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シリーズ「AA研」は何をするところ?:イスラーム信頼学――世界を新たな角度から見るために

研究室を訪ねてみよう!

アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)では今、「イスラーム信頼学」というプロジェクトが進められています。今日は、プロジェクト代表の黒木英充教授に、その内容やおもしろさについてうかがいます。


インタビュアー(以下I)  こんにちは。今日はよろしくお願いします。

黒木教授(以下K)  こんにちは。ようこそ、AA研へ。

イスラーム信頼学とは?

I さっそくですが、「イスラーム信頼学」とはどのようなプロジェクトですか。

K  文部科学省の科学研究費によって2020年度に5年間の予定で始まったプロジェクトです。正式名称は「イスラーム的コネクティビティにみる信頼構築:世界の分断をのりこえる戦略知の創造」で、「イスラーム信頼学」という略称で呼んでいます。
プロジェクトの目的は、正式名称の副題にもあるのですが、現代世界で問題となっている他者の排除や人々の分断をのりこえるための方法を考えるというところにあります。
私たちが注目するのはイスラーム(イスラム教やイスラーム教とも呼ばれる)が関係する地域や人々です。現代については、紛争や難民問題を思い出す人もいるかもしれません。しかし、思い起こせば、イスラームは7世紀のアラビア半島で始まり、1400年のあいだに、世界各地に20億人とも言われる人口を擁する世界宗教になりました。その拡がりの歴史と現在の中に、排除や分断に「対抗する知」があるのではないか。そんな問いから、このプロジェクトを立ち上げました。

I なるほど。「対抗する知」というのが、名称の主題にある「コネクティビティ」ということでしょうか。これはいったいどういう意味ですか。

K 人と人、集団と集団、国と国など、いろいろなレベルでのつながりや、接続のしやすさ、つながり方、つながりづくりなどを含めて、つながり(関係)を持てる、持とうとする状態、さらに実際につながりをつくることを、ここでは「コネクティビティ」と呼んでいます。
人がどのように他者との関係を持とうとするのかに目を向けると、そこに信頼というものが見えてきます。言い換えると、人がいろいろな形で他者と関わっていくときに、どういうふうにつながろうとするのか、どのような信頼を構築しようとするのかが問題になります。
多くの場合、信頼関係をつくるためには、何らかのリスクをとって、主体的に相手に働きかけることになるでしょう。一歩踏み込む瞬間に意味があると考えて、歴史的・現代的場面を眺めてみよう、そこから先ほどの「対抗する知」を浮かび上がらせていこうということになります。

プロジェクトのおもしろさ

I  2020年度から始まったということで、今年が4年目ですね。どのような成果があったのでしょう。どんなおもしろいことがわかりましたか。

K  「イスラーム信頼学」は科学研究費の学術変革領域研究(A)という枠で、実はかなりの大所帯なのです。総括班というまとめ役の他に7つのグループがあります。AA研だけでなく、京都大学、大阪大学、立教大学、慶應義塾大学のグループ代表の方々がいます。

K  それぞれのグループには専門分野や対象地域、扱う時代の違う多くの研究者がいます。
今、「イスラームからつなぐ」という8巻本のシリーズを東京大学出版会から刊行中で、グループごとに各巻の準備をしているところですが、本当に幅広い主題を扱っています。
2023年3月に第1巻の『イスラーム信頼学へのいざない』を刊行しました。これはいわば、全シリーズのエッセンスを集めたものです。

K  どんなおもしろいことがわかったか、というご質問がありましたが、たとえば、この本の野田仁さんの章(第2章「多様なひとびとをつなぐ翻訳――イスラームの各地への展開と知の伝達」)を見てみましょう。
イスラームというとアラビア語だよね、ということは東京外大のみなさんも良くご存じと思います。それが、7世紀のアラビア半島の言葉で、啓典クルアーン(コーラン)の言語だからです。イスラームの拡大にともない、アラビア語は確かに各地に拡がっていきました。でも、すべての地域がアラビア語化したわけではありませんでした。
たとえば、13世紀から14世紀に、モンゴル帝国にイスラームが入った時には、当時の西アジアや南アジア、中央アジアで共通して用いられていたもう一つの言語、ペルシア語が公的な言語となりました。つまり、アラビア語だけではなく、地域の共通語としてペルシア語があったということになります。
複数の言語が、翻訳や通訳という人間による営みを介して交わり、新しいものを生み出していく。その瞬間に何が起きてきたのか、その結果何が生じてきたのか。それはときに外交の成功や失敗をもたらし、ときに、多くの人々の改宗をもたらしたそうです。具体的な内容は、ぜひご自身で読んでいただければと思います。
このプロジェクトのおもしろさは、さまざまな出来事を「人と人とのつながり」の連鎖と見ることで、歴史や現代の事象について新しい見方ができるというところにあります。
あくまでも人間が主役です。つねに成功ばかりではなくて、しくじったり、やらかしたり、いろいろなことが起こります。その人間模様は多様で複雑です。難しく聞こえるかもしれませんが、信頼と不信はウラオモテの関係にあり、互いに支え合っている側面もあります。それを含めて、世界を新しい角度から見る方法を探っていく、そんなプロジェクトとして進めています。

一枚の絵が語るもの

I  『イスラーム信頼学からつなぐ』の表紙には印象的な絵が掲載されています。これは誰が描いたものでしょうか。

K  ヴラディミール・タマリさん(Vladimir Tamari, 1942-2017)というパレスチナ人の芸術家が描いたものです。日本人の女性、京子さんとご結婚されて1970年に来日されたタマリさんは、以来、東京にお住まいでした。その意味で、彼は亡命した芸術家であり、また物理学者でもあり、さまざまな知識を身に着けた知識人でした。
エドワード・サイードさん(Edward W. Said, 1935-2003, パレスチナ系アメリカ人の文学研究者で『オリエンタリズム』や『文化と帝国主義』などを通じて世界的に著名であり、1980年代以降の日本における人類学・文学・歴史学・政治学などの幅広い分野にも強い影響を与えた)のご夫婦とも家族ぐるみのお付き合いをされていて、サイードさんが日本を訪れたときには、まっ先にタマリさんのお宅に向かったという話もあります。
タマリさんは私が学生時代に最初に出会ったアラブ人で、以来、30年間のお付き合いがありました。残念ながら2017年に亡くなられたのですが、うちにある彼の絵画の一枚がこれです。

K  パレスチナ人なのに、なぜスラヴ系のヴラディミールという名前かというと、彼のお祖父さまが、かつてエルサレムでロシア領事の通訳をされていたことに関係しているとの話を聞いています。
パレスチナというとイスラームの印象が強いかもしれませんが、タマリさんはギリシア正教徒ですし、(思想や報道におけるイスラームへのバイアスを鋭く批判してきたことで知られる)エドワード・サイードさんはプロテスタントで、いずれもキリスト教徒です。この絵を通じて、まず知っていただきたいのは、「イスラーム信頼学」がイスラームやイスラーム教徒のことだけを研究しているのではないという点です。むしろ、イスラームを手がかりに、人間・人類・世界の全体を考えたいと思うのです。日本のことももちろん含まれます。

I  なるほど、そんなメッセージが込められていたのですね。シリーズの第2巻『貨幣・所有・市場のモビリティ』、第3巻『翻訳される信頼』、第4巻『移民・難民のコネクティビティ』がまもなく刊行されるそうですが、とても楽しみです。

K  ぜひ、読んでみてください。

I  今日はありがとうございました。

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イスラーム信頼学プロジェクトについてはこちらをご覧ください。

https://connectivity.aa-ken.jp/

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