« とても「頭にきた」こと(やや長いです) | メイン | びよーんと広がる日常 »

メタボ…リズム?

久しぶりのオフ!だったので複数のゼミ生諸氏から勧められていた「メタボリズムの未来都市」展を見てきた。実は10月末の社会思想史学会のシンポジウムのゲスト、建築・美術家のO崎さんもこの展覧会の話をしており、必見だとは思っていたのだが、いままで暇なかったーん。で、日頃行かない六本木ヒルズに行くと、いわゆる準六本人というのだろうか(GSの授業でそんな話しをしたっけな)、若い人々などがすごい勢いでチケット売場に集っている。うお!みんなメタボリズムとか現代建築とか興味あるんだー、すごいなー!と驚愕しつつ、長ーい行列を作って53階の会場に至ると、あらっ!およそ9割がたは隣の「ドラゴンクエスト展」に吸い込まれていって、「メタボリズム展」への道は突然さーっと開けたのであった。はははは; 

さて、「メタボ」というタームが最近メジャーになったため変な感じがするが、メタボリズムは「新陳代謝を意味する生物学用語で、1960年に東京で開催された「世界デザイン会議1960」に際して提唱された日本の建築運動」である。展覧会は、結成期の1960年代、1970年の万博、その後の「環境」や「グローバル」への展開と、なかなか丁寧に歴史を整理しており、学ぶところも多かったが、根本的には「惨事便乗型資本主義」をあられもなく肯定する内容で、相当に問題アリである。(上記のOさんがかなり批判的に見ていたのもよくわかる。)カタログ冒頭にある八束はじめ論考「『メタボリズム連鎖』という『近代の超克』」は、たとえば1970年の万博を「近代の超克」の最終的な姿と位置づけ、「warfareはwelfareと地続きなのだ」(語呂合わせのノリなのだろうが、「戦争は福祉と地続きなのだ」と訳せば、その異様さがよくわかる)と言い切るなど、思想史的にツッコミどころ満載だし 後ろの方にある今村創平論考「菊竹清訓『海の上の都市』」の、「(菊竹は郷里の洪水や東京の空襲に関して)日常がリセットされた白紙の状態から再出発するという構えを持ち、また自然および人工的災害を単に否定的なものと捉えず、新たな誕生、創作の糧と前向きにとらえている」という一文に至っては、あまりにショック・ドクトリンそのまんまなので、まさか!と思わず我が目を疑って読み直してしまった。展覧会ではこうした言説を直接に目にしたわけではないが、圧倒的な違和感があって、気を取り直そうと隣の展望台へ足を運んだ。

20111113.jpg

はー;上から見てもオーマイガッ なぐらいに醜ーい!わが町トーキョー。その後、上記展覧会のカタログとともに森ビル社長さんの『ヒルズ 挑戦する都市』(朝日新書、2009)も手に入れたが、この醜さを生んだ仕掛け人さまの考え方が、たいへんよくわかる一冊ですねー。六本木ヒルズに行ってくると、なぜこんなに疲れるのかも、よくわかりますー。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
https://www.tufs.ac.jp/blog/mt6/mt-tb.cgi/13241

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2011年11月13日 23:15に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「とても「頭にきた」こと(やや長いです)」です。

次の投稿は「びよーんと広がる日常」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。