MIRAIプログラムでは、自分の経験やスキルを活かしながら、活躍の場を広げようとする博士学生を支援しています。
今回、地元の小学校でフィールドワーク報告会をおこなったMIRAI生の小島クリッシイりかさんに、その経緯や思いをインタビューしました。
※報告会について、毛野南小学校のブログでも紹介されています:「放課後子ども教室」っておもしろい!
ブラジルの日本移民研究
ーーまずは小島さんの研究テーマについて、簡単に教えてください。
小島 ブラジルの日本移民の歴史と、その子孫である日系人のアイデンティティについて研究をしています。今回、6月15日から8月30日までの2ヶ月半ブラジルにフィールドワークで滞在して、改めて研究対象について勉強してきました。
ーーブラジルのどちらに行かれたんですか。
小島 サンパウロ州とマトグロッソドスル州とパラナ州の3つの州を巡りました。私の研究対象である日本人移民と日系人が一番多い州といえば、この3つの州なんです。
ーー具体的にはどんなことを調べたのでしょうか。
小島 どういう風に彼らが自分たちを表現しているのかという問いをもとに、インタビューをしたり、ライフヒストリーを聞き取ったりしました。例えば「日系人」と一言で言っても、「日系人ってこうだよね」という言い方はそれぞれ違います。
それから記念誌などの日系人が作り出す知的生産物に興味があるので、それぞれのコミュニティに訪問して記念誌をもらいに行きました。自分たちをどういう風に表現しているのかが記念誌には表れています。例えばマトグロッソドスル州は沖縄移民が多いので、インタビューや記念誌には、日系アイデンティティよりも沖縄アイデンティティが強く現れていましたね。
放課後子ども教室でのボランティア
ーー小島さんは地元の小学校でボランティアをされているそうですね。今回、ボランティア先の小学校でフィールドワークの報告会をされたとのことですが、どのような経緯で開催が決まったのでしょうか。
小島 私が放課後子ども教室に関わりだしたのは修士2年のときでした。ブラジルのフィールドワークを予定していることは、ボランティアスタッフにも2年ほど前から伝えていました。今年ついに行くということになって、「じゃあ、帰国後に教室でそのお話ができたらいいね」と言っていただけました。2ヶ月半のあいだボランティアに行けなかったのは残念だったんですけど、その期間に私がブラジルで何をしていたのかというのを、子どもたちもすごく気になっていたみたいでした。
ーー小島さんが放課後子ども教室に関わりたいなと思ったのには、どんなきっかけがあったんですか。
小島 修士に上がった頃、いろんなところから声がかかる機会が重なったんです。多文化共生理解などの授業に呼ばれるようになって、日本語をどうやって覚えたのかといった経験談を語ったことで、私の経験ってこういう風に活かせるんだって気づきました。自分の中でずっとコンプレックスだったものが誰かのためになる、っていうことに気づいたことが、ボランティアを始めるきっかけになりました。
私は日本語が話せなかったので、学校に行きたくない時期があったんです。学校に行ったり行かなかったりを繰り返していました。自分みたいな経験をしている子に対して何かできないかなと思って、市役所に電話をしたのが最初です。私自身のことを振り返ってみると、言語の支援よりも、どちらかといえば心のケアが足りていないと感じていました。学校で抱えている問題を親にはうまく言えなかったり、学校でも先生とうまくコミュニケーションが取れなかったりしていました。近所のお姉さんみたいな距離の人が当時の自分には必要だったんです。だったら自分がなろうと思いました。
フィールドワークの様子を子どもたちに伝える
ーー子どもたちに向けて報告会をすることが予め決まっていたということは、ブラジル滞在中もそのことが念頭にあったんでしょうね。
小島 ある程度はありました。なので、子どもたちがブラジルについてイメージしやすいものをなるべく写真に撮るようにしていました。報告会でも、みんなが知っていそうなものを見せてから、自分の研究について話すという流れにしたんです。アマゾンが綺麗とか、森林がいっぱいあるとか、コルコバードのキリスト像とか、サッカーが強いとか、そういうイメージがあるけど、それだけではない。実はブラジルは日系人が一番多い国なんだよという流れに。報告会にペルーの日系人の子がちょうどいて、その子が食いついてくれました。これ知ってるとか、おじいちゃんの話だよねって。
ーー研究については、どれくらい話したんですか。
小島 10分くらいでしょうか。トータルでは30分ぐらい話しました。そもそもブラジルについて知られていないので、あくまでもブラジルを紹介することをメインにしようと考えていました。
ーーブラジルのどんなところを他には紹介したんですか。
小島 まずは人口ですね。「日本は人口1億2000万人ぐらいだけど、ブラジルの人口はどれくらいだと思う?」みたいにクイズ形式にして。さまざまな文化のある国なんだという話もしました。あとは食べ物ですね。「ブラジルでは何を食べると思う?」とか。私が住んでいるのは足利市なんですが、その近くにある群馬県の大泉町は10人に1人がブラジル人なんです。そのことにも触れました。大泉町に行ったことあるかとか、どんなレストランがあるのかとか、子どもたちの生活につながるような話もしようと思って。ブラジルがまったく知らない国のままになってしまわないように、自分たちの生活にも関わっている、関わろうとすればいつでも関われるんだっていうことを意識して、話をしてました。
ーー子どもたちに関心を持ってもらいやすいような話題を選んだんですね。遠く離れた国ではあるけど、全然無関係というわけじゃないんだ、っていうことに気づいてもらえるように、意識されたことが、よくわかりました。一方的にしゃべるのではなく、クイズ形式にしたり、会話しながら進めていくというのも、すごくいいですね。
小島 子どもたちから発表途中に質問が来るので、対話形式がやりやすかったと思います。放課後子ども教室に来るのは4〜6年生なんですが、やっぱり30分間一方的にしゃべるとなると、途中から飽きてきちゃうので...
ーー子どもたちに興味関心を持ってもらえるように、気をつけたことや工夫したことはありますか。
小島 私は子どもたちと同じ目線で話そうと気をつけました。近所のお姉さんみたいな立場でいつもいるよう心がけています。疑問を持ったらすぐに質問してもらえるような関係性をずっと保ちたいなと思っています。
ーー普段のボランティアからそういった距離感を意識されているんですね。
小島 先生には相談できないものとか、質問できないものを私が聞きたいな、と思っています。例えばペルーの日系人の子なんですけれども、その子は最初は漢字が得意ではなく、国語が苦手でした。だからどうやってやればいいのかっていう質問が来るんです。問題があるとすぐ話しかけてくれるので、この距離感でいいんだと思っていて、それをずっと続けています。
報告会をやってみて
ーー実際にやってみて、子どもたちや他のボランティアの人たちの反応はどうでしたか?
小島 すごく良かったですね。報告が終わってからもずっと質問をしてくれました。日系社会のお祭りのこととか、アニメのこととか... コスプレ大会の話もしたりして、いろいろ膨らみました。クイズを出したときに、間違っててもいいから答えようとする子どもたちの姿が嬉しかったです。当たったときの子供たちのドヤ顔が可愛かったですね。そのペルーの子は、南米の地図を分かっていたんですよね。ここはペルーで、アルゼンチンはここでしょ、って。こちらから問いかける前に答えてくれる姿がすごく印象的でした。答えた後の満足げな表情を見て、この子は興味を持っていることに対してはすごく一生懸命なんだな、っていうのが伝わってきたんです。最初に会った頃は、漢字のテストの点数が低いことをすごく否定的に感じていたようなんですけど、そんな風に思う必要なんて全然ない。その子が4年生の時からずっと見ていて、いま6年生なんですけど、3年間の成長を感じて、感動しました。
ーーきっとその子にとって、教室とは違う顔を見せられる時間になっていたんでしょうね。授業とは緊張感も全然違うんだろうなと想像できましたし、間違った答えをしても大丈夫なんだ、っていう安心感があったんだろうな、と感じました。
小島 放課後子ども教室っていうところは、やっぱり話しやすい環境だと思います。私自身は教育学を勉強したことはないんですけれども、発言しやすいような場にしようとはずっと努力しています。他者に否定されたことよりも、自分で自分を否定していたことに、子ども時代の私はすごく傷ついてきたんです。そういう思いはなるべくさせたくないなと思って、何でも褒めるようにしています。
これからもやれるだけやっていきたい
ーー報告会をやり終えてみて、どうでしたか。
小島 こんなに喜んでもらえるんだったら、もっと発表したいな、と思いました。足利市は、周辺地域と比べて少ないけれども、外国人はいるんです。生活空間にもいるにはいるけれども、関わることがないんですよね。スーパーなんかでもし見かけたとしても、話かけたりはしない。足利市の隣の大泉町は「ブラジルタウン」とも呼ばれているけれども、なぜそんなに外国人がいるのかは知られていない。外国にルーツを持つ人たちについて、私の研究から少しでも知ってもらいたいな、って思いました。
放課後子ども教室では、「小島クリッシイりか」っていう、覚えづらい名前をあえて使ってるんです。カタカナの名前の先生なんだ、っていうのを認識してもらうことで、生活の近くにいろんな人がいるんだっていうのを知ってもらいたいなと思っています。
報告会で、外国にルーツのある人々が自分たちの近くにもいるんだということを初めて知った、っていう反応もありました。自分たちの周りにいろんな人がいるんだ、っていう当事者意識を子どもたちに持っていてもらいたいです。こんな友達がいるんだ、っていうのを知っていることで、その先の人生が違ってくると思うんですよね。もっと世界が広がるというか。
ーー次はこういうことに挑戦してみたいな、という具体的なアイデアはありますか?
小島 子どもたちにももっと伝えていきたいんですけど、もう少し上の世代に向けても話をしてみたいです。足利市のどこかの公民館とかを借りて、何かできたらなという風に思ってます。他には、いま大泉町の資料館作りのプロジェクトに関わっているので、大泉町のことを足利市などの周辺地域にも紹介したいです。世代や地域を広げつつ、話ができる機会を探したいなと考えています。
こういう活動を私は、やりがいを感じながら、すごく楽しんでやっています。この先どうなるかはわからないですけど、やれるだけずっとやっていきたいって思っています。
ーー積極的に動いている様子から、義務感や使命感でやっているのではないんだろうな、というのはすごく感じます。
小島 子供の頃の自分が抱えていたコンプレックスが解消されていくような感じがしています。こういう風に考えればよかったんだな、とか、自分を責めなくてもよかったんだな、とか、子どもたちとの関わりで学んでいっています。
ーーすごく素敵ですね。過去の自分をケアしているというか、傷ついた自分をそのままにしておかないというか。
小島 自信にもつながりますし、ずっと続けたいです。
ーー小島さん自身も、この4年間で成長したり変化があったりしているんでしょうね。
小島 大学院に入ったときは、いろんなコンプレックスを抱えていました。学歴もそうなんですけど、そもそも私はずっと不登校だったので、勉強をどうやってすればいいかわからないままずっと苦しんでいました。他の人たちとは全然出来が違うんだって、ずっと思ってたんですけれども、それはそれで強みになるんじゃないかなって、最近では思えるようになりました。スタートラインは違っていても、いろんな方向から自分は強みを手に入れられるんだって。最初は大変でしたけど、この4年間でだいぶ自信を持てるようになっています。