてはいますが、後で取り上げるように、これらの言葉はより高次の、ベンヤミン独自の概念連関のうちにあります。クラウス論では、概念的な位置づけはまったくなされておらず、単にクラウスに見られる個別の事象がもっている二面的性格を指摘してい るだけのようにも見えます。しかし、クラウス論の「デーモン」の章でもベンヤミンは、ボードレールとの親近性について言及しているのですが、そのボードレールについて扱っている1935年の『パリ、19世紀の首都』(パサージュ論の「概要」として書かれたもの)の中で、「二義性」は次のように概念的に定式化されています。(引用3)近代性は常に根源的歴史Urgeschichteを引用する。そういったことがここで起こるのは、この時代の社会的諸状況と所産に特有な二義性による。二義性とは、弁証法が形象をとって現れたものbildliche Erscheinung der Dialektikであり、静止状態にある弁証法Dialektik im Stilstandの法則である。この静止状態はユートピアであり、弁証法的形象das dialektische Bildはつまり夢の形象(夢像)である。こういった形象をたとえば、商品そのもの、つまり物神としての商品が表している。家であるとともに街路でもあるパサージュも、こうした形象を表す。売り子と商品が一体となった娼婦も、こうした形象を表す。(V,55)ここでの「二義性」はもちろん、後期ベンヤミンのマルクス主義的志向Intentionにおいて語られているものですから、初期の著作に見られる「二義性」とまったく同列に見なすわけにはいきません。しかしながら、この弁証法的唯物論の枠組みにおける「二義性」の概念へと、『ドイツ悲劇の根源』で語られている「二義性」「デーモン」がいかに結びついているかを示すことが、この発表において提起しようとしている第一の論点となっています。先ほどの引用に戻りますが、「二義性」はここでは「商品」「パサージュ」「娼婦」といった形象が担っています。弁証法において本来は動的に、歴 史的・時間的展開のうちにせめぎあう二つの対立する要素は、ここではひとつの形象のうちにいわば凝固し、同時的存在として空間化されています。つまり、弁証法の二つの契機が同時的なものとして空間化されたものが「弁証法的形象」であり、そのうちに含まれた二つの要素が同時的に現れた状況が「二義性」として定式化されていると考えます。後期ベンヤミンにおいては、二義性を有する弁証法的形象は、ここにあげられている「商品」「パサージュ」「娼婦」といった形象に顕著に見られるように、「高度資本主義の社会」を構成する諸事象です。この「二義性」にとらわれた社会、いわばデーモンの夜の圏内にある「高度資本主義の社会」としての「19世紀の首都」、ベンヤミンの表現によれば「夢の都市」を描き出すことが、パサージュ論においてなされていたはずであり、かつその「夢の都市」からの「覚醒」、つまり弁証法的唯物論の到達段階へと至る可能性が提示されていたはずだった、と思われます。その意味で、クラウス論の展開の方向はパサージュ論のそれと重なり合います。

そしてこのパサージュ論の、ベンヤミン自身の表現で「ミニチュアモデル」と呼ばれている、1938年にたてられた本来の「ボードレール論」の構想は、クラウス論との並行関係を顕著に示していると思われます。(再び参考2参照)構想された三つの章のうち、実際に執筆されたのは二番目の『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』だけであり、他の部分は書簡などにみられる図式的なスケッチが残っているだけなのですが、最終的には「マルクス主義的解釈」が目指され、ボードレールにおける芸術の政治性の可能性が提起されるであろうと推測されます。そしてそれとともに、なによりも、クラウス論でいえば「デーモン」の章にあたる、本来第二章として書かれた『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』において、「デーモン」や「二義性」といった言葉自体は使われていないものの、「弁証法的形象」としてすでにあげられた「パサージュ」が「道路と室内空間の中間物」(I,539)と して言及され、「ガス灯」「百貨店」などの形象もこの連関のうちに捉えられています。これらとともに、この文章においてベンヤミンの志向が最も集中的に向かっているのは、ボードレール論において描かれている没落するパリのイメージのうちに、近代(ベンヤミンにとっては「高度資本主義の社会」によって体現されるもの)と古典古代が重なり合うという意味での「二義性」だと思われます。同時代のエッチング画家メリヨンについて論じているボードレールの文章を指して、ベンヤミンは次のように言っています。(引用4)メリヨンについて論じながら、ボードレールは近代に熱中している。彼が熱中しているのは、しかし、近代の中の古典古代の相貌である。というのも、メリヨンにおいても、古典古代と近代が相互に浸透しあっているからだ。メリヨンにおいても、この?berblendungの形式、すなわ ちアレゴリーが、見まがいようもなく立ち現れている。(I,591) ?berblendung(ディゾルブ)とは映画の技法で、前のシーンがフェードアウトして次のシーンがフェードインするときに二重写しになることを指します。パリという形象のうちに近代と古典古代が二重写しになるという状況、つまり?berblendungは、「二義性」の別の表現と考えられます。そして、ここで指摘したいことは、「アレゴリー」がこの二義性の形式とされているということです。つまり、これまでのことと関連づけるならば、「パサージュ」「娼婦」「百貨店」「商品」「ガス灯」といった「高度資本主義の社会」の中の「弁証法的形象」は、それが本来意味するものと、その形象によって別に意味されるものとを同時に含むアレゴリーとして捉えられていることになります。

ここで、これまで述べてきた、後期ベンヤミンにおける思考の基本的枠組みと私が捉えているものを、もう一度概観的に提示したいと思います。まず、基本的にプラスと考えられているものが提示されます。それに対して、次の段階でその負の側面が暗鬱な刻印を帯び、デーモンの圏内にとらわれたものとして示されます。この圏内にあるものとして取り上げられているものとしては、「法」「罪」「精神と性」「高度資本主義の社会」などがあげられ、これらはすべて「二義性」を本質的特質としてもっています。こういった弁証法の二つの契機が同時的に存在する状態としての「二義性」、すなわち「静止状態にある弁証法」は、第三段階において弁証法的解決を見て、マルクス主義的な意味でベンヤミンが「現実的ヒューマニズム」と呼んでいたものへと到達します。この転換点が、パサージュ論で言われている「覚醒」です。第二段階における「二義性」は、確かにデーモンが本来もつ暗鬱なイメージ、ネガティブな性格をもっており、二義性の圏内にある対象は実際そのように描かれています。しかし、それと同時に、二義性を本質とする「弁証法的形象」は、第三段階における解決への可能性をそれ 自身のうちに胚胎しており、それゆえポジティブな性格をもつものともなります。パサージュ論の中の次のベンヤミンの言葉は、その意味において理解できると思われます。(引用5この仕事 [パサージュ論]を支えるパトス、それは、没落の時代などないという考えだ。私がTrauerspiel論で17世紀を見ようとつとめたように、19世紀を徹底してポジティブに捉える試みである。([N1,6] V,571)

さて、こういった後期ベンヤミンの思考の枠組みの把握を前提として、最終的にはパサージュ論へとつながっていく思考の枠組みが、『ドイツ悲劇の根源』のうちにどのような形で存在しているかを、これから二つの論点において素描したいと思います。

まず第一に、この『ドイツ悲劇の根源』全体の中心的な対象といえるアレゴリーに対して与えられた性格づけ、およびそれに関わる諸概念を取り上げたいと思います。『ドイツ悲劇の根源』全体は大きく三つの部分から構成されています。最初の「認識批判的序論」(この論文に対する序文であるだけではなく、ベンヤミンの執筆活動の序論でもある)に続いて、二番目のTrauerspiel und Tragodieと題された部分では、当時の文学史的理解においてつねにギリシャ悲劇との連関にとらわれていたTrauerspielを、まさに17世紀ドイツの生の状況・神学的状況のうちに存在したものとして、ベンヤミンが「哲学的構造」と呼んでいる枠組みのうちに位置づけています。第二部がその意味でのTrauerspiel論となっているのに対して、Allegorie und Trauerspielと題された第三部は、Trauerspielの核心を担うものとベンヤミンが見なしているアレゴリーに関する論、やはり「哲学的構造」という意味でのアレゴリー論となっています。そして、後で取り上げますが、その第三部の最終章においてアレゴリーを神学的連関のうちに位置づけることが最も重要な論点となっています。これら三つの部分のうち、本論に当たる第二部のTrauerspiel論、第三部のAllegorie論のうちに、共通して何度も繰り返し提示される思考の枠組みが見られます。それは時間性の空間化としてのTrauerspiel、時間性の空間化としてのAllegorieという枠組みです。ドイツ・バロックのTrauerspielに 対して当時の神学的状況がいかに規定的に働いていたかを論じる文脈で、次のように述べられています。(引用6)もともと時間的なデータを空間的な非本来性と同時性へと転換することが、バロックの他の生活領域と同様に、ここでも特徴的である。(I,260)ここで語られている時間性の空間化という思考と、当時の神学的状況についての把握は、ベンヤミンにおいて次のような概念的な枠組みを形成しています。(参考3参照)ベンヤミンによれば、ドイツ・バロックは宗教的な解決を断念しており、現世・此岸的なものの強調が顕著となるとされます。この「現世」あるいは「俗」対「聖」、「此岸」対「彼岸」という対置は、この論文 においてはしばしば「内在性Immanenz」と「超越性Transzendenz」という言葉の対置によって言い表されています。その意味で(引用7)Trauerspielにおいては、君主も殉教者も内在性を逃れることはできない(I,247)と言われています。この「内在性」、つまり現世のうちにとらわれていることは、ベンヤミンにとって被造物が罪のうちにとらわれている状態として、「被造物の状態Kreaturstand」と呼ばれているものに結びついています。それに対して、「超越性」とは神の救済の光のうちにある ものとして、「恩寵の状態Gnadenstand」とされます。そして、この世の、被造物の存在する場、「内在性」の領域が、「自然」として言い表されるのに対して、こういった被造物の罪の状態から神の「恩寵の状態」「超越性」へと救済される過程、すなわち「救済史」として「歴史」という概念が位置づけられます。前者の「内在性」のうちにとらわれた「自然」が「空間」のカテゴリーに属するのに対して、後者の「超越性」「恩寵の状態」へと結びつく可能性をもった「歴史」は「時間」のカテゴリーに本来的に属するものです。バロックにおける「自然」と「歴史」という概念の一般的な理解においては、これらは空間と時間という異なった現れ方をするにせよ、この二つはともに神の摂理のこの世における現れという意味で、基本的には同じものと考えられているのではないかと思います。しかし、ベンヤミンにとって、一方は罪の連関にとらわれた惨めな「被造物の状態」、他方はそこからの「救済」の可能性であり、両者はまったく対極的なものとして位置づけられています。そして、この「恩寵の状態」の可能性を 秘めた「歴史」が空間としての「自然」のうちに入り込んだもの、すなわち「聖なるもの」が「俗」へと転換するという意味での「世俗化」こそが、ドイツ・バロックのTrauerspielの舞台Schauplatzにおいて体現されている、とベンヤミンは捉えています。(引用8)というのも、歴史と自然の対照Antitheseではなく、被造物の状態のうちに歴史的なものが余すところなく世俗化することが、バロックの世界逃避において決定的となっている。世界年代記の絶望的な進行に対立するのは、永遠ではなくて、パラダイス的な無時間性の復古である。歴史が舞台・場面Schauplatzの 中へと入り込んでくる。(I,270-271)同じ文脈においてさらに次のようにも言われています。(引用9)歴史が舞台・場面において世俗化されるとき、そこに見られるのは、精密科学において同時に、無限の細分化の方法へといたったのと同じ、形而上学的傾向である。いずれの場合においても、時間的な運動過程が空間的イメージのうちに捉えられ、分析される。(I,271) 「歴史」が空間化・世俗化されたものとしての「舞台」は、バロックのTrauerspielにあってはなによりも「宮廷」だったのですが、この宮廷における「君主」の「専制君 主」的要素と「殉教者」的要素という両極性の同時的存在、あるいは宮廷で暗躍する「陰謀家」に見られる喜劇性と悲劇性の交錯、その他の二義的特質をベンヤミンは指摘しています。(引用10から部分的に引用)陰謀家としての宮廷官吏は、権力・知識・意志においてデーモン的なものにまで高められた宮廷官吏」と言い表され、「しかも、彼[顧問官]の地位のもつまったくバロック的な弁証法の基礎をなしているのは、彼の精神的主権の持つ、他に類のない二義性Zweideutigkeitなのである(I,276)と指摘されています。

しかし、Trauerspielにおける「二義性」が、後の論の展開にとってより決定的となってくるのは、第二部の三つ目の章(デューラーのMelencolia Iのアレゴリー解釈を軸としたメランコリー論)におけるメランコリーの位置づけにおいてです。ベンヤミンはこの章において、「君主」−「宮廷」−「メランコリー」という結びつきがドイツ・バロックのTrauerspielにとっていかに決定的であるかを例証しつつ、「メランコリー」という現象の本質のもつ概念連関を示していきます。メランコリーは、古代・中世のいわゆる体液病理学的な理解においては、冷たく乾いた性質を持つ黒胆汁に起因するとされ、そこでは基本的には、憂鬱・ふさぎ込みといったネガティブな価値づけしかもっていません。しかし、ルネサンスの占星術の連関における「新解釈Umdeutung」によって、すでにアリストテレスにおいて予示されていた「天才」と「狂気」というメランコリーの二面性が、十全に展開されることになります。すなわち、メランコリーと結びつく天体としての「土星」は、一方では「憂鬱」「ふさぎ込み」「重さ」というネガティブ な面をもつと同時に、他方では「深慮」「最高の知」「予言の能力」というすぐれた特質をもつとされます。この両極的資質はベンヤミンによって「土星像の弁証法的性格dialektischer Zug der Saturnvorstellung(I,327)と言われていますが、すでにこの箇所で土星が「諸対立のデーモンdieser Damon der Gegensatze(I,327)と呼ばれているように、この「土星像の弁証法的性格」は、第三部の最後の章で論じられている、ルネサンスにおいて変容したデーモン像の二面的特質、つまり罪の連関にとらわれた暗鬱な側面と「絶対的知」という両極性へと、直接につながっていきます。そして、この最後の章で、デーモン像と「アレゴリー」が、古代からルネサンスに至る過程においていかに結びついていったかを示すことによって、ベンヤミンはアレゴリーのもつ異教的本性を提示しています。すなわち、ベンヤミンにとって、古典古代の神々というキリスト教にとっての異教的要素(つまり「デーモン的なもの」)は「形象という形で限定することによって(I,395)、つまりアレゴリーのうちに取り込まれることによって存続することが可能になったとされます。このデーモンの可視的な形態としての「アレゴリー」は、先ほどのデーモンの二面的特質を本質的に内包し ています。すなわち、一方では「意味するもの」としてそれ自体「物」であり、これは被造物の連関において理解される「物の世界Dingwelt」が本来的にもつ「罪」、「原罪」のうちにとらわれています。また、他方では「意味されるもの」を指し示すものとして、「深い思慮」「観想Kontemplation」「絶対的知」につながりますが、「知Wissen」は神学的には「悪」と本質的に結びつくものです。

さて、このようにして示されているアレゴリーの二義性、デーモンの二義性は、被造物の罪の場としての「自然」の圏内にあるアレゴリーという形象のうちに、神の救済の可能性を孕んだ「歴史」が空間化される、という基本的な枠組みとともに、私が最初に提示した、後期ベンヤミンにおける「静止状態における弁証法の法則」としての「二義性」、弁証法の時間的・動的契機がいわば空間化されたものである「弁証法的形象」としてのアレゴリーへとつながっていく、と私は考えます。ベンヤミンが「弁証法的」という言葉を用いるとき、なによりも両極的要素の同時性・空間性が彼の「弁証法」の特質をなしており、「デーモン」「二義性」という言葉はこの連関において理解されるべきである、と考えます。(第1のテーゼ)

次の論点は、このデーモンの二義性という特質をもつ「弁証法的形象」としてのアレゴリーが、どのような展開を見ることになるのか、ということを軸にしています。ベンヤミンにとって、諸概念の配置によって構成された「理念」としてのTrauerspiel、「理念」としてのアレゴリーを明らかにすることが、『ドイツ悲劇の根源』において目指されているものであるといえますが、ただしベンヤミンは単に罪の連関のうちにとらわれたアレゴリーを提示するだけで、この論文を終えているわけではありません。神学的枠組みにおいてアレゴリーに関わる概念的連関が示される第三部最終章のほとんど終わりの部分で、罪にとらわれたアレゴリーが神の救済の世界へと「急転」を遂げることが示されており、そのアレゴリーはもはや罪のうちに滅びるものではなく、「復活」のうちにあるものとされています。(引用11)復活のアレゴリーとし て。ついに、バロックの死斑において――いまや初めて、後ろ向きの極大の弧を描いて、救済的に――アレゴリー的見方が急転する。このアレゴリー的見方が沈潜してきた七年間は、ただの一日となる。というのも、この地獄の時間も空間において世俗化され、サタンの深遠な精神に身を売り渡して裏切ってしまった世界も神の世界となるからだ。神の世界においてアレゴリカーは目覚める。(I,406)そして、この言葉に続いてこの章のモットーとして提示されているLohensteinからの引用がもう一度示されています。「そうだ/神が墓地で刈り入れを行うとき/|髑髏の私も天使の顔となるだろう。(I,406)この、罪のうちにとらわれた存在が、浄化され、神の世界のう ちに救済されるという展開は、これに続く箇所で、1916年の言語論における論議が取り込まることによって、言語論で示された「言語精神の堕罪」という神学的言語解釈と関連づけられています。この1916年の言語論の後半部分で、ベンヤミンは言語の本質を、創世記における人間の堕罪の物語のうちに捉えています。神が創造し、すべて良しとした世界、つまりパラダイスにおいては、言葉は「名Name」という直接性のうちにあります。ベンヤミンはこれを「名称言語Namensprache」と呼んでいますが、この直接性を本質とする「パラダイスの言語」は、悪魔による「善悪をめぐる知」への誘惑によって、伝達のための単なる媒体へと化してしまいます。『ドイツ悲劇の根源』で述べられている、「意味作用をもつ文字像bedeutendes Schriftbild(I,376)としてのアレゴリーのもつ媒体的性格、そしてデーモンのもつ「知」は、まさに言語論で述べられた「言語精神の堕罪」「アダムの言語精神の没落」の状況に関わっています。この人間の堕罪によって、パラダイスの言語が単なる「記号」、「裁き・判断Urteil」の言葉、「抽象性」へと堕落するとともに、パラダイス的な自然も、「深い変化」を遂げ、その変化した自然は「悲しみTrauer」を沈黙によって表すとされます。この変化した自然とは、『ドイツ悲劇の根源』において示されているTrauerspiel、アレゴリーのうちに表された「自然」、すなわち惨めな罪のうちにとらわれた「被造物の状態」としての「自然」に他なりません。16年 の言語論においては、この堕落した言語がさらにどのような展開を遂げるかは、文章の一番最後に、ごく暗示的な仕方で「神の言葉が展開される」(II,157)と言及されているだけですが、『ドイツ悲劇の根源』においては、先ほど引用したように、言語の堕罪としてのアレゴリーが神の世界へと救済されることが示されています。このように、パラダイス的言語が、堕罪によって記号の媒体性・抽象性へと堕落し、それが「神の言葉」へと救済されるという三段階的構造のもとになっているのは、神学的な三段階構造、つまりパラダイス的な無垢の状況が、人間の堕罪によって罪のうちにとらわれた状態となり、神によって人間が罪から救済されるという、救済史的な展開の枠組みです。この神学的な三段階構造、そしてそれと関連づけられた言語の展開のもつ三段階構造の図式が、私が前半の部分で提示した後期ベンヤミンの思考の枠組みとしての三段階構造のうちに対応関係をもって組み込まれている、ということが、私の二つ目のテーゼです。その際、後期ベンヤミンにおける三段階的な図式を基本的に支えているのは、エン ゲルスの『社会主義の展開』(空想から科学へ)において見られるような、大衆向けに比較的単純化された唯物史観的な経済的諸関係およびその産物としての社会システムの遂げる展開であると思われます。つまり、前資本主義的な経済的諸関係およびその社会から、資本主義的経済システムそしてその所産としての市民的(ブルジョワ的)イデオロギー形成物をへて、社会主義の経済とそれによって支えられるプロレタリア社会・文化へと至る、という三段階構造です。こういったことから、たとえば、クラウス論や『歴史哲学テーゼ』に見られるように、後期ベンヤミンのマルクス主義的な方向をもった文章のうちに神学的要素が顕著に見られるということも、初期ベンヤミンの要素が構造的な対応関係をもって後期の思考のうちに取り込まれているものとして考察すべきである、と考えます。そして、まさにこの点において、初期ベンヤミンの「魔術的」言語思想や神学的要素と後期ベンヤミンのマルクス主義的思考とが接していると思われます。

さて、このように考えるとき、『ドイツ悲劇の根源』において扱われている17世紀ドイツにおけるアレゴリーと、「パサージュ論」あるいはそのミニチュアモデルとしての「ボードレール論」(特に、『第二帝政期のパリ』)において扱われている19世紀パリという「高度資本主義の社会」は、ともに彼の思考の枠組みにおける第二段階として、極論するならば、本質的に同じ対象であったともいえます。つまり、それらはともに「罪」の連関のうちにある「二義性」にとらわれた状態にあり、ともに「没落」にむかうものではあるけれど、しかし、「静止状態にある弁証法の法則」である「二義性」として、弁証法的展開による「救済」の可能性を待っている状態といえます。こういった、第二段階のうちに「自然」として空間化された「歴史」――つまりそれは、バロック論においてはTrauerspielにおけるアレゴリーであり、後期ベンヤミンにおいては「高度資本主義 の社会」における「弁証法的形象」としてのアレゴリーですが――、この空間化された「歴史」は、本来「超越性」つまり神の領域に関わるものとして、確かに潜在的には救済史的なプログラムを胚胎しています。だからこそ、次の段階での「救済」が可能となるのですが、第二段階の内部においては、そこでの形象自体はこの世における歴史のもつ「滅び」「没落」という特徴を顕著に示しています。その意味で、『ドイツ悲劇の根源』では次のように言われています。(引用12)ドイツ悲劇Trauerspielとともに、歴史が舞台へと入り込んでくるとき、歴史は文字Schriftとして入り込んでくる。自然の顔の上には、滅びの記号文字によって「歴史」と書かれている。Trauerspielを 通じて舞台上に提示される自然=歴史Natur-Geschichteというアレゴリー的相貌は、廃墟として実際に表されている。廃墟をもって、歴史は感覚で捉えられる形で舞台の中へと姿を消したのだ。しかも、そのような形を与えられて、歴史はある永遠の生の過程としてではなく、むしろとどまることのない没落の過程としての刻印を受けている。(I,353) このバロック論のうちにしばしば現れる?Naturgeschichte“あるいは?naturgeschichtlich“という特殊な言葉は、このように「自然」として空間化・世俗化された「歴史」を意味していますが、それはこの世のうちにあるものとして「滅び」「没落」と必然的に結びつき、「廃墟」という形象によって捉えられています。「ボードレール論」や「パサージュ論 」においてまさにこれに対応しているのが、パリの没落のイメージ、「近代」およびその担い手として形象化された「英雄Heros」のもつ暗鬱な特質、市民の没落、つまり没落しつつある、あるいは没落を予感させる資本主義の社会のイメージです。このように、第二段階と私が呼んでいる、二義性のうちにとらわれた諸形象は、その段階内部において没落・滅びへと向かっているのですが、展開全体としては次の段階での「救済」――最初の段階への復古ではなく、新しい生の開始――が目指されているという意味で、ベンヤミンの思考は決して悲観論などではなく、ポジティブな視点に貫かれているといえます。

こういった、後期ベンヤミンの展開の全体的枠組みにおいて考えるならば、最終的段階こそが彼にとって最も重要であったはずであり、実際、シュールレアリズム論、ブレヒト論、フックス論、そして複製技術論といった、その連関において捉えられる仕事にかなりの精力を費やしています。しかし他方で、後期のベンヤミンにとってもっとも大きな仕事となっていたであろう「パサージュ論」では、確かに最終的な段階を予示するものを含んでいたと考えられるにせよ、直接扱われる素材・対象としては「高度資本主義の社会」の諸形象という二義性のうちにとらわれたものが中心となっていたはずです。また、本来三部構成によって構想されていた「ボードレール論」に関しても、まず第二番目の部分である『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』から書き始めた、という事実はこのことと無関係ではないと思われます。こういったことから、ベンヤミンにとって第二段階の二義性のうちにとらわれた世界とは、確かに克服の対象ではあったにせよ、同時に、考察の対象としてはきわめて魅力的なものであったのではないかと、感じています。しかし、単にそういったベンヤミンにとっての魅力の問題ば かりでなく、われわれがベンヤミンに取り組むとき、最終的な段階に関わる仕事よりも、むしろ克服の対象である二義性の世界をあつかったものの方が、より大きな意義をもっているのではないかとさえ感じます。というのも、最終的な段階、つまり来るべき、あるいは生成しつつある未来像を提示することにおいては、現在の視点からすると、(たとえば、複製技術論での映画に対する評価に見られるように)どうしても彼の時代の視点のもつ限界が露わになってしまいます。それに対して、第二段階という現存の対象、つまり後期ベンヤミンにあっては「近代」という言葉のもとに捉えられた市民的な社会システム・文化システム、そしてそのうちにあるイデオロギー的形成物に対するベンヤミンの批判的視点は、その有効性を十分に保っていると考えられるからです。そして、その意味でも、『ドイツ悲劇の根源』から「ボードレール論」「パサージュ論」へと引き継がれていく思考の枠組みは、決定的な重要性をもっていると思われます。