2004年総統選挙の見通し (T)

小笠原 欣幸

雲林県・嘉義県の動向(2003.02.05記)
嘉義市の動向(2003.04.08追記)
連宋配のゆくえ(2003.02.09記)
与野党の勢力比(2003.02.14記)
2004年総統選挙の見通し(U)は こちらです。
2004年総統選挙の見通し(V)は こちらです。
2004年総統選挙の見通し(W)は こちらです。new


 2004年総統選挙まであと1年となった。台湾政治はすでに総統選挙に向けて走り出している。野党陣営は,国民党の連戰と親民党の宋楚瑜が強い意欲を示し,二人とも出馬することも予想されたが,両者は候補一本化に合意し,2003年2月14日,連戰が野党陣営の総統候補となることが発表された。いわゆる連宋配が成立したのである。これにより今回の総統選挙は,現職の陳水扁と野党の統一候補連戰との一騎打となる。基礎票では野党陣営が上回るが,陳水扁には現職の強みがあり,勝敗のゆくえは予断を許さない。本稿では,総統選挙を左右する要因を分析する。まずは,陳水扁陣営の票固めの進行状況から見ていきたい。

雲林県・嘉義県の動向

   前回総統選挙の投票前の地理的勢力分布は,陳水扁は南部,宋楚瑜は北部中部東部で支持率が高いという状況であった。筆者は,国民党の強固な地盤である中南部の雲林県・嘉義県の動向が総統選挙の行方を左右すると考え現地調査を行い,両県での陳水扁の勢いを確認することができた。投票結果は,陳水扁がこの両県で国民党の票を切り崩し当選へのステップとなったのである。
   陳水扁は当選後,この両県での積極的な支持基盤構築を行なってきた。まず,雲林県から最近の事例を紹介したい。雲林県は国民党籍の張榮味県長が強い影響力を擁している。陳水扁は総統就任後,この張榮味と友好関係を築いてきた。2002年7月の陳水扁のアフリカ歴訪に張榮味県長を帯同し,同年8月のパラグアイ大統領訪台の際,わざわざ同大統領を雲林県の観光地劍湖山連れて宿泊し,張県長,雲林県,滞在先ホテルを持ち上げている。台湾では総統の公式外遊も国賓来訪もまれなことであり,注目される動きだ。一方,張榮味の方も12月の台北市長選の時,同郷という理由で民進党公認候補の李應元支持を表明している。
   陳水扁は,年が明けて2003年の春節の直前に大きな「お年玉」を用意した。2005年の国体が雲林県で開催されるが(※台湾の国体は1999年に始まり2年ごとに開催,今年は台北県),その準備として,斗六市に国際標準の野球場建設,斗南の陸上競技場改築,虎尾に総合体育館,プール,各種競技場建設,総計13億4000万元の補助を陳水扁が約束したのだ。雲林県政府の新聞発表の見出しは「陳總統送雲林県民大紅包」(2003.01.30)で,県政府にとっては実にありがたい支援であったことがわかる。ちなみに虎尾は,張榮味県長の本拠地で台湾高鉄(台湾新幹線)の停車駅建設中である。
   またつい最近,雲林県選出立法委員高孟定(無党籍)が民進党入党を発表している。高孟定は張榮味の長い夥伴で副県長を務めた経歴を持つ。これで雲林県選挙区の立法委員は定数6のうち民進党が3議席となった。2001年立法委員選挙を基に,落選した台聯候補も加えて泛緑軍の得票率を計算すると,なんと51.3%となる。1998年立法委員選挙での民進党候補得票率合計はわずか21.1%(当選は1名のみ)であるから,これは驚異的上昇と言える。
   次に嘉義県であるが,こちらも似たような状況にある。2001年県長選挙の際,陳水扁は実に複雑な手段を用いて,国民党籍の嘉義県林派をまるごと取り込み林派総帥者の陳明文を民進党公認候補として当選させ,県長ポスト掌握に成功した。その後,2002年10月陳明文県長は林派の基層幹部700人をまるごと民進党に入党させている。陳水扁からのお土産は,故宮博物院の分院を嘉義県に建設するという発表であった(※2003年1月3日行政院決定)。場所は嘉義県中央の太保市(台湾高鉄の停車駅建設中)で,最後まで競り合った台中市を蹴落としての誘致成功であった。陳明文県長は「這是最振奮人心的新年禮物,也是嘉義的百年盛事」(『中國時報』2003.01.04)と喜びを顕にしている。
   太保市は県政府所在地であるが,畑が広がっているだけでほんとうに何もないところだけに,地元の喜びは相当のものがある。その後の地元の続報に,故宮分院建設予定地が突如観光地になったと報じられていることから見ても,地元の期待の大きさが伺われる。「最近不少外出工作或就學的嘉義人返郷過年,紛紛到嘉義故宮預定地點參觀,這片甘蔗田成為新興觀光點;嘉義県副県長黄癸楠説,這凸顯嘉義人對嘉義故宮的期待,県政府會安排故宮寶物先到嘉義展出,營造氣氛。嘉義故宮定案後成為嘉義最大喜事與熱門話題,嘉義県長陳明文所到之處不忘向県民強調成果得來不易」(『聯合報』2003.01.29)
   このように雲林・嘉義両県の状況を観察すると,景気低迷,農産物価格低下という農村地帯での不利な状況や農漁会信用部改革の失策のダメージを最小限に押さえ込んで,陳水扁陣営の票固めが着々と進行していると言えるであろう。陳水扁は李登輝から「只會選挙,不會治国」と形容されたが,国民党地方派閥の牙城であった雲林・嘉義で大幅に影響力を拡大させたのだから大変な選挙上手と言える。つい数年前まで,張榮味,陳明文の両者とも地元では芳しくない評判がつきまとい,民進党が両者を黒金・黒道と批判していたことを思い起こすと,両県の地方政治の変化には驚かされる。ただ両県とも,台湾高鉄建設,駅予定地開発,県横断道路建設など大型公共事業が絡み,かつ県内政治の基本構造は地方派閥時代の構造を引きずっていることから,大スキャンダルが爆発する可能性もないわけではない。しかし,陳水扁の方が,北部中部の支持率低迷を濁水渓(雲林県北部県境)以南の大量得票で補うという明確な選挙戦略が描けている分,まだどちらが候補になるのかも決まらない連戰,宋楚瑜より一歩前に出ているという状況であろう。(2003.02.04記)

嘉義市の動向

   嘉義市でも興味深い出来事が起っている。2003年3月,嘉義市長陳麗貞が民進党に入党した。嘉義市は許家の母(許世賢)と娘(張文英,張博雅)が長らく市政を掌握してきた。もともと許家は党外運動に同情的であったが無所属を通し,国民党とも民進党ともパイプをもっている。現在の許家の実力者張博雅は,国民党政権で衛生署長(厚生大臣),民進党政権で内政部長(内務大臣)を担当している。現市長陳麗貞は,張博雅の側近で,張博雅が嘉義市長から内政部長に転進する際に,後継者に指名された人物である。陳麗貞の民進党入党は当然張博雅の了承を得ていると考えられる。
   陳水扁は2002年1月の内閣改造で張博雅を内政部長から外し,考試院副院長に指名した。しかし6月の立法院の同意投票で(予想に反して台連の立法委員が棄権票や反対票を投じたため)過半数を得られず,行き場を失った張博雅は12月の高雄市長選挙への参選を表明する。高雄市では民進党の現職謝長廷が再選を準備していたが,国民党は候補を決められないでいた。これを見た宋楚瑜は,張博雅を泛藍陣営の高雄市長候補として担ごうとした。これは,陳水扁が固めようとしている南部の票田から中部への橋頭堡を切り崩そうとする深慮遠謀による。しかし連戰は国民党をまとめることができず,党内の黄俊英が候補となり,結局謝長廷に敗北した。この高雄市長選挙のプロセスを通じて,宋楚瑜は戦略的思考を持ち合わせているが組織力がないことを露呈したのである。
   張博雅は惨敗し,選挙の過程で民進党陣営とやりとりがあったので嘉義市の許家と民進党の間に亀裂が入ったと考えられた。そこを陳水扁は放棄せず,様々な方法で陳麗貞を説得し民進党に入党させることに成功したのである。もともと嘉義市は陳水扁が優勢であるとはいえ,市政府を動かせるようになったことは大きな意味がある。地元の民進党支部と許家との関係は微妙で過去にはいざこざも起きていたが,これによって,許家との対立を回避し,選挙協力態勢を民進党主導で作れるようになったことも大きい。陳水扁はマイナスになりかねない状況をプラスに変えたことになる。これで最南端の屏東県から嘉義県市まで民進党執政となり,陳水扁の中南部・南部の選挙態勢はかなり整ったと言える。(2004.04.08追記)

連宋配のゆくえ

   野党が候補を一本化できるかどうか,その成否がかかる注目の連宋會談は来週開催される見通しだ。連戰と宋楚瑜は昨年12月14日に会談し,正副総統候補一組を共同推薦することで合意した。国民党は台北市長選挙の勝利を背景に,党主席の連戰が総統候補,親民党主席の宋楚瑜が副総統候補として組むいわゆる連宋配を盛んに喧伝してきた。これまで連戰と宋楚瑜は,陳水扁への対抗上提携関係を深めてきたが,両者ともに総統選挙出馬の意欲が強く,また,両党の幹部クラスも自党党首の出馬・当選を念じて活動しているだけに,候補一本化は難航するという見方が多かった。
   微妙な変化が見られたのは宋楚瑜であった。親民党は,台北・高雄両市長選挙では終始主導権を握れず,両市の市議会議員選挙での躍進に期待をかけたがそれも叶わなかった。台北市長選挙では,国民党が現職の馬英九を擁していたので親民党が介在する余地はもともとなかった。国民党の側では,馬英九の名声を親民党市議候補に利用させるつもりはなかった。そのため,市長候補を擁しない親民党の市議候補らは苦戦を強いられたのである。12月の選挙の関心は,馬英九の得票数あるいは民進党の李應元との票差に集中し,親民党の存在はかすんでいた。そこで宋楚瑜は,投票日の直前に選挙集会の演壇で跪くという奇策にでた。宋楚瑜が跪いてまで懇願したのは,馬英九への投票であった。馬英九の選対本部が親民党に一向に協力しないことに親民党の不満が高まり,馬が圧勝しない方がよいという発言さえ親民党から飛び出していた。
   宋楚瑜の奇策は,親民党内部の不協和音を打ち消し親民党が馬を支持していることを再確認するものであったが,実際には,選挙後の主導権争いをにらみ馬英九と国民党を牽制しようとする動作であったと思われる。第一,馬英九は宋の懇願がなくても楽勝する状況にあった。第二に,外省人である馬英九は省籍が論点にならないようなイメージ選挙を展開してきたが,宋楚瑜の動作でかえって省籍の視点が急浮上し馬英九を支持していた一部本省人の票を減らした可能性がある。第三に,にもかかわらず,わざわざ跪いてまで自分の支持を訴えてくれたことに馬英九や国民党は「謝意」を表さなければならなかった。しかし,跪くという行為は台湾の選挙ではよく見られることだが,総統候補クラスでは話は違ってくる。しかも宋楚瑜本人の選挙ではなく他人の選挙に関してであるから不自然さを伴い,逆にイメージダウンをもたらすことになった。主要新聞の読者の声欄を見ていても,宋楚瑜の行動は,政治的計算が濃厚な動作と受け止められ,総統の器を疑われる結果になっている。筆者の知り合いに,外省人第二世代,高学歴,台北市在住,マスコミ勤務という典型的な宋楚瑜支持者がいるが,この人も,宋楚瑜の行動にショックを受けたと語っていた。
   宋楚瑜は,台北市で親民党が苦境に陥ることを予め見越して,高雄市長選挙で主導権を取ることに腐心していた。国民党が高雄市の地方派閥間の調整に手間取り市長候補を決められないでいたことで,宋楚瑜は当初,民進党元主席で無所属での立候補を目指していた施明徳を担ぐことを考えた。その後,前内政部長・元嘉義市長の張博雅が突然立候補を表明すると張博雅を担ぐことにした。宋楚瑜と連戰との間では,張博雅を野党統一候補にすることで了解に達したと報道されたが,国民党内の反対の声が収まらず,国民党は最終的に黄俊英を候補として決定し,親民党との協議でも譲らなかった。野党陣営が分裂しては民進党候補の現職謝長廷に勝つことは困難であったため,野党支持の有権者が候補一本化を計るようになり,民意調査でしだいに張博雅の支持率が下がり,宋楚瑜も投票日直前に無条件で黄俊英支持を表明せざるを得なかった。宋楚瑜は,高雄市でも読み間違いをし,威信に傷がついたのである。
   親民党の選挙結果が振るわなかったのは,要するに,結成から2年半たったものの親民党の組織力が依然として脆弱であることに由来する。親民党は当初から「一人党」と揶揄されてきたが,その宋楚瑜の威信が低下してきたのでは党の苦境は免れ得ない。この状況をみて,国民党は一気に連宋配の勝負に出たのである。野党候補の一本化ができなければ陳水扁再選が確実になり,連・宋ともに断罪される。だから両者とも誠意を尽くして必ず一本化しなければならない。しかしどちらが正候補になるかは,組織力に優る国民党以外ありえないという論陣を張っている。また,行政院長など各種ポストを歴任した連戰の方が台湾省長を務めただけの宋楚瑜より経歴が上である,連戰は副総統を経験しているので再び副総統候補になることはありえない,などの意見が有識者の声として報じられている。また,連宋配ではなく,連戰と親民党推薦の人物で正副候補を組み(連X配),宋楚瑜を行政院長として処遇するという案も語られている(※例えば,許倬雲・中央研究院院士の「勸國親兩黨書 國親合 結盟再整合 誰配誰 人地要相宜」『聯合報』民意論壇 2003.01.31)。連戰,宋楚瑜ともに協力成立の可能性に言及したことで,2003年の年明け後,野党候補一本化の期待は大きく高まることになった。
   次に,連宋配に向かう流れの背景を考えてみたい。そこには馬英九の存在がある。いま現在,野党陣営で最も人気のある政治家は馬英九である。連戰は前回選挙での敗者というイメージがあり,宋楚瑜は金銭スキャンダルの陰影を拭いきれないという弱点を抱えているのにたいして,馬英九は手垢がついていない。馬英九の人気やイメージのよさは連戰の及ぶところではない。宋楚瑜にしてみても,同じく外省人であるため非常に強力なライバルとなる。野党よりの大手メディアの論調を見ると,『中国時報』は連宋配に期待を寄せる立場を維持しているが,『聯合報』は連宋の駆け引きを批判し,暗に馬英九を待望する論調が見られる。
   もし馬英九が総統選挙立候補を表明したら,まず国民党の中で激しい地殻変動が発生し,連戰取り巻きのベテラン幹部らと世代交代を求める若手幹部および一般党員との間で党内抗争が発生するであろう。宋楚瑜と馬英九がともに出馬した場合は,棄保効果で宋楚瑜が惨敗する可能性が高い。実際には馬英九が自分の意志で今回の総統選挙に出馬する可能性はまったくないといえるが,連,宋が互いに譲らずいつまでも一本化できない場合,馬英九出馬を求める勝手連的な運動が発生して両者ともに引退に追い込まれる事態も考えられる。このように連戰,宋楚瑜の両者にとって共通の潜在的脅威が現れたことが,野党一本化の流れを加速したと言える。
   2003年1月末,連戰陣営は候補一本化の環境作りとしてさらに一歩踏み込んだ措置を取った。前回総統選挙で国民党が宋楚瑜の金銭スキャンダル(興票案)を告発し選挙情勢に衝撃を与えたことは記憶に新しいが,1月29日,国民党は興票案に関して宋楚瑜に非はなかったとする声明を発表し,合わせて,選挙期間中に宋楚瑜を攻撃し「宋楚瑜先生の困擾と損害」をもたらしたことについて遺憾の意を表した。興票案の事実関係は非常に複雑で,国民党政権下で不明朗な巨額の政治資金がやり取りされていたことを示すものだが,結局,国民に説明されないまま事件の幕は下りたことになる。国民党は事件をもみ消したという批判を受けるリスクを承知で,宋楚瑜のアキレスとされる興票案のみそぎを計り,連宋の提携を強める道を選んだといえる。
   このように国民党が親民党に連宋配の受諾を迫る形で候補一本化の動きが進んでいるが,親民党がそれを受け入れるのかどうか,そして,連宋配(または連X配+宋行政院長)が成立したとして,それで陳水扁に勝てるかどうかはまた別の問題だ。次に,野党の内部事情と与野党の勢力比を点検してみたい。(2003.02.09記)

与野党の勢力比

  野党陣営が候補一本化に大きな期待をかけるのは,前回総統選挙で連戰と宋楚瑜の得票率の合計がほぼ60%で,陳水扁の39.3%を大きく上回った実績があるからだ。それでは,現時点での野党陣営の実力はどのくらいであろうか。2001年の立法委員選挙と県市長選挙の二つのデータを基に検討してみたい。
  立法委員選挙の各政党の得票率を泛藍(野党陣営)と泛香i与党陣営)に分類すると,泛藍の49.74%にたいし泛高ヘ41.14%である。無所属・その他諸派の合計が9.1%であるが,このうち,与野党の属性が比較的明確で一定の票数を得た候補者の得票を泛藍と泛高ノ分類する。例えば,選挙後に泛告w営に入った趙永清,張花冠,高孟定,林志嘉らの得票は泛高ノ算入し,また,無党連盟を結成しているが国民党の属性が強い林炳坤,陳進丁,蔡豪らの得票は泛藍にカウントする。その結果,泛藍は53.73%,泛高ヘ42.95%,無所属その他は3.32%となる。
  次に,2001年の県市長選挙のデータを見る。公認候補の得票に応じて計算した泛藍の得票率は37.68%,泛高ヘ45.27%であるが,無所属候補のうち属性が明確なものについて,泛香C泛藍の票としてカウントする調整を行なう。泛高ノ加えたのは,張温鷹(台中市),彭百顯(南投県),陳勝三(嘉義県)*,陳麗貞(嘉義市),魏耀乾(台南県),張燦洪金(台南市),蘇南成(台南市)**,泛藍に加えたのは,王建火宣(台北県),傅學鵬(苗栗県),林敏霖(台中県),黄八野(高雄県)の得票である。この段階での得票率は,泛藍50.90%,泛47.98%となる。さらに,台湾全体をカバーするため,時期が異なるが2002年台北・高雄市長選挙の得票をこの数値に加えた。高雄市長選挙に立候補した施明徳と張博雅の票は泛藍に数えてもおかしくはないが,最後まで残った支持者の傾向を考えて泛高ノ算入した。その結果は泛藍が52.31%,泛高ヘ46.78%,無所属0.91%となった。

*陳勝三は国民党の党内初選で敗れ無所属で出馬したが,選挙後陳明文陣営に転じたので泛高ノ算入した。
**蘇南成は本来国民党系であるが,国民党を除名された経緯を考慮し泛高ノ算入した。

《表1》与野党の勢力比
- 泛藍泛緑リード
立法委員選挙53.73%42.95%+10.78
県市長選挙 52.31%46.78% +5.53

  これら二つの数字が2004年総統選挙を展望する基礎データとなる。《表1》のようにどちらのデータも泛藍が過半数を超えていて優位にあることがわかる。しかし泛藍の泛高ノたいするリード幅は,立法委員選挙が10.78ポイント,県市長選挙が5.53ポイントと倍近い開きがある。どちらの数字を参照するのが適切かということについては,立法委員選挙は5政党に加えて多数の無所属候補が参入した多党多候補競争が基本構図であるが,県市長選挙は与野党対決が基本構図であるので,2004年総統選挙が与野党の一騎打ちになるのなら,立法委員選挙より県市長選挙のデータを参照する方が適切であろう。そこで,各県市の調整後の数字で《表2》を作成した。この表では政党支持傾向の地理的区分がはっきりと表れている。
  2000年総統選挙の時の両陣営の差が20.6ポイントであったことを考えると,差は確実に縮まっている。しかも,上述のように,雲林県は陳水扁がほぼ掌中に収めている。にもかかわらず,台湾全体で約5.5ポイントの差というのは,依然として大きな差である。連宋配の選挙算術は,この優位を守りきることに尽きる。泛藍陣営は自分たちにより有利な立法委員選挙のデータを採用すれば,10ポイントのリードであり,候補一本化さえ実現すれば十分守りきれる数字と見ているであろう。連戰には「過去の政治家」という印象がつきまとうが,連戰の選挙参謀らは,古臭い神輿でも自分らが担げば勝機があると見ているのであろう。連宋配に対する見解の分かれは,このリードを前提とした守りの選挙戦略が必要だと考えるか,現職の陳水扁の優位を前提に,馬英九のような未知数であるがブームを起こせそうな候補を担ぐ攻めの選挙戦略が必要と考えるかの違いに由来するのであろう。たいする陳水扁は,泛藍の候補が誰になろうと,北部で大敗を防ぎ,中部で競り合い,南部で大勝するという選挙戦略を描いている。

《表2》 県市長選挙での与野党勢力比
- 有権者数 有效票数 投票率(%) 泛緑(%) 泛藍(%) 無所属(%)
基隆市 280,531 172,282 63.07 41.91 58.09 0.00
台北県 2,531,827 1,704,188 68.07 51.31 48.16 0.52
台北市 1,947,169 1,361,913 70.61 35.89 64.11 0.00
桃園県 1,186,758 799,904 68.31 44.20 55.24 0.56
新竹県 304,018 210,015 70.38 46.39 53.61 0.00
新竹市 257,470 161,717 63.91 42.77 56.01 1.22
苗栗県 396,038 262,157 67.25 23.55 75.68 0.77
台中県 1,020,695 657,034 66.27 41.02 58.98 0.00
台中市 666,557 435,722 66.04 50.92 49.08 0.00
彰化県 916,615 613,297 68.14 49.17 48.36 2.47
南投県 386,973 257,243 67.32 52.50 46.18 1.33
雲林県 541,963 333,975 63.39 38.47 61.53 0.00
嘉義県 414,289 264,177 64.76 50.80 44.25 4.94
嘉義市 186,851 119,894 65.08 58.22 34.71 7.07
台南県 802,135 532,235 67.27 55.53 44.47 0.00
台南市 522,744 328,121 63.64 60.49 37.40 2.10
高雄県 889,534 579,873 66.38 54.80 45.20 0.00
高雄市 1,092,668 772,157 71.38 52.92 46.82 0.26
屏東県 655,232 432,393 66.81 55.34 40.61 4.05
宜蘭県 330,826 208,950 63.84 50.88 47.18 1.94
花蓮県 254,081 151,719 60.70 31.37 66.80 1.83
台東県 176,884 99,515 57.31 17.32 81.20 1.47
澎湖県 67,252 39,935 60.53 36.25 55.32 8.42
金門県 39,991 25,190 64.30 6.20 90.83 2.97
連江県 6,230 4,568 75.10 0.00 100 0.00
合計 15,875,331 10,528,174 - 46.78 52.31 0.91
※背景色のある個所は得票率が50%を超えた地区。

  それでは,陳水扁がこの約5.5ポイント差を追いつくためには,各地でどれほどの得票率が必要なのかを,上記の県市長選挙データを基に,以下のような方法でシミュレートしてみる。

  1. 台湾全体を,東西南北の4つのブロックに分ける。
  2. 地理的区分から外れるが,各地の政党支持傾向を考慮に入れて,離島は東部,台北県は中部,宜蘭県は南部に算入し,各県市を次のように割り振る。
    東部ブロック(花蓮県,台東県,澎湖県,金門県,連江県)
    北部ブロック(台北市,基隆市,桃園県,新竹県,新竹市,苗栗県)
    中部ブロック(台中県,台中市,彰化県,南投県,台北県)
    南部ブロック(雲林県,嘉義県,嘉義市,台南県,台南市,高雄県,高雄市,屏東県,宜蘭県)
  3. 前回総統選挙ならびにその他の選挙データを参照し,陳水扁の得票率を,東部ブロック30%,北部ブロック40%,中部ブロック50%,南部ブロックx%と仮定する。
  4. 有権者数は,2001年県市長選挙と2002年台北・高雄市長選挙のものを使用し,投票率を78%と仮定する(厳密には有効票投票率)。
  5. 台湾全体で陳水扁が泛藍候補と同数を獲得するのに必要な南部ブロックの得票率x%を求める。
《表3》与野党得票率シミュレーション
- - 有権者数有效票数投票率陳水扁泛藍候補
東部ブロック花蓮県54443842466278%30%70%
台東県
澎湖県
金門県
連江県
北部ブロック 基隆市 4371984 3410148 78% 40% 60%
台北市
桃園県
新竹県
新竹市
苗栗県
中部ブロック台中県 5522667 4307680 78% 50%50%
台中市
彰化県
南投県
台北県
南部ブロック 雲林県 5436242 4240269 78% 60.05% 39.95%
嘉義県
嘉義市
台南県
台南市
高雄県
高雄市
屏東県
宜蘭県
- 合計 15330893 12382758 - 50.00%50.00%

  この結果は《表3》のとおり,南部ブロックで陳水扁の得票率が60.05%に達すれば,陳水扁と泛藍候補の得票数はまったく同数になる。陳水扁陣営の側から見ると,東部ブロックは,外省人と先住民の比率が大きいので,得票率は30%がやっとであろう。しかし,有権者数が少ないので陳水扁への致命的打撃とはならない。北部ブロックは,外省人,客家が比較的多く,また,ミン南系有権者の中にも民進党に批判的な人が多いので陳水扁の苦戦は免れないが,おそらく現在の政治状況のままであれば40%には届くであろう。中部ブロックは,両陣営が拮抗し大きな差がつかないであろう。そうなると,勝敗を左右するのは南部ブロックで60%を超えることができるかどうかということになる。
  60%という数字は到達可能ではあるが,「台湾の子」陳水扁でも決して簡単なことではない。逆に,泛藍陣営は南部ブロックで40%を上回れば当選に手が届くのである。南部ブロックで陳水扁が55%しか得票できなかった場合,陳水扁は北部ブロックで46.3%獲得しなければならない。あとで詳しく分析するが,これは現状ではかなり難易度の高い数字だ。したがって陳水扁は,どうしても南部ブロックで60%が必要になる。台北の国民党本部に陣取る幕僚らは,長い間国民党の金城湯池であった中南部・南部で,50%は無理としても,どうして40%を下回ることがあろうか,という気持ちでいることだろう。南部ブロックで大敗しなければ,勝利は転がり込んでくるという計算だ。どちらが上回るのだろうか。結局は,陳水扁政権の4年間の実績と意味が問われるのである。(2003.02.14記)【続く】

2004年総統選挙の見通し(U)は こちらです。

OGASAWARA HOMEPAGE