活動報告

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国際日本研究センター・比較日本文化部門+国際連携推進部門 ワークショップ 「個と国家と産業 15年戦争下の演劇と映画の言説について」(2015年12月8日)

2015年12月8日(火)18:00-20:30
講師:イリス・ハウカンプ(ロンドン大学SOAS、本学招へい講師)、菅孝行(評論家、梅光学院大学教員)

本企画は、戦前日本映画を戦争と映画産業の観点から研究を進めているハウカンプ氏と、演劇評論家であり、戯曲家・評論家である菅孝行氏の二人の報告と対話を通して、15年戦争下の演劇と映画の言説を検討することを目的として開催された。

まずイリス講師は、戦争やファシズムの原因を絶対的な国家の統制に帰するという考え方は怠惰であると批判し、このことが1939年の映画統制法である映画法についても該当すると指摘した。

そのうえで、1939年の映画法は、1934年のドイツ映画法に多くの示唆を受けていること、映画法の主要な目的である「公序」「良俗と道徳」の維持が、1925年の治安維持法にもとづいているなどの背景を説明した。

その内容は、検閲の強化、映画在庫の合理化、さまざまな映画製作スタジオの統合、配給と上映の統一、そしてもちろんすべての映画人の登録制度の義務化、ポストプロダクション・システム(撮影後の作業)、「国策映画」の定義について問題提起し、そうした映画法と映画産業の成果が一致した代表例として『燃ゆる大空』(監督・阿部豊1940)『陸軍』(木下恵介1944)などを紹介した。

しかし『陸軍』は監督の反戦・厭戦的な意思が反映していること、それによって国家統制に従属されない〈個〉が存在していることを指摘した。

菅氏は映画統制法のような法が演劇には存在しないこと、ただし、1940年には新協劇団・新築地劇団の幹部などが大量逮捕され、同年10月には大勢翼賛会が結成されるなどして、演劇と演劇人の国策の動員が始まった経過を説明した。

同時に注目される動向として、戦時下に活発であった移動演劇の事例(たとえば1941年から一年間で1071公演)について紹介した。
そして手作り的性格・一回性で再生ができないパフォーマンスとしての演劇の性格を、映画と対比して説明した。

  ふたつの報告を通して、映画と演劇の相違、国家統制や国策の進展の相違がうきぼりにされた。
どちらかといえば演劇のほうが波及力は小さいとしても、国家統制から洩れる部分が多いといえるかもしれない。
しかし映画法や国策映画も動員によって観客数を水増ししており、統制が貫徹していたと結論することはできない。

上記の意味で〈個〉と〈国家〉とのあいだの連続と切断もまたうきぼりにされた。なお当日は30名以上の参加を得て、活発な議論が交わされた。

英文用サマリー
本企画は、戦前日本映画を戦争と映画産業の観点から研究を進めているハウカンプ氏と、演劇評論家であり、戯曲家・評論家である菅孝行氏の二人の報告と対話を通して、15年戦争下の演劇と映画の言説を検討することを目的として開催された。

ふたつの報告を通して、映画と演劇の相違、国家統制や国策の進展の相違がうきぼりにされた。
演劇のほうが国家統制から洩れる部分が多い。
しかし映画法や国策映画も動員によって観客数を水増ししており、統制が貫徹していたと結論することはできない。
上記の意味で〈個〉と〈国家〉とのあいだの連続と切断もまたうきぼりにされた。(友常勉)

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