2016年台湾総統選挙の見通し(3)

(3)

 台湾の総統・立法院のダブル選挙の投票日まで2か月を切った。9月から11月にかけて大小のサプライズが断続的に発生したが,候補者の支持率には大きな変化は見られない。蔡英文・民進党が優勢のまま1月16日の投票日を迎えそうだ。中盤戦から終盤戦に向かう選挙情勢を解説する。(2015.11.24記)

小笠原 欣幸




                        

 1. 蔡英文リード固まる

 6月に洪秀柱が国民党の公認候補に決まって以来,総統選挙の支持率は蔡英文がリードしていたが,8月に蔡の支持率が初めて40%を越え独走態勢に入り,洪秀柱は20%前後で低迷のままという構図が固まった(TVBS民意調査)。その要因は,穏健な現状維持を掲げる蔡に対し,洪の主張は極端な中華民国ナショナリズムであり,また,洪が独自の方式で選挙活動を進め国民党中央との連携がとれなかったことによる。
 6月の拙稿「2016年総統選挙の見通し(2)」で,「洪の位置が右に寄っているので洪の苦戦は免れないし,蔡にかなりの差をつけられる可能性もあることが予想できる。中間地帯に隙間ができるので,そこを狙って親民党主席の宋楚瑜が無所属で出馬するかもしれない」と書いたが,その通りの展開となった。8月には宋楚瑜が出馬を宣言し,洪秀柱の選挙情勢はさらに険しくなった。
 同時に進行する立法委員選挙の方でも,国民党にマイナスの動きが続出した。国民党の有力現職立法委員が相次いで再選を断念する意向を表明した。例えば,新北市第四選挙区の李鴻鈞(当選4回)は宋楚瑜支持を公言し,国民党公認候補としての出馬を取りやめた。他にも国民党現職の翁重鈞,張嘉郡,鄭汝芬,黄昭順,楊應雄,謝國樑,蔡正元,林鴻池が不出馬を表明した(後に鄭汝芬のみ翻意し出馬,黄昭順は比例区名簿に載った)。不出馬の理由は様々であるが,概して国民党の選挙情勢が厳しいので,あるいは選挙区で国民党候補として戦うことに嫌気がさしたので出馬を取りやめたと見なされ,国民党不利の観測が一層拡大する効果を伴った。
 親民党公認候補として出馬した宋楚瑜は,中間選挙民に照準を合わせ,若者の「台湾アイデンティティ」を肯定し,過去の国民党統治の反省を口にし,本人もイメージチェンジを図った。宋の選挙戦略は功を奏し,国民党に不満の支持者を引きつけ,当初は支持率が洪秀柱を上回って2位につけた。しかし,9月初旬に失策が発生する。
 台湾の連戰元副総統が9月3日の北京の軍事パレード閲兵に参加した。そこで誇示される兵器は台湾を威嚇・攻撃するために使われる武器であり,台湾では馬英九総統を含む多くの人が連戰の訪中に反対した。今年は「抗日戦争勝利70周年」ということで,台湾でも歴史認識をめぐる議論があった。李登輝元総統の「台湾は抗日戦争に関係ない」という発言をめぐっては,台湾の民意は「受け入れられない42%,理解し包容する41%」と,真っ二つに割れたが(TVBS民意調査2015.8.28 ),連戰の北京軍事パレード閲兵出席についてはほぼ一致して反対であった。しかし,連戰は閲兵出席を強行し,国民党の選挙情勢はただでさえ厳しいのに「雪の上に霜が降りる」状態だと評された(「連戰赴陸 藍操盤手:選情雪上加霜」『聯合晩報』2015.9.6)。
 このような状況で宋楚瑜は予定していた閲兵出席を取りやめ,代わりに親民党の秦金生秘書長を訪中させた。それは賢明な判断であったが,秦金生は閲兵の現場に行ったかどうかで言を左右にして,不信感を招いた。秦金生は台湾社会の強い反発を考慮して「北京にはいたが閲兵式典には出席していない」と説明したが,現場にいたことを示す写真が出てきた。宋楚瑜が懸命に作り出そうとした新しいイメージとは裏腹に古い権謀術数にたけた人物との印象が広がり(あるいはよみがえり),宋の支持率は下降に転じた。こうして波乱要因となる可能性のあった宋の参選の影響は薄れ,洪が支持率2位に復帰した。
 この間,蔡英文は着実に支持を広げ,改革と堅実をアピールする『英派』(圓神出版社)という本を出版し,10月10日の国慶節では馬政権発足後初めて式典に出席した。中華民国の建国を祝う国慶節は陳水扁政権時代には民進党関係者も出席は普通であったが,支持者の中には複雑な感情を抱く人もいる。馬政権登場後は,民進党の主だった人物は総統府前の式典に出席していなかった。蔡英文の出席は「中華民国憲法体制下の現状維持」という公約に沿った行動,そして台湾社会の和解を促進する行動として概ね好評であった。蔡英文と洪秀柱の支持率の差はじりじりと開いていった。

 2. 国民党候補者すげ替え

 国民党の総統候補決定は,7月19日開催の全国代表大会で洪秀柱が公認候補として正式に承認されたことで党内手続きはすべて終了した。ところが,党内では水面下で洪への不安・不満が広がり,候補者が交代するとのうわさが絶えなかった。洪秀柱は9月2日夜, Facebookで突如「寺にこもる」と表明し3日間姿を消した。実はこの9月2日には,新竹県新埔鎮の義民廟で祭事があり,洪秀柱と蔡英文が総統候補となって初めて同席する出来事があった。台湾メディアには,「両者が握手をしてなごやかにあいさつをした」という記事が掲載された(「蔡英文、洪秀柱首度同場 3度握手」『聯合報』2015.9.3)。
 筆者はこの現場にいた人物に話を聞いた。それによると,両者があいさつをした時の民衆の反応は,蔡に対しては熱烈で,洪には冷淡であったという。義民廟に集まるのは客家で,国民党支持者が多い。にもかかわらず,両者への反応は大きな差があり,それまでは聴衆の反応が悪くとも蔡と直接比較されることはなかった洪が選挙戦開始後初めて突きつけられた現実であった。台湾メディアではこのことは報じられていないが,洪が「雲隠れ」をしたのがこの日の夜であることを考えると,その引き金になった可能性がある。
 「雲隠れ」は朱立倫主席,李四川秘書長ら党執行部にはまったく知らされていなかった。この「奇策」は洪への関心を一時的に高める効果はあったが,国民党の選挙戦は大混乱に陥った。洪陣営との関係がすでにぎくしゃくしていた党執行部は怒り心頭に達し,ここから,「制度・規則に則って党運営を進める」と繰り返してきた朱立倫,李四川は前言を覆して候補のすげ替えを考え始める。
洪を引きずり降ろした場合,急遽リリーフに立てるのは呉敦義か王金平であった。しかし,どちらも党内実力者でありながら予備選挙出馬を見送ったことでわかるとおり,呉敦義は支持率が低く,王金平は党内に敵が多すぎる泣き所があり,それは変わっていなかった。立候補の正式の届け出は11月23-27日で,それをすぎるとまさに取り返しがつかない。結局,洪を降ろすためには朱立倫自らが出馬する以外方策はなかった。
 『聯合報』によると引き降ろし工作は次のように行なわれた。9月17日,朱が洪と面会し選挙経費の問題を話し合ったが,この時は交代の話は出なかった。9月22日,李四川秘書長が洪に面会し出馬辞退を求め,洪が退いた場合は朱が出馬する意向であることを伝えた。続く25日,朱立倫が直接洪に辞退を求めたが,洪は拒否した。当時この動きは外部には知られていなかった。洪はこの日「もし朱立倫が新北市長を辞任して自分の副総統候補になってくれたら大変うれしい」とメディアに語ったのだが,背後で洪がまさに朱から辞退を迫られていたことを知るとものすごく挑戦的な発言であったことがわかる。
 そして,10月3日,朱は最後の説得を試みたが洪は応じなかったので,朱らは臨時の党代表大会を開催し洪の公認を取り消すという動きに踏み切ったのである(「三度勸退洪秀柱 換柱過程内幕曝光」『聯合報』2015.10.6)。党執行部が正面突破で攻勢に出ると党内の大勢は一気に決まり,洪陣営には面子を保って引く選択肢しかなかった。
 10月7日の中央常務委員会で10月17日に臨時党代表大会を招集することが決まると党内は「洪から朱への交代」が既定事実となった。そして17日の臨時党代表大会で,朱立倫が正式に国民党の公認候補に決まった。投票まであと3か月となった時点での候補者差し替えである。臨時党大会の団結のパフォーマンスとは裏腹に,党内では洪を支持した人,党内手続きを重視した人,ドタバタ劇に失望した人たちの気持ちが深いところに沈殿した。これは異常事態であり,国民党は「崖っぷち」ではなく「崖から落ちて重傷を負った」のである。

 3. なぜ洪を降ろしたのか

 洪秀柱が国民党の総統候補に浮上してから4か月近くが経過し,洪は総統候補としての資質・魅力を欠いていることが明らかになったと言える。朱立倫執行部が洪を交代させる決断をした理由は,①支持率低迷,②路線問題,③選挙活動の進め方,④選挙後の主導権,の4つにまとめることができる。

①支持率低迷
 10月3日のTVBSの報道によれば,国民党の内部民意調査は「蔡英文45%,洪秀柱13%」 であったという(宋の数字は報じられていない, 「輸慘了! 藍内部民調:洪秀柱13%、蔡英文45%」[TVBS NEWS])。 9月下旬から10月初めの各種民意調査を総合すると,このまま蔡英文,洪秀柱,宋楚瑜の争いで投票日を迎えれば,蔡はおそらく最低でも55%の票を得て当選,場合によっては60%到達も考えられる状況であった。宋の得票率を10%と仮定すると,洪の得票率はせいぜい35%,下手をすると30%程度で終わる可能性があった。
 国民党にとって,総統選挙の負けはもはや仕方がないが,立法委員選挙での惨敗は何とか回避したい。しかし,同日選挙で両者を切り離すことは容易ではない。同じ日に票を投じるので,総統選挙も立法委員選挙も同じ政党の候補に入れる選挙民が多い。投票先の党を分けるのは,一部の理由がある選挙民だけである。日本の学術用語では「分割投票」,台湾では「分裂投票」と呼ばれる投票行動である。
 前回2012年の事例を見ると,選挙区の国民党候補で馬英九の得票率を最も大きく上回ったのは,嘉義県第一の翁重鈞である。翁は選挙区で固い後援会組織を擁し票固めの手段があるので,総統選挙では蔡英文に入れた選挙民からも票を得て当選することができた。しかし,その翁でも分割投票で積み増しができたのは11.46ポイントであった(嘉義県第一選挙区の翁重鈞の得票率は50.31%で,民進党候補をわずかに上回って当選,同選挙区での馬英九の得票率は38.85%で蔡英文に大きく負け越した)。今回は国民党の選挙情勢が厳しく,分割投票に期待をかけてもそれによって逆転できる範囲には限界がある。翁は当選の見込みがなくなったので再選出馬を断念した。戦う前から結果は明らかなのである。
 全73の選挙区での国民党候補の得票率が5ポイント低下,民進党が5ポイント上昇すると仮定し機械的に試算すると,選挙区での国民党の議席は前回の44議席から25議席に転落する。原住民で5議席,比例区で13議席取れたとしても計43議席にとどまる。これは洪の得票率を35%と仮定しての計算である。これでさえも,分割投票が大きめに発生するという国民党に有利な条件での計算である。分割投票の規模が期待ほどでなければ,試算では国民党は38議席に転落する。
 国民党の候補者らが選挙区の現場で感じていたプレッシャーの大きさは想像に難くない。このままでは国民党は集団自滅に向かうという危機感から党内では「換柱」(洪おろし)の期待とうわさが流れ続けたのである。

②路線問題
 洪は「率直な発言」が魅力とされていたが,失言・配慮の欠けた発言が相次ぎ,ネットの話題に事欠かない。6月18日,洪は「王金平が引き続き議席を持つ唯一の方法は選挙区から立候補することである」と言い放ち,王の支持者を刺激した。「一中同表」発言は,馬政権の「一中各表」を否定するもので,これは失言というより信念の表明であるから影響はより大きい。朱立倫執行部は,7月にやっとのことで洪に「一中同表」を封印させた。
 9月30日,連勝文を副総統候補に推す声があることについて,洪は「不要開玩笑……我不是笨蛋!」と語る失言があった。これは東森新聞のインタビューで,洪の発言の原文は,(連勝文の名を出してきたのは自分の支持率の一層の低下を狙った罠であり)「自分はその手に乗るようなバカではない」という意味で語ったのであるが,「自分は連勝文を副総統候補にするほどバカではない」という発言として報じられた。意味するところはわかるが,こう言ってしまうと藍陣営の連勝文支持者も敵に回すことになる。蔡英文にもいろいろ細かい失言があるが,洪秀柱のおかげで目立たずにすんでいる。
 10月2日,今度はラジオのインタビューで「馬英九提的九二共識一中各表、不統不獨不武、維持現状,已達階段性任務」(馬英九が提起した92年コンセンサスの一中各表,統一せず・独立せず・武力行使せず,現状維持は,すでに段階的任務を達成した)と述べた。これは,「92年コンセンサス」の段階的任務は終わりで再進化が必要という例の「一中同表」の考えそのものである。洪はさらに,「中華民國憲法本來就是終極統一,最後還是要統一」(中華民国憲法は本来究極統一の憲法であり,最後にはやはり統一しなければならない)と発言した。これは中華民国憲法についての解釈ではあるが,「最後にはやはり統一しなければならない」と述べているので「究極統一の主張」として報じられた。
 洪の究極統一発言は,失言ではなく確信的言動である。洪陣営には王金平を否定するだけでなく馬英九や朱立倫の立場も否定したい思惑があるのであろう。こうなると,選挙で当選しようという政治家の選挙戦略ではない。中間向けに台湾アイデンティティを主張して40%取るよりも,はっきり中国ナショナリズムを主張して30%取った方がましだというナショナリズムの運動論を感じる。それでは「たまらない」と党内で洪への不満が高まるのも無理はない。
 洪がこれほどの信念を持っていたとは驚きである。2008年に洪に面会したが,その時はこのような印象は持たなかった。おそらくは張亞中ら統一派のブレーン集団の理論に乗ったのであろうが,それにしても乗ったのは本人の意思である。党内の中国ナショナリズムの支持者は洪の言動に好感を抱き,反発する本土派との間で路線論争が爆発しそうな状況になった。朱立倫は洪を交代させる理由として,この「洪の路線は国民党の路線と異なる」からだと述べて収拾を図った。

③選挙活動の進め方
 洪秀柱は路線で国民党の主流とズレがあっただけでなく,選挙の方法も自分のやり方にこだわった。立法委員選挙で小選挙区制が採用されて最初の選挙である2008年以降,総統候補と立法委員候補がそれぞれ選挙区でタイアップした活動を展開するが基本的な選挙戦術となった。蔡英文は民進党が候補を立てている選挙区では相乗効果を狙い,スケジュールを調整し必ず共同の活動を行なっている。国民党も馬英九が候補であった2008年,12年は同じやり方であった。ところが洪秀柱は,地方に行くときも事前の調整を行なわず党関係者に一方的に通知するだけであった。地元では「洪陣営は勝手」という不満が鬱積した。
 洪秀柱はまた,選挙資金は「党中央から一銭ももらわない」と宣言し,小額の寄付を募った。蔡英文陣営は「子豚の貯金箱」で知られているように小額の寄付金を大量に集めるのが得意で,5月から11月の間に4億台湾元(約15億円)の資金を集めた。しかし,洪秀柱の集金力は比べるべくもなかった。党中央の金は受け取らない,自分で集めるにも限界があるということで,すぐに選挙活動の経費をだれが払うのかで内部対立が始まった。地方では「洪の活動のため人を集めたのに全部自前で払うように言われた」という不満が募った。
 洪陣営には従来型の選挙のやり方を脱却したいという理想があったようであるが,国民党にはその用意はなかった。こうしたことが重なり,洪が地方に行っても一部の熱心な洪ファンが喜ぶだけで,党の組織的選挙活動は沈滞した。国民党はまさに「選挙にならない」状態に陥り,洪に続けさせるわけにはいかなくなったのである。「換柱」を主導したのは朱立倫よりも李四川秘書長だという報道があるが,テクノクラートタイプで党組織を預かる李秘書長が「洪では選挙を戦えない」と割り切って決断したというのは肯ける(「挺柱、換柱都靠他李四川」『新新聞』2015.10.22-28)。

④選挙後の主導権
 だが,いまになって朱立倫が出るのなら「なぜ5月の予備選挙に出なかったのか」という問いが付きまとう。そして,洪秀柱をうまく引きずり降ろしたとして,洪をどうあつかうのか非常にやっかいな事態になる。洪は,党の正式のプロセスを踏み正式に公認候補に選ばれたのであるから,換える正当性はない。朱立倫は,洪を降ろせばその副作用も大きいし,そもそも自分が出ても勝てないこともわかっていたはずである。それが証拠に,朱立倫は負けても新北市長の椅子は守れるように,市長を続けたまま「(選挙期間の)3か月間休暇を取る」という方式を選んだ。つまり,市長を辞任して総統選挙に出馬したらすべてを失うので,「背水の陣」をひかないで決戦に臨むということである。
 いまになって出馬するということは,自らの計算の狂いを認めることに他ならず,非常にみっともないことである。それにもかかわらず出馬したのは,選挙後の党運営の主導権を狙ってのことと推測することができる。1月16日の敗北の夜から,党内では激しい主導権争いが展開される。もし洪秀柱が候補を続けていたら,洪が選挙戦のプロセスで深藍の支持を固め,自分は落選したにもかかわらず朱立倫の責任を追及し朱一派を清算する動きに出る可能性があった。
 朱立倫としては選挙戦の主導権を取り戻し,立法委員の当選者を1人でも多く上積みしたかった。立法院の過半数を失うにしても50議席前後なのか40議席前後なのかで敗北のインパクトがまるで違ってくるし,朱の責任の追及のされ方も異なってくる。落選しても党主席の地位を守る,ないしは主席は辞任しても2020年に向けて勢力を温存するためには出馬するしかなかったと考えられる。

 4. 「私は来るのが遅かった」

 国民党はこれで正常な選挙戦を展開できる態勢になったので,その点ではプラスである。だが,回り道をしてようやくスタートラインに戻ってきたにすぎない。蔡英文ははるか先を走っているし,自分は傷を負い追いかける時間も体力も限られている。朱立倫にとっては,すべての計算が狂ったなれのはての局面である。いまになって「朱立倫が総統選挙に出ると思っていた」と言う人がいるが,それはこのプロセスをまったく理解しない発言である。
 副作用も予想通り大きかった。党の定めた手続きに従って選ばれた正当な候補者が党執行部によって引きずり降ろされるというのは支持者にとって気分のよいものではない。特に,洪の支持者,および,党内手続きを重視する人たちは党への批判と幻滅を強めた。国民党の重要人物である陳長文は「このような国民党は倒れた方がましだ」という文章を『中国時報』で発表し大きな反響を呼んだ(「這樣的國民黨 還是倒了好」『中國時報』2015.10.16)。
 11月9日,朱立倫の宣伝ビデオ第一弾が公開された。その冒頭の言葉は「すいません,わかっています,私は来るのが遅かった」。締めくくりが「必ず間に合う」であった。日本でも「お詫びから入る選挙は苦しい」と言われるが,これは宣伝ビデオでありながらまさに朱の苦境を如実に示すものとなった(YouTube ビデオ 「ONE TAIWAN。一定要來得及。」 2015年11月9日公開)。
 国民党の候補が洪から朱に換わった効果を検証する間もなく,最大級のサプライズ「中台トップ会談」の開催が発表された。


10月10日の国慶節の式典に総統候補が顔をそろえた。 朱立倫と蔡英文が言葉を交わす珍しいシーン。
この時点では国民党 の公認候補は洪秀柱であったが「洪おろし」がすでに始まっていた。
知人提供の画像につき転載禁止 (2015年10月10日撮影)

 この文章は11月24日に書き終えていましたが,26日から30日までの台湾出張でUPが
延びてしまい,加筆修正をしてようやく完了することができました。(2015.12.4記)


こちらもお読みください       
2016年台湾総統選挙の見通し(1)
2016年台湾総統選挙の見通し(2)

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