2008年台湾総統選挙の見通し (W)
― 国民党・馬英九陣営の動向 ―

  • 馬英九の台湾化の模索
  • 自転車とロングステイ
  • 台湾化路線の中身
  • 馬英九チーム
  • 台湾の国家アイデンティティと政治の支持構造

東京外国語大学
小笠原 欣幸

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  台湾の総統選挙は,立法委員選挙を終えて,いよいよ終盤戦に突入する。サッカーの試合に例えるならば,国民党は,前半,民進党のオウンゴールで得た1点を守りそのまま1対0でハーフタイムを迎え,後半,民進党のチームワークの乱れをついて強烈なシュートで追加点をあげ2対0とした状況だ。残りあと20分というところだろう。ここまでの戦いは,民進党は布陣が左サイドに偏っているためいくら攻めても得点につながらず,逆に国民党は中央を厚くした布陣なので相手ゴール前でプレーができている。
 2対0とリードしたことで,国民党は呉伯雄主席を中心に逃げ切りの態勢に入った。守りに入ったチームは,往々にして逆転されることがある。特に,守りに入った後に1点を取られると立て続けに失点することがよくある。民進党は点を取りに行くフォワードがだれかをめぐり内紛を続けてきたが,ようやく謝長廷に一本化された。しかし,謝長廷がボールを取りにいってもなかなか奪えず,時間は刻々とすぎてゆく。
 と思われていたところで,謝長廷は,味方もびっくりする惜しいシュートを放った。試合はまだまだ終わっていないということだ。 フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 国民党は,観衆のブーイングを浴びてでも自陣でボールを回すであろう。民進党は残り5分で(つまり3月に入って)全員攻撃をしかけ,試合は手に汗を握る緊迫した展開となるであろう。ここまでの経過からすれば,国民党がその攻撃をしのぐ可能性が高いが,想定外の事態が発生しないとも限らない。試合終了のホイッスルが鳴り響くまで眼が離せない。
(2008.2.4記)

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 馬英九の台湾化の模索

 馬英九陣営は,台湾化路線をその選挙戦略としている。その起源は,2004年の連戰=宋楚瑜コンビの敗戦の分析にある。連戰は,2000年以降,李登輝時代の台湾化路線と決別し,中国意識の強い新党および宋楚瑜の親民党を取り込み基礎票で優位に立つ選挙戦略を取った。陳水扁は不人気にあえいでいた。しかし,連戰は台湾アイデンティティの立場があいまいであったため,「台湾を愛するのか?中国を愛するのか?」と二分法を突きつける陳水扁にしだいに追い上げられ,最後には銃撃事件もあり逆転された。馬陣営が引き出した結論は,台湾の将来を決する総統選挙では,台湾の選挙民の多数が考えている台湾アイデンティティを取り入れなければ,人気が高くても,最後には負けるというものだ。一方,馬英九は,まず宋楚瑜,ついで連戰との間で主導権争いがあった。同じ外省人で経歴も似ている馬英九と宋楚瑜のライバル関係は台湾のメディアでしばしば報じられたが,馬英九と連戰との暗闘はあまり知られていない。馬英九の台湾化路線は主として総統選挙対策であるが,国民党内での連戰派対策という側面もあることを見ておくことが必要だ。
 馬英九自身は,2002年から,228事件および間接的ではあるが国民党の権威主義体制について言及するようになり,党外運動から民進党の結成につながる台湾人意識の台頭と国民党支配の負の側面に向き合う姿勢を見せた。また,台湾アイデンティティの形成につながる歴史的人物についても理解を深めようとした。これらの言説は馬の「台湾論述」と呼ばれ,『原郷精神−台湾的典範故事』(天下遠見出版,2007年)に収録されている。 これらの論考は,台湾の源流を探る試みであると同時に,台湾と中国のつながりを探求する試みでもあったため,民進党の支持者からは評価されていない。馬英九は,台湾政治の台湾化を蒋経國の土着化政策の延長線上に位置づけようとしているため,この点でも緑色の支持者には受け入れられていない。この本が発売されると,独立派に近い台湾教授協会は,馬の「原郷」は中国であって台湾ではない,大中国アイデンティティを抱いている,として記者会見を開いて馬を批判した(『聨合報』「馬本土論述 台教會:把原郷本土當包裝」2007.6.23)。しかし,従来の国民党の政治家,特に外省人の政治家が言及しなかった台湾の歴史に光をあてようとしていることは見てとれる。
 ちなみに,馬英九が取り上げた歴史的人物の中には,日本統治時代の抗日烈士が多く含まれている。これらの人物は台湾アイデンティティの源流を探る試みとしては正しい研究対象だが,馬英九が国民党主席時代に,これら抗日烈士の写真を国民党本部外壁にことさら大きく張り出したため,日本では馬英九が反日であるという印象が広がった。後に馬英九はこの印象を払拭するのに苦労することになる。
 台湾の位置づけについても,馬英九は,従来の国民党の立場を維持しつつも,微妙に台湾アイデンティティに軸足を移している。2006年のインタビューで,馬英九は,民進党が1999年に採択した「台湾前途決議文」に肯定的に言及し,陳水扁が2000年の就任演説で表明した「四不一沒有」(要約すると@独立宣言をせず,A国号を変更せず,B二国論を憲法に入れず,C統一・独立の住民投票をせず,国家統一綱領と国家統一委員会を廃止せず)を支持すると明言している(『台湾通信』2006年6月29日号)。このインタビュー記事は,馬英九という人物を理解するうえで大変興味深い資料である。これは,台北在住のジャーナリスト早田健文氏が,2時間をかけて馬英九の内面に迫ったものである。
 このインタビューで,馬英九は,上述の『原郷精神』以上に率直に,国民党がかつて反対勢力を抑圧したことを感傷を込めて認めている。 その一方で,馬英九は,外省人であるということも含めて自分の立場が台湾の選挙民に理解されるとの自信を繰り返し述べている。「1人の政治家として,誠実であり,公平であり,理性的であれば,省籍などは重要な要素ではないと思う」という言葉は,馬英九の信念なのであろう。だが,この「自信」は逆に,馬英九の台湾認識には限界があること,馬自身がその限界を必ずしも十分に察していないことも浮かび上がらせている。この時点での馬の台湾化路線は,ゆるやかにハンドルを動かし方向を変えつつある段階であった。中国意識の強い深藍の党員を抱える国民党は,選挙に勝つためだからといって簡単に路線の変更はできないからだ。
 馬英九を理解するうえで興味深い資料がもう一つある。それは最近出版された彭琳淞の『馬英九這個人』(草根出版,2007年11月)だ。筆者は,この本の題名と趣旨には賛同しないが,古い資料を丹念に読んでいるところは評価している。特に,1970年代後半,馬英九がアメリカに留学していた時に留学生向けの月刊誌『ボストン通訊』で発表した評論を詳細に検討している。この本から浮かび上がるのは,中国国民党に身を投じた父馬鶴凌の影響を受け,父から一心に「党国に報いる」人物になることを期待され,その通りの経歴を歩んできた馬英九という人物像だ。その思想は,非常に堅固な中華民国ナショナリズムである。これが馬英九の原点であるならば,上述の『原郷精神』は,馬英九の一定の変化を示している。その後の起訴で,馬英九は立場をさらに変化させた。民進党から見ればすべて選挙目当てだが,国民党の権力構造の中で育ってきた外省人ということを考えれば,葛藤もあるだろうし決して容易なプロセスではないであろう。馬の中で本当の自己変革があったのかどうかは知る由もないが,党の路線を変えていく努力をしたことは間違いない。このことが,馬英九・国民党の相対的優位を作り出したのだ。今回の総統選挙を考える上で,国民党と民進党の路線の変化は十分認識しておく必要がある。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 自転車とロングステイ

 2007年2月の起訴により大きな衝撃を受けた馬陣営は,よりいっそうの台湾化路線にかじを切ることで態勢の立て直しを図った。清廉というイメージが揺らぎ,危機管理能力の低さを露呈した馬英九にとって,外省人であること,台湾語が流暢ではないこと,国民党の過去の路線を抱えていることが攻撃されることは目に見えていた。このままでは当選できないと考えたのであろう。馬陣営はハンドルを切った。馬は,台北市長時代以来のブレーンで盟友の金溥聰(前台北市副市長)の助言を受けて,台湾への土着をアピールするパフォーマンスを開始する。第一のパフォーマンスは,2007年5月,台湾島の南端から北端までの675キロを自転車で10日間で縦走するというものであった。亜熱帯の太陽の下を疾走するこの自転車ツアーは,相当の気力と体力を要する。しかし,ひたすら自転車を飛ばさなければならないので,沿道の人との交流も少なく,何を獲得目標としているのかが不明確で,国民党寄りの新聞でも評判は芳しくなかった。党内では王金平との協力関係をどう築くのか,立法委員候補の公認はどうするのか,という差し迫った問題があり,「遠足をしている場合ではない」という皮肉りや不満の声も出てきた(『聨合報』「國民黨:跟遠足沒兩樣」2007.5.15)。金溥聰は,馬英九の長所である意志の強さ,真剣さ,そして,車ではなく自転車を使うことで貴族ではないことをアピールするためであったと後に語っている。貴族ではないというアピールは,連戰との差異化でもある。これは,あとに続く第二のパフォーマンス,「ロングステイ」のウオーミングアップとなった。
 馬の「ロングステイ」とは,2007年7月11日から3カ月間にわたり台湾各地の民家を泊まり歩くというパフォーマンスだ。これも金溥聰のアドバイスであった。台北の中流家庭で育ち台北の学校に通い,台北の権力機構の中で政治経歴を積んでいった馬英九は,台湾の地方の生活というものを肌で体験したことがない。確かに選挙の応援で数え切れないほど地方に行っているが,「本土意識」というものを,馬英九はやはり理解できていない。「本土意識」とは,単に台湾の主体意識,本省人意識,反中国意識に止まらず,農民意識や,地方に住む人間の台北への反感を含む幅の広い概念である。金溥聰は,馬英九のこの弱点を埋め合わせするため,普通の台湾人の生活を体験するパフォーマンスとして「ロングステイ」という方策を馬に授けたのである。もちろん,中南部での馬英九の認知度を高める目的もある。
 金溥聰は,外省人二世だが,台南で生まれ高雄で育っている。台北の外省人サークルの中では,南部を肌で知る数少ない人物だ。また,金をよく知る台湾のジャーナリストは,金は満州族の出身のため,中国文化への一体感は強いが,漢民族中心主義とは異なり,少数民族の立場への理解があり,「本土意識」をよく知っていると解説している。馬陣営内部の人間は,冗談めかして金を「台独派」と呼んでいるという。その金溥聰は,「ロングステイ」は馬英九を「鍛える」ためだと語った。馬英九との関係において「鍛錬」という用語を使えるのは金だけであろう。
 馬英九は「ロングステイ」の3カ月間,ひたすら他人の家を泊まり歩き,彼ら彼女らの仕事や生活を体験した。台北で用事があるときは,朝その地を出発し台北に向かい,夜はまた地方で泊まるということを繰り返した。その間,市長特別費の裁判で,被告人として台北地裁へ何度か出廷しなければならなかったが,その際もこうしてこなした。確かに一晩泊まったからといってそれがどうしたという疑問も出てくるが,楽なことではない。たいていの人は,どれほど忙しくとも自宅で寝ることで疲れを癒すであろう。友人でもなく国民党の支持者でもない家に泊めてもらい,得意ではない台湾語で家族と談笑し,出されたものをおいしそうに食べて,そこが農家であれば早朝から農作業を手伝う。おまけにワイドショー的なネタを求めるマスコミに取り囲まれてだ。パフォーマンスと呼ぶには非常に過酷な行程で,確かに大変な「鍛錬」であろう。筆者ならば3日ももたない。勝つことに対する馬の執念のようなものが感じられる。
 このパフォーマンスは,民進党の支持者から「すべてみせかけ」と酷評された。しかも,この「すべてみせかけ」という言葉が,台湾で一時の流行語にもなった。台湾の人が,英語で「ロングステー」と発音すると,台湾語で「すべてみせかけ」を意味する「攏係假」(ロンシゲー)と聞こえ,おもしろい語呂合わせになったからだ。「ロングステイ」にどれほどの効果があったのか,一括的な評価というのはできない。「すべてみせかけ」と思った人は,いまもそう思っている。馬英九への批判,不信感も減っていない。 だが,数はそれほど多くはないであろうが,外来の客を大事にする台湾人にはプラスのイメージを作ったのではないか。これは,移民社会において,後から来た新移民が,何世代も前から住み着いている旧移民にあいさつをして回るという図式でととらえてよいであろう。外省人であることからくる馬英九への抵抗感を下げ,馬が台湾アイデンティティというものを共有していると思わせる効果は,一部の人に対しては,あったように思われる。少なくとも,馬英九は連戰とは違うようだという印象を抱いた人はいるはずだ。結局のところ,効果があったのかどうかの評価は,3月22日の中南部の農村の開票結果を待たなければならない。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 台湾化路線の中身

 パフォーマンスばかりに目を奪われていてはいけない。様々な問題で馬英九陣営がどのような態度を示したのか,その中身が問題である。馬英九の台湾化路線を体現する対応・政策は,(1)台湾論述の強化,(2)国民党党章の変更,(3)中華民国は台湾であるという位置づけ,(4)公民投票の方針転換,(5)蕭萬長の起用,の5点に要約することができる。

(1)台湾論述の強化
 上述の『原郷精神』は2005年以前に書かれたものだが,馬英九はそれを推し進め,2007年8月,日本統治時代の八田與一の業績を称える発言をした。八田は,嘉義・台南地区の灌漑施設の建設に尽力した日本人技師だ。馬英九が日本統治時代の台湾建設について肯定的に評価するのは,これが初めてとのことである(『聨合報』「馬訪烏山頭 肯定日人治水」2007.8.20)。これは些細なことのように見えるが,中国国民党の歴史観においては,日本の植民地支配における台湾の各種の建設は日本帝国のためであって,よい行いなどないのである。八田の貢献を認めるということは,原住民,オランダ,清朝,日本,中華民国それどれが今日の台湾の形成に寄与しているという台湾アイデンティティの認識に近づいたことを意味する。
 もう一つ事例を挙げておく。2007年7月,蒋渭水文化基金會が馬英九と謝長廷を招いて座談会を開催した。この場で馬英九は,台湾における蒋渭水の歴史的意義を高く評価する演説をしたが,謝長廷から,台湾にとってそれほど重要な蒋渭水が設立した台湾民衆党の後継者の多くが228事件で犠牲になったのはなぜなのか,と切り返された。馬英九は「228事件および白色テロで,冤罪,でっちあげ,間違いがあった。……国民党が犯した誤りについては,我々は誤りを認め謝罪する」と述べ防戦した(『聨合報』「馬謝交鋒》 馬:政府貪汚 失正當性」2007.7.10)。このディベートの勝敗は,『聨合報』も謝長廷の優勢勝ちと判定している。だが,重要なことはディベートの勝ち負けではなく,馬英九の論述が,1990年代の李登輝の言説,すなわち,台湾アイデンティティに依拠していることだ。

(2)国民党党章の変更
 党の目的を定めた第二条に,「堅定『以台灣為主,對人民有利』的信念」という一文を追加し,台湾を中心にすることを党章に初めて盛り込んだ。また,党員資格を定めた第七条の,中華民国国籍を持たない者は「精神党員」とするという規定に関して,旧来は,「三民主義に賛同し本党と共同で国家統一に尽力する者」とあったが,「三民主義に賛同し本党と共同で国家の平和的発展に尽力する者」と変更し,「国家統一」という字句を削除した。ただし,妥協の産物として,党章の「前言」にある「国家富強統一の目標は終始変わらない」という字句はそのまま残っている。これらの変更は,2007年6月24日の全国党代表大会で可決された。

(3)中華民国は台湾である
 これはわかりにくいが,@「台湾就是中華民国」(台湾は中華民国である)とA「中華民国就是台湾」(中華民国は台湾である)の二つの立場がある。@は,台湾は中華民国の一部(あるいは大部分)を構成する,そして,台湾を統治しているのは中華民国であるとの解釈が可能なので,国民党の支持者には比較的受け入れやすい。Aは,中華民国が台湾に矮小化され,観念上の中華民国がなくなり,将来の統一という選択肢もなくなってしまうと解釈されるので,中華民国ナショナリズムの立場からは受け入れられない。これは文字遊びのように見えるが,台湾アイデンティティなのか,中華民国ナショナリズムなのか,の路線論争そのものである。このAの言説は,馬英九本人ではなく,陣営のスポークスパーソン蘇俊賓を通じて何度か表明し,既成事実化を図った(『中國時報』「本土三部曲 馬蕭要國民黨完全轉型」2007.7.2)。これも党内の深藍支持者から反発を受けたが,馬陣営は,@とAは実質的に同じになっているとの解釈を示し,議論に終止符を打った(『中國時報』「台灣與ROC 藍再爆路線之爭」2007.9.17)。なお,「中華民国在台湾」は,Aをぼかした概念である。蕭萬長は,2004年8月に「中華民国は台湾である」という文案を提案したが,当時の国民党中央常務委員会で否決されている。

(4)公民投票の方針転換
 陳水扁が提起した「台湾名義での国連加盟公民投票」は,台湾アイデンティティと台湾ナショナリズムとが交差する部分に狙いを定め,両方を囲い込もうとする研ぎ澄まされた一手だ。台湾の住民こそが台湾の決定権を有するという公民投票の概念は,台湾アイデンティティの中核であるし,台湾名義での国連加盟を推進することは,台湾国というものの存在を確認することになるので台湾ナショナリズムだ。これに反対するのは,中華民国ナショナリズムということになる。そもそも国民党は,公民投票には反対の立場であった。それは,公民投票を何回か繰り返していくうちに,統一か独立かを問う投票へと発展することを懸念してのことだ。陳水扁の戦術は,ここを突いて,台湾化へ歩を進める馬英九を強引に振り落とそうというものであった。
 しかし,馬英九は振り落とされずについてきた。国民党は,2007年7月4日,党内の不満を押し切り,中央常務委員会において「名義にこだわらない国連再加盟公民投票」を推進していくことを決定した。国民党は事実上,180度の転換をしたのである。これには,台湾の内外で驚きと批判が広がった。国民党が民進党の土俵に乗せられたように見えたからだ。『中国時報』論説委員の夏珍は「豚のように間抜けな国民党は,公民投票問題でただあとをついていっているだけ」と痛烈に批判した(『中時電子報』「謝長廷會被扁氣到吐血」2007.7.26)。連戰と宋楚瑜も,強い反対の意思を明確に示した(『聨合報』「藍版入聯公投案 連宋都反對」2007.8.28)。中国は,国民党のこの変身に烈火のごとく怒った。中国の視点からは,台湾の住民投票はまさに台湾独立への一歩に他ならないからである。しかし,馬陣営の戦術は,対案を出すことで,戦いの場を,中華民国ナショナリズム対台湾アイデンティティから,台湾アイデンティティの中での陣地取りへ前進させ,民進党の切り札である公民投票の威力を消そうというものであった。
 ※国民党が提出した公民投票は,その後「国連復帰公民投票」という略称が定着した。その内容は,「あなたは,わが国が,中華民国という名称で,あるいは台湾という名称で,あるいはその他成功の助けとなり,かつ尊厳に配慮した名称で国連およびその他の国際組織への復帰を申請することに同意しますか?」というものである。

(5)蕭萬長の起用
 『自由時報』のベテラン記者鄒景雯が,蕭へのインタビューを元にした『蕭萬長政治秘録』(四方書城,2003年)を出版している。この本では,2001年の台聯の立ち上げの前に,李登輝,黄主文,蕭萬長が密談をし,蕭萬長が台聯の指導者になることで暗黙の合意ができていたが,土壇場で蕭萬長が降りたので黄主文が台聯の党主席になったことが明かされている。国民党からすれば,もう少しで裏切り者になった人物である。蕭萬長は,陳水扁の要請を受けて,総統府の「経済発展諮問委員会」に参加したし,総統の経済顧問にも就任した。この経済顧問としての活動については,当時台北市長の馬英九も苦言を呈したという。国民党に留まっているのが不思議なくらいの人物である。一方で,鄒の著書は,蕭萬長が政治家としては失格と言えるほど優柔不断で,政治的センスを欠いていたことも明らかにしている。その後,蕭萬長は台湾政界でほとんど話題にならなくなり,引退同然の身と思われていた。
 ではなぜ,馬英九は,ユニフォームを脱いだ選手を副総統候補に指名したのであろうか。二つの役割を期待してのことと思われる。一つは中台の経済関係拡大の推進者,もう一つは台湾化路線の推進者である。承知のとおり,蕭萬長は1990年代前半,経済閣僚として「アジア太平洋オペレーションセンター」構想を策定した中心人物である。この構想は,1996年の李登輝の対中投資抑制政策によって急ブレーキをかけられ,お蔵入りとなった。前述の『台湾通信』のインタビューで,馬英九は「アジア太平洋オペレーションセンター」構想を再提起している。これは2006年6月の時点での話だが,この熱っぽい「アジア太平洋オペレーションセンター」の話し方を見ると,ひょっとしてこの時点ですでに,胸の内には蕭萬長カードがあったのかもしれない。この構想は15年も前のもので時機を失した感もあるが,馬英九は,中台の経済関係を軸に,物流,運輸,製造,サービス,観光などの「ハブ」を目指す考えのようだ。
 二つ目の要素は,台湾のメディアでもよく指摘されているように,本省人で南部(嘉義市)出身で,国民党内本土派の代表格である蕭萬長は,馬を補完できるというものだ。南部での集票効果を期待してのことという見方も一部にあるが,馬陣営はそれは考えていないであろう。蕭萬長が選挙に強くないことは,台湾の選挙に詳しい人はみな知っている。だが,隠れたおもしろい視点もある。蕭萬長は,李登輝時代は宋楚瑜をたたく役,その後は連戰からいびられる役を演じてきた。2003年,その宋楚瑜と連戰が手を組んだので,蕭萬長は居場所がなくなったのである。つまり,馬英九にとって蕭萬長は,馬が暗闘を繰り広げてきた宋楚瑜と連戰の両方を牽制できるプレーヤーなのである。蕭をフィールドに戻して活き活きと動かすことが台湾化のシンボルとなるし,連戰系と宋楚瑜系からの揺さぶりに備え台湾化路線を守る人壁にもなる。実際,蕭萬長は馬の台湾化路線の中身をすべて支持している。蕭萬長の指名に対しては馬英九の判断力を疑う評論が多かったが,なかなか老獪な一手と見ることができる。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 馬英九チーム

 馬英九の台湾化路線を支えている核心的人物は,選挙参謀の金溥聰,国民党内の大小の権力抗争に関与してきたベテラン政治家・関中,そして呉伯雄主席である。金は外省人,関も外省人,呉は客家である。馬のメディア対策と選挙民へのアピールを考えるのは金,党内で馬の路線を正当化するのが関,そして馬の後見人であり,まとめ役が呉である。党内で表立って批判的立場を取ったのは,丁守中,蒋孝厳,帥化民,李慶安,洪秀柱ら外省系の立法委員である(『中國時報』「馬本土化路線 碰上深藍風暴」2007.7.8)。新党,親民党の出戻り組からも強烈な不満が出ていた。しかし,呉主席が,舞台裏で「苦しい時を共に耐えよう」と情に訴えて,強硬派の立法委員や深藍の支持者を自らなだめて歩き,路線闘争を回避する努力をしている。
 この台湾化へのハンドル操作が当選につながるのか疑問視する見方も根強かった。7月上旬『聨合報』は社論で,両陣営とも深藍・深緑の支持者に依拠するだけでは勝てないが,結局のところ深藍・深緑の支持者は選挙のエンジンだとしたうえで,「現在の情勢は,深緑の群衆の熱意が高く,深藍の群衆が意気消沈していることは疑いない」と分析した(『聨合報』「陳水扁的割喉戰與馬英九的補洞術」2007.7.11)。深い色の支持者はエンジンであり,エンジンが熱くならなければ,動力も伝導効果も生まれないという主張だ。これは,民進党の游錫堃前主席と同じ見方だ。二極対立の政治構造の中で台湾アイデンティティの立場をとることは,陣営内部の主導権争いも絡むので見かけほど簡単ではない。台湾アイデンティティは両極のナショナリズムほど概念が明確ではなく,ディベートでは劣勢にならざるをえない。陣営内では往々にして声の大きい方が勝つ。
 注目すべきことは,2007年の2月から9月にかけて,民進党と国民党それぞれで路線の軌道修正が同時進行したことである。民進党は,台湾ナショナリズムへと移動し,これまで押えていた台湾アイデンティティの領域を明け渡した。国民党は中華民国ナショナリズムから台湾アイデンティティの領域へと入ってきた。馬陣営の台湾化路線は,まだまだ勝敗の行方も見えず,効果も不透明であったが,ぐらつかなかった。民進党がもし陣地を明け渡さず,台湾アイデンティティの入り口で馬英九を迎撃していたならば,戦況は違ったものになっていたであろう。だが民進党は,馬英九がどのポジションにいるのかをほとんど気にしなかったし,そもそも馬の台湾化路線を相手にならないと見ていた。『中国時報』の記者は,陳水扁陣営の幕僚が鼻であしらう態度であったと書いている(『中時電子報』「「馬蕭配」打選戰 典型呉敦義操作模式」2007.7.2)。こうして双方が陣地を構え,選挙戦が本格化したのである。民進党は,陳水扁を先頭に,ひたすら馬を究極統一論者として攻撃を集中させた。だが,その馬英九はわざわざ日本に来て,自分が当選しても任期中は統一の協議はしないと念押しをしている。「馬英九=中華民国ナショナリズム」の前提では,いくら攻撃してシュートを放っても方向がずれてしまうのである。
 ここまでの検討で,2007年時点での両陣営の選挙態勢の違いが浮き彫りになった。両党とも組織上の問題と矛盾を抱えていたが,国民党は,党中央が主席を中心に候補者をサポートする態勢を作っていた。一方の民進党は,党主席自らが精力的に候補者の牽制をし,秘書長もそれに追随していた。2000年の総統選挙の際には,民進党の林義雄主席と游錫堃秘書長(当時)が全面的に陳水扁を擁護し,陳水扁が思うとおりの選挙活動をやれるようにサポートしたことを思い起こしておくのもよいであろう。選挙戦が本格化する前に,陳水扁陣営の幹部に「総統選挙の勝敗の分かれ目は何か?」と尋ねた。この人物は「どちらの陣営がより団結できるかにかかっている」と答えた。これについては,すでにある程度の結論が出たと言える。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 台湾の国家アイデンティティと政治の支持構造

 本稿で論じた台湾の国家アイデンティティと,総統選挙での支持構造の相関関係を示す図を用意したので参照していただきたい。 図はこちら。 円形が台湾の国家アイデンティティ,四角形がそれぞれの陣営がどこに支持基盤を求めたかを示す。李登輝登場以前は台湾アイデンティティは存在せず(個々の台湾人の中にそのような感情を抱いていた人はいるが,言説として表出する場がなかった),右側に大きな中華民国ナショナリズムと左側にごくわずかな台湾ナショナリズムがあるだけであった。楕円形の台湾アイデンティティを実体のあるものにしたのは李登輝であると言ってよい。3つの国家アイデンティティの位置は変わっていない。右側の中華民国ナショナリズムはしだいに小さくなっていき,左側の台湾ナショナリズムは少し大きくなってきた。最も大きなブロックは,依然として台湾アイデンティティである。このブロックをできるだけ広くカバーしなければ,総統選挙で当選することはできない。2000年の総統選挙で,陳水扁の立脚点が台湾ナショナリズムと切れていることに注意していただきたい。民進党は,1999年の「台湾前途決議文」で台湾アイデンティティへと軌道修正した。今回民進党は,「正常国家決議文」の採択(2007年9月)で,事実上「台湾前途決議文」の立場を放棄した。そして「台湾前途決議文」の立場を継承したのは,馬英九の台湾化路線だったのである。
 しかし,これで話が終わるわけではない。馬英九にも弱点がある。『台湾通信』のインタビューが浮き彫りにしているように,馬英九は自信家だ。この自信こそが,最後の瞬間に逆転を招きかねない危険をはらんでいる。馬は,外省人が総統になることは台湾の幸せ(福気)になると言っているが,自分で言うのは好ましいことではない。馬英九は,頑固で,古臭い思想を抱いている。危機管理がへたなことも知られている。馬をよく知る台湾のジャーナリストは,「馬はどんな問題でも自分で完全に理解してからではないと判断ができない」「理解するまで3日かかる」と語っている。「3日」というのは誇張も含まれているであろうが,こうした地の部分が出るとマイナスになる。馬陣営の弱点は馬自身なのだ。(2008.2.4記)【続く】

  

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