2002年度 谷川・山口ゼミ(卒論演習・ヨーロッパ文化論演習I・ヨーロッパ文学I演習合同授業)


(注意:これは学生の発表原稿です。無断転用禁止)


グループワーク:「表象」

担当:野田容子 竹中健裕 佐々木芙美子 久保知都 犬童有希子 寺田葉子

表象をめぐって 〜なぜ「表象」か?〜


T 文学テクストは何を表象するか ............................... 竹中健裕

ここでは、ドイツ後期ロマン派の作家アーデルベルト・フォン・シャミッソー(1781〜1838)の短編小説(ロマン)『影をなくした男(Peter Schlemihls wundersame Geschichte)』を題材に、この物語が何を伝えようとしているものなのかを考察してみたい。

『影をなくした男』にはいくつもの版がある。初めて刊行されたのは、1814年で、その原稿を預かっていた友人フケー が、シャミッソー本人の了承を得ないうちに、著者不明のまま世に出してしまったものである。この当時は現在見られる『影をなくした男』のうち、本編である『影をなくした男(ペーター・シュレミールの不思議物語)』(1813年完成)に、フケーの詩『シャミッソーへ』(1813年)、また、書簡体でつづられた『シャミッソーよりヒツィッヒへ』(1813年)と『フケーよりヒツィッヒへ』(1814年)という一風変わった前書きが付加されていた。そののち、1827年版にはシャミッソーの詩やバラードと『ヒツィッヒよりフケーへ』(1827年)が付加され、1835年版には、シャミッソーの詩『古き友ペーターシュレミールに』が付加された。シャミッソーの死後、友人ヒツィッヒの手によって刊行された1839年版には、このヒツィッヒの前書き(1839)と、これに先駆けてフランス語版のために書かれたシャミッソー本人の前書き(1837年)の一部がドイツ語訳されて掲載されている。
現代において多く基礎文献として使用されているのは、1836年のヴァイトマンシェ書店刊行版のようである。ここには1827年版のシャミッソーの詩やバラード、1839年版のヒツィッヒとシャミッソーの前書きは含まれていない。
また、日本で、池内紀訳のものが一般に多く流通しており、これは上にあげた書簡体の前書きがすべて本編『影をなくした男』のあとにおかれている。内容は、ヴァイトマンシェ書店1836年版とほぼ同じだが、さらに初版から付加されていたフケーの詩が取り除かれている。
外国語版については、シャミッソーの存命中から既に、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語に訳され各国で出版され、アメリカでも多くの読者を獲得していた。児童用に内容を一部書き換えられたものや、書簡体の前書きの一切が省かれたものもあるようだ。
こうしてみるだけでも、『影をなくした男』には1814年から1839年にいたるまで、さらに現代にいたるまで、様々な形があることがわかる。しかし、当然のことながら、本編『影をなくした男』は変わらず、その中心にある。
では、この『影をなくした男』はひとつの不変の作品であろうか。W.イーザーの理論を借りれば、作品とはテクストと読者の中間に位置するものであり、そのどちらにも還元され得ないものである。 そして、物語を読み進めていくうちにも変容していくものであるという。

1. テクスト

まず、『影をなくした男』がどのような物語かを紹介しておこう。
主人公は貧しい若者ペーター・シュレミールである。彼がつらい航海を乗り越え、ある港町にたどり着くところから物語が始まる。彼は一通の紹介状を携えている。それは、この港町の外れにすむ富豪トーマス・ヨーン氏に宛てられたものである。シュレミールは、ヨーン氏に経済的な援助を求めるために、その邸宅を訪れる。ヨーン氏の邸宅の庭園では、上流階級の人々が優雅に散歩を楽しんでいる。そして、彼らに付き従う灰色の服の男は、望みのままにイギリス式望遠鏡、トルコじゅうたん、天幕、馬などを、そのポケットから取り出して見せる。
その光景を、目の当たりにしてぞっとするものを感じるシュレミールだが、その場に居合わせた裕福な人々に相手にされず日を改めることにする。庭園を離れようとしたとき、バラ園のなかでシュレミールは灰色の男にある取引を持ちかけられる。シュレミールの影と、魔法の道具を交換しようというのだ。灰色の男の並べる数々の魅力的な魔法の道具の中から、シュレミールは、望むだけ金貨の出てくるコルドバ製の革袋を選ぶ。こうして、シュレミールは“影をなくした男”となる。
シュレミールはその後、影のないことでさまざまな苦難に出会う。同情、さげすみ、恐怖の目で見られ、人々の間に大手を振って登場することはかなわなくなってしまう。外出は夜のみとなり、革袋による財力により、社交界で名をはせる。しかし、それも影のないことが発覚し、すべて水の泡となってしまう。社会に参画することができずに、諸国を遍歴するうちにたどりついた温泉町で森林管理官の娘ミーナと恋に落ちるが、それもついには破綻してしまう。
そこで、灰色の男が再び現れ、第二の取引を持ちかける。影を返す代わりに、死後、魂を引き渡すことを約束して欲しいという。灰色の男への憎しみから、この取引をはねつけたシュレミールは、革袋とも、ミーナとも、影の秘密を知りながら、忠実に従う召使ベンデルとも袂を分かち、再び貧しい一人旅の青年となる。影はもうない。
しかし、なけなしの金で買った靴が一歩で七里を行くことのできる靴であることを知ったシュレミールは、世界中を冒険し自然を研究することに新たな生きがいを見出す。

この、一連の体験をシュレミール自身が、友人シャミッソーに宛ててつづった自伝という形式で語られる。したがって、基本的に一人称で記されており、読者への呼びかけはすなわち、シャミッソーへの呼びかけということになる。

次にW.ブースの理論を借りることにしよう。 彼の考え出した「含意された作者」という概念があるが、これは、著者シャミッソーその人ではない。また、シュレミールでもない。『影をなくした男』を読んで、意識される作者である。この含意の作者に対置されているのが、「含意された読者」という概念である。含意の作者と同様、物語を読んで、対象とされている読者を意識することができるのならば、含意の読者の姿は明確になる。これも、現実に『影をなくした男』を手にとって読んでいる実在の読者を指すものではない。
さらに、語り手、聞き手という存在が、物語の中に見出される。『影をなくした男』においては、語り手はシュレミール、聞き手はシャミッソーである。
これは、自身のつらい体験を語っているのはシュレミールであり、それを聞いているのはシャミッソーであるという設定によるものである。しかし、シュレミールの物語はあくまでフィクションであり、この物語を作った作者は、物語を読んでいる間にも読者は意識することになるだろう。つまり、シュレミールに物語を語らせ、そのことによって何かを伝えようとしている存在が含意の作者である。
『影をなくした男』の願意の作者が伝えようとしていることは、それほど複雑なことではないだろう。既に紹介した物語の流れを概観すれば、それは、金銭欲に駆られ、かけがえのないものを売り渡してしまうことの愚かさを戒める物語であることがわかるだろう。そして、それは、語り手であるシュレミールが語っていることと一致する。しかし、また、シュレミールの失った影がいかなるものかについては、シュレミール自身は語っていない。なぜならシュレミールにとって「影」とは影に他ならない。この影に「社会に参画する権利」といった役割をもたせ 、それを失ったシュレミールの姿を見せることで、その役割を読者に認識させることは含意の作者でなくては不可能である。この役割を認識しなければ、シュレミールがただ影を失ったという(物語の中での)事実だけが残ってしまう。
ヴィンフリート・フロイントは、シュレミールから影を奪った灰色の男を「資本主義的商品経済の擬人化」であると指摘している。 人知れず人に近づき、その人望むものはすべて与え、欲望を増大させていくさまが、資本主義的な商品経済の抱える問題を鋭く風刺しているという。これもまた、シュレミールたちの視点そのままでは指摘し得ないであろう。シュレミールにとっては、灰色の男はまさに、灰色の服を着た得体の知れない、不気味な男なのだ。シュレミール自身は彼を「商品経済の擬人化」とはみていない。
このように、どこか現実の世界でも通用するような事柄を含んでいる、『影をなくした男』は一種の寓話と呼ぶことが出来るだろう。 シュレミールが自ら語るという形式のために、金銭欲への戒めのように、含意の作者と、語り手シュレミールの伝えようとしていることが一致することが多いのが、イソップなどの寓話とはやや異なる点であろう。

2. コンテクスト

 それでは、この『影をなくした男』の背景、つまりコンテクストを紹介しよう。はじめに述べたように、この短編小説が初めて刊行されたのは1814年である。完成はこの前年、1813年の夏である。

1781年、フランス、シャンパーニュ地方の城持ち貴族シャミッソー家の子息として、ルイ・シャルル・アデイラード(のちのアーデルベルト)は生まれた。ところが、1789年にフランス大革命がおこると、シャミッソー家も没落し、祖国を追われることとなる。現在のオランダやベルギー、ドイツ各地を遍歴し、ついにベルリンにたどり着く。当時はプロイセンの都である。ここで、王立磁器工場の絵付けの仕事を得た幼いルイ少年は、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世王の妃ルイーズの目にとまり、お小姓として召抱えられる。以後は、ユグノー系(シャミッソー自身はカトリック)のフランス人学校で2年間、初めて正規の教育を受けるとプロイセン軍士官学校に入学し、のちに大尉にまで昇級する。
しかし、1801年、シャミッソー家は、当時ナポレオンの政権下にあったフランスへの帰国を許され、ルイ青年も岐路に立たされることになる。結局ドイツを選びとった息子をおいて、両親家族はフランスに帰国する。こうして、シャミッソーの祖国喪失は決定的なものとなった。プロイセン軍士官であったから、1806年秋には対ナポレオン戦争に駆り出され、ハーメルンで捕虜になっている。
1806年、前線に送られる前にシャミッソーは、一度フランスに帰国しているが、既に、多分にドイツの文化にもふれ、それを吸収していた彼にフランスの空気は素っ気なく、冷たかった。
ナポレオン戦争における、フランスとドイツの関係悪化に伴い、シャミッソーはどちらの国に帰属するかを明確に意思表示することを迫られた。しかし、ドイツではフランス人であり、フランスではドイツ人である彼は、どちらにも心のそこから帰属することが出来ない。彼の心は引き裂かれ、ハーメルンの捕虜生活を終えると、プロイセン軍内部のフランス人は反逆者として、軍法会議にかけるというナポレオンの政令をうけ、除隊を申し出る。その後は、彼が出入りしていたスタール夫人 のサロンの移動に伴い、シャミッソーもパリから、スイス国内を移動している。しかし、そこでも疎外感が癒されることはなかったようだ。1812年、スタール夫人がコペを離れ、亡命の旅に出ると、シャミッソーはベルリンに戻り、新設のベルリン大学で本格的に自然科学の研究を開始する。
反ナポレオンの気風が高揚する中で、シャミッソーは、これに参加せず、親交のあった政治家イッツェンブリッツの所領であるベルリン郊外のクーネスドルフ村で植物採集を行うことにする。当地に滞在するために、近くにあった、親友ヒツィッヒの家に居候していたシャミッソーは、ヒツィッヒの子供たちを楽しませ、また、たっぷりとある時間をつぶすために、『影をなくした男』の創作を開始する。既に述べたように、この創作が1813年の夏のことである。
駆け足でシャミッソーの半生を概観したが、これと、『影をなくした男』の物語を比べてみると、主人公ペーター・シュレミールはシャミッソーその人ではないのか、シュレミールの「影」の喪失とは、シャミッソーの「祖国」や「どこかに心から帰属すること」の喪失なのではないか、という読み方が出来る。実際に、シュレミールのように行き詰まり、そして、そののちに遠方へ旅立つという物語を、シャミッソーはこれに先駆けたハーメルン捕囚の年に、2点創作しており、そこには現世での苦悩と、遠方への憧憬という観点から共通したものがみられる。 この物語の展開そのものが、ナポレオン戦争下におけるシャミッソーの苦悩を如実に反映したものであると考えられる。
このように、語り手や、含意の作者ではない、生身の現実に存在したシャミッソーの経歴や、彼を取り巻く社会背景を踏まえると、『影をなくした男』には現実にかなうものどころか、現実の世界がメルヘンという形をとって再生産されているかのように思えてくる。そして、シャミッソーの経歴の特異さと、過酷さのために、この物語は、実に深刻な問題を抱えているとの認識がなされるようになる。そのとき、『影をなくした男』は、シュレミールではなく、シャミッソー自身の自伝となるのである。

3. 読者

テクストのみを読んだ場合と、コンテクストを踏まえて読んだ場合では、『影をなくした男』が、2つの異なる作品となることは既に述べた。このことは、読者という存在に目を移せば、読者が『影をなくした男』を読む際に、コンテクストに関する知識をもって読んでいるのか、それとも、一切の知識をもたずに読んでいるのか、という差異に左右される。
 ひとつの同じテクストをいかに読むかは、読者がどのようのな知識を踏まえて読んでいるかということに始まり、読者自身がどのようなコンテクストをゆうしているかによって様々であろう。たとえば、上で紹介したヴィンフリート・フロイントの指摘は、フランス革命からナポレオン戦争時のヨーロッパの有産階級(ブルジョワジー)の台頭を考慮に入れれば、シャミッソーがまったく意図していなかったとは考えにくいが、当時の読者よりも、資本主義という概念が広く流布している現代の読者のほうが明確に指摘することが出来るだろう。
 また、シュレミールが世界中に旅することを可能にした、七里靴には、現代の読者からみると、各種の交通、運輸機関が意識されるのではないだろうか。『影をなくした男』刊行当時は近代産業が発展してきた時代であり、シャミッソーものちに、それを賞賛する詩を書いているが、当然ことながら、旅客機の登場にはまだ相当の時間を要する時代である。七里靴に、より現実的なものを見出すことは、現代の読者の特権であろう。
 そして、こうした読み方は、語り手も、含意の作者も、著者自身も意図していない読み方である。文学テクストはコンテクストからも、読者からも独立した確固たる存在である。しかし、また、文学テクストを生み出すコンテクストがあり、また、文学テクストを読む者がいなくてはならない。文学テクストの存在を認識する存在が必要なのだ。したがって、文学テクストと読者が対面することは必然的なことであり、そこには両者のコンテクストがかかわってくる。
 『影をなくした男』を読んで見出せること、それはどうして見出すことが出来たのかを考えたとき、読者は自身のコンテクストが無意識のうちに、その読み方に投影されていることを知るだろう。

4. 物語を読む

 以上のように、ひとつの文学テクストにも様々な側面があることがわかった。重複になるが、文学テクストを成立させるためには、文学テクストだけではなく、それを生み出すコンテクストと、それを受け取る読者とが必要である。そして、テクストのみを読んだ場合、コンテクストを踏まえて読んだ場合、テクストの読み方に自身のコンテクストが投影されていることを意識して読んだ場合では、ひとつの『影をなくした男』という文学テクストでも、さまざまに、その姿を変容させていく。
 しかし、初めにありきはやはり、文学テクストのそのものである。コンテクストを意識して読むことは、果たして物語を読むことだろうか。文学テクストそのものを飛び越えて、コンテクストに視線を投げかける読み方は、けっして物語を読んでいるとはいえないだろう。
また、読者が、自身のコンテクストに合わせて、好き勝手な読み方をすることもまた、物語を読んでいるとはいえないのではないか。
第一節で紹介した、語り手、含意の作者という存在の伝えようとしていることに耳を傾け、物語の流れを追いながら、物語を解釈していくこと、そこに込められていると思われるメッセージ(『影をなくした男』の場合は金銭欲への戒め)を見出すことが真に物語を読むということになるだろう。
コンテクストとの比較分析や、現実の読者の抱える問題を物語に見出すことには、物語そのものを忘れさせてしまう危険性がある。このことは、また、分析的、批評的視点のもつ問題点ともいえよう。


参考文献

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