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東京外国語大学 |
尖閣諸島をめぐる争いは日中の対立としてとらえられているが,台湾も領有権を主張していることを忘れてはならない。仮に日中間で何らかの了解が成立し中国の抗議行動が沈静化したとしても,台湾の抗議船が来てまた振り出しに戻る可能性がある。台湾は民主と自由という価値観を日本と共有する。また,東日本大震災の際には200億円相当もの義捐金を送ってくれた隣人である。日本との幅広い民間交流がある台湾は領土問題で日本との決定的対立を望んでいない。そして,台湾は日中が衝突する事態を本気で心配している。 そのような背景で馬英九総統は8月5日と9月7日の2回に渡り「東シナ海平和イニシアチブ」(東海和平倡議)を提唱した。馬総統は「主権は分割できないが,天然資源は共有できる」「争いを棚上げし平和的方法で解決しよう」と呼びかけている。「対立行動をエスカレートさせない,すべての関係国が自制を」という馬総統の提案を日本政府は真剣に受け止めるべきである。 馬政権は日本政府の国有化に抗議するため沈斯淳・駐日代表(駐日大使に相当)を召還した。しかし,沈代表は一日も早く帰任し,代表が司令塔となり日本の各界に馬総統の「東シナ海平和イニシアチブ」を説いて回るロビー活動を展開すべきである。日本政府関係者,国会議員,メディア関係者,専門家らに積極的に接触し,「平和イニチアチブ」の意義を理解してもらうことが望まれる。日本メディアも,領土で日本と主張が対立する台湾の指導者が中国と異なる態度を示していることをもっと報じるべきである。 日本は目先の事態沈静化を進めるとともに長期的視点で東シナ海の安定を維持するメカニズムを考えなければならない。そのためには台湾との対話が重要である。9月16-20日,松田康博氏を代表とする研究グループで台湾を訪問し,台湾政府高官および国家安全会議スタッフと面会した。民間レベルでは中台連携の話が出ているが,馬政権は領土問題で中国と連携する意思がないことが改めて確認できた。 しかし,台湾側では日本に無視されているという不満は強い。例えば日本政府は国有化後外務省の杉山アジア大洋州局長を中国に派遣したが,台湾には誰かを派遣するということをしなかった。同じく領有権を主張しているのに常に中国を向いた日本政府の姿勢に台湾は大きな不満を抱いている。馬総統の提案はそのような日本に対し台湾を重視するようアピールする狙いもある。日本外交が無策で台湾を失望させるなら,台湾で中国との連携を主張する声が高まるであろう。 中国は決して明言しないが,台湾の現状が維持されている限り中国が尖閣諸島での武力行使に踏み切る可能性はほとんどない。台湾の目と鼻の先の尖閣諸島で軍事行動を取れば台湾人はみなひっくり返る。次は台湾だという警戒感が高まり,過去10年間,胡錦濤政権が「両岸関係の平和的発展」という名で進めてきた台湾人の心をつかむという路線が吹っ飛んでしまう。中国の最高指導部は,尖閣諸島奪取の本格的な軍事行動を起こすならそれは台湾統一が実現した後,ないしは台湾との共同軍事行動が取れるようになった後と考えているに違いない。現時点ではそのような事態はこの先10年,20年のタームでは発生しないと考えられる。台湾の動向は日本にとって非常に重要である。 馬総統は1月の選挙で再選されたが国内政策でつまずき支持率が低迷している。尖閣問題の対応をめぐっては「弱腰」との批判にさらされている。支持率を上げるため対日強硬パフォーマンスに走ってもおかしくない局面で「平和イニシアチブ」を提案したことは評価に値する。台湾の本音は,尖閣の支配ではなく周辺海域の漁業で実利を確保することにある。日本政府は「領土問題は存在しない」の一点張りではなく柔軟性を示す必要がある。出先機関の交流協会は台湾政府,漁業関係者との連絡を密にし,抗議活動家との対話も進めるべきだ。日台漁業交渉を進展させ台湾の利益に配慮を示せば台湾の抗議活動は「儀式化」する可能性がある。 馬総統は,双方が自前の解釈が可能な玉虫色の「92年コンセンサス」という概念を使って中国との間で主権問題を棚上げして中台関係を改善したという自負がある。「平和イニシアチブ」にも同じような玉虫色の概念で局面を安定化させたいという狙いがある。馬総統は「平和イニシアチブ」の付随文書として漁業・鉱業・環境保護・海上安全など具体的な対話のテーマを示した「推進綱領」も発表した。いきなり台日中で話し合いとはいかないので,台日・台中・日中の三辺の対話を先行させるとしている。 これまでのところ,日本政府も中国政府も馬提案に対する態度を明確に示していない。台湾側は次のステップとして敷居を下げる工夫を考えるであろう。「平和イニシアチブ」の前段階として台日中の専門家が知恵を出し合うフォーラムを呼びかけたらおもしろい展開となる。日本側は馬総統のボールをしっかり受け止めたらよい。中国側は,拒否すれば馬総統の顔に泥を塗ることになるので慎重に検討するであろう。 (2012.9.24記) その後,10月4日,沈斯淳代表が帰任した。翌10月5日,玄葉外相が「台湾の皆様へ」というメッセージを発表,日台の深い相互信頼を強調するとともに,馬総統の「平和イニシアチブ」に対し日本政府として初めて肯定的に言及した。それに対し台湾の外交部(外務省に相当)は,玄葉メッセージを評価するとコメントした。なお,日本政府が国交のない台湾に対してメッセージを発したのは極めて異例である。(2012.10.7追記) |
馬英九総統は8月5日午前、台北賓館で外交部と国史館が共同主催する「中華民国と日本国との間の平和条約発効60周年記念展示会及びシンポジウム」に出席し、挨拶した。馬総統は、最近釣魚台列島を巡る争議が日増しに高まり、その緊張した情勢を憂慮している。このような緊張情勢を緩和するため、「東シナ海平和イニシアチブ」を提起した。それは関係国が自制し、争議を棚上げにし、平和的手段で争議を処理し、並びにコンセンサスを求め、東シナ海行動規範を作り、資源を共同開発するためのメカニズムを構築し、東シナ海の平和を確保するよう呼びかけるものである。 我々は関係国に次のように呼びかける。 一、対立行動をエスカレートしないよう自制する。 二、争議を棚上げにし、対話を絶やさない。 三、国際法を遵守し、平和的手段で争議を処理する。 四、コンセンサスを求め、「東シナ海行動基準」を定める。 五、東シナ海の資源を共同開発するためのメカニズムを構築する。 我々は「東シナ海平和イニシアチブ」を通じて、関係国に現在の北東アジアの領土問題が深刻な事態を引き起こしかねないことを直視し、平和的に争議を処理し、東シナ海の平和を維持するよう呼びかける。国家の領土と主権は分割できないが、天然資源を分かち合うことが可能である。世界には主権の争議ある海域と島嶼は少なくない。しかし、ヨーロッパ北海油田の開発は一つの成功例である。我が国が「東シナ海平和イニシアチブ」を提起するのは、関係国が争議を棚上げにして、多国間協力メカニズムを作り、東シナ海資源の共同開発をはかるためである。また連携の範囲を生態保護、海上救助、犯罪の取り締まりなどに拡大し、関係国の努力によって、東シナ海を「平和と連携の海」にしたいと切望している。 馬英九総統は9月7日午後、彭佳嶼を視察し、重要談話を発表すると共に、「東シナ海平和イニシアチブ」推進綱領を発表した。以下はその全文である。 東シナ海情勢への懸念が次第に高まっていることに対し、「領有権は中華民国にあり、争議を棚上げ、平和・互恵、共同開発」の原則に基づき、馬英九総統は2012年8月5日に「東シナ海平和イニシアチブ」を提起し、関係各国に呼びかけを行った。「東シナ海平和イニシアチブ」の効果と影響を深化させるため、この推進綱領を提起するものである。 一、推進のステップ 「東シナ海平和イニシアチブ」の推進は、2段階に分ける。説明は以下の通り:二、主要テーマ (一)漁業:二国間と多国間の漁業会談および、その他の漁業協力交流を開き、漁業協力と管理メカニズムを構築する。三、推進目標 中華民国政府は国際社会における「ピースメーカー」として、「東シナ海平和イニシアチブ」および推進綱領を提起し、関係各国が「対抗を話し合いへと変える」「臨時的な措置により紛争を棚上げする」方法を採り、地域の平和と安定を維持していくよう希望している。長期的には、現在ある「台湾と日本」「両岸(台湾と中国大陸)」「日本と中国大陸」3組の二国間対話をより一層進め、多国間協議へと邁進し、東シナ海の平和と協力を実行する。 台北で『台湾通信』を発行している早田健文氏の掘り下げたインタビュー記事がある。 「東シナ海における漁業に関する台湾での報道について」 [交流協会]2012/9/13
「交流協会を通じた台湾の皆様への玄葉外務大臣のメッセージ」 [交流協会]2012/10/5
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続編:
尖閣問題と日台関係(2012年10月)
馬政権は尖閣諸島問題で中国と連携しない(2013年2月) OGASAWARA HOMEPAGE |