活動報告

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センターの活動報告です

東京外国語大学国際日本研究センター 対照日本語部門主催 『外国語と日本語との対照言語学的研究』第19回研究会 (2016年7月9日)

日時:2016年7月9日(土)14:00~17:40
場所:東京外国語大学語学研究所(研究講義棟419室)
発表 谷口龍子(東京外国語大学)「「謝罪」研究の切り口」 
   根岸雅史氏(東京外国語大学)「日本人は、冠詞に無カンシん?」
講演 清野智昭氏(千葉大学)「日独語の感情表現の対照」

まず、本学の谷口龍子氏による研究発表「「謝罪」研究の切り口」から始まった。谷口氏は、これまでの「謝罪」に関する言語研究の対象や方法論の変遷を概観したのち、先住民に対する公的謝罪の事例を分析した。これまで謝罪研究は謝罪を行う側の言語行動を中心に、定型表現の種類や使い分け、発話行為、ポライトネスなどの理論研究、ストラテジーや謝罪の動機と表現の使い分けについての実証研究が行われてきが、近年は、謝罪をされる側の対応も含めた「謝罪」談話の分析や、謝罪行為を受ける側の反応や認識に研究の対象が拡がっているという。
また、日本語と比べて謝罪表現が頻繁に使われない中国語の例を挙げ、言語により謝罪表現の使用頻度やストラテジーが異なることが、異文化摩擦の要因となりうる点を指摘した。
さらに、オーストラリアの先住民に対する政府の謝罪が国民や先住民側に好意的に受け入れられたことの要因について、謝罪表現のバリエーション、謝罪表現の使用回数、人称、アスペクトなどの点に注目し、台湾政府による先住民に対する謝罪コメントや北海道庁によるアイヌ民族への謝罪文の例と比較しつつ分析した。
発表後は、謝罪の定義や発話行為理論における捉え方などについてフロアとの質疑応答があった。
次に、本学の根岸雅史氏により「日本人は、冠詞に無カンシん?」と題する発表が行われ、日本人英語学習者にとって習得が難しい冠詞の習得に関する研究の報告がなされた。
 最初に、コーパス調査に基づいた英語学習者全般と日本人英語学習者のエラーのタイプが比較され、日本人英語学習者特有の文法的な誤りとして冠詞の脱落がある点が指摘された。また、日本人英語学習者の冠詞エラーには、脱落エラー、余剰エラー、選択エラー等のさまざまなタイプがある点も示され、これらの冠詞エラーについては、比較的習熟度が高い英語学習者にも見られる点が明らかにされた。
 さらに、言語を習得する際に、母語が目標言語の学習を干渉するという「対照分析仮説」は現在では弱い主張として採用されているが、本発表では、Hawkins and Buttery (2010) のデータを紹介することで、フランス語、ドイツ語、スペイン語など冠詞が存在する言語の英語学習者に比べて、日本語、トルコ語、韓国語、ロシア語、中国語など冠詞が存在しない言語の英語学習者では、CEFRのレベルが高い学習者でも冠詞の脱落エラーが多い事実が報告された。
 最後に、冠詞に関するインプットとしての教科書の役割に関する議論がなされた。現在の日本の英語の検定教科書では、冠詞については文法項目ではなく語彙項目として提示されているものが多く、ゼロ冠詞に至っては、指導項目になっていない。
 以上のように、現在の日本人英語学習者は、母語における冠詞の不在、冠詞概念の複雑さ、可算不可算の問題、さらには指導の問題等で、冠詞習得に困難な状況がある点が指摘された。
発表後のフロアとの質疑応答では、形式は単純で高頻度でもある冠詞を日本人英語学習者が習得する上での教科書の役割などが議論された。
清野智昭氏(千葉大学)は、「ドイツ語と日本語の感情表現の対照 ― 人称制限現象を中心に―」と題する講演で、ドイツ語の感情表現の例として「喜び」あるいは「うれしさ」を表す3タイプの表現、(I) X ist froh (über Y)〔Xは(Yが)うれしい〕、(II) X freut sich über Y〔XはYを喜んでいる〕、(III) Y freut X〔YはXを喜ばす〕を取り上げ、大規模コーパスの調査に基づいて、(a)ドイツ語に人称制限はないのか、(b)ドイツ語の上記3タイプの表現は感情の表し方に違いがあるのか、(c)ドイツ語と日本語の感情表現はどのように対応するのか、という問題を考察した。要点は以下の通りである。
Y freut X〔YはXを喜ばす〕は、現在形では感情主体Xは1人称が圧倒的に多く、Das freut mich!(うれしい!)のように、基本的には感情の直接的な表出に使用される。3人称は、Er sagt, das freue ihn, wirklich.(彼は、それはうれしい、本当に、と言う)のような引用や、Annemarie wußte immer genau, was Erwachsene freut oder kränkt.(アンネマリーは、何が大人を喜ばすのか傷つけるのかいつもはっきり分かっていた)のような一般論でしか見られない。このように、この構文は日本語の感情形容詞に非常に近い人称制限を持つ。
X freut sich über Y〔XはYを喜んでいる〕は、現在形でも主語Xは1人称より3人称の方が多く、Die Kinder freuen sich über mein (...) Spielzeug,(子どもたちは私の...おもちゃに喜んでいる)のように、人が喜んでいることを外面から描写していると考えられる表現が多い。主語Xが1人称の場合も「喜び」は外部から観察可能だが、Wir freuen uns doch immer über netten Besuch!(私たちはいつも良い人が訪ねてくれるのがうれしいんです!)のように「喜び」の描写よりも「喜び」を相手に伝えること自体が発話意図であることが多い。
X ist froh (über Y)〔Xは(Yが)うれしい〕は、現在形では1人称の割合が多いが、3人称も少なくない。3人称が主語として表示されるのは、Bill Gates (...) lehnt sich dann entspannt zurüc, ist froh, dass er nicht die Rollen tauschen muss.(ビル・ゲイツは...リラックスして背もたれに身を預け、役割を交換せずに済んでいることにほっとしている)のように、その人物がほっとしている様子が明らかなときである。つまり、frohは現在形で使用されても、感情の表出機能だけでなく、描写機能をも持つ。
3タイプの相違は、Y freut Xが典型的に感情表出に用いられ、人称制限が見られる。一方、X freut sich über Yは外面的に観察可能な感情の描写に用いられる。X ist froh (über Y)はその中間に位置づけられる、というように大きくまとめることができる。
講演後は、共起する一人称がexclusiveかどうかの問題、情報構造のレベルでの考察、さらに談話構成での役割などについて、フロアとの活発な議論が行われた。
当日は、学内外の研究者、学生など50名以上の聴衆が参加し、盛会であった。
(対照日本語部門)

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