東京外国語大学 本稿は 馬英九総統の「東シナ海平和イニシアチブ」 および 尖閣問題と日台関係 の続編です |
台湾抗議船再び出航 尖閣諸島をめぐり日中の緊張状態が続いている。中国航空機の領空侵犯,中国海軍艦艇による射撃管制用レーダー照射事件も発生した。このような中,尖閣諸島の領有権を主張する台湾に興味深い動きがあった。2013年1月24日,台湾の保釣団体活動家が乗船する抗議船(形式上は漁船)およびそれを護衛する台湾海巡署の巡視船4隻が尖閣諸島周辺の接続水域に入った(1)。海上保安庁は巡視船8隻を出し放水によって対応した。中国の海洋監視船3隻も現場に近づいたので,日中台の公船が初めて尖閣諸島周辺で対峙する事態となった。 抗議船「全家福号」を出した保釣団体(中華保釣協会)の黄錫麟らの意図は,日台漁業交渉の雰囲気をぶち壊し,領土問題で中台連携を促進することにあったと考えられる。中華保釣協会内部で主導権争いがあったことから,黄錫麟ら主流派のパフォーマンスという側面も考えられる。日本側では,馬英九政権が抗議船の出航を容認したとして警戒感が広がった。アメリカ側からも懸念の表明があった。 馬政権は,抗議船は漁船として登録されているので出航を止めることはできないとしながらも,日本側に情報を提供した。そのため,海上保安庁は抗議船の動きを知り事前に巡視船を配置することができた。また,台湾海巡署の巡視船は中国の海洋監視船に対し,拡声器と電光掲示板を使い,「釣魚台は中華民国の領土である。ここは中華民国釣魚台の海域である。直ちに立ち去るように」(釣魚台是中華民國領土,這裡是中華民國釣魚台海域,請馬上離開)と要求した。この動作は,現場において中台連携拒否を行動で示したものである。 外交部声明 馬政権はこれまでも領土問題で中台連携はしないと表明してきたが,通り一編の言及のような印象もあったし,中国側から連携を求める声が高まっていたため,台湾がどういう態度を取るのかに常に注目が集まっていた。今回,中台の公船同士(公権力執行者同士)が尖閣諸島海域で初めて出くわす事例が発生した。馬政権はこの事態をうけ台湾の立場を明確にする新たな文書を作成した。それが2013年2月8日付の外交部声明である。「釣魚台の争いにおいて中国大陸と合作しない我が国の立場」と題する声明は,中国と連携しない理由を以下の5点にまとめている。 (1)双方の主張の法的論拠が異なる (2)争いを解決する構想が異なる (3)中国大陸は我が方が統治権を有することを承認してない (4)中国大陸の介入により台日漁業交渉が影響を受けている (5)東アジアの地域バランスおよび国際社会の関心を顧慮する必要がある これらは従来の中華民国政府の立場を整理したものであるが,いくつか新たな論点も見られる。以下,簡単に紹介していく。(1)は,尖閣諸島が中華民国の領土である根拠として1952年の「日華平和条約」を挙げて,中国側がそれを認めないから合作できないとする。「日華平和条約」は,中華民国が台湾に主権を有することの根拠として馬政権が位置付けているものである。これについては,中国側はまったく受け入れることができない。この議論を合作拒否の理由のトップに持ってきたことは,領土問題での連携を否定しただけではなく,中台間で開始されるとの観測がある政治対話についても馬政権は事実上拒否する意思を明確にしたという意味を持つ。 (2)は,具体的には馬総統が提唱した「東シナ海平和イニシアチブ」を中国側が無視していることへの反発である。日本政府は玄葉外相(当時)が「台湾のみなさんへ」というメッセージを発し,留保をつけながらも一定の賛意を表した。中国は公式には沈黙を続けているが,関係方面では馬の提案に不快感を抱いている。声明では,中国が平和的解決を目指しているのか疑問を呈している。中国大陸が国際司法裁判所への付託に反対していること,過去5回領土戦争を行なったという指摘は非常に重いものである。 筆者は,馬英九の総統としての目標は中華民国の存在を(承認は無理でも)否定されない状態(互不否認)にもっていくことにあると考えてきた。胡錦濤政権の対台湾政策は,江沢民時代と比べて台湾の統治権をあからさまに否定する言動を控えるようになった。それが中台の関係改善につながった。しかし,馬英九は「否定しないこと」の具体的な証を求めているようだ。それが(3)の,両岸が対等の立場で釣魚台問題を話し合うのでなければ合作はできないという項目である。これも中国にとってはハードルが極めて高い。中国側は「釣魚台は中華民族の領土である」というスローガンを繰り返すことで台湾を取り込もうとしているが,馬政権はそれに応じるつもりはない。 (4)は,日台漁業交渉を中国が邪魔するから合作はできないとする注目すべき理由である。中国側は日台漁業交渉に対し公式コメントを出していないが,内心では快く思っていないことは公然の秘密と言ってよい。昨年11月以降,中国側の意に沿う台湾の学者・評論家の談話などが台湾紙に掲載され,「漁業のために主権を犠牲にしてよいのか」という形の言論で馬政権に圧力をかける動きが表面化していた。水面下でも中国側からの働きかけがあったと考えられる。(4)は,日台間の話し合いで中国側の指図は受けないという馬政権の強い意思表示である。 (5)は,要するに安全保障で米日との関係が重要であるから,中国との連携はできないという表明である。これは馬英九の安全保障政策の基本であるが,中国に対して明示的に表明することを避けてきた。しかも,中国が第一列島線の突破を望んでいるとしてそれを牽制している。中国側がさまざまな形で提案している軍事信頼メカニズムの構築に馬政権は応じないという意思表示でもある。 目立たないが明確なメッセージ このように,この声明は,尖閣諸島問題だけでなく今後の中台関係にも影響する事項を含む重要文書である。外交部は,春節の直前,記者発表もせずホームページの奥まったところにこの声明を掲載した(2)。同時に台湾漁業署は,1月に出航した抗議船「全家福号」を法令違反があったとして3カ月の出港停止処分にした(3)。馬英九は,春節後の2月18日,春節休暇で台湾に戻ってきた台商代表を前にした非公開の会合でこの話をし,官製メディアの中央通訊社から簡略化した記事「兩岸不聯手保釣 總統提3理由」を配信させた(4)。他の台湾メディアは,一部が中央通訊社の記事を転載しただけで独自の報道はない。おそらく政権側から各メディアに報道自粛の要請があったのであろう。日本メディアで2月18日の馬発言を報じたのは, 2月21日付『産経新聞』と 23日付『毎日新聞』 だけである。 外交部声明が中国向けであると同時にアメリカに向けた態度表明であることは疑いないが,馬英九はアメリカの客が来たときにさりげなく表明する方法もあったのに,あえて台商にこの話をしたことにも注目しておきたい。このとき台商は中国の意を受け国民党に両岸連携を訴えにきていたのである(5)。馬政権は,メディアが騒いで中国を刺激するのを避けることで中国に配慮すると同時に,中国に対し明確に意思表示をすることを選択したことが読み取れる。 中国側は,『人民日報』は無視したが,『環球時報』は馬発言の事実関係の紹介(中央通訊社記事と同じ)および邱毅,林正義らのコメントを載せた。環球サイトの討論区では馬英九への反発発言が多数出ている。しかし,国台弁など中国の関係機関は沈黙している。馬英九に対しては,「東シナ海平和イニシアチブ」を提起したこと自体すでに不快感を抱いていたところにこの発言であるから,担当者らの心中は穏やかでないと思われる。 しかし,中国は表面的にはこの声明はなったかのように振る舞い既定路線を進むであろう。海協会・海基会の事務所の相互開設,ECFAの関連協定の締結など事務ベースで進んできた両岸交流事業は続けるであろう。ここで怒ってテーブルをひっくり返せば,胡錦濤の「両岸関係の平和的発展」路線は誤りであったことになるし,馬英九再選を支援した国台弁の責任が問われかねなくなる。馬英九はこうした中国側の事情を計算しつくしてこの声明をまとめ,発表の方法も考えて出してきたと思われる。馬政権はこれまでどおり中台の関係拡大を続け経済的利益を確保していく腹である。 カードを切った台湾 台湾は,世界のGDPの上位三国である米中日の影響力が複雑に交差する場所にある。できるだけあいまいな形で三方から利益を確保するというのが台湾の外交戦略である。しかし,領土問題が先鋭化すれば,いままではあいまいにできたことができなくなり,間に挟まれる台湾はつらい立場に置かれる。だから馬政権は,早い時期に「東シナ海平和イニシアチブ」を打ち出して対立のエスカレートに歯止めをかけようとしたのである。同時に,馬政権は尖閣諸島問題を通じて台湾の国際的存在感を高めるという動機もある。 馬政権は,習近平指導部の登場,オバマ政権第二期のスタート,安倍政権の登場そして日台漁業交渉が進展か決裂かというタイミングを見極め,この段階で声明をまとめたのであろう。「中国とは経済関係を拡大し,米日とは政治経済および安全保障の関係を維持」というが馬英九の基本戦略であり,就任以来一貫している。これまでは抽象論ですんだが,馬政権は,米日と中国との綱引きが熾烈になる中で八方美人を続けていくとかえって追い込まれると判断したのではないか。ここを正念場と見てカードを1枚切ってきたと言える。 いずれにせよ,領土問題の先鋭化を利用して台湾を中台連携に引き込もうという中国の思惑は外れつつある。中国では水面下で馬英九に対する不満が拡大していくであろう。中国側には,日台漁業協定が締結されれば中台の和平協議ができなくなるとの見方もある。しかし,馬政権が尖閣問題で中台連携を拒否したからといって自動的に日台漁業交渉が妥結するわけではない。中国はこの先馬政権に非常に大きな圧力をかけてくるし,中台がさまざまな分野・局面で連携に向かう引力は非常に強い。日台漁業交渉が決裂すれば,中国の影響力が強まることは明らかである。 このように,日中台の三角の関係において,漁業交渉が領土問題と同じレベルで影響しあうという非常に興味深い,そして熾烈なかけひきが進行している。台湾は尖閣諸島領有権の主張を続ける。しかし,台湾は平和的解決および米台・日台関係を重視し,中国とは連携しないと宣言するカードを切った。日本側は事務レベルで静かに粘り強い外交を追求してきた。漁業交渉は安部政権の政治決断が必要である。(2013年2月27日記) |
[全文の日本語訳] (1) 双方の主張の法的論拠が異なり合作は困難
我が国の立場は,釣魚台列嶼は台湾の附属島嶼で中華民国の領土というものである。中国大陸は中華民国政府が統治権を有している事実を否定するのをやめ,両岸が平等の地位で釣魚台の争いの解決に参与することを排除してはならない。それができないのなら,双方が釣魚台問題の解決で合作することは非常に難しい。(4) 中国大陸の介入により台日漁業交渉が影響を受けている,合作は困難 我が国は「東シナ海平和イニシアチブ」を提出し,「対抗に代え対話」「交渉により棚上げ」の方式で日本とまず漁業交渉を通じて漁業の争いを解決し漁民の権利を守ることを望んでいる。中国大陸側は台日漁業交渉が主権の問題に及ぶことに明白な反対を表明し,我が方と日本との交渉のじゃまをしている。(5) 両岸合作は東アジアの地域バランスおよび国際社会の関心を顧慮する必要がある 我が国は東アジアの第一列島線の中の重要な位置にある。中国大陸は近年全力で海空軍の力を発展させ第一列島線の突破を強く望んでいる。我が国は,以前より米日と,政治・経済および国防方面で高度の共同利益を有している。両岸がこの件で軽率に合作すれば,米日および他の近隣諸国は厳重な関心を寄せ,我が国と,米日それぞれの二辺協力関係および東アジア地域の政治と軍事のバランスに影響を及ぼす。格段に慎重であるべきである。
2013年2月8日 中華民国外交部条約法律司(外務省の局に相当)
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馬英九総統の「東シナ海平和イニシアチブ」
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