末原拓馬「夢語〜ゆめご〜」
おととい、月祝に観てきましたよ。
吉祥寺Star Pine's Cafeで。
もー、どんどんディープになってるね。
まあ、夢の中で使われる夢語(dreamish)っていうのがあって、
それは、万国共通で、夢の中に出てくる、と。
それだけではなく、バベルの塔で、言語が撹乱される以前は、
皆同じ、その言葉で喋っていたかも知れない、と。
それは、エデン語と呼ばれたり、ヘブライ語と呼ばれたり。
(ヘブライ語説は、(聖書)ヘブライ語が、アフロ・アジア語族、
セム語派の中で、かなり革新的な特徴も持っているので、
それが世界の全言語のもといであるとかいう、
19世紀辺りの言語学者の一部が言っていた説には
言語学徒としての僕は乗れませんが。)
その夢語、dreamishを拓馬なりに構築して
披露する場面もありました。それはまた後ほど。
「恋愛」
恋愛対象が、今まで、だんだん人から、妖怪から、
動物から、無生物から、霊から、幻影にまで、どんどんと
人から離れて行っていたと見受けられたのですが、
今回は、人と人の恋愛だったな、と。
それも女と男の恋愛だった。めずらしい!<笑>
「ディープな世界」
宗教チックな、ニューエイジチックな話、好きだよねー。
まあ、今回は、夢縛りがあったので、あまりあらぬ方向には
行きませんでしたが。
でも、夢枕に建った故人の言うことは
夢語なので、生きている人にはわからないというのは
新しかったかも。
「夢語の創作・試作」
細かいことはもちろんわからないのですが。
末原は、創作というよりは、既存であるはずの
夢語にできるだけ接近しようとしているのでしょうが。
でもまあ、人工言語(conlang)の類いではあるのかな、と。
「言語」としてそれなりに実用にまで至った人工言語は
エスペラントぐらいですかね。
文学などの芸術の中で作られたものは、トールキンの創作のなかでの
諸言語とか、スタートレックの中で出てくるKlingon語とか。
(Klingonは言語学徒が創作したんですけどね。)
若い言語学徒、トルミス・ナーノ君は、実用言語を目指すものでなく、
ご自身制作の映画などの創作芸術の中で使われる言語としての
人工言語として、言語創作をしている。
もとい、末原の夢語が、どのようなスペックを持った
ものなのかは、全く、分析できていません。
只、音論、音素配列音は英語に近く、しかし
英語ではゆるされない事例もあった。
([ts]が語頭にきたり、意味を担いそうな声門破裂音[ʔ]があったり。)
でも詳細は不明です。形態論、統語論に至っては
まったくのお手上げです。
閑話休題。NITORONというバンドがあって、
南洋風な創作言語で歌ってらっしゃるんですが、
こちらの音論、音素配列音は、日本語そのままなので、
素人が「すげー!」ってなるほどには、
音声学徒はおどろかないのです。
もとい、末原の夢語は、まだこれから色々と
肉付けされて、形がしっかりしてくるものなのかも
知れませんし、楽しみです。
「ストーリー」
は、短編を散りばめたものだったのですが、
なんとなく、お互いがつながっていて、
全体的には、まとまった1つのお話になっている
というものでした。
で、演じてるときなのですが、
もちろん、(本を書く人という面は置いておいて)
演者としては俳優として演じているんでしょうけど、
部分的に、登場人物2人の会話の場面が
ちょっと落語落語していました。
もちろん、座布団の上に、末原たじっとしている
わけもなく、動き回るので、落語じゃないんですけど。
「結語」
とはいえ、一人の「本書き」という枠からも、
一人の「俳優」という枠からも、
はみ出しまくりで、その時、その場でしか観られない
パフォーマンスを観れたのだなあ、と。
そのひとときが幸せでした。