2002年度 谷川・山口ゼミ(卒論演習・ヨーロッパ文化論演習I・ヨーロッパ文学I演習合同授業)


(注意:これは学生の発表原稿です。無断転用禁止)


グループワーク:「表象」

担当:野田容子 竹中健裕 佐々木芙美子 久保知都 犬童有希子 寺田葉子

表象をめぐって 〜なぜ「表象」か?〜


序論:表象とは何か?..................... 野田容子

本論文のテーマは「表象とは何か?」である。「表象」(representation/Vorstellung)は本来は「物の形をありありと写し出すこと」を意味するラテン語repraesentatioに由来する語である。

「表象のディスクール」(東京大学出版会)の冒頭の「刊行に当たって」において、「表象文化論」という学問分野の目指すところが要約されている。

まず、表象は「対象的」ではなく「関係的」な概念である。英語でrepresentation「再-現前化」と訳すことが出来るように、「そこにはない、あるものを別のものであらわす」つまり、「代行」である。哲学的には「再現=代行」であるが、演劇的には、役者が自分自身ではない役を演じることで物語を現実の時空に再現する、「舞台化=上演」である。政治的には「代表制」と言い換えることが出来る。「関係的」であるゆえに、演劇、音楽では表現者が変わるたびに風合いは変わるし、同じ表現者でも毎回全く同じように表現することは出来ない。また、観客である個々の受け手の歴史的、文化的、心理的背景によっても、何の表象として受け取るかはまちまちである。これは、「作品」を完結した静的な物として捉えるのではなく、「創出」―「伝達」―「受容」という運動、プロセスとして捉えなおし、芸術家がいて、作品があるという二元的な考え方を廃する。

第二に今まで、文学や文芸の世界に傾きがちだった文化研究を脱して、「イメージ」の分析を中心に据えようとしている。よって、研究領域は広く、文学、絵画、演劇から映画、テレビ、マンガという、サブカルチャー、ポップカルチャーが魅力的なフィールドとなる。

第三に、「文化のポリティクス」を絶えず視野に入れること。例えば、演劇作品を分析する際、その脚本家が、生きていた国家のなかで何らかの政治的な影響を受けているという事を、忘れてはならない。人間は「政治的」な存在であることを考慮する必要があるということだ。文化そのものが、緒力の交差する政治的な葛藤の場である、という認識に立っている。

第四に主観的な印象批評ではなく、科学的で理論的で客観的な分析を行いたいという野心を持っている。

以上のようなおおまかな「表象」の理解を得た上で、私達は自分達なり「表象とは何か?」について考えてみた。

まず、「表象」という言葉は、人間の世界の中にあるものを対象にした言葉である。ただし、それは「芸術」という分野のみを対象とはしていない。歴史、風俗、風習、流行などは、「文化」の一部ではあっても「芸術」の一部とは言えない。

また“これは~の表象である”というわけだから、その対象にはある程度の定形がある。

芸術作品は、映画、建築、小説、絵画、全て定形を持つ。歴史や風習など、作品としての定形を持たない分野でも、ある程度の定まった形を見出し、それを対象としている。

 また“〜の表象である”ということは、それを通して、その向こうにあるものを知覚することである。その向こうにあるものとは、作品完成までの行程であったり、作者の意思や思惟だったり、歴史だったり、文化だったり様々である。そして、その全てに関わるもの、それは人間である。従って、その向こうにある様々な事象、その中心に人間の意思や思惟が存在する事象が存ずるものを、「表象」と呼ぶことが出来るかもしれない。その意思や思惟は、意識的な場合も無意識的な場合も、個人的な場合も、集団のものである場合もあるだろう。

 また「表象」とは、対象との距離のとり方に大きく関わるものである。その概念の使用によって、受容する側の鑑賞や批評に表現の広がりが生じると思われる。表象という作用が、主体と対象の間に置かれるという、概念上の操作によって、主体は対象との距離を意識せざるを得なくなる。そして、関係性を表す表象という概念に付随する「対象との距離感」をも言語化し、そこにある不明瞭な部分や、対象と主体との二者間で起こっている何かある出来事も困難を覚えずに表現することが可能になる。

 私達は、ここで「表象とは何なのか?」という問い自体を考えるのではなく、「なぜ表象という言葉を使うのか?」という観点から様々な分野における表象について、考えていきたいと思う。

第一章では、ドイツ・ロマン派後期の短編小説、アーデルベルト・フォン・シャミッソー作「影をなくした男(Peter Schlemihls Wundersame Geschichte)を例に、文学作品の中に、何らかの表象を見出すことの意義と問題点について言及する。

第二章では、映画における表象として、「アレキサンダー・クルーゲ『履歴』にみる現代ドイツ」の表象を取り上げる。

第三章では、絵画における表象として、世紀転換期ウィーンを代表する画家である、グスタフ・クリムトの絵画におけるエロティシズムの表象について取り上げる。

第四章では、「クイア文化に見られる表象」を取り上げる。

第五章では、建築における表象として、「記憶を芸術はどう表象できるかーリベスキントのユダヤ博物館に見るホロコーストの表象」を取り上げる。


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