文理融合、文理に限らず異分野の人々が集まり連携することで何かを生み出すという行為は、研究者にとって果たしてどんな意義があるのか。

私は大学の研究支援を進める立場で大学に勤めているわけであり「文理融合を目指せ」というお題目がそもそも与えられている。そんな立場で仕事をしていると、いつのまにか「研究者にとって有意義な文理融合の形を探す」という行為をしていることに気が付く。

「あれ?文理融合ってなんだっけ?手段?目的?」など、いろんなことが頭をよぎる。文理融合が研究者にもたらすものとはなんなのだろう。研究の未来の姿?それとも研究者に科されたノルマ?それとも・・・?

というわけで、原点に戻るべく、miraiゼミで議題を取り扱いみんなの意見を聞いてみることにした。

議論は文理融合という論点にとどまらず、研究における分野とはなんなのか?という議論に発展する。

「研究分野は研究活動を相互に説明し理解しやすくするために、その前提となるものを作法として整理し区分しただけに過ぎない。研究者が生み出す問いやその問いを探求する行為に、そもそも前提とされるべきものではない。」

「研究はより専門化・細分化され、特定の分野の知識がないと議論に参加することもできないようになってしまった。しかし人類にとってより本質的な問いはより大きな世界の中で語られるものに違いない。」

「文理や専門の枠はあくまで区分であり、区分は何も生み出さない。発想を生み出す母体はあくまでも個、そこに関わるその人自身なのだ。」

miraiのみんなの意志が私の心の中に深く入り込み、悩みの迷路に入り込んだ私の道を明るく照らしてくれる。結局、研究者がより自由にのびのび交流できる場があるだけでいいのかもね、そんな気がした。

人と人、思考と思考の交わりから生まれる可能性に期待が膨らむ。そんなものが生まれる瞬間に立ち会うために研究支援をしてるのかもな、そんなことを感じるmiraiゼミでした。

MIRAI推進室:和泉