BLM連続セミナー第8回「BLMを芸術につなぐ」
第8回目のテーマは BLMを芸術につなぐです。
本講演は、映像作品の上映と講演から構成されます。まず、映像作品『あかい線に分けられたクラス』(2021年)を上映します。この作品は、BLM運動で再評価されたアメリカ人教師ジェーン・エリオットの実験的な授業「分離された教室」を、3.11震災後版として書き換え、当時0歳だった子供たちと原発事故をきっかけとした差別を思索するものです。作品上映後の講演では、芸術を通して私たちの日常で創造される差別の実相に接近していきます。本学アジア・アフリカ言語文化研究所の西井凉子先生がコメントします。
講演者
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藤井光(アーティスト)
プロフィール:1976年生まれ。パリ第8大学美学・芸術第三博士課程DEA修了。アーティスト。日本近世絵画の黒人図像を問い直した『南蛮絵図』(2018年、国立国際美術館収蔵)、人類館事件を再現した『日本人を演じる』(2017年、韓国国立現代美術館収蔵)など、過去と現代を創造的につなぎ,歴史や社会の不可視な領域を批評するインスタレーション作品を制作する。
コメント
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西井凉子(アジア・アフリカ言語文化研究所教授)
https://www.tufs.ac.jp/research/researcher/people/nishii_ryoko.html
日時
2021年6月16日(水)17:40~19:10
プログラム
1.開会(0:00)
2.講演 アーティスト、藤井光さん(2:50)
3.映像作品『あかい線に分けられたクラス』上映*(31:32)
4.コメント 西井凉子先生(32:10)
5.リプライ 藤井光さん(47:50)
6.質疑応答(55:10)
7.閉会(1:12:20)
*ライブ配信で上映を行った映像作品『あかい線に分けられたクラス』は、著作権保護のためカットされています。
備考
- Zoomでのオンライン開催
- 使用言語:日本語
- 参加費:無料
共催
東京外国語大学多文化共生研究創生WG、現代アフリカ地域研究センター、AA研基幹研究「アジア・アフリカにおけるハザードに対する『在来知』の可能性の探究―人類学におけるミクロ-マクロ系の連関2」
藤井光さん講演 参考資料
- 藤井光 et al. 2018「『日本人を演じる』の衝撃—美術家の問い、人類学者の応答」東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所.
URL: http://coe.aa.tufs.ac.jp/kikanjinrui/nihonjinwoenjiruPDF.pdf(最終閲覧 2021年6月23日) - フランツ・ファノン著, 海老坂武訳. 2020『黒い皮膚・白い仮面』みすず書房.
- マーク・トウェイン著, 柴田元幸訳. 2017『ハックルベリーフィンの冒けん』研究社.
西井凉子先生 参考資料
- ジョルジョ・アガンベン著, 上村忠男・広石正和訳. 2001『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』月曜社.
参加者の声
- 実験的な映像アートを通して差別を実感させてもらった。作られたシナリオと場であるにもかかわらず直視するのが⾟いと思う場⾯もあった。そんなときに監督と撮影スタッフの姿やリテイクのかけ声が「これは現実ではない」と思わせてくれてほっとしたのだが、同時に「現実はこれよりもひどい」と気づいた。
- 特に⼼に響いたのは最後のナレーションです。作品で描かれていた状況、構造は、差別されるでもなく、差別するでもなく、中⽴だとして「傍観する」私たちがその構造を放置した結果です。現在も⽇本にある奇妙で、不公正な法を放置しつづけているのは、誰でもない私であることを改めて認識しました。
- ⼦供はまるで⽩紙のように、知らず知らずのうちに違いの意識を⽴てる。その前に、まず違いとは何かを認識させることができるのは⾮常に意義があります。
- 映画の内容がかなり衝撃的でした。演技やセリフであることはわかっていても、まだ⼩さな⼦どもたちがお互いを急に差別するようになり、表情が⼀変する様⼦に恐ろしさを感じました。また、演出家の⽅が、⼦どもたちに「こういう⾵に⾔ってくれ」という指⽰を出していたのが興味深かったです。⼦供の本⼼のように思える⾔葉も、裏で誰かが指⽰したものを⾔っただけかもしれないのだと感じました。一方で、メディアの使い⽅次第では、その影響で偏った⾒⽅も簡単に発⽣し得るのだと思いました。
- 差別の本質とは何かを問う貴重な講演でした。私は⼤学⽣の時、ジェーン・エリオットの「⻘い⽬・茶⾊い⽬」の実験ビデオを⾒ましたが、その内容は誰もが経験しうる可能性があるのに普段の⽣活の中では指摘しない差別構造に踏み込んでいる点で衝撃的でした。今回の『あかい線に分けられたクラス』の映像も、演技を含んでいるとはいえ⼈間の内⾯に潜む差別的な側⾯を表象していると感じました。
- ⾃分⾃⾝の経験に照らし合わせて考えると、⼩さい頃から差別はいけないと教えられるばかりで「なぜ差別はいけないか」という本質的な問いには触れてこなかったように思います。映像の冒頭で「親切にするとはどういうことか︖」という問いとともに「親切にされていない⼈のことを考えたとはあるか︖それを体験するとはどのようなことか︖」という次の問いを持ち出したことは⾮常に重要なことだと感じました。
さらに、差別者という視点は現代世界においてあまり検討されることなく否定されるものであると思います。差別者を批判し、排除することと差別の根源を考えることは異なることであり、それは差別者を正当化することとも異なります。⽀配すること、制圧することなどがどのような社会構造の中で可能になっているのか、その責任は差別者のみにあるのかといったことは慎重に検討しなくてはいけないように思いますし、第三者が振り分けた役割(差別者、被差別者)を⼈は容易に演じうることにも注意しなければならないと気づきました。 - 作品に登場するバンダナが、⼈々から勝⼿につけられた「レッテル」であり、「枷」であるという⽐喩的表現には驚嘆した。藤井さんの作品は映像という⼀つの視覚芸術というよりは、社会問題についての映像が触れられる限界をせめたような作品で、とても⾃分たちの学びに繋がると感じた。