台湾地方政治の動向 ― 雲林県2004年


雲林県・張榮味県長の末路(その1)

東京外国語大学
小笠原 欣幸

汚職事件

 雲林県林内郷のごみ焼却炉建設に絡む汚職事件の捜査を続けてきた雲林地検は,2004年8月13日,ついに県政府庁舎の県長執務室および県長公宅の家宅捜索に踏み切った。張榮味県長は,捜査情報を事前に入手したのかあるいは偶然なのか判然としないが,この日は休暇を申請していて不在であった。張榮味は「政治的迫害」だとしてそのまま姿をくらまし検察の再三の出頭要請にも応じなかったため,8月26日,指名手配の措置が取られた。雲林県のごみ焼却炉建設をめぐっては,建設地の林内郷で激しい反対運動が展開され,2003年には林内郷長のリコール請求が成立し,9月に台湾の地方自治史上初めて郷鎮市長にたいする罷免投票が行なわれた。投票結果は罷免の賛成票が規定に達せず,ごみ焼却炉の建設は続行され,現在9割がた完成している。一方,このごみ焼却炉建設をめぐって,早くから建設用地取得の代金が政治家に還流したのではないかという疑惑が浮上していた。そして,総統選挙後の2004年6月10日に雲林県政府の環保局長や課長らが請負業者の経営者らと共に逮捕された。ついで,7月16日に林内郷長の陳河山が拘留された。そして捜査の手は県政トップに及んできたのである。

張派の盛衰

 張榮味は雲林県土庫鎮の出身で,今年47歳(1957年生まれ)。若い頃に灰色のうわさがあったが,34歳の時に県議会議員に当選すると同時に,当時の林派の支援を受けて県議会議長に就任した。張榮味はその後徐々に自派の勢力を築き上げ,1997年の県長選挙に無所属で立候補して国民党公認候補の蘇文雄に敗れるも,蘇県長の急死で1999年に行なわれた補欠選挙で県長に当選した。この選挙では,他の地方派閥が推す国民党候補,民進党候補を向こうに回して三つ巴のすさまじい選挙戦を戦い抜いての勝利であった。この時,黒道問題が争点となったが,民進党からの批判をはねのけての当選であった。
 2001年の県長選挙では国民党に復党し,民進党の候補に大差をつけて再選された。同じ2001年に行なわれた立法委員選挙では,雲林県選挙区(定員6)で,張派に近い曾蔡美佐(国民党),陳劍松(親民党),高孟定(無党籍のちに民進党に入党)の3名を当選させ,その実力を示した。残り3名の当選者は,張榮味と対立する許舒博(国民党),蘇治芬(民進党),林國華(民進党)であった。この立法委員選挙では,張榮味のライバルであった林明義(林派)と侯惠仙(廖派)が落選し,廖福本(福派)は引退に追い込まれ,許舒博(許派)は当選したものの前回より票を大きく減らしての最下位当選であったので,張派の1人勝ち状態となった。県政においても,県内をこまめに回り庶民性をアピールし,県の行政組織をうまく掌握し影響力を強めていた。張榮味は,県会議員の大半,郷鎮長の大半を味方につけ,県内の最重要組織である水利会の掌握と合わせて,向かうところ敵なしの権勢を誇った。2001年から2003年にかけて,筆者は地元の人々から張榮味の政治力の強さを何度となく聞かされた。この頃が張派の絶頂期であった。
 2004年の総統選挙に向けて,陳水扁は盛んに張榮味を取り込もうとしたが果せず,張は連宋ペアを支持し,雲林県の連宋競選総部の責任者を引き受けた。張榮味は国民党員なので連宋ペアを支持したのは当然とも言えるが,そこに至る過程には逡巡の跡が見られる。そのため宋楚瑜が雲林県を訪れ,跪いて張榮味に支持を懇願するという出来事が起った。張榮味が気にしていたのは10年前の県議会議長選挙買収事件の裁判である。1994年県議会議長再選を狙った張榮味は,16名の県議会議員を買収した容疑で起訴され,懲役1年6カ月,公民権剥奪3年の有罪判決を受けた。しかし,控訴審では無罪判決が出た。その後検察が上告し,やり直し裁判が行なわれることになり,やり直しの一審二審とも張榮味有罪の判決が下った。張榮味は判決を不服として再度上告し,その判決が台湾高等法院台南分院で出ることになっていた。その判決がいつ言い渡されるのかについて,総統選挙と時期が近づきつつあり,地元では様々な憶測が出ていた。
 2004年総統選挙は,地理的に雲林県が天下分け目の決戦の場であった。雲林県は,台湾南部を固めた陳水扁が台湾中部で支持を拡大するためにはどうしても制圧しなければならない県であった。一方,連宋陣営にとっても国民党が県政を担っている雲林県で陳水扁の勢いを押さえなければ,北部中部での優位を維持できなくなる。3月の総統選挙の結果は,陳水扁が雲林県で圧勝し,きわどい接戦を制することができた。張榮味は一転して敗軍の将となり,権力基盤がぐらつき始めた。張榮味は県の行政ルートや農会,水利会などの伝統的集票マシンを動かしたものの,票を固めることはできなかった。特に出身地の土庫鎮での票の落ち込みがひどく,面目丸つぶれとなった。

選挙区事情

 張榮味は,3選禁止の規定により2005年の県長選挙には立候補することができない(補欠選挙での当選も1回と数える)。県長の任期は残りわずかとなり,新陳代謝の激しい台湾政治(特に地方政治)において,自派および自分の政治力を維持することは並大抵のことではない。張榮味は年末の立法委員選挙を有利に運ぶことで,自分の政治力を維持しようとを考えている。2004年7月に行なわれた国民党の予備選挙を経て,雲林県の国民党公認候補は,現職の許舒博(許派),前回落選した候惠仙(廖派),そして新人の張碩文の3人に決まった。
 うち張碩文は,張榮味の有力な支持者である張輝元の息子で張派の候補と見なすことができる。張輝元は県内で大きな影響力を持つ水利会の会長である。現職の曾蔡美佐も予備選挙に参加したが,党員投票で,張碩文が1506票を獲得したのにたいし,曾蔡美佐はわずか96票で公認を得ることはできなかった。これまで曾蔡美佐は水利会の支援を得て省議員そして立法委員を2期務めたが,今回は張派および水利会から見棄てられた形となった。曾蔡美佐は国民党を離党し無所属での出馬を表明している。さらに,張榮味の実の妹張麗善も無所属での立候補を表明している。親民党は張榮味に近い現職の陳劍松を公認しているので,張榮味は雲林県の立法委員6議席のうち3議席を手中に収める計算をしているようだ。
 しかし,ごみ焼却炉建設汚職事件の強制捜査が始まり,しかも,10年前の議長選挙買収事件のやり直し裁判の判決が8月26日に言い渡された。張榮味は懲役1年,公民権剥奪2年,執行猶予なし,という有罪判決が下った。張榮味はもう一度だけ最高法院に上告できるが,張榮味からの接待を受けた議員らの有罪が確定していることから最高法院で判決が覆ることはないと考えられる。上告棄却の決定が出た時点で張榮味は失職し,内政部が代理県長を派遣する。そして張榮味は懲役刑に服することになる。張榮味がどのような影響力を発揮するのか,まったく不透明な状況にある。
 年末の立法委員選挙に向けて,民進党は,現職の林國華(県東部山間部の古坑郷を地盤),元国民大会代表の林樹山(県中央部の虎尾鎮を地盤),県議員の陳憲中(県西部沿海部の水林郷を地盤)の3名を公認候補を擁立した。台聯は,環境問題に取り組んできた県議員の尹伶瑛を公認した。尹伶瑛は,問題のごみ焼却炉建設の反対運動を繰り広げてきた人物である。また,尹伶瑛は外省人第2世代で,台湾アイデンティティを強く打ち出している台聯の目玉候補の1人でもある。
 来年2005年12月の県長選挙では,民進党が雲林県で初めて当選する可能性が出てきている。民進党内では,県選出立法委員の高孟定と蘇治芬が年末の立法委員選挙の出馬を見送り,来年の県長選挙に立候補する意思を明らかにしているので,来年前半の予備選挙で公認候補を決定しなければならない。両者は出身背景,地盤が異なるので,どちらが候補になるかによって民進党の勝機も変わってくるであろう。
 国民党系地方派閥が支配してきた雲林県政治も,2000年総統選挙後の民進党の勢力拡大で大きな転機を迎えている。これまで県下の20の郷鎮市で民進党籍の郷長・鎮長はゼロであったが,国民党立法委員許舒博の地元である台西郷の林煙泉郷長が民進党に入党したのに続き,つい最近,親民党の立法委員陳劍松の地元である水林郷の陳茂順郷長が民進党入党を表明した(『聯合報』2004.8.29)。雲林県議会は総勢43名の議員中,民進党の議員はわずか7名であるが,台湾アイデンティティの広がりが民進党の支持基盤拡大につながり,地殻変動が発生している。オセロのように県内の各拠点で藍が裏返しになり緑になり始めている。

指名手配

 さて,張榮味は指名手配と同時に停職処分となり,現在副県長が臨時代理を務めている。今後予想される展開は,@このまま逃亡を続ける。A逃亡したまま12月の立法委員に立候補する。B立法委員選挙に立候補する妹の選挙情勢を有利にするため選挙直前に出頭し同情票を集める,の3つが考えられる。@の逃亡を続けるケースは,かつて嘉義県議会議長の蕭登標が1998年6月から1999年9月までの2年余り逃亡を続けた前例があるが,親分肌の張榮味はBを選択するのではないだろうか。しかし,姿を現せばごみ焼却炉汚職事件の取り調べが待っているので,前門の虎,後門の狼という状態であろう。
 筆者は1999年の雲林県長補欠選挙以来,張榮味に注目し,過去数年間,県政府幹部,雲林県国民党幹部らから聞き取り調査を続けてきた。2001年には本人にもインタビューを行なった。インタビューの冒頭,張榮味県長からタバコを勧められた。喫煙の習慣のない筆者は断ったのだが,県長はなおも強引に勧めてくる。側近らは言うとおりにしろと目で合図を送っている。とにかく火だけつけてもらったのだが,たいへん難儀した記憶がある。まさに草根味を肌で感じさせる政治家である。しかし地元では,張榮味を評価する声とともに,芳しくない話もいくつか耳にした。筆者は以前このホームページで「両県(雲林県・嘉義県)とも,台湾高鉄建設,駅予定地開発,県横断道路建設など大型公共事業が絡み,かつ県内政治の基本構造は地方派閥時代の構造を引きずっていることから,大スキャンダルが爆発する可能性もないわけではない」と指摘したが(2004年総統選挙の見通しT),雲林県の時限爆弾がまさに炸裂したという思いである。  雲林県内外の政治環境の変化を見るにつけ,張榮味県長は雲林県最後の地方派閥の大ボスと思える。その末路は台湾政治を特徴付けてきた地方派閥興隆の時代が終ったことを示すのではないだろうか。(2004.08.29記) 【続く】

雲林県・張榮味県長の末路(その2)


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