2004年総統選挙の見通し (V)

小笠原 欣幸

台湾の選挙の三つの要素(2003.04.07記)

台湾の選挙の三つの要素

   台湾の総統選挙を左右する重要な要素は,@国家アイデンティティ,A族群(エスニシティ),B権力争いの三つである。これら三つの要素の相互作用の中で選挙戦が展開される。
   @の国家アイデンティティの問題は,通常,統独問題と同一視されている。しかし,統一か独立かを問う民意調査で最も答えが多いのは現状維持であり,統独問題だけでは深い争点とはならない。アイデンティティ上の,より深い争点は,台湾を50年間支配してきた中華民国体制を違和感なく受け入れているか,あるいは反感を感じるかどうかという中華民国体制観である。蒋父子を尊敬し,国民党統治に適応してきた人と,反発し民主化運動にかかわった人とでは歴史観がまったく異なり,泛藍か泛高ゥという投票行動に対応している。統独問題では現状維持の立場の人でも,中華民国体制観は投票行動を分ける分水嶺となっているのである。
   蒋介石・蒋経国時代,中華民国の観念は中国大陸を版図に入れ,台湾は中華民国の一省であった。李登輝時代,「中華民国在台湾」という概念が作られ,観念と現実の橋渡しが計られた。陳水扁政権の意義は,これまでの反体制派が中華民国体制の支配権を握ったということにある。民進党は1999年に,台湾は一つの主権独立国家でありその国号は中華民国であると表明している。陳水扁政権登場以来,中華民国の各種のイベントでは,大中国の継承体制という色彩が薄められ,台湾の本土に根ざした体制という中華民国観が意識的に演出されている。陳水扁政権は,中華民国の外套を巧妙に継承し台湾の生存のためにそれを利用している。つまり中華民国は内実を変えて台湾に土着化し,また民進党も反体制から中華民国体制の擁護者へと変貌したのである。この路線は,台湾アイデンティティを強固にするとともに,台湾アイデンティティの裾野を広げる効果をもち,従来中華民国体制に忠誠心が厚く民進党に警戒感を抱いていた人にも陳水扁政権が受け入れられる要素となっている。当然,このような動きを,外形を残して中身を入れ替える動きと見て,陳水扁政権にいっそう反発し危機感を募らせる人もいる。
   別の要素も見ておかなければならない。過去3年間,中国経済の躍進と台湾経済の停滞とが重なり,中国大陸に活路を見出そうとする台湾人が増えている。陳水扁政権登場後,中国は台湾への露骨な圧力は控えているので,中国を脅威と感じる人は,2000年総統選挙の時よりも少なくなるかもしれない。中華民国の古い観念を維持している人にとって,反共の要素が薄れてくれば,もともと台湾は中国の一省であるから大陸中国との交流・交易が拡大するのは問題ではないし,むしろ台湾人の活躍の機会が広がったと考えている。しかし,陳水扁政権は台湾の安全保障を優先し,中国との大規模な交流拡大には消極的である。この点では,グローバル化の進行と中国市場の重要性という時代認識に陳水扁政権がむしろ逆行している印象があり,台湾アイデンティティの追求が台湾という狭い土地への引きこもりを促し新たなビジネスチャンスを放棄することにつながりかねないと危惧する人もいる。ここでは,しだいに固まるかに見えた台湾アイデンティティは躊躇している。2000年総統選挙以降,台湾人の中国大陸観に変化が生じているのかどうか,注意深く観察する必要がある。
   Aの族群(エスニシティ)の問題は,台湾社会を構成する,ミンナン(閩南)系本省人,客家系本省人,外省人,先住民の四つの族群の融和をどのように計っていくかということにある。四つの族群の相互関係には,本省人/外省人,ミンナン系/客家系,漢民族/先住民という異なる次元の対抗軸がある。中核には,本省人か外省人かという省籍意識がある。民主化は,戒厳令下において押さえ込まれていた族群意識の台頭をもたらした。民進党の前身となった党外運動では,支配勢力=国民党=外省人という図式が描かれ,それへの反感が運動の原動力になっていた側面がある。
   しかしその構図は単純ではない。人口構成ではミンナン系本省人が約73%と圧倒的多数を占めているので,もし族群が投票行動の決定的要因であるなら,選挙の構図はもっと単純なものになっているだろう。実際には国民党が土着の台湾人を取り込んだ統治構造を作り上げ,ミンナン系本省人は泛藍支持と泛克x持とにほぼ半分に割れている。両者の間には,勝ち馬に乗ろうとする勢力もある。外省人にとっては,90年代の民主化・本土化は,精神的な拠り所である中国との絆を断ち切る行為,また外省人の既得権益を剥奪する行為ととらえられ,反李登輝,反民進党の感情が強い。陳水扁政権や民進党内には外省人の幹部がいるが,外省人の支持票を増やす効果は見られない。外省人の投票行動は2000年総統選挙時と変わらないであろう。
   客家の投票行動は複雑で,地域差も見られる。北部の客家票は泛藍に流れる傾向があるが,南部の客家票は分散している。客家は最初から少数派で,多数派のミンナン系住民と向かい合ってきたので,ミンナン系との距離は微妙である。民主化後,ミンナン系本省人意識の台頭に刺激され,客家意識も台頭してきた。客家もミンナン系と同様に,国民党統治下で,客家語や客家文化が抑制されてきたので国民党にたいする反感もあるが,ミンナン系中心主義にたいしても警戒心があり,そうした客家の投票行動は民進党にたいする牽制要素となっている。しかし,客家意識より本省人意識の強い客家の人は,ミンナンか客家かという区別よりも反国民党の方が大事であり,客家の中では少数派であるが,陳水扁を支持する。
   陳水扁は公約どおり行政院に客家委員会(小規模ではあるが省庁に相当)を設置し,客家語教育や客家の文化活動の支援に力を入れている。しかし,陳水扁への客家の支持票が大きく増える状況にはない。客家の雑誌では,ミンナン語を台湾語と呼ぶことへの苛立ちが繰り返し表明されている(『客家』第153期,2003年3月)。ミンナン系の人々は,台湾における言語を,北京語,台湾語,客家語,原住民語というように並列する。客家からすると,これはミンナン語のみを台湾語とみなす暴挙と映る。同じく,ミンナン系の人々が自分たちを台湾人と称することにも反発している。こうした客家意識の強い人の間では,民進党はミンナン系の族群意識に訴え支持を拡大してきた政党と見なされ,陳水扁への支持も広がらないのである。
   先住民は人口比が約2%と非常に少ないため,選挙の票の計算という点では比重は小さいが,選挙戦略においては重要な存在である。台湾の主要政党は,族群融和の観点からも,弱者に優しい党を演出する観点からも,先住民の教育,文化,生活支援を掲げている。「一つの中国」原則に対抗して台湾アイデンティティを強調したい民進党にとって,先住民を強調することはさらに大きな意味がある。台湾は中国大陸とは異なる歴史,民族,文化を持っていることをアピールし「台湾ネーション」の想像の基礎とする意図がある。このため民進党は早くから先住民政策を検討してきたし,陳水扁は2000年総統選挙の際,非常に積極的な先住民政策を発表し,先住民の「自然主權」を承認し「原住民族自治」を推進することを公約した。そして2002年には「自治区議会」および「自治区政府」を盛り込んだ「原住民族自治法草案」を準備するところまでこぎつけた。
   しかし先住民の各民族とも,民進党および陳水扁政権にたいする支持が増えているわけではない。その理由は,先住民の立場からすると,生活環境の変化が感じられないことにある。まず第一に,国内の景気低迷が先住民の生活を直撃している。先住民の失業率は台湾全体の失業率の3倍に達している。先住民の子供の教育環境が目立って改善されたわけでもない。また,本省人外省人を問わず漢民族の間で先住民政策への関心は決して高くはないため,法案が準備されているだけでは政府の「誠意」は伝わらないようだ(馬ョ古麥「民進黨執政二年台灣原住民族政策總檢」『国政研究報告』2002年5月 http://www.npf.org.tw/PUBLICATION/IA/091/IA-R-091-057.htm)。より深い原因は,先住民が生活の現場で向かい合ってきたのは外来の国民党・外省人よりむしろ本省人であったという歴史的経緯による。先住民の各民族とも,日本統治時代と国民党統治時代の同化政策によって,言語と文化が消滅する危機にさらされている。しかし先住民の記憶,歴史観の中では,ミンナン系,客家系の移民の増加および定住人口の増加によって生活空間が狭まってきたことを抜きにしては,今日の状況は考えられないのである。このためミンナン系本省人が支持基盤となっている民進党に支持が向かいにくいのである。
   このように陳水扁にとって,四つの族群を尊重し融和を推進しようという主体的な努力にかかわらずミンナン系以外の族群からの支持を拡大するのは決して容易ではない状況が続いている。《表4》は,各県市別の人口に占める本省人の比率と2001年県市長選挙での泛告w営の得票率の一覧表であり,それを散布図にしたのが《図2》である。客家の人口統計がないので注意が必要だが,《図2》には相関関係を示す左下から右上へのラインと,相関関係を示さない上部の水平のラインとがある。

《表4》各県市別本省人比率と泛酷セ票率  
----比率(%)泛緑(%)


《図2》本省人比率と泛酷セ票率の散布図

※金馬地区の人口は除く。外省人には金馬籍を含む。
※外省人の人口統計は1991年が最後なので,比率の
数字は1991年時点のものである。
※筆者独自の計算で,各県市の人口から外省籍人口
と原住民人口を引いた数字を本省人人口とした。
※出典:内政部統計處『中華民国81年内政統計提要』

基隆市77.8941.91
台北県82.1351.31
台北市72.5735.89
桃園県79.0844.20
新竹県90.2846.39
新竹市82.1342.77
苗栗県93.8623.55
台中県90.9041.02
台中市84.0150.92
彰化県96.9949.17
南投県90.4452.50
雲林県96.8638.47
嘉義県95.2250.80
嘉義市88.9458.22
台南県93.5855.53
台南市87.8860.49
高雄県87.1154.80
高雄市83.8152.92
屏東県86.3455.34
宜蘭県91.2050.88
花蓮県61.1831.37
台東県55.4617.32
澎湖県91.6136.25

   陳水扁は,選挙戦略としては,族群の融和をアピールし,一族群を超越するスタンスを堅持し,全族群からの支持票を伸ばそうとする(《図2》の相関関係を示すライン全体を右に平行移動させる)が,現実的な票計算としてはミンナン系有権者の票を増やすことを考えざるを得ない(《図2》の上部水平ラインの各点を右に移動させる)というジレンマにある。ミンナン系の族群意識をかきたてる選挙運動では,他の族群の反発にあい得票を増やせなくなるが,族群意識に訴えかけなければ選挙の熱気が高まらないのである。陳水扁陣営が選挙戦でどのようなバランスをとるのか注視する必要がある。
   Bの権力争いの目的は,選挙に勝利して国家の資金・資源・人事権を掌握することにある。当選の暁には,それらは,選挙での支持の見返りや,新たに支持を獲得するために使われる。これは,クライアンテリズムであるし,家父長制政治家観によるものであるし,義理の貸し借りでもある。これは,国民党統治時代に行われてきたものだが,陳水扁もそれを踏襲している。例えば,陳水扁は,2003年4月5日雲林県を訪問し,地方有力者を集めた会合で「一直謹記著二千年總統大選時,雲林縣郷親是如何用選票支持他,他知道飲水思源的道理,一直思考要如何回報雲林郷親」と,選挙で自分に票を入れてくれたことにお礼をしますよ,と率直に語っている(『聯合報』2003年04月06日「大選提前邁歩 扁雲林行 馬不停蹄」)。
   総統選挙でも激しい選挙戦が展開されるが,台湾で最も激しい選挙は,地方派閥同士の選挙である。雲林県や嘉義県の地方選挙を例にあげてみたい。ここでの県長選挙や一部の郷鎮長の選挙では,投票日が近づくにつれ地域社会は緊張と興奮に包まれていく。勝った方は行政権力を専有し,各種の権限,利権を手に入れ自派を拡大する。負けた方は,利権から排除され,派閥自体も弱体化し瓦解することさえある。このゼロサムゲームを制するために,地縁・血縁が総動員され,義理を介した依頼・勧誘があり,利益誘導があり,脅迫があり,暴力事件すら発生する。
   ここで熾烈な争いを展開している地方派閥はいずれも国民党系である。したがって国家アイデンティティは争点にはならない。また,住民はほとんどがミンナン系本省人である。したがって族群問題も争点にはならない。農業対工業といったように異なる産業基盤を背景に争っているわけでもない。公共政策の理念を争っているわけでもない。要するに,当選することによって得られる資源,権限,利権があり,それをめぐって争っているのだ。こうした地方派閥間の対立の根源を探っていくと,多くの場合何年も前の選挙の候補者決定や人事をめぐる主導権争いといった私的な出来事が契機となっている。
   この勢力争いにおいては,それぞれが相手の不義,裏切り,権謀,不法を非難すること(ネガティブ・キャンペーン)で自分の正当性を訴えている。地方によっては,族群の要素やその土地の独自要素が入ってきたりすることもあるが,ほとんどが同じ社会構造の中での争いである。この構造における中間派は,政治に無関心だから中立なのではなく,どちらが勝ちそうか,どちらが勝てば自分に有利になるのかをじっと観察している中間派である。台湾で言うところの「西瓜派」である(※西瓜は熟すると割れて実が重い方に転がるという台湾の諺から取られた用語)。また,台湾では,参加者が広く分け前にあずかる談合文化は主流ではないことも関係している。
   台湾全体で争われる総統選挙も,実は地方選挙と同じく複数の集団による権力争いという性質を持っていると考えられる。この見方を採用すれば,権力争いが台湾の選挙政治の本質であり,国家アイデンティティや族群は敵味方を識別する旗幟の機能を果たしているととらえられる。かつての国民党と民進党との争いも,国家資源を専有する国民党とそこから排除された国民党以外のグループとの争いであったし,今日の泛高ニ泛藍の争いは,現在国家資源を専有しているグループと排除されたグループとの争いであると見ることも可能であろう。
   確かに,総統選挙では政党が中心であり,公的組織である政党と私的集団にすぎない地方派閥とを同列に論じることはできないのだが,国政レベルの争点である国家アイデンティティと族群の問題を除いて考えてみると,地方派閥間の争いが台湾の選挙政治の原点であることを物語る事例は多い。中間派の取り込み方,票固めの方法などは地方の選挙政治と共通性があり,政策や公約は,集票効果という発想で立案されることが少なくない。効果的な選挙運動は,地方をこまめに訪問し,地方への補助金,公共建設の見通しを語ることなのだ。
   この見方に立つと,一連の台湾政治の変動も一定の説明がつく。李登輝の後継をめぐって国民党が連戰支持派と宋楚瑜支持派に分裂したのは,李登輝路線を継承するか否かの争いと規定されることが多い。しかし,今日連戰が発表している文章を読めば,連戰の歴史観は李登輝のそれとはまったく異なっていて,新党の歴史観に近いことがわかる(「蒋經國逝世15周年紀專文」2003.01.13発表)。国家アイデンティティが本当に最重要の問題であるなら,連戰と宋楚瑜は最初から提携していないとおかしいのである。それをしないで争ったのは,連戰派も宋楚瑜派も,国家資源の自派による専有をめざしていたからに他ならない。
   この見方は,国家アイデンティティや族群の要素を否定するものではない。民主化後,それまで封印されていた国家アイデンティティや族群が争点となり,動員合戦が展開されてきた。民主化は二つの封印を解いたのである。同様に民主化は,それまで地方レベルに封じ込められていた権力のための権力争いを台湾全体に広げた。これは,台湾の選挙政治において,国家アイデンティティと族群の二つの争点とは別のところで働く力学なのである。権力争いという第三の要素を含めて考察しなければ台湾政治の全体像は見えてこない。三つの要素はそれぞれ独自に成立し固有のアクターがいるが,同時に相互に関係している。その相互作用こそが台湾の選挙政治のダイナミズムの本質なのである。(2004.04.07記)【続く】


2004年総統選挙の見通し(T)はこちらです。
2004年総統選挙の見通し(U)はこちらです。
2004年総統選挙の見通し(W)はこちらです。


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