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台湾地方政治 雲林県の動向 2009年

蘇治芬県長と張派の闘い

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 東京外国語大学
小笠原 欣幸

 雲林県で初めて民進党籍の県長が登場して早くも3年半が過ぎた。この12月には蘇治芬の再選をかけた県長選挙が行なわれる。国民党は張榮味の妹張麗善を公認候補として擁立した。両者とも県内の知名度は非常に高く,実力も五分五分である。民進党の蘇治芬が県政を死守するのか,それとも地方派閥・張派が奪回するのか,激しい選挙戦となることが予想される。もともと雲林県は,北部・中部が地盤の国民党陣営と南部が地盤の民進党陣営とがぶつかる場所であり,台湾政治の底流を測るうえで非常に重要な県である。年末の県市長選挙においては,最激戦そして最も注目を集める県となるであろう。「張榮味県長の末路 (その1)(その2)」もご覧ください。 フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 張榮味派の勢力
2008年立法委員選挙 雲林県の投票結果
選挙区
候補者
所属
得票数
得票率
 
第一
張嘉郡
国民党
8657156.24%
陳憲中
民進党
6492142.18%  
蔡桓生
無党籍
1648 1.07% 
黄山谷
緑党
7790.51% 
第二
張碩文
国民党
7913849.11%
劉建國
民進党
6170338.29% 
尹伶瑛
無党籍
1728210.73% 
廖珪如
第三社会党
20551.28% 
黄國華
無党籍
4990.31% 
張昆煌
無党籍
4540.28% 

 張派のボス張榮味は,県長在任中の2004年に指名手配の後,逮捕・収監され,その影響力は低下するものと思われた。しかし,張派の勢力は衰えていない。張派の実力者を挙げておくと,雲林農田水利會の張輝元会長(立法委員張碩文の父親で張榮味の長年の後援者),台湾省農會の張永成総幹事(張麗善の夫),雲林県農會の林啓滄総幹事(張榮味の秘書出身,2009年4月台灣省漁會総幹事に転進),県議會議長蘇金煌,そして軍師(アドバイザー)として黄逢時らがいる。このほか,県内郷鎮農會の総幹事の多く,郷鎮長の多くも張派である。なお,水利會の張輝元は姓が同じ張なので,張榮味の親戚だと勘違いしている人が台湾でも多いが,張輝元は莿桐郷の張家,張榮味は土庫鎮の張家で,両家は政治的盟友関係であるが姻戚関係はない。雲林県の国民党系地方派閥は,かつては5派閥あったが,瓦解したり張派に吸収されたりで,対抗勢力として残っているのは許派だけである。許派の二代目当主許舒博は,立法委員当選4回と実力をつけてきていたが,2005年の県長選で蘇治芬に破れ,その後は,2008年1月の立法委員選挙で連続当選を目指すも,雲林県第二選挙区の公認争いで張派の張碩文に敗れ,勢力が弱まりつつあるように見えた。
 2005年の県長選挙は民進党の蘇治芬と国民党の許舒博の一騎打ちで,蘇治芬が当選した経緯は「張榮味県長の末路(その2)」ですでに書いたが,その後,県長選の内幕がしだいに明らかになってきた。張派は表向き国民党公認の許舒博を支援していたが,全面的な票固めはせず「自主的」な投票を派内で許したようだ。張派の一部が密かに蘇治芬に票を回したであるとか,張派の一幹部が「選挙資金が足りないだろうから」と金銭を蘇治芬に渡し,蘇治芬が選挙後その金を返したとかいう証言が関係者から出てきている。地方政治における県長ポストの重要性は言うまでもないことだが,このポストを対抗勢力に握られるというのは地方派閥にとって死活問題となる。張榮味にとっては,黒金批判をして対立してきた蘇治芬も,ライバルの許舒博もどちらも敵であるが,比較考量の上,許舒博の当選を阻止したほうが有利だという判断があったようだ。ただし,派として蘇治芬支持で動いたというわけではなく,一部幹部が自主的に蘇治芬についたというのが真相のようだ。この事例は,地方派閥間の怨念と対立の根深さを示すもので,これも台湾の地方政治の特徴の一つなのである。
 2008年1月の立法委員選挙で,張派の強さが再度示された。雲林県第一選挙区では,張榮味の長女張嘉郡が当選。雲林県第二選挙区では,張榮味の機要秘書出身の張碩文が当選した。第一区の張嘉郡は弱冠28歳で,最年少当選者となった。相手候補は民進党の現職陳憲中で,知名度も高く蘇治芬県長が全面的にテコ入れしていた。筆者は張嘉郡の選対本部幹部から話を聞いたが,選挙の支援態勢は,張榮味の県長選挙,張麗善の立法委員選挙の時と同じで,候補が違うだけであった。第一区は雲林県の海側の郷鎮から成り,張榮味の地盤の虎尾鎮,土庫鎮,東勢郷,蘇治芬の地盤の北港鎮,水林郷を含む。この立法委員選挙は,事実上,蘇治芬vs張麗善の前哨戦であった。
 第二区は,緑陣営が分裂し,民進党の劉建國(県議)と台聯を離党した尹伶瑛(現職)が無所属で参選し,張碩文と三つ巴の闘いとなった。尹伶瑛は,劉建國の選対本部の真向いに選対本部を構え,両者はビラで非難の応酬を続けた。表面的には緑陣営の分裂で張碩文が楽勝するようにも見えたが,実態はそうではなかった。劉建國は,若手の県議ながら社会的弱者支援の活動が県内でも評価され,蘇治芬の支援も得て,張碩文を脅かしていたのである。張派は大規模な買票工作によって当選を確実にしようとしたようだ。張碩文の父親が会長を務める水利會は,1票500元で買収するため大量の500元札を用意し,組織的な買票を行なった。これはあまりにも大掛かりな買収工作であったため,投票日の前から検察が察知し内偵を開始した。選挙後,水利會の職員が次々に摘発され,ついには70歳の張輝元会長が逮捕・起訴された。
 第一区と第二区の張派候補の得票数を合計すると,県全体で軽く過半数を超える。張派はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いであることが数字で示された。台湾全体で民進党が劣勢であること,蘇治芬の県政評価が芳しくないことを加味すると,2009年12月の県長選での張派の優位は確定したように見えた。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 蘇治芬の県政

 さて,蘇治芬の3年半の県政を短くまとめることは容易ではないが,実績と課題に分けて整理してみる。蘇治芬の選挙公約は「農業首都」であった。県の主要産業は農業であるし,選挙も農業に関する組織(水利會,農會)を中心に展開する。しかし,農業振興は「言うは易く,行なうは難し」である。主力のにんにく,ピーナッツ,柳丁(オレンジ)はいずれも生産過多で価格が低迷している。特に,柳丁は近年豊作が続き価格低下が著しく,廃棄,廃園,生産調整,抗議活動があり,県政府も批判を受けたし,馬総統も現地視察をするなど,政治問題化している。
 柳丁の消費の拡大について,蘇県長は,台湾全体での抽象的な消費拡大だけではなく,県内の具体的な販路開拓に取り組んでいる。県内の全小中学校の給食で柳丁ジュースを出すよう現在取り組んでいるところだ。県政府は,料理の食材に柳丁を使う新しいアイディアも多数提起している。また,斗六市の街角の飲料店はどこも地元産の柳丁をその場で絞ったジュースを販売するようになっている。これは一つの成果と言える。実際飲んでみるとかなりおいしく,輸入オレンジジュースよりも上ではないかと感じる。しかし,その消費拡大効果は部分的であり,一挙に問題解決とはいかないことも確かである。
 救世主と期待されているのが柳丁の中国向け輸出である。これは,県政府も支援しているが,実際には張派が中心となって取り組んでいる。中国側は政治的な意図で,雲林県の柳丁の買い付けを何度か実施している。市場ベースでは,中台の価格差が大きすぎて成功しないという否定的見方が強いが,雲林県農會の林啓滄総幹事は,県の生産高の例えば1割を輸出に回すことができれば,台湾の市場取引価格を下支えすることができるという効用を強調する。林総幹事は,台湾の農産物は台湾での消費が中心であり,中国向けの販路拡大は台湾の市場価格維持のため進めているのであって,中国市場向けに切り替える政策ではないと,現実的な意図を説明する。民進党中央は,台北で頻繁に記者会見を開き,中国の買い付けは政治的意図によると批判し,そもそも中国市場売り込みは成功しない,農會が発表している実績は事実と異なると批判するが,同じ民進党の雲林県政府はそれには同調していない。中国にとってはまったく微小な量であっても,市場規模の小さい台湾にとっては影響が大きい。この中台の経済規模の非対称は,雲林県で非常に敏感に感じ取れる。
 中国への売り込みでは農會(張派)に遅れをとっていた蘇県長であったが,2008年総統選挙後,積極的に巻き返しを始めた。蘇治芬県長は,2008年4月にマカオでの売り込み活動に続いて,2008年7月,中国への売り込みの先頭に立った。北京を訪問した蘇県長は,太平洋百貨店および北京の卸業者と雲林県産農産物の販路拡大の協定を結んだだけでなく,中国の商務部と検疫局を訪問した(「促銷農特産 雲林縣長成功達陣」『聨合報』2008.7.19)。民進党籍の陳菊高雄市長が2009年5月に訪中したことは広く注目されているが,実は蘇県長の方が先を行っていたのである。
 この他にも蘇治芬県長は,様々な方法で県の農産物のアピールを続けている。県の名産品を紹介・販売するホームページの整備という地味な活動から,雲林県コーヒー祭り,柳丁祭り,スイカ祭りのようなイベントまで,また,県産レタスの日本への売り込み,シンガポールでの雲林県農産物展の開催(2008年12月)など,2008年以降は非常に積極的である。2008年10月17日には,台湾最高峰の玉山に県の農産物を担いで登頂を果たすというパフォーマンスも見せた。
 蘇治芬の就任から2年間は県政の運営がぱっとしない状態が続いた。これは県政掌握に一定の時間が必要であったこと,折からの立法委員選挙・総統選挙とぶつかったことが要因として指摘できる。加えて,就任当初県幹部人事で躓いたことも大きく響いた。幹部の登用・更迭が何度もあり,不安定な印象を与えた。例えば副県長の林源泉は,斗六市の代理市長,そして教育處長へと異動した。肝心の農業の担当者も2年で2回交代した。蘇治芬の資質が疑問視され,民意調査の満足度も低迷していた。しかし,就任から2年経って,県政府の幹部人事で優秀な若手が大幅に起用され,ようやくチームとして機能し始めたようだ。若手登用の象徴は,問題となっていた農業處長を公募し,31歳の呂政璋を採用したことである。2008年2月に着任した呂政璋は,創意工夫を発揮し県の農政推進に勢いを持ち込んでいる。上に挙げた蘇治芬のパフォーマンスはかなりの部分が呂のアイディアだという。
雲林県政府農業處長呂政璋
呂政璋・雲林県政府農業處長
 今や県政府の主要幹部は30歳代40歳代となり,教育處長の林源泉は,50歳でありながら相当の長老級になってしまった。若手幹部の多くは雲林県の出身で,長らく雲林県を離れて仕事・専門職に従事し,また戻ってきたという人材が多いという。地方政治という性格上,地味な政策が多いが,いずれも県の発展に欠かせない。例えば,タオル生産は雲林県の伝統的な製造業であったが,中国から安価なタオルが大量に輸入されるようになり,県内で倒産する工場も出た。県政府は,タオル地でケーキやお菓子のように見せる製品の開発を支援し,販路の拡大を後押ししている。台北のデパートでも“made in 雲林”の製品を見ることができる。地元の文化芸術の推奨・支援活動にも力を入れているし,小中学生への郷土教育,その一環として郷土に関する作文コンクールの主催など,多方面での取り組みが見られる。蘇治芬の前半の2年間と比較して,後半の2年間は再選戦略が視野に入ってきたこともあって,活況を呈していると言えるだろう。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 県政の課題

 しかし,当然のことながらよいことばかりではない。課題も大きい。 県政の推進は,@財政構造による制限とA県議会からの牽制により,非常に難しい状況にある。雲林県は台湾の県市の中でも財政問題が深刻で,経常的支出ですら財源不足に陥っているので,新規の独自政策を展開する余地は小さい。蘇治芬にいかにアイディアがあってもそれを実行するのは困難なのである。県議会の状況も非常に厳しい。民進党系の議員は定数43名の県議会の中でわずか6名と圧倒的少数派で,残りは張派と国民党系が占めている。県議会では何度も県長と張派議員との激しい衝突があり紛糾を繰り返している。その一方で,県の予算や県政府提出の条例案は県民の生活に直接関わるため,張派・国民党系議員も何でも否決というわけにはいかず,そのつど対立と調整を経てようやく可決されている。
 蘇治芬県長は,台湾プラスティックの巨大な第6プラントが県内で操業しているにもかかわらずその税金が中央に吸い上げられていることを批判し,環境税の導入構想を発表した。環境意識の高まりで,台湾プラスティックのプラントから排出される排気・排水の影響を評価して企業に負担を求めていくというのは大きな潮流であるが,台プラ側は反発している。県政府は,既存の法令を活用して,小額であるが台プラの原油タンクに家屋税を課すことに成功した。一方,県の工業の発展のためには台プラに一層の県内投資を要請していかねばならないという現実がある。この難しい舵取りをどうするのか,まだゆくえは見えていない。
 豪雨による河川の氾濫は毎年のことであるが,治水対策は,蘇治芬にとって得意な分野ではない。2008年7月には台風による大規模な水害が発生し,沿海部のかなりの地区が浸水し莫大な被害が発生した。馬政権登場後,中央政府は内需拡大政策により治水予算を突如増やしたが,地方にも工事発注の手順や事情があり,ずれがあった。このため国民党からの批判を招いている。蘇治芬は,過去において地方派閥と建設事業の不透明な結びつきを批判してきた経緯があり,治水事業に必ずしも積極的でない印象がある。しかし,被害を受ける地域の人や,建設業の人にとっては非常に関心が高いテーマである。
 台湾新幹線の虎尾駅の建設も地元では大きな関心事項である。県選出立法委員林明義(張榮味と同じ地方派閥出身)の奮闘で,新幹線の計画策定の際,雲林県にも駅が建設されることになった。県中央の虎尾では用地の買収も済んでいる。2010年工事開始と発表されているが,すみやかに実現するのかまだ不透明である。地元の期待は高く,これについては,虎尾駅建設を長年訴えてきた張派にやや分がある。
 蘇治芬県長は,県内の福祉関係事業,社会的弱者を支援するボランティア団隊,女性・子供に関わる市民団体などの活動にこまめに出席し,大型の予算はつけられないが,小規模の予算を配分して激励を続けてきた。これを就任以来続けてきたのでそれなりの実績になっているが,票の数という点では県内の伝統的集票組織である水利會・農會などにはるかに及ばないので,再選に寄与するのかどうか不明である。また,相手候補の張麗善も公益活動の経験があり,社会的弱者への支援を重視する姿勢を見せている。地方派閥の候補といっても大型建設をどんどん推進することを公約する候補というタイプではない。この時代の変化・政治環境の変化を嗅ぎ分ける能力は張派の強みである。
 さらには,張榮味失脚の原因となった林内郷のゴミ焼却炉をどうするかという問題がある。ゴミ焼却炉の操業を認めないというのが蘇治芬の公約であったので,焼却炉は完成しているが操業されないままである。林内焼却炉のゴミ処理は民間に建設と営業を委託するBOT方式のため,建設業者が県政府に賠償を求めトラブルとなった。これは,商務仲裁に持ち込まれ,焼却炉が操業されないことによる損失について,県政府が3分の2,業者が3分の1負担するという仲裁の結果が出た。県政府としては操業を開始せざるを得ない状況になりつつある。しかし環境影響評価のやり直しを求める行政訴訟では地元の林内郷が県政府相手に勝訴するという事態になっており,かつてこのゴミ焼却炉建設に反対した蘇治芬にとって,県長としてゴミ処理をどうするのか,焼却炉をどうするのか,非常に複雑な問題になっている。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 揺れた蘇治芬

 今や蘇治芬は再選をかけて闘いの最前線にいるが,その道は平坦ではなかった。伝聞によると,蘇県長は,2008年1月の立法委員選挙で右腕・左腕の2人(陳憲中と劉建國)が落選し,大きなショックを受けたようである。2月の春節の県政府主催新年会では恒例の県長談話を発表せず,途中退席してしまったとのことである。予備選挙の時から支援した謝長廷も総統選挙で大敗したことで,2008年前半,一時的に県政および再選に自信を失ったようだ。蘇治芬は,自分は一期で退任し,李應元を後継候補とすることを一旦は決意した。李應元は雲林県崙背郷の出身で,海外で台湾独立運動に参加し,独立派の著名な活動家となった。帰国後は台北県選出の立法委員を務め,陳水扁政権では,行政院秘書長などの閣僚ポストを歴任した。しかし,雲林県での目立った政治活動はない。陳水扁の後継を決める予備選挙で李應元は謝長廷の公認獲得で中心的な役割を果たし,同じく謝長廷を支持した蘇治芬と交流が深まり,そのコネクションで蘇治芬は李應元に着目したようである。
 蘇治芬は,自分の後継という含みで,李應元を副県長に招聘し,2008年7月1日付けで李は副県長に着任した。しかし,蘇治芬が自分の支持者らにこの構想を打ち明けると,支持者らは大変な反発を示し蘇治芬に撤回を迫ったようである。民進党内にも国民党ほどではないが地方派閥があり,蘇治芬の支持者らは,こぢんまりとした蘇派を形成している。その蘇派からすると李應元は「よそ者」であり,ボスの決定であってもとうてい受け入れられなかったのである。現実的には,蘇治芬でも再選が危ないというのに,地元に縁が薄く特に人気が高いわけでもない李應元ではますます勝てないという判断もあったであろう。蘇治芬はしだいに説得されて,自分がやるしかないという気持ちに傾いていったようである。9月には,李應元後継破局説が新聞で報道されるようになった。李應元は話が違うと思い,密かに副県長の辞表を蘇治芬に提出した。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 蘇治芬の逮捕

 中国の陳雲林・海協會會長一行が訪台し台北で江丙坤・海基會董事長との会談が始まろうとしていたその時,雲林県では大事件が発生した。2008年11月4日,雲林地検は収賄容疑で蘇治芬県長を逮捕した。地検は内偵捜査を進めていたようだが,現職の県長に対し,事情聴取を一度もしないでいきなり身柄を拘束するというのは異例の展開であった。蘇治芬も異例の反応を示した。蘇県長は収監される際,手錠をかけられた手を高く掲げて抗議の意思を示した。検察の拘留申請を審理した雲林地方法院は,600万元の保証金で保釈を認める決定を下した。ところが蘇県長は,そもそも自分は潔白だとして保釈を拒否した。通常被告人は身柄拘束を一刻も早く解かれたいため,保釈金を払えない人は別にして,保釈が認められれば保釈金を払いすぐに拘置所を出る。保釈を拒否して拘置所に留まるのはまったくの異例の行動である。蘇県長は,同時に抗議のハンストを始めた。高血圧の持病を抱える蘇県長は,食事は一切拒否し水だけで過ごした。4日目には相当衰弱し,拘置所は強制入院を決定した。蘇県長は食事も注射も拒否したが,ハンスト5日目についに昏睡が始まり,病院側は生命の危険があるとして強制的に治療を開始した。見舞いに訪れた人の多くが,蘇県長の身体の衰弱に衝撃を受け涙を流すなどしている様子がメディアで報じられている。拘置所に戻った蘇県長は再びハンストを始め,拘置所は再び強制入院させた。その間,雲林地方法院は審理をやり直し,保釈金を免除しての保釈を決定した。裁判所は当初保釈金が必要と判断していたのに,それを自ら取り消したわけで,裁判所も動揺していたことが伺われる。
 ところで,蘇治芬の逮捕の容疑は,斗六市内のゴミ処理場の操業許可に便宜を図る見返りに500万元受け取ったというものだ。張榮味が捕まったのが林内郷のゴミ焼却炉建設をめぐる収賄であるから同類の事件ということになる。皮肉なことに,張榮味の汚職容疑を追求していたのが当時立法委員であった蘇治芬であった。台湾の地方政治の構造を考えると,県政府および県長の権限が大きいこと,国民党も民進党も政治家は金が必要であること,県長周辺には怪しい人物が近づいてくるという実態が変わらずにあるので,事件の構図自体は必ずしも意外とは言えないし,この強制捜査で,県の環境局長が業者から50万元受け取ったことを認めているので,県政府内で汚職があったことは確度が高いと思われる。検察は,蘇治芬が否認のまま起訴に持ち込み,悪質な汚職であるとして懲役15年の求刑を起訴状に盛り込んだ。
 検察が示した事件の構図は,次のようなものである。2002年に7000万元を投じて斗六市にゴミ処理場を建設したm美環保公司は,操業許可がなかなか下りないため,蘇治芬と親しい業者仲間の葉安耕に口利きを依頼した。2006年9月,葉は蘇県長に面会し500万元の小切手を渡したが,蘇県長はその場で小切手を葉に返した。その後業者は,500万元の賄賂を300万元に値切った。一方,蘇県長は,2007年6月から2008年1月にかけて自分の有力支持者(椿脚)の陳勇兆を葉のところに派遣し,葉が保管していた300万元の小切手のうち,275万元を賄賂として受け取り,25万元は葉に返した。陳勇兆はその275万元を民進党の2人の立法委員候補陳憲中と劉建国に渡した,というのである。つまりは,業者からの賄賂は,蘇治芬の有力支持者に渡り,その金はそのまま民進党の立法委員候補への寄付となった。この事件の最も難しい部分は,検察の主張においても,業者からの金が蘇治芬には渡っていないことである。
 蘇治芬の有力支持者の陳勇兆は,もともと県内で民進党に金銭的支援をしているから,立法委員選挙で民進党候補に寄付をしたことは不思議なことではない。蘇治芬側は,自分は新規のゴミ処理場の設置は認可しない方針だが,これは前任者時代からの案件であったので,慎重な審査の末認可したことは何の問題もないと反論する。陳勇兆は,業者から金を受け取ったことを否定し,民進党候補への寄付は,応援のため自分が金を集め寄付したもので,業者とも蘇治芬とも関係ないと主張している。蘇治芬が陳勇兆に金を受け取らせたという検察側の主張が,果たして立証されるのかどうか。検察が主張する金の流れがあったとしても,それは蘇治芬を迂回したものであり,職務権限と代価との関係は遠いものになるのではないか。贈収賄として成立するのかどうかかなり疑問だと言えよう。検察は,また,病院建設をめぐって国民党の県議(副議長)が業者から金を受け取り,蘇治芬に対し許可をすみやかに出すよう要請したことも起訴状に加えた。これも,蘇治芬に金はわたっておらず,見返りは,県議会で国民党系議員が蘇治芬に協力することであったとされていて,実に複雑な案件である。
 事実関係の究明および収賄になるのかどうかの審理は裁判で争われることになるのだが,2008年11月に検察が起訴してすでに半年以上が経過しているのに,いまだに裁判が開始されていない。蘇県長は2009年4月に,自身の潔白を主張する場である裁判を早く開くよう要請したが,なおも裁判は開かれていない。理由は不明であるが,これも異例の展開である。台湾の汚職裁判は,裁判所の判例の積み重ねが十分ではないため判決が二転三転することが多く,この裁判も紆余曲折を辿るのかもしれない。検察官の独自性の余地が大きいことも,台湾における汚職事件の捜査に十分な確実性が欠けている印象を与える要因になっている。
 民進党はこの事件の最中の11月19日,蘇治芬を次期県長選挙の公認候補とすることを決定した。しばらく入院治療を受けていた蘇治芬は,11月24日県政府に出勤し,職務を再開した。蘇治芬県長は,2008年12月19日,就任3周年の記者会見を開いた。これは県政府の幹部も全員出席し,それぞれの部局ごとに簡単に3年間の取り組みを報告した。3年間を振り返り新たな抱負を語る蘇治芬県長は,離れたところから見ていると元気そうに見えた。しかし,近くで見るとやつれははっきりと現れていた。筆者は,その1年前の2007年9月に蘇治芬県長を訪問し話を聞いているが,その時の膚の色艶とははっきりと異なっていた。55歳という年齢でのハンストは相当の負担であったことが伺えた。
 しかし,蘇県長の逮捕,ハンスト,勤務再開は,一つの転換点になったようである。上述のように,蘇治芬の県政の評価は当初低迷し,次期県長選挙は6:4くらいで張派が優位というのが県内の一般的な見方であった。この事件を経て,蘇治芬が5分5分に持ち込んだという見方が強まった。逮捕の一報が流れたときには,蘇県長の再選の道は絶たれたと感じた人が多かったであろう。しかし,その後のハンスト闘争の中で,検察の捜査が強引であったという印象,検察が描く収賄事件として成立するのかという疑問が広がった。10歳の時に父親の蘇東啓が突然逮捕され政治犯の家族として育った蘇治芬の,捨て身の検察・裁判所批判は県内で一定の同情をかきたて,鉄の意志を持つ政治家という蘇治芬側のメッセージを伝えることに成功した。この事件のすぐ後に逮捕された陳水扁も,手錠をかけられた手をかかげたりハンストをしたりしたが,それは蘇治芬の二番煎じと見られた。同じく汚職容疑と言っても,自分の口座に金が入っていないというのは大きな違いである。
 なお,余談ではあるが,雲林地検が強制捜査で県長室の捜索を行ない多数の書類を押収したが,押収された書類の中には,李應元が蘇治芬に提出した辞表も含まれていたという。このため,李應元副県長の辞表は効力を発しないまま立ち消えになったのである。
蘇治芬雲林県長 2008年12月19日雲林県政府にて 撮影:小笠原
蘇治芬雲林県長 2008年12月19日雲林県政府にて 撮影:小笠原
就任3周年記者会見であいさつする蘇治芬県長
記者の質問に答える蘇治芬県長

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 張碩文の当選無効

 逮捕され裁判の開始を待つ身でありながら民進党の公認を早々と取り付けた蘇治芬は,2009年に入ると再選に向けて大小さまざまなパフォーマンスを展開した。一方の国民党は,公認候補の決定でもたつきがあった。党内で優勢が伝えられた張派の張麗善に対し,前回選挙で敗れた許舒博が再度出馬の意思を示したのである。許舒博は,立法委員選挙での公認獲得競争で張碩文に敗れた後,国民党雲林県党部の主任委員に転じ,本選挙での張碩文の支援,および,総統選挙での馬英九の支援に回った。しかし,県長への野心をあきらめたわけではなかった。またしても,張派と許派の対立があからさまになったのである。事態を憂慮した国民党中央は,秘書長が仲介に乗り出し,総統府とも連絡を取りながらついには許舒博を辞退させることに成功した。2009年6月9日,許舒博は辞退を表明し,張麗善が公認候補となることが決まった。
 その見返りは,台湾が誇る台北101ビルの会長のポストであった。しかし,許舒博の会長就任の手続きが行政院内で進行中にこの情報が新聞にリークされ,このあまりに露骨な取引に批判が殺到した。批判の激しさに驚いた総統府と行政院は手続きを中止し白紙に戻してしまった。許舒博側はリークの背後には張派がいると疑っている。表面的には,張派の長年のライバルの許舒博が雲林県を離れて台北に行くことは張派にとっても悪い話ではないように見える。しかし,事情を知る人物の解説によると,台北101ビルの会長というのはシンボル的意義が非常に大きく,県内の許派の支援者にとって自分たちのボスがあそこにいるということが派に新たな活気をもたらすというのが地方の視点というものだそうだ。張派と許派の対立に新たな怨念が加わったようだ。
 そして,雲林県で新たな大事件が発生した。張碩文の陣営で選挙違反があったことはすでに述べた。落選した劉建國は張碩文の当選無効を求める民事訴訟を起こし,1審では当選無効判決が出ていたが,2009年6月30日,2審でも張碩文の当選無効判決が出され,規定によりこれで判決が確定した。張碩文は直ちに立法委員の資格を失い,9月26日に雲林県第二選挙区で立法委員の補欠選挙が実施されることになった。民進党は,前回も立候補した劉建國の公認を決定した。国民党は混乱に陥っている。張派がどのような方針で臨むのか,非常に興味深い状況である。国民党主席を兼任することになった馬英九総統にとっても重要な一戦となる。この補欠選挙については,改めてコメントしたい。(2009.07.25記)

張榮味県長の末路(その1)は こちら   (その2)は こちら フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪

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