東京外国語大学 総合文化研究所

総合文化研究所 催し物

ワークショップ 「核の記憶と想像力」 

日時:2023年12月8日(金) 17:40-20:00
会場:東京外国語大学総合文化研究所(講義棟422教室)

同時配信あり(zoom)
ミーティング ID: 876 8855 3089 パスコード: 086798


発表者:
竹内航汰
忘却、それは真の記憶である:マルグリット・デュラスにおける戦争の歴史と忘却の問題
マルグリット・デュラスは常に戦争の記憶とともに作品制作をおこなった作家です。とりわけ『ヒロシマ・モナムール』や『かくも長き不在』をはじめとする作品における、第二次世界大戦の記憶と忘却の問題は重要に思われます。そして、デュラス作品において特異に思えるのは、常に戦争表象が忘却という形で表出してくることです。本発表では、デュラスの戦争・核表象における、記憶と忘却のシステムについてお話ししようと思います。
ただし、記憶や忘却を哲学的に考察するというよりも、彼女の作品に向けられた当時の批評や批判に対し、作家本人がどのように応戦し、作品制作に昇華させたのかを中心に見ようと思います。また、最後に、近年のフランス語圏の小説・映画をいくつか紹介しながら、現代の戦争・核表象はどのような方向へ向かうのか考えてみたいと思います。

梶 彩子
ソ連バレエにおける原爆の記憶: レオニード・ヤコプソン振付バレエ『ヒロシマ』を例に

1960年代、キューバ危機に前後するように旧ソ連及び近隣諸国では原爆の悲劇をテーマにしたバレエが複数創作されました。その中で唯一、原爆犠牲者の身体そのものを取り上げた作品を作ったのが、振付家レオニード・ヤコプソンでした。
丸木位里・丸木俊の連作『原爆の図』からインスピレーションを得て創作されたヤコプソンのバレエ『ヒロシマ』(音楽: ヘンリク・グレツキ)は、約8分の短い作品ながら、皮膚の爛れた犠牲者たちの恐怖や苦痛に満ち溢れた、ヤコプソン作品の中でも最も凄惨なバレエです。その描写があまりにも悲惨であったためか、創作当時から高い注目を集めながらも、作品が辿った運命はコンクールの参加拒否、劇場レパートリーからの除外、そして上演禁止等受難続きでした。『ヒロシマ・モナムール』のソ連版ともいえる日ソ合同映画『モスクワわが愛』でも、『ヒロシマ』の映像を用いる構想がありましたがとん挫してしまいます。
このような存命時からの逆風にもかかわらず、現地サンクトペテルブルクには振付の映像が残っていました。ヤコプソンが犠牲者の身体をどのように想像しバレエとして結実させたのか、上演・受容の経緯や同時代の同テーマの作品と比較しながら、振付の分析も加えお話していきたいと思います。

長谷川健司
汚染の光学、影としての生物圏:全球の被曝による可視性の転位と冷戦期の生態学的想像力

1940年代のマンハッタン計画以降、核開発によって大量に生産・放出された放射性物質(アイソトープ)が、自然を正確に観察するための「トレーサー」として生態学者たちに重宝されていたという歴史的事実をおさえるところから始めたいと思います。目には見えず、肌身でも感じることのできない放射性物質ですが、核実験によってばら撒かれたり、あるいは科学者によって意図的に環境中に「注入」された後、特殊な機器を使うと、生態系の構造を(X線装置のように)写しとることができます。グローバルな放射能汚染は、核時代の光学として生態系を照射し、生物の肉体に深く貰入し、地球生物圏の破壊を通じることで可視性の水準を転位させました。超大国による「Atoms for Peace(平和のための原子力)」のかけ声の下、戦後ひろく実用化されることとなったこのテクノロジーは、五感で感じることができる自然のまさにただ中に、影の領域、不可視の生物圏の領域を切り開いた、と言うことができるかもしれません。そこで今回は、核開発による全球的な被曝、そして「トレーサー」のテクノロジーが転回させた生態学的想像力について、今日の視点からたんに善悪でジャッジするのではなく、当時の生態学者たちのテキスト分析ベースで再検討していきます。



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主催:東京外国語大学総合文化研究所