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陳水扁再選後の中台関係(その3)

―― 2007年 ――

 1.公民投票をめぐる攻防
 2.ポスト陳水扁を展望する中国
 3.国共両党の連携
 4.中台交流の拡大
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東京外国語大学
小笠原 欣幸
 2007年は,中台間の往来が解禁されて20年にあたる。この間に,中台の経済的・社会的交流は飛躍的に拡大し,20年前には予想もできなかったような変化が,台湾にも中国にも発生した。政治と経済の異なる磁力が複雑に交差し,台湾の進路を示す方位計の針は頼りなく揺れていた。
 2007年は,台湾で立法委員選挙と総統選挙が近づいてきたため,中台関係も選挙の駆け引きの材料になった。中国側は,年初から,陳水扁が選挙対策で台湾独立の動きを強めるのではないかと警戒を高めた。中国の不安は的中した。民進党内では立法委員選挙と総統選挙の候補を決める党内予備選挙が年初から本格化し,党の路線が台湾ナショナリズムの方向へ大きく動き出した。陳水扁は3月4日,中国の全人代の開幕に合わせるかのように「四要一沒有」(台湾要独立,正名,新憲法,発展,台湾沒有左右路線只有統一独立問題)を発表した。これは,陳の総統就任以来の公約である「四不一沒有」を覆すものである。
 陳政権は,「中華」や「中国」のつく名称を「台湾」に置き換える正名を推進し,「中国石油公司」は「台湾中油公司」へ,「中華郵政」は「台湾郵政」へ,「中國造船公司」は「台湾國際造船公司」へと変更した。また,蒋介石を記念する「中正紀念堂」も「台湾民主紀念堂」へと改名した。陳水扁は,不祥事が多発し政策展開が停滞する中,自身の求心力を維持する方策を探していた。そして,陳水扁は,中台関係で主導権を握り,かつ,総統選挙での民進党の勝利を引き寄せる勝負手,すなわち,台湾名義での国連加盟を目指す公民投票(以下,国連加盟公民投票または公民投票と略記)を考え出し,一直線に突き進んで行った。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  1.公民投票をめぐる攻防

 胡錦濤政権は難しい立場に立たされた。中台関係は,中国にとっては単なる内政・外交課題ではなく,中国の国家戦略および中国共産党の権力構造をも左右する最重要の政治問題である。胡錦濤政権は,中国の平和的大国化と国内の安定という長期目標を定め,それに合致するように台湾政策を柔軟に調整してきた。17回党大会と北京オリンピックを控え,中台関係の緊張は望んでいなかったが,同時に,台湾の分離独立状態が完全に不可逆的になる事態(中国の言う「法理独立」)も,どうしても回避しなければならなかった。かといって,強硬路線に転じれば,台湾の民意の反発をかきたて,民進党の選挙情勢を有利にしてしまう。ソフトな台湾政策を維持しつつ,陳政権の国連加盟公民投票を押さえ込むというのは,難易度の高い課題であった。
 中国側の方策は,当初は国務院台湾弁公室を中心にした記者会見や報道を通じての通常の批判であったが,効果はまったくなく,批判のレベルを高めていった。『人民日報』での陳水扁・民進党批判キャンペーンはしだいに強烈になり,2007年7月8月には,1995年の李登輝訪米後の中台危機の時を思わせる様相を呈してきた。国民党も公民投票に乗っかったため,中国側はかなり不満と不安が高まったと思われる。中国が態度を硬化させることは,陳水扁の望むところであった。陳水扁は,北京オリンピックを控えて武力行使はできないという中国側の足元を見ていた。胡錦濤政権は手詰まり状態に陥ったように見えた。だが,ひたすら我慢しながらも武力行使の準備は決して怠らないのが胡錦濤の機動的アプローチである。台湾紙によれば,胡錦濤は共産党内部の会議で,「軍隊の仕事はただ一つである,それは台湾作戦である」と強調したという(『聨合報』「胡錦濤:共軍唯一工作 對台作戰」20007.8.27)
 国連加盟公民投票については,中国のみならずアメリカも警戒を強めた。米台関係は,陳水扁が初めて公民投票を提起した2003年秋以降ぎくしゃくしていたが,陳水扁が再びそれを持ち出したことで摩擦はいよいよ大きくなった。中国は,中台の武力対決を回避することと忍耐には限界があることを常にセットにして,アメリカを巻き込んでいった。ブッシュ政権は,台湾海峡の現状を変更しようとしてるのは台湾側であると見なし,かつてない強硬姿勢で陳政権に向かってきた。米中による台湾包囲網が形成され,陳政権はしだいに追い込まれていった。
 前哨戦は,WHO(世界保健機構)加盟問題であった。陳政権は,2007年4月,WHOにオブザーバーではなく「台湾」名での正式メンバーとしての加盟申請を提出した。中国は強く反発した。アメリカ,日本は,台湾のオブザーバー参加を支持していたが,台湾のWHOへの正式加盟を支持しないと表明し反対に回った。陳政権は総会の前に説得工作要員をアメリカに派遣しようとしたが,アメリカ政府は面会を拒否した(『中國時報』「參與WHO案 美拒我宣達團赴華府」2007.5.10)。台湾加盟を議事に入れるかどうかの投票結果は,反対148票,賛成17票であった。2004年の台湾のオブザーバー参加をめぐる投票結果は,反対133票,賛成25票であったから,台湾にとっては後退となった(『中國時報』「重撃我入世衛 兩國論翻版 美衛生部長 打了台灣兩巴掌」2007.5.15)
 そして本戦が始まった。陳水扁は6月18日に,総統選挙の投票日に国連加盟公民投票を同時実施すると表明した。米国務省のマコーマック報道官は直ちに「反対」を表明した。これに対し,民進党は,6月20日の中央常務委員会において,国連加盟公民投票を推進することを確認した。民進党の委員からは,「アメリカが反対するからいっそう退却できない」であるとか,アメリカの反対表明は「あまりに悪辣である」といった反発の声があがった(『聨合報』「民進黨:美反對 更要挺扁推公投」2007.6.21)。陳水扁も,ワシントン・ポスト紙のインタビューで,アメリカの反対は中国を宥和するものだとしてはねつけ,公民投票を推進すると声高に言明した("Taiwan Leader Vows to Pursue Vote on Island's Name," Washington Post, 8 July 2007)。台湾は過去14年間,「中華民国」名で国連への復帰を申請してきたが,いずれも門前払いされてきた。陳政権は,2007年7月19日,初めて「台湾」名での国連加盟申請書を事務局長に提出したが,国連事務局は,申請書の受け取り自体を拒否した。陳政権のボルテージはますます上がっていった。
 2007年7月下旬,すでに民進党の公認候補となっていた謝長廷が訪米し,国務省や国家安全保障会議の関係者と会談した。非公開の会談の席上で,アメリカ側は,謝長廷に公民投票の中止を強く求め,中止の要請に応じない場合は,@米政府高官が公然と台湾の公民投票を批判する,A投票直前に台湾滞在中の米国人に退避勧告を出すことも検討する,などと具体的で強い警告を発した。ブッシュ政権は,民進党の選挙情勢に打撃を与えてでも中台の現状を維持する決意であった。アメリカがここまで強硬な姿勢を貫いた理由は,@台湾海峡の現状維持がアメリカの国益であること,A東アジア安定のため中国との協力を必要とすること,B台湾の安全保障を担っているのにその台湾がアメリカの意向を無視したことへの憤り,の3点に集約できる。
 自分の選挙に悪影響が及ぶことを恐れた謝長廷は,同行の記者団にもアメリカの警告の内容を明かさなかった。帰国した謝長廷はすぐにその内容を陳水扁に伝えたが,陳水扁は意に介さずアメリカ批判を続けた。陳水扁は,中台の緊張が高まり中国が武力行使をするかもしれないという状況になれば,アメリカは「民主の台湾」と「独裁の中国」との間で台湾を選ぶしかなくなると考えていた。陳政権は“UN for TAIWAN”という標語を使って内外で宣伝を繰り広げた。陳政権の中心人物らは,アメリカの決意を見誤っていた。
アンカレッジ空港に着陸した機内の陳水扁総統
アンカレッジ空港に着陸した
専用機内の陳水扁総統
 2007年8月,中南米訪問に出発する陳水扁が米本土でのトランジット待遇を求めたのに対し,アメリカ側はそれを拒否し,アンカレッジで給油のみを認めると通知した。これは2006年と同じ展開であった。陳水扁はこの冷遇に抗議の意を示すため,往路帰路ともアンカレッジで飛行機を降りず,特に往路の際には“UN for TAIWAN”のワッペンを胸につけて国務省が派遣した接待役に相対した(『自由時報』「過境美國 扁貼入聯標語抗議」2007.8.22)。台湾の事実上の駐米大使にあたる呉サ燮は,この件について,「1994年以来最低のレベルで、何年も逆行した感が強い」と回想している(『産経新聞web版』「台湾駐米代表がみた陳水扁時代の終焉」2008.5.30)。8月29日に帰国した陳水扁は,空港での記者会見で,アメリカが台湾の国連加盟公民投票に反対するのは,台湾の基本的権利を制限するのみならず,大国が小国を脅迫するものだと語り不満をぶちまけた(『自由時報』「扁:入聯公投是捍衛現状」2007.8.30)
 アメリカも黙っていなかった。アメリカは,謝長廷に伝えた第一の警告を実行に移し始めた。8月27日,国務省のネグロポンテ副長官が,香港のフェニックステレビのインタビューで,国連加盟公民投票は「台湾の独立を宣言する方向に向かう動き」であり,「台湾の利益にもならない」として,陳政権を批判した。8月30日,今度は国家安全保障会議のデニス・ワイルダー上級部長(アジア担当)が「台湾あるいは中華民国は現時点で国際社会における国家ではない」と発言した。これは,だから国連に加盟する資格はないという趣旨である。「台湾は国家ではない」という発言は過去にあったが,「中華民国は国家ではない」という発言はアメリカ政府関係者としては初めてのようだ(『聨合報』「美首度説「中華民國不是國家」」2007.9.1)
 事態を憂慮した謝長廷は,9月5日の民進党中央常務委員会において,国連加盟公民投票の扱いについて,民進党の「台湾名義案」と国民党の「中華民国名義案」とを合併しようという修正を提案したが,他の委員から集中砲火を浴び却下された。ある委員は,「国連加盟公民投票は必ず通過させなければならない」「総統選挙の一時の勝ち負けは最重要ではない」と発言し,謝長廷を批判した(『自由時報』「主張入聯、返聯合併 謝被圍剿」2007.9.6)。党内の大勢は台湾ナショナリズムの方向に移動し,強硬論,原則論,楽観論が幅を利かせ,謝長廷の懸念を真剣に検討する雰囲気はなくなっていた。この時期,民進党の民意調査では,69%が「アメリカの態度を顧みる必要はなく,公民投票の推進を続けるべきだ」と回答していた(「民進党第12期第44次中常會新聞稿」2007.9.5)。台湾の民意がどちらに転がるのか,その行方はまだわからなかった。
 2007年9月6日,シドニーで開催されたAPEC首脳会談の機会を使い,ブッシュ・胡錦濤会談が行なわれた。ブッシュ大統領は台湾の国連加盟公民投票への反対を表明し,中国と密接に連絡を保持することを約束した。首脳レベルの合意で,米中による陳政権包囲網はがっしりと固まった。9月14日には中国の台湾政策責任者である陳雲林が訪米し,国家安全保障会議のワイルダー上級部長,国務省のアジア太平洋問題担当のクリストファー・ヒル次官補,トーマス・クリステンセン次官補代理らと会談した。会談の雰囲気は非常に良好であったようだ。中国側は陳政権の公民投票の動きを押さえ込むようアメリカに繰り返し求めきたが,ここにきて,中国側はアメリカの一連の対応に満足しているという報道も出てきた。実務レベルでも米中の連携が深まったようだ(『聨合報』「美反台入聯 傳北京滿意不會反制」2007.9.17)
クリステンセン次官補代理
クリステンセン国務省次官補代理
 この間,9月11日には,国務省のクリステンセン次官補代理が,アメリカの台湾政策の枠組みの中でなぜ陳政権の公民投票に反対するのかについて包括的見解を発表した。クリステンセンは,台湾の立場に理解を示しながらも,陳政権が推進している公民投票は「発想自体が間違い」「根本的に害をもたらす」と異例の直接的表現で指摘し,「友人の立場から」不必要で非生産的な行動を避けるよう求めた。クリステンセンは,台湾側が一個人の見解と片付けることがないように,わざわざ「自分の演説はアメリカ政府の見解を代表する」と言及した(Thomas Christensen, "Speech to U.S.-Taiwan Business Council," 11 September 2007)
 陳水扁はようやく事態の深刻さを認識し,アメリカの不満を和らげるため,9月12日,ウォールストリート・ジャーナル紙のインタビューで,「公民投票が成立しても,来年3月22日以降,何も発生しない」と語った。これは,過去にも何度か見られた陳水扁のその場しのぎの不安定な発言の一例である。9月15日,台湾では,国連加盟公民投票を支持する大行進と集会が開催された。どうやらこの時が公民投票運動のピークであったようだ。独立派は大いに盛り上がり,陳水扁と関係の深い李鴻禧は,公民投票が成立すれば,独立宣言と同様の効果があると発言していた(『聨合報』「忽z915遊行 邀阿輝伯」2007.9.10)。陳水扁と李鴻禧の二つの発言を聞いた人は,戸惑いを覚えたであろう。
 国連加盟公民投票をめぐる攻防の潮流は,9月を境に変化し始めた。台湾の外では,米中による台湾包囲網がじわじわと威力を発揮し,公民投票は台湾の国際空間を拡大するどころか,かえってそれを狭めることになった。民進党内部では,現実路線の謝長廷と急進路線の游錫堃との対立が深刻化した。総統選挙は,台湾ナショナリズムの民進党,ゆるやかな台湾アイデンティティの馬英九,その間で埋没する謝長廷,という構図が固まった。陳政権は稚拙に対立を作り出す手法を続け,自滅への道を進んでいく。
 陳水扁は,独立派へのリップサービスのつもりなのか,その後もいろいろな発言を続けた。10月21日には,「公民投票が成立すれば,中国国民党は台湾国民党へと名前を変え,アメリカも一つの中国政策を検討し,相互承認についても考えるであろう」と語った(『自由時報』「入聯公投若過關……扁:國民黨會正名台灣國民黨」2007.10.22)。12月17日には,「公民投票が成立すれば我々内部が変わるだけでなく,全世界,国際社会も変わる」と発言した(『聨合報』「扁:入聯公投過關 全世界改變」2007.12.18)。アメリカの風あたりの強さを肌で知る謝長廷は,「公民投票に対するアメリカの態度表明はまだまだ続く」と予想していた。
 実際,アメリカの動きは止まらなかった。2007年12月10日,米台関係の責任者であるバーグハート米国在台協会理事長が訪台し陳水扁と会談した。バーグハート理事長は,公民投票が陳水扁の「四不一沒有」の公約に違反していると執拗に批判しただけでなく,翌年5月の政権の平和的移行を確保すること,新総統が両岸関係を処理する機会を確保することも求め,陳水扁への不信感を露にした(『聨合報』「美亮出籌碼:不會讓扁為所欲為」2007.12.12)
 ブッシュ政権は公民投票への反対のレベルを段階的にアップグレードし,最後は,2007年12月21日,ライス国務長官が「国連加盟公民投票は挑発的政策である」と批判し,ようやく打ち止めとなった。ライス長官は,クリスマス休暇前の定例会見で2007年のアメリカの外交課題を網羅的に回顧した。その中で,台湾に言及した文言の量は,北朝鮮,アフガニスタン,パキスタンへの言及量より,わずかではあるが多い(米国務省ホームページ "Press Conference by Secretary of State Condoleezza Rice" 21 December 2007)。ニューヨークタイムズ紙は,「ライス国務長官は台湾に対し異例の厳しい叱責を行なった」と報じた("Rice Has Sharp Words for Taiwan, as Gates Does for China," New York Times, 22 December 2007)。ライス発言の少し前の11月下旬には,中国の楊潔篪外相が訪米し,ライス国務長官と会談している。楊外相は,アメリカの対応に賛同を表しながらも,台湾への先進的な武器の輸出を停止するよう求めた。ライス国務長官は,イランの核問題,ミャンマー問題での中国の協力を求めた(『聨合報』「楊潔篪見ョ斯 批扁入聯公投」2007.11.28)。だが,アメリカ政府の態度は決して一面的ではない。ライス発言と平行して,ゲーツ国防長官は,中国の軍備増強が続く限り台湾への武器売却を継続すると表明している。
 中国は,アメリカだけではなく各国に働きかけて台湾包囲網を形成していった。中国の報道によると,58カ国が台湾の国連加盟公民投票へ反対する声明を発表したという(『人民日報海外版』「台海2007:波瀾不惊 暗潮汹涌」2007.12.26)。フランスのサルコジ大統領,イギリスのミリバンド外相,ドイツのシュタインマイヤー外相,オーストラリアのスミス外相も反対を表明した。日本の福田首相は「不支持」を表明した。対外連絡部長の王家瑞は,2007年の中国の対外工作を振り返り,各国の政党交流を通じて中国の対台湾政策を説明し,台湾当局の“国連加盟公民投票”の企図を暴露したことを成果として語っている(『人民日報』「推動党的対外工作再上新台階」2007.12.25)。 台湾の外交関係の切り崩し工作も引き続き行なわれた。2007年6月,中国は中南米のコスタリカと外交関係を結んだ。これにより,台湾と国交を有する国は,また一つ減って24カ国となった。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  2.ポスト陳水扁を展望する中国

 胡錦濤政権は,国際政治においては台湾を締め上げ,台湾ナショナリズムの動きには厳しい批判発言はしながらも,強圧的な方策は極力避けて,台湾の民意を意識したソフトな対応を示すという機動的アプローチを展開し,一定の成果を挙げていた。中国側は,2008年総統選挙で馬英九が当選しても謝長廷が当選しても,新政権の対中政策は陳水扁の路線から離れていくという予測をし,ポスト陳水扁の中台関係で主導権を握る準備を進めていた。2007年10月の中国共産党第17回大会では,胡錦濤の政権基盤が固まるとともに,台湾に対する機動的アプローチが正式に承認された。しかし,17回大会の公式文章においては,前任の江沢民の路線の継承にも注意を払っているので,胡錦濤政権の機動的台湾政策がどういうもので,どういう方向に向かっているのかがわかりにくい。そこで,胡錦濤政権の台湾政策のブレーンと見られている人物の見解を検討したい。
 中国人民大学国際関係学部(当代中国研究所所長)の黄嘉樹教授は,台湾問題に関し数多くの論文を発表している。黄嘉樹は,中国共産党の基本路線を守りながらも,民主化後の台湾政治の変化を的確に分析し,現実的で柔軟な台湾政策を探求している。黄嘉樹は,2007年6月11日,台湾の政治大学東亜研究所主催の「両岸和平学術研討会」に出席し「両岸和平問題研究」と題する発表を行なった。
 黄嘉樹は,かなりの長期間にわたり台湾で統一のコンセンサスができることは難しいと認めたうえで,胡錦濤政権の台湾政策を解説し,「統一」に代わって「和平発展」という用語が多く使われるようになったこと,「両岸和平穏定発展架構」(胡錦濤の17回大会報告では「両岸関係和平発展框架」と表現)という概念は統一を急がないという政策の具体化であると指摘する。黄嘉樹によれば,これは台湾への誠意ある妥協であり,大陸が台湾の民心をさらに理解し,台湾問題の解決にさらに忍耐強くなったことを反映しているという。だが,これだけでは,両岸関係は戦争がないというだけの低レベルの和平が確保されているにすぎない。黄は,和平のレベルを上げるためには,大陸は,「相互に隷属しない二つの法制系統が存在する現実を直視する必要がある」「台湾の民選公権力機構を無視していてはだめだ」と踏み込んでいる。一方で,「大陸は台湾が一つの主権国家であると決して認めることはできないことを台湾は認識しておくべきである」と指摘することも忘れない。
 これだと従来と同じで新たな展開は難しい。黄は,双方が不満ではあるが受け入れ可能な法理論述が必要だとする。大陸は一つの中国原則を基礎とすることを変えることができない。では行き詰った両岸関係どう打開するのか?黄は,一つの中国原則について,民族アイデンティティを新しい尺度とし,「中華民族は分裂しないことを堅持しさえすれば,一つの中国原則を堅持することに等しい」という新しい解釈を示した。黄は,台湾側が“中国人”であることを受け入れることに抵抗感があることに配慮し,対策を用意している。黄は,“中国人”の定義について,北京側は「中華人民共和国の国籍を持つ者および台湾の公権力機構が承認する台湾戸籍を持つ者」とし,台北側は「中華民国の国籍を持つ者および大陸の公権力機構が承認する大陸戸籍を持つ者」とすればよいと提案している。この定義を使えば,中国側の言う「主権と領土が分裂していない」という“現状”も,台湾側が言う「両岸には互いに隷属しない二つの法制体系が存在している」という“現実”もカバーすることができると黄は考えている。
 台湾においては,自分は台湾人であると考える人,中国人であると考える人,台湾人でもあり中国人でもあると考える人が存在している。また,自分は台湾人であり,かつ,漢族であると認識している人も少なくない。黄嘉樹の議論は,このような台湾内部の複合的なアイデンティティを考察したもので,従来の中国での台湾認識の枠を超える議論である。国民党の支持者のみならず,浅い緑の支持者をも取り込むことを念頭に置いていると思われる。黄は,「民進党当局が“台湾人でありまた中国人であること,両岸関係は中国人の間の事柄であること”を承認しさえすれば,“一つの中国”原則を受け入れたと見なし,海基會と海協會は直ちに協議を再開できる」という観測気球もあげた。国民党にとっては,慎重に近づいていけば,選挙で不利にならずして手が届く観測気球であった。
 黄嘉樹は,“中国人”の概念は大きな利用価値があると台湾側に注意を促したのだが,黄の発表は,台湾ではほとんど注目を集めなかった。少なくとも陳政権は何の反応もしていない。2007年は,中国も台湾も表面上は何も変わっていないようであった。中台は,国連加盟公民投票をめぐり激しく競り合っていた。だが,中国の台湾政策は確実に黄嘉樹の提案の方向に動いていったし,馬英九の対中政策も黄の提案と符合していた。国民党副主席の江丙坤が,4月29日の国共両岸経済貿易文化フォーラムで「両岸人民はともに中華民族に属している」(『人民日報海外版』「両岸経貿文化論壇在京挙行」2007.4.30)と発言した直後に黄の提案が発表されたことは注目しておいてよいであろう。2008年3月の馬英九の当選後,中台の対話が矢継ぎ早に進行することになるが,その背後では,中国共産党の周到な台湾政策の練り直しがあった。中国は統一の優先順位を下げたことで,政策選択の幅が広くなったのである。
※筆者は,アイデンティティ問題に詳しい台湾の中央研究院の研究員2名に見解を聞いてみたが,2人とも黄の発表を知らなかった。
 中国側には,1996年,2000年の総統選挙の際には見られなかった余裕や自信も伺えた。中国の大国化と台湾経済の中国依存の深まりにより,中台のバランスは中国に有利に傾いた,ないしは,将来そのように傾くという認識が拡大している。中国共産党は,台湾の選挙については不介入を宣言し,謝長廷と馬英九に対する公式論評はいっさい控えた。代わりに中国の学者が,中国側のポスト陳水扁の大まかな認識を表明していた。
 国民党と民進党の総統候補者が決まった2007年5月,中国人民大学の時殷弘(アメリカ研究センター主任)は,「民進党政権が続いたとしても謝長廷は大陸政策を調整せざるをえなくなり,両岸関係は和諧の方向に発展する」であろうから,中国共産党にとって藍緑のどちらの候補が勝っても「大きな違いはない」とコメントした。時殷弘は,「中国崛起の要素により,中国が両岸関係の発展を主導できる,時間の利は大陸の側にある」という見方を示した(『聨合報』「學者看台海》馬謝誰贏? 對岸:差別不大」2007.5.12)
 一般には中国は馬英九の当選に大きな期待を寄せていると見られていたが,実情はもう少し複雑である。中国側は,馬英九の台湾化路線に不満があった。特に,国民党が民進党に対抗するため国連復帰公民投票を出したことは非常に憤っていた。前出の時殷弘は,「陳水扁も馬英九も票のためなら何でもする機会主義者」だと批判していた。北京聯合大学台湾研究院院長の徐博東も,国民党を直接的に批判した(『聨合報』「大陸學者:馬謝誰勝選 都是和平新契機」2007.11.12)。筆者が個人的に話を聞いた中国の学者らも馬英九に対する懸念を口にした。中国側の懸念は,大別すると,馬の実行力への懸念,馬の反共思想への懸念,馬の台湾化路線への懸念であった。
 選挙が近づいてきた2007年12月,中国の全国台湾研究会副会長の許世銓は,「北京は,馬英九と謝長廷について,どちらかの側に立つこともないし,どちらかを好むこともない」とし,中国側は台湾の選挙後に「大門を開けて待つ」と予告した(『聯合報』「台選完總統 北京將有善意」2007.12.20)。上海東亞研究所所長の章念馳は,「台湾の総統選挙後,大陸は大きな突破があるという幻想は抱いていないが,両岸の対立緊張状態は改善すると信じている」と述べた(『聯合報』「台灣主體意識 章念馳:應尊重」2007.12.20)。中国側はチャンスの到来をじっと待ち続けていた。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  3.国共両党の連携

 2007年も中国国民党と中国共産党との連携は順調にスタートしたが,年の途中から大型の交流イベントは中断された。その理由は,国民党が国連復帰公民投票を提起したことに対し共産党が不快感を示したからだとされている。2007年4月28日,連戰が訪中し胡錦濤と会談した。これは2005年の初会談以来3回目となるが,今回は両者の個別の会談はなく,訪中団の表敬訪問のような形であった。同日,北京にて第3回両岸経済貿易文化フォーラムが開催された。主な出席者は《表1》に整理した。中国側は,このフォーラムに合わせて,台湾の大学が中国において学生を募集することを解禁する,台湾地区住民に会計士,薬剤師,不動産価格鑑定士など15種類の専門資格受験資格を開放すると発表した。
 中国共産党による台湾企業取り込み工作も本格化した。2007年4月16日,「台湾同胞投資企業聨誼会」の成立大会が北京の人民大会堂で開催された。これは,中国に進出している主たる台湾企業および台湾商人を網羅した連絡団体であるが,実態は台商と中国当局との連絡会と見た方がよいであろう。新組織の栄誉会長には国務院台湾弁公室の陳雲林が,顧問や役員には国台弁の幹部や官僚が顔を並べている。初代の会長には,広東省東莞市で活動する台湾人ビジネスマン張漢文が就任した(『自由時報』「中國紅色綁架 台企聯成立」 2007.4.17)

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  《表1》 中国国民党と中国共産党との公式会談(2007年)
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 内容(場所)国民党の主要参加者共産党の主要参加者
4月28日
〜29日
第三回両岸経済貿易文化フォーラム(北京)連戰(栄誉主席),江丙坤(副主席),関中(同),林豊正(同),章仁香(同),林益世(同),郁慕明(新党主席),秦金生(親民党秘書長),約30名の国民党立法委員
※呉伯雄主席は出席していない
賈慶林(政治局常務委員),劉淇(政治局委員,北京市委書記),呉儀(政治局委員,国務院副総理),唐家璇(国務委員),陳至立(国務委員),陳雲林(台湾工作弁公室主任)
4月28日第三回連戰胡錦濤会談(北京)連戰(栄誉主席)および上記フォーラム主要参加者胡錦濤(総書記)および上記フォーラム主要参加者
7月25日台商の合法権益の保護に関する第三回国共工作会議(北京)江丙坤(副主席)鄭立中(台湾工作弁公室副主任)
※『人民日報海外版』を参照し筆者作成。

 2007年の国共の交流活動の中で目を引くのは江丙坤の活動である。国民党副主席である江丙坤が訪中すれば,『人民日報』などで動向が報じられる。2007年に中国紙で報じられた江丙坤の訪中は,《表2》のように11回にのぼる。国民党の要人の中で訪中が最も多いのは江丙坤であろう。江の訪問の目的は,経済関係のフォーラム出席,台商の投資に関係した視察が多い。江丙坤は,行く先々で精力的に省市レベルの幹部らと会談している。中国に進出している台湾企業はトラブルがあれば江丙坤に陳情し,中国側に善処を求めるというルートができている。江丙坤の背後には中国共産党との関係がよい連戰もいる。台湾からの投資を呼び込みたい中国各地の地方政府も,できるだけ有利な投資条件を確保したい台商も江丙坤の力を借りようとするので,中国における江の存在感はかなり高まった。
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  《表2》 江丙坤副主席の訪中(2007年)
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 訪問月日訪問地用 務主要訪問先
1 1月5-6日広東省中山市孫中山故居拝謁 中山市委副書記李啓紅
2 4月28日-30日北京
山西省太原市
国共公式会談出席
第三回両岸経貿文化フォーラム出席
山西省委書記張宝順
3 6月3日香港台湾大選与両岸政経関係研討会出席
4 7月2日-6日山東省威海市
湖北省武漢市
山東省威海市視察
武漢台湾ウィーク出席
威海市委書記崔曰臣
湖北省委書記兪正声
5 7月23日-26日広東省広州市
北京
天津市
広州市の台商視察
国共公式会談出席
天津市視察
広東省副省長黄龍
広州市委常委蘇志佳
天津市委書記張高麗
6 8月12日江蘇省南通市南通市視察南通市委書記羅一民
7 8月20日-21日遼寧省錦州市第六回遼寧台湾ウィーク出席遼寧省長張文岳
8 8月29日-30日雲南省昆明市昆明市,大理州視察 雲南省委書記白恩培
9 9月7日福建省アモイ市第二回海峡西岸経済区フォーラム出席
10 10月18日-19日江蘇省蘇州市
江蘇省昆山市
海峡両岸港口経済フォーラム出席
海峡両岸産業合作発展フォーラム出席
江蘇省副省長張衛国
蘇州市市長閻立
11 11月29日-30日広東省東莞市台商子弟の学校視察
※WEB版の中国紙を参照し筆者作成。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  4.中台交流の拡大

 2007年も様々な中台交流イベントが開催された。特に夏は,学生青年層を対象としたサマーキャンプやフォーラムが中国各地で開催され,台湾から多数の学生,青年が訪中した。また,7月に山東省青島市で開催された第二回両岸県市“双百”フォーラムでは,台湾の19県市の100名の議員と,中国の県市の100名の全人大代表が参加した。8月中旬には黄埔軍官学校のOBの交流会もあった。9月には中台の新聞記者の交流事業があり,中国の報道関係者9名が訪台した。他にも北京台湾科学技術フォーラムや,両岸客家フォーラム,両岸都市文化フォーラム,両岸お茶博覧会,両岸書道大家作品展,両岸登山交流会など,まさに枚挙に暇がないほど多種多様な社会的交流が中国で行なわれた。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  《表3》 2007年の両岸チャーター便
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ 期間フライト数旅客数搭乗率
春節 2/5-3/51923744581.6%
清明節 3/29-4/1242700075%
端午節 6/15-6/2242650074%
中秋節 9/21-9/3048850078%
※『中時電子報』の記事を参照し筆者作成。
 両岸チャーター便も増便された。2007年の両岸祝日チャーター便は,春節,中秋節に加えて,清明節,端午節も追加することで中台の合意ができ,年に4期間運行された。搭乗率は,《表3》のようにいずれの期間も安定し,業績好調であった。両岸直行便による便利さとビジネスチャンスを求める声はますます高まり,関係業界では,祝日チャーター便から週末チャーター便,そして両岸定期便の就航へと期待が雪だるまのように膨らんでいった(『中時電子報』「去年兩岸4項專案包機成效佳 業界盼擴大」2008.2.5)
 台湾農産物の対中輸出についても触れておきたい。2007年7月,台湾省農会と中国の海峡両岸農業交流協会の主催で「2007年台湾優質農産品展」が開催された。開催地は,上海,福州,大連,南京,広州,武漢で,台湾のマンゴー,パパイヤなどの果物,野菜,農産加工品が出展・販売された。このイベントのために,台湾から農会関係者や業者ら300人あまりが訪中した。人民日報によれば各地とも盛況であったという。中国進出の台湾企業に人民元を融資している中国輸出入銀行もこの農産品展を支援した。台湾側の中心人物は,台湾省農会総幹事の張永成である。張永成は『人民日報』のインタビューで,台湾の果物・生鮮野菜を中国市場に輸送するのに現在4日から7日かかるが,直行便が実現すればこの日数が大幅に短縮できると述べ,直行便への期待を語った(『人民日報海外版』「台湾農業界人士盼“三通” 促台農産品“登陸”常態化」2007.7.24)。中国側は,2007年も折に触れて台湾産果物の購入意欲を表明し,台湾の農民にアピールする努力を続けた。2007年9月には中国の中華全国供銷合作総社などのおよそ30人の業者が訪台し,台南県や雲林県で,バナナ,オレンジ,スターフルーツなど2000トンの果物を買い付けた(『人民日報海外版』「大陸将継続推動対台農産品採購」2007.9.27)。中国側は,台湾の総統選挙も当然念頭に置いていたであろう。
果物および果物製品の対中輸出金額の推移
※農業委員会ホームページ「農業統計」を参照し筆者作成。
 では,台湾から中国への農産物輸出はどれくらいの規模になっているのであろうか。台湾の農業委員会の統計データを見てみよう。果物を例に取ると,2007年に台湾から中国に輸出された果物および果物製品は,金額では431万米ドル,台湾の果物輸出全体の4.1%であった。これを重量で見ると,4727トンで全体の5.7%を占める。中国向け輸出はまだ規模が小さく単価も安いことが伺えるが,日本,アメリカ,香港に次ぐ4番目の輸出先である。2006年の金額が387万米ドルであったので,2006年との比較では中国向け輸出は11.4%の上昇であった。ただし,重量で見ると33.8%の上昇であったので,取扱量は着実に伸びているようだ。《図1》は,2000年から2007年までの果物および果物製品の対中輸出金額の推移を示したものである。2005年に中国が台湾産果物の優遇策を発表して以降,対中輸出は大きくジャンプした。金額はまだまだ少ないが,輸出市場として無視できなくなってきたと言える。実際の販売状況はどうであろうか。アモイ市の事例では,台湾産果物の平均価格は中国産より3倍ほど高いが,かごに入れたギフト用パッケージを使用することにより高級感がもたらされ,富裕層が贈答用に購入しているという。
 ただし,よいことばかりではない。南投県や嘉義県のウーロン茶の茶葉生産農家は,台湾の技術を取り入れた中国産ウーロン茶に海外市場でも国内市場でも脅かされている。台湾政府は中国茶の輸入を制限し,台湾で栽培していないプーアル茶のみの輸入を認めているが,ベトナム産などと称して台湾に流入しているという(『聨合報』「進口茶「台灣化」 本土茶恐泡沫化」2007.5.16)。高雄県特産のライチは,品質がよく「玉荷包」というブランド名で北米やシンガポールに輸出されていたが,中国産の「妃子笑」というブランド名のライチに押されて2年前から輸出がなくなったという。中国産ライチが価格優位だけでなく品質を向上させたためだが,皮肉にも,台湾のライチ農家が中国にわたり中国産ライチの品質向上を援助した結果だという(『中國時報』「兩岸荔枝外銷大戰 玉荷包不敵妃子笑」2007.5.18))。雲林県はにんにくの生産高が台湾一である。県産にんにくは1キロ80台湾元であるが,中国産にんにくは1キロ16.5台湾元で,5倍近い価格差がある。雲林県の農民は,中国産にんにくが東南アジア産と称して台湾に入ってきているとして規制を訴えている(『聨合報』「大陸蒜闖關? 蒜農向縣長陳情」2007.7.26)。雲林県のにんにく農家は,馬英九・蕭萬長の両岸共同市場論に不安を抱いていた。
 中国に進出する一方であった台湾企業の流れには変化も見られる。中国から撤退して台湾に戻ったり,ベトナムなど別の国に再投資をする例も出てきている。中国ビジネスでの成功談ばかりが語られていたが,この2,3年の賃金の上昇,税制の変更,環境保護規制の強化などで,基本的に中国進出で利益をあげることは以前より困難を増している。そのほか,地元当局の嫌がらせにあったり,会社を乗っ取られたりして,中国で事業に失敗した例も多々あることが知られるようになってきた。台湾企業が多数進出していた広東省東莞市では,夜逃げ同然の撤退例も出ている(『聨合報』「超先進勞動法 台、外資大洗牌」2008.5.11,『工商時報』「東莞製鞋業 毎年倒200家」2008.6.17)。 台湾投資中国受害者協會(www.vica.org.tw)という団体もできている。にもかかわらず,中国経済はあまりにも巨大であるため,台湾側から経済的関係を制限することはますます難しくなっている。
 中台間の婚姻も増加の一途である。内政部の「人口政策白皮書2008年版」によると,1987年から2007年12月までに外国籍配偶者として台湾に移入した者は累計で39万9038人である。そのうち大陸籍が25万1198人,香港マカオ地区が1万1223人であった。大陸籍配偶者は毎年15000人のペースで増加しているので,10年後の2017年には40万人に達すると予想される。台湾の原住民の人口が48万4000人(2007年)であることを考えると,その社会的インパクトは大きいと思われる。将来,中国籍配偶者およびその子供たちが一つの政治的勢力になったり,台湾のアイデンティティに影響を及ぼしたりする可能性もある。

フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪  2007年のまとめ

 2007年の中台関係は,国連加盟公民投票をめぐる攻防の一年であった。アメリカを巻き込んだこの攻防戦は,年末に向かい徐々に結末が見えてきた。台湾内部は選挙一色となり対中政策で目立った展開はなかった。総統選挙では,中台の経済関係拡大を主張する馬英九・蕭萬長と,それに反対する民進党との間で論戦が続いた。陳政権下で閉塞感がたまり,台湾の民意は,中国への警戒はあったものの,打開を求めてしだいに中台関係拡大を容認/期待する方向に動いていった。一方,中国共産党は,ポスト陳水扁を展望して水面下で着々と準備を整えていた。 年が明けた2008年,民進党は,立法委員選挙,総統選挙,国連加盟公民投票のすべてで敗北した。馬英九の当選により,陳水扁時代の中台関係は名実共に終わりを告げた。 【完】(2008.7.3記)

「陳水扁再選後の中台関係」は,これにて完結です。
ご愛読ありがとうございました。
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陳水扁再選後の中台関係(その1)−2005年は こちら
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(その2)−2006年は こちら
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