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キャンパスの変遷History of the Campus

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東京外国語学校


麹町区竹平町1番地                               1924年3月-1944年5月
■所在地:麹町區竹平町1番地

■敷地面積:6835.835坪

■特徴:仮校舎、「鶏舎式校舎」と呼ばれる。


■概要

 関東大震災から2か月後の1923年(大正12)11月1日、牛込区市ヶ谷の陸軍士官學校を間借し授業が再開されました。
翌年3月には旧文部省跡地の麹町区竹平町1番地に仮校舎が建設され、授業が再開されました。
 仮校舎は震災後の急造バラックで、当初夏休みまでの五ヶ月間の一時校舎を予定していました。しかし、移転先の
選定に難航します。まず候補地となった小石川造兵工廠跡地は地盤の問題から挫折し、次の御茶ノ水女子高等師範学校
跡地も既に他校が建設され、校地不足で断念してしまいます。ようやく移転先である滝野川区西ヶ原の元海軍爆薬部の
敷地が決まったのは震災から10年を経た1933年(昭和8)でした。
 関東大震災後の約20年間、東京外国語学校の仮校舎となった建物は木造平屋の安普請であり「鶏小屋」のあだ名が
付けられました。「天井板も外れかゝれば、壁も落ちる、戸のがたがたなどは申す迄もない、卒業式の時など天井裏の
見へる講堂に貴賓―尤も少数ではあるが―を案内するなど気のひけるわざであ」(八杉貞利「雑録学校近況」『露西会
会報』第6号 昭和3年7月16日)り、1934年の風水害により大きな被害が発生し、雨漏りなどもひどいものでした。
 また「教室へ行けば隣室の講義と混同して気が散つて教授も出来ぬ殊に第一学期の発音練習機ときたら、取引所の
立合ひ四五ヶ所を一堂に集めた様な有様、往来の人も何事かときゝ耳を立てると云ふ始末、これでは好い生徒も出せは
せぬ」(「SOS!!」『外語同窓会誌』第六号 昭和10年4月1日)ような状態でした。

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