―― 2007年 ―― 1.公民投票をめぐる攻防 2.ポスト陳水扁を展望する中国 3.国共両党の連携 4.中台交流の拡大 |
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東京外国語大学 小笠原 欣幸 |
1.公民投票をめぐる攻防
胡錦濤政権は難しい立場に立たされた。中台関係は,中国にとっては単なる内政・外交課題ではなく,中国の国家戦略および中国共産党の権力構造をも左右する最重要の政治問題である。胡錦濤政権は,中国の平和的大国化と国内の安定という長期目標を定め,それに合致するように台湾政策を柔軟に調整してきた。17回党大会と北京オリンピックを控え,中台関係の緊張は望んでいなかったが,同時に,台湾の分離独立状態が完全に不可逆的になる事態(中国の言う「法理独立」)も,どうしても回避しなければならなかった。かといって,強硬路線に転じれば,台湾の民意の反発をかきたて,民進党の選挙情勢を有利にしてしまう。ソフトな台湾政策を維持しつつ,陳政権の国連加盟公民投票を押さえ込むというのは,難易度の高い課題であった。
中国側の方策は,当初は国務院台湾弁公室を中心にした記者会見や報道を通じての通常の批判であったが,効果はまったくなく,批判のレベルを高めていった。『人民日報』での陳水扁・民進党批判キャンペーンはしだいに強烈になり,2007年7月8月には,1995年の李登輝訪米後の中台危機の時を思わせる様相を呈してきた。国民党も公民投票に乗っかったため,中国側はかなり不満と不安が高まったと思われる。中国が態度を硬化させることは,陳水扁の望むところであった。陳水扁は,北京オリンピックを控えて武力行使はできないという中国側の足元を見ていた。胡錦濤政権は手詰まり状態に陥ったように見えた。だが,ひたすら我慢しながらも武力行使の準備は決して怠らないのが胡錦濤の機動的アプローチである。台湾紙によれば,胡錦濤は共産党内部の会議で,「軍隊の仕事はただ一つである,それは台湾作戦である」と強調したという(『聨合報』「胡錦濤:共軍唯一工作 對台作戰」20007.8.27)。
国連加盟公民投票については,中国のみならずアメリカも警戒を強めた。米台関係は,陳水扁が初めて公民投票を提起した2003年秋以降ぎくしゃくしていたが,陳水扁が再びそれを持ち出したことで摩擦はいよいよ大きくなった。中国は,中台の武力対決を回避することと忍耐には限界があることを常にセットにして,アメリカを巻き込んでいった。ブッシュ政権は,台湾海峡の現状を変更しようとしてるのは台湾側であると見なし,かつてない強硬姿勢で陳政権に向かってきた。米中による台湾包囲網が形成され,陳政権はしだいに追い込まれていった。
前哨戦は,WHO(世界保健機構)加盟問題であった。陳政権は,2007年4月,WHOにオブザーバーではなく「台湾」名での正式メンバーとしての加盟申請を提出した。中国は強く反発した。アメリカ,日本は,台湾のオブザーバー参加を支持していたが,台湾のWHOへの正式加盟を支持しないと表明し反対に回った。陳政権は総会の前に説得工作要員をアメリカに派遣しようとしたが,アメリカ政府は面会を拒否した(『中國時報』「參與WHO案 美拒我宣達團赴華府」2007.5.10)。台湾加盟を議事に入れるかどうかの投票結果は,反対148票,賛成17票であった。2004年の台湾のオブザーバー参加をめぐる投票結果は,反対133票,賛成25票であったから,台湾にとっては後退となった(『中國時報』「重撃我入世衛 兩國論翻版 美衛生部長 打了台灣兩巴掌」2007.5.15)。
そして本戦が始まった。陳水扁は6月18日に,総統選挙の投票日に国連加盟公民投票を同時実施すると表明した。米国務省のマコーマック報道官は直ちに「反対」を表明した。これに対し,民進党は,6月20日の中央常務委員会において,国連加盟公民投票を推進することを確認した。民進党の委員からは,「アメリカが反対するからいっそう退却できない」であるとか,アメリカの反対表明は「あまりに悪辣である」といった反発の声があがった(『聨合報』「民進黨:美反對 更要挺扁推公投」2007.6.21)。陳水扁も,ワシントン・ポスト紙のインタビューで,アメリカの反対は中国を宥和するものだとしてはねつけ,公民投票を推進すると声高に言明した("Taiwan Leader Vows to Pursue Vote on Island's Name," Washington Post, 8 July 2007)。台湾は過去14年間,「中華民国」名で国連への復帰を申請してきたが,いずれも門前払いされてきた。陳政権は,2007年7月19日,初めて「台湾」名での国連加盟申請書を事務局長に提出したが,国連事務局は,申請書の受け取り自体を拒否した。陳政権のボルテージはますます上がっていった。
2007年7月下旬,すでに民進党の公認候補となっていた謝長廷が訪米し,国務省や国家安全保障会議の関係者と会談した。非公開の会談の席上で,アメリカ側は,謝長廷に公民投票の中止を強く求め,中止の要請に応じない場合は,@米政府高官が公然と台湾の公民投票を批判する,A投票直前に台湾滞在中の米国人に退避勧告を出すことも検討する,などと具体的で強い警告を発した。ブッシュ政権は,民進党の選挙情勢に打撃を与えてでも中台の現状を維持する決意であった。アメリカがここまで強硬な姿勢を貫いた理由は,@台湾海峡の現状維持がアメリカの国益であること,A東アジア安定のため中国との協力を必要とすること,B台湾の安全保障を担っているのにその台湾がアメリカの意向を無視したことへの憤り,の3点に集約できる。
自分の選挙に悪影響が及ぶことを恐れた謝長廷は,同行の記者団にもアメリカの警告の内容を明かさなかった。帰国した謝長廷はすぐにその内容を陳水扁に伝えたが,陳水扁は意に介さずアメリカ批判を続けた。陳水扁は,中台の緊張が高まり中国が武力行使をするかもしれないという状況になれば,アメリカは「民主の台湾」と「独裁の中国」との間で台湾を選ぶしかなくなると考えていた。陳政権は“UN for TAIWAN”という標語を使って内外で宣伝を繰り広げた。陳政権の中心人物らは,アメリカの決意を見誤っていた。
アンカレッジ空港に着陸した 専用機内の陳水扁総統 |
クリステンセン国務省次官補代理 |
2.ポスト陳水扁を展望する中国
胡錦濤政権は,国際政治においては台湾を締め上げ,台湾ナショナリズムの動きには厳しい批判発言はしながらも,強圧的な方策は極力避けて,台湾の民意を意識したソフトな対応を示すという機動的アプローチを展開し,一定の成果を挙げていた。中国側は,2008年総統選挙で馬英九が当選しても謝長廷が当選しても,新政権の対中政策は陳水扁の路線から離れていくという予測をし,ポスト陳水扁の中台関係で主導権を握る準備を進めていた。2007年10月の中国共産党第17回大会では,胡錦濤の政権基盤が固まるとともに,台湾に対する機動的アプローチが正式に承認された。しかし,17回大会の公式文章においては,前任の江沢民の路線の継承にも注意を払っているので,胡錦濤政権の機動的台湾政策がどういうもので,どういう方向に向かっているのかがわかりにくい。そこで,胡錦濤政権の台湾政策のブレーンと見られている人物の見解を検討したい。
中国人民大学国際関係学部(当代中国研究所所長)の黄嘉樹教授は,台湾問題に関し数多くの論文を発表している。黄嘉樹は,中国共産党の基本路線を守りながらも,民主化後の台湾政治の変化を的確に分析し,現実的で柔軟な台湾政策を探求している。黄嘉樹は,2007年6月11日,台湾の政治大学東亜研究所主催の「両岸和平学術研討会」に出席し「両岸和平問題研究」と題する発表を行なった。
黄嘉樹は,かなりの長期間にわたり台湾で統一のコンセンサスができることは難しいと認めたうえで,胡錦濤政権の台湾政策を解説し,「統一」に代わって「和平発展」という用語が多く使われるようになったこと,「両岸和平穏定発展架構」(胡錦濤の17回大会報告では「両岸関係和平発展框架」と表現)という概念は統一を急がないという政策の具体化であると指摘する。黄嘉樹によれば,これは台湾への誠意ある妥協であり,大陸が台湾の民心をさらに理解し,台湾問題の解決にさらに忍耐強くなったことを反映しているという。だが,これだけでは,両岸関係は戦争がないというだけの低レベルの和平が確保されているにすぎない。黄は,和平のレベルを上げるためには,大陸は,「相互に隷属しない二つの法制系統が存在する現実を直視する必要がある」「台湾の民選公権力機構を無視していてはだめだ」と踏み込んでいる。一方で,「大陸は台湾が一つの主権国家であると決して認めることはできないことを台湾は認識しておくべきである」と指摘することも忘れない。
これだと従来と同じで新たな展開は難しい。黄は,双方が不満ではあるが受け入れ可能な法理論述が必要だとする。大陸は一つの中国原則を基礎とすることを変えることができない。では行き詰った両岸関係どう打開するのか?黄は,一つの中国原則について,民族アイデンティティを新しい尺度とし,「中華民族は分裂しないことを堅持しさえすれば,一つの中国原則を堅持することに等しい」という新しい解釈を示した。黄は,台湾側が“中国人”であることを受け入れることに抵抗感があることに配慮し,対策を用意している。黄は,“中国人”の定義について,北京側は「中華人民共和国の国籍を持つ者および台湾の公権力機構が承認する台湾戸籍を持つ者」とし,台北側は「中華民国の国籍を持つ者および大陸の公権力機構が承認する大陸戸籍を持つ者」とすればよいと提案している。この定義を使えば,中国側の言う「主権と領土が分裂していない」という“現状”も,台湾側が言う「両岸には互いに隷属しない二つの法制体系が存在している」という“現実”もカバーすることができると黄は考えている。
台湾においては,自分は台湾人であると考える人,中国人であると考える人,台湾人でもあり中国人でもあると考える人が存在している。また,自分は台湾人であり,かつ,漢族であると認識している人も少なくない。黄嘉樹の議論は,このような台湾内部の複合的なアイデンティティを考察したもので,従来の中国での台湾認識の枠を超える議論である。国民党の支持者のみならず,浅い緑の支持者をも取り込むことを念頭に置いていると思われる。黄は,「民進党当局が“台湾人でありまた中国人であること,両岸関係は中国人の間の事柄であること”を承認しさえすれば,“一つの中国”原則を受け入れたと見なし,海基會と海協會は直ちに協議を再開できる」という観測気球もあげた。国民党にとっては,慎重に近づいていけば,選挙で不利にならずして手が届く観測気球であった。
黄嘉樹は,“中国人”の概念は大きな利用価値があると台湾側に注意を促したのだが,黄の発表は,台湾ではほとんど注目を集めなかった※。少なくとも陳政権は何の反応もしていない。2007年は,中国も台湾も表面上は何も変わっていないようであった。中台は,国連加盟公民投票をめぐり激しく競り合っていた。だが,中国の台湾政策は確実に黄嘉樹の提案の方向に動いていったし,馬英九の対中政策も黄の提案と符合していた。国民党副主席の江丙坤が,4月29日の国共両岸経済貿易文化フォーラムで「両岸人民はともに中華民族に属している」(『人民日報海外版』「両岸経貿文化論壇在京挙行」2007.4.30)と発言した直後に黄の提案が発表されたことは注目しておいてよいであろう。2008年3月の馬英九の当選後,中台の対話が矢継ぎ早に進行することになるが,その背後では,中国共産党の周到な台湾政策の練り直しがあった。中国は統一の優先順位を下げたことで,政策選択の幅が広くなったのである。
※筆者は,アイデンティティ問題に詳しい台湾の中央研究院の研究員2名に見解を聞いてみたが,2人とも黄の発表を知らなかった。
中国側には,1996年,2000年の総統選挙の際には見られなかった余裕や自信も伺えた。中国の大国化と台湾経済の中国依存の深まりにより,中台のバランスは中国に有利に傾いた,ないしは,将来そのように傾くという認識が拡大している。中国共産党は,台湾の選挙については不介入を宣言し,謝長廷と馬英九に対する公式論評はいっさい控えた。代わりに中国の学者が,中国側のポスト陳水扁の大まかな認識を表明していた。
国民党と民進党の総統候補者が決まった2007年5月,中国人民大学の時殷弘(アメリカ研究センター主任)は,「民進党政権が続いたとしても謝長廷は大陸政策を調整せざるをえなくなり,両岸関係は和諧の方向に発展する」であろうから,中国共産党にとって藍緑のどちらの候補が勝っても「大きな違いはない」とコメントした。時殷弘は,「中国崛起の要素により,中国が両岸関係の発展を主導できる,時間の利は大陸の側にある」という見方を示した(『聨合報』「學者看台海》馬謝誰贏? 對岸:差別不大」2007.5.12)。
一般には中国は馬英九の当選に大きな期待を寄せていると見られていたが,実情はもう少し複雑である。中国側は,馬英九の台湾化路線に不満があった。特に,国民党が民進党に対抗するため国連復帰公民投票を出したことは非常に憤っていた。前出の時殷弘は,「陳水扁も馬英九も票のためなら何でもする機会主義者」だと批判していた。北京聯合大学台湾研究院院長の徐博東も,国民党を直接的に批判した(『聨合報』「大陸學者:馬謝誰勝選 都是和平新契機」2007.11.12)。筆者が個人的に話を聞いた中国の学者らも馬英九に対する懸念を口にした。中国側の懸念は,大別すると,馬の実行力への懸念,馬の反共思想への懸念,馬の台湾化路線への懸念であった。
選挙が近づいてきた2007年12月,中国の全国台湾研究会副会長の許世銓は,「北京は,馬英九と謝長廷について,どちらかの側に立つこともないし,どちらかを好むこともない」とし,中国側は台湾の選挙後に「大門を開けて待つ」と予告した(『聯合報』「台選完總統 北京將有善意」2007.12.20)。上海東亞研究所所長の章念馳は,「台湾の総統選挙後,大陸は大きな突破があるという幻想は抱いていないが,両岸の対立緊張状態は改善すると信じている」と述べた(『聯合報』「台灣主體意識 章念馳:應尊重」2007.12.20)。中国側はチャンスの到来をじっと待ち続けていた。
3.国共両党の連携
2007年も中国国民党と中国共産党との連携は順調にスタートしたが,年の途中から大型の交流イベントは中断された。その理由は,国民党が国連復帰公民投票を提起したことに対し共産党が不快感を示したからだとされている。2007年4月28日,連戰が訪中し胡錦濤と会談した。これは2005年の初会談以来3回目となるが,今回は両者の個別の会談はなく,訪中団の表敬訪問のような形であった。同日,北京にて第3回両岸経済貿易文化フォーラムが開催された。主な出席者は《表1》に整理した。中国側は,このフォーラムに合わせて,台湾の大学が中国において学生を募集することを解禁する,台湾地区住民に会計士,薬剤師,不動産価格鑑定士など15種類の専門資格受験資格を開放すると発表した。
中国共産党による台湾企業取り込み工作も本格化した。2007年4月16日,「台湾同胞投資企業聨誼会」の成立大会が北京の人民大会堂で開催された。これは,中国に進出している主たる台湾企業および台湾商人を網羅した連絡団体であるが,実態は台商と中国当局との連絡会と見た方がよいであろう。新組織の栄誉会長には国務院台湾弁公室の陳雲林が,顧問や役員には国台弁の幹部や官僚が顔を並べている。初代の会長には,広東省東莞市で活動する台湾人ビジネスマン張漢文が就任した(『自由時報』「中國紅色綁架 台企聯成立」 2007.4.17)。
内容(場所) | 国民党の主要参加者 | 共産党の主要参加者 | |
4月28日 〜29日 | 第三回両岸経済貿易文化フォーラム(北京) | 連戰(栄誉主席),江丙坤(副主席),関中(同),林豊正(同),章仁香(同),林益世(同),郁慕明(新党主席),秦金生(親民党秘書長),約30名の国民党立法委員 ※呉伯雄主席は出席していない | 賈慶林(政治局常務委員),劉淇(政治局委員,北京市委書記),呉儀(政治局委員,国務院副総理),唐家璇(国務委員),陳至立(国務委員),陳雲林(台湾工作弁公室主任) |
4月28日 | 第三回連戰胡錦濤会談(北京) | 連戰(栄誉主席)および上記フォーラム主要参加者 | 胡錦濤(総書記)および上記フォーラム主要参加者 |
7月25日 | 台商の合法権益の保護に関する第三回国共工作会議(北京) | 江丙坤(副主席) | 鄭立中(台湾工作弁公室副主任) |
訪問月日 | 訪問地 | 用 務 | 主要訪問先 | |
1 | 1月5-6日 | 広東省中山市 | 孫中山故居拝謁 | 中山市委副書記李啓紅 |
2 | 4月28日-30日 | 北京 山西省太原市 | 国共公式会談出席 第三回両岸経貿文化フォーラム出席 | 山西省委書記張宝順 |
3 | 6月3日 | 香港 | 台湾大選与両岸政経関係研討会出席 | |
4 | 7月2日-6日 | 山東省威海市 湖北省武漢市 | 山東省威海市視察 武漢台湾ウィーク出席 | 威海市委書記崔曰臣 湖北省委書記兪正声 |
5 | 7月23日-26日 | 広東省広州市 北京 天津市 | 広州市の台商視察 国共公式会談出席 天津市視察 | 広東省副省長黄龍 広州市委常委蘇志佳 天津市委書記張高麗 |
6 | 8月12日 | 江蘇省南通市 | 南通市視察 | 南通市委書記羅一民 |
7 | 8月20日-21日 | 遼寧省錦州市 | 第六回遼寧台湾ウィーク出席 | 遼寧省長張文岳 |
8 | 8月29日-30日 | 雲南省昆明市 | 昆明市,大理州視察 | 雲南省委書記白恩培 |
9 | 9月7日 | 福建省アモイ市 | 第二回海峡西岸経済区フォーラム出席 | |
10 | 10月18日-19日 | 江蘇省蘇州市 江蘇省昆山市 | 海峡両岸港口経済フォーラム出席 海峡両岸産業合作発展フォーラム出席 | 江蘇省副省長張衛国 蘇州市市長閻立 |
11 | 11月29日-30日 | 広東省東莞市 | 台商子弟の学校視察 |
4.中台交流の拡大
2007年も様々な中台交流イベントが開催された。特に夏は,学生青年層を対象としたサマーキャンプやフォーラムが中国各地で開催され,台湾から多数の学生,青年が訪中した。また,7月に山東省青島市で開催された第二回両岸県市“双百”フォーラムでは,台湾の19県市の100名の議員と,中国の県市の100名の全人大代表が参加した。8月中旬には黄埔軍官学校のOBの交流会もあった。9月には中台の新聞記者の交流事業があり,中国の報道関係者9名が訪台した。他にも北京台湾科学技術フォーラムや,両岸客家フォーラム,両岸都市文化フォーラム,両岸お茶博覧会,両岸書道大家作品展,両岸登山交流会など,まさに枚挙に暇がないほど多種多様な社会的交流が中国で行なわれた。
期間 | フライト数 | 旅客数 | 搭乗率 | |
春節 | 2/5-3/5 | 192 | 37445 | 81.6% |
清明節 | 3/29-4/12 | 42 | 7000 | 75% |
端午節 | 6/15-6/22 | 42 | 6500 | 74% |
中秋節 | 9/21-9/30 | 48 | 8500 | 78% |
※『中時電子報』の記事を参照し筆者作成。 |
※農業委員会ホームページ「農業統計」を参照し筆者作成。 |
2007年のまとめ
2007年の中台関係は,国連加盟公民投票をめぐる攻防の一年であった。アメリカを巻き込んだこの攻防戦は,年末に向かい徐々に結末が見えてきた。台湾内部は選挙一色となり対中政策で目立った展開はなかった。総統選挙では,中台の経済関係拡大を主張する馬英九・蕭萬長と,それに反対する民進党との間で論戦が続いた。陳政権下で閉塞感がたまり,台湾の民意は,中国への警戒はあったものの,打開を求めてしだいに中台関係拡大を容認/期待する方向に動いていった。一方,中国共産党は,ポスト陳水扁を展望して水面下で着々と準備を整えていた。
年が明けた2008年,民進党は,立法委員選挙,総統選挙,国連加盟公民投票のすべてで敗北した。馬英九の当選により,陳水扁時代の中台関係は名実共に終わりを告げた。
【完】(2008.7.3記)
「陳水扁再選後の中台関係」は,これにて完結です。 ご愛読ありがとうございました。 |
陳水扁再選後の中台関係(その1)−2005年は こちら |
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(その2)−2006年は こちら | OGASAWARA HOMEPAGE |