『日本台湾学会報』第7号(2005年5月)掲載論文
「2004年台湾総統選挙分析―陳水扁の再選と台湾アイデンティティ」
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2004年台湾総統選挙分析レポート(1)

東京外国語大学 小笠原 欣幸

 2004年3月20日に投開票が行なわれた台湾の総統選挙は,陳水扁候補がわずか0.228%の差で野党連合の連戰候補を押さえて再選を果した。この票差が物語るように与党陣営と野党の国民党・親民党連合は激しい選挙戦を展開してきた。その戦いは投開票の結果が出てもなお収束せず,若い台湾の民主政治はどのようにして安定した政治構造を形成するのか難しい課題に直面している。本稿では,2004年総統選挙のデータを整理し,各地域の投票行動を多方面から分析し,選挙結果の数字から何が読み取れるのかを提示したい。(本格的な分析は,全投票所のデータが利用可能になる6月以降になるので,本稿は,初歩的・暫定的な分析であることをお断りしておきたい。)


1.選挙の概況

 2004年総統選挙は,基礎票で上回る野党連合の連戰候補を現職の陳水扁候補が激しく追い上げる形で進行した。およそ1年前の2003年2月,それまでライバルの関係にあった連戰と宋楚瑜が連携する「連宋配」が発表された。2000年総統選挙では,宋楚瑜が僅差の2位,連戰は大きく引き離されての3位であった。その時の敗者である二候補が,意表を突く3位2位連合を形成し数的優位を固める戦術に出たのである。劣勢に立たされた陳水扁は,しだいに台湾人意識に訴える選挙戦術に転換し,SARSに関しての中国批判,住民投票,新憲法制定の意思表示,愛台湾のスローガン,と矢継ぎ早に選挙戦を盛り上げてきた。2004年2月28日には,陳水扁陣営が「人間の鎖」で空前の規模の大動員に成功した。連戰陣営も3月13日に政権交代を訴える大動員に成功したことで,合わせて数百万人の人が直接の態度表明をする事態となった。
《表1》 2004年総統選挙の投票結果
 
陳水扁
連戰
両候補の差
得票数
6,471,970
6,442,452
29,518
得票率
50.114%
49.886%
0.229%
台湾社会内部で支持する候補をめぐって深刻な亀裂が走っていることが,職場,学校,家庭などでの口論という形で表れた。投票日の前日には銃撃事件まで発生し,社会的緊張状態の中で投開票が行なわれた。投票結果は《表1》の通りである。有権者数は16,507,179人,有効投票数は12,914,422,無効票は337,297で,投票率は80.28%であった。
 台湾で総統直接選挙が導入されて今回が3回目の選挙である。候補者数は,第1回(1996年)が4名,第2回(2000年)が3名(ただし泡沫候補を含めた全候補数は5名),そして今回は1対1の対決となった。《図1》は,過去3回の総統選挙における相対得票率の推移を示すグラフである。新党および無所属の候補は便宜上一つにまとめてある。このグラフからは,1996年選挙で李登輝が台湾政治の中央を掌握した構造が,陳水扁と宋楚瑜が代表する両サイドが伸びて中央を切り崩した2000年選挙を経て,ついに2004年選挙で中央の構造がなくなり2つの陣営が対決する状態へと変化してきたことが読み取れる。わずか8年間で台湾政治の構造は,まったく異なる形態に移行したのである。


 2000年総統選挙は台湾政治の分水嶺であった。選挙自体によって李登輝が形成した安定した中間構造が崩壊したという点でも大きなインパクトがあったが,選挙後に連戰が率いる国民党が中道路線を放棄して野党連合に向かったという点で,台湾の政治構造の変動に大きな影響を与えた。2000年総統選挙でブームを起こした宋楚瑜は,選挙後に親民党を結成した。宋楚瑜の躍進は,無所属で清新なイメージをアピールし,台湾優先を強調していたことと関係があるが,その後,親民党はイデオロギー的に中華民国意識が顕著になり,1990年代の新党と共通する要素が見られるようになった。政権を失ったとはいえ組織票を擁する国民党,台湾優先と中華民国意識を強調する親民党,そして中国意識の強い新党は,陳水扁政権に対抗するため国親新3党の野党連合を形成した。野党陣営は,そのシンボルカラーをとって藍色勢力と呼ばれる。
 一方,国民党を除名された李登輝前総統は,台湾意識の強い台湾団結連盟(台連)を立ち上げ,民進党との連携に動いた。こうして,民進党と台連との与党連合が形成された。この与党陣営は,民進党のシンボルカラーをとって緑色勢力と呼ばれる。こうして,台湾の政治構造は,中華民国意識の強い藍色陣営と台湾意識の強い緑色陣営の2大陣営に再編成されることになった。藍色陣営と緑色陣営とが正面からぶつかり合ったのが2001年立法委員選挙であった。この選挙では,2000年総統選挙で見られた現象が再度発生し,1998年の立法委員選挙で中間構造を形成していた国民党の票が民進党と親民党とに流出し,2大陣営への再編成への動きを確認するものとなった(注:小笠原欣幸「2001年立法委員選挙における得票数変動の分析」
 次の《図2》は,棄権票も含めた有権者全体の投票行動の動きを示す絶対得票率のグラフである。2000年選挙では,台湾政治の中央をめぐる三つ巴の激しい選挙戦が展開され,従来は棄権していた無関心層の票が掘り起こされ投票率が上昇した。台湾の選挙制度においては,不在者投票制度がなく,かつ,有権者は居住地ではなく戸籍のある場所で投票しなければならない。居住地と戸籍のある場所とが離れている人,当日勤務がある人,仕事や留学で海外にいる人のことなどを考慮に入れると,2000年総統選挙の82.69%という投票率は,物理的に投票可能な人はほとんどが投票したほぼ限界の数字と考えてよいであろう。2004年総統選挙では,2000年と比べて投票率が若干低下した。これは,2大陣営が対決する選挙戦でネガティブ・キャンペーンが展開され,投票意欲を失った有権者がいたことによると考えられる。しかし,2004年の80.28%という投票率も非常に高い数字であり,選挙戦の熱気の低下を意味するものではない。



2.県市別の陳水扁の得票率


 今回陳水扁の得票率が最も高かったのは台湾の南西部に位置する台南県,次いで台南県の北に隣接する嘉義県,その嘉義県の北に隣接する雲林県である。この3県は通称「雲嘉南」と呼ばれる地域である。この3県で陳水扁の得票率は60%を超え,圧倒的な強さを示した。台南県は陳水扁の出身地であり,地元候補として高得票を得たのは当然と言える。嘉義県での高得票は,もともと国民党系であった地方派閥を取り込むことに成功した結果である。雲林県は事前の予想を覆しての大躍進であった。これについては後で詳しく検討する。《図3》は,陳水扁の2000年と2004年の得票率を各県市別に棒状グラフに整理し,2004年の数値の高いものから順に並べたものである。前回との比較では,《図3》からわかるように,陳水扁はすべての県市で得票率を伸ばした。





《表2》陳水扁の県市別
得票率の変化
 
2000年
2004年
増加
総票数
39.3%
50.1%
10.8
台中県
36.5%
51.8%
15.3
南投県
34.5%
48.8%
14.3
嘉義県
49.5%
62.8%
13.3
雲林県
47.0%
60.3%
13.3
桃園県
31.7%
44.7%
13.0
澎湖県
36.8%
49.5%
12.7
苗栗県
26.8%
39.2%
12.4
彰化県
40.1%
52.3%
12.2
屏東県
46.3%
58.1%
11.8
台南市
46.1%
57.8%
11.7
高雄県
47.1%
58.4%
11.3
台東県
23.2%
34.5%
11.3
新竹市
33.8%
44.9%
11.1
新竹県
24.8%
35.9%
11.1
台南県
53.8%
64.8%
11.0
宜蘭県
47.0%
57.7%
10.7
台中市
36.9%
47.3%
10.4
台北県
36.7%
46.9%
10.2
高雄市
45.8%
55.6%
9.8
基隆市
30.8%
40.6%
9.8
嘉義市
47.0%
56.1%
9.1
花蓮県
21.4%
29.8%
8.4
台北市
37.6%
43.5%
5.9
連江県
1.8%
5.8%
4.0
金門県
3.1%
6.0%
2.9
 《表2》は,各県市別に陳水扁の得票率の増加ポイントを算出し,増加幅の大きい順に並べたものである。2000年の数値と比較してみると,陳水扁の得票率は全体で10.8ポイント上昇している。今回延び幅が最も大きかったのは台中県で,前回と比較すると実に15.3ポイント上昇している。ついで南投県では14.3ポイント上昇した。一方,最も振わなかったのは,特殊な離島である金門県,連江県,それに台北市である。台北市では,陳水扁の得票率はわずか5.9ポイント上昇したにすぎない。このように,陳水扁は確かに台湾全体で得票を伸ばしたが,地域によって大きな差があることがわかる。
 この地域差をもたらした要因は何であろうか。次の《図4》は,金門県と連江県を除いた各県市の本省人の比率と陳水扁の得票率とを散布図で示したものである。各県市の本省人の比率は,統計が発表された最後の年である1991年の省籍別人口統計を使い,外省人と先住民を除いた人口を本省人の人口としてその比率を算出したものである。客家の公式統計がないので,新竹県と苗栗県では本省人の中で客家の人口比率が非常に高いことに留意する必要がある。  陳水扁の得票率と本省人比率の相関図
 《図4》のマーカーは,2000年の陳水扁の得票率とその県市の本省人の比率を示している。マーカーは2004年の数値で,同じ県市で陳水扁の得票率が伸びた分だけ右に移動している。左下から右上への分布が正の相関,すなわち,本省人の比率が高い県市は陳水扁の得票率が高いということを示している。2000年の分布は,正の相関を示す左下から右上への分布と共に,相関を示さない左上から右上への分布も観察できた。2004年の分布は,全体として右に移動し,同時に,上部の散布がやや狭まったことで,左下から右上への傾向線が浮かび上がる。今回の総統選挙で,陳水扁の得票率と省籍との相関が強まったと言うことができるであろう。




3.台湾全368の郷鎮市区における陳水扁の得票率の伸び

 次に,地域別の投票行動をさらに分析するため県や指定都市の下の行政区である市町村および区での陳水扁の得票率の変化を調べてみる。台湾の各県市の下には郷・鎮・市,台北市と高雄市の下には区があり,これらは台湾全体で合計368ある。下の《表3》と《表4》は,全368の郷鎮市区における陳水扁の得票率の増減を算出し,伸び幅の大きい順に並べた表から,上位30の郷鎮市区と下位30の郷鎮市区とを取り出したものである。(※台南市では2004年1月より西区と中区が統合されて中西区となった。したがって,2000年の時点では郷鎮市区の数は合計369であったが,2004年の時点では郷鎮市区の数は合計368となった。統計処理においては,2000年の台南市西区と中区のデータを統合した。この変更は標準偏差の算出には影響しない。)
《表3》 陳水扁の得票率の伸び
上位30の郷鎮市区
    2000年 2004年 増加
1 桃園県新屋郷 33.93% 56.49% 22.56
2 台中県大安郷 33.29% 53.51% 20.22
3 南投県中寮郷 34.84% 54.88% 20.04
4 台北県三芝郷 24.53% 44.25% 19.72
5 台南県北門郷 47.31% 66.68% 19.37
6 南投県鹿谷郷 34.35% 52.68% 18.33
7 台中県神岡郷 40.95% 59.24% 18.29
8 台中県石岡郷 30.20% 48.46% 18.26
9 桃園県觀音郷 42.50% 60.75% 18.25
10 屏東県琉球郷 28.79% 46.58% 17.79
11 澎湖県望安郷 43.34% 61.12% 17.78
12 台南県七股郷 53.07% 70.82% 17.75
13 南投県國姓郷 29.61% 47.12% 17.51
14 台中県外埔郷 29.09% 46.13% 17.04
15 雲林県林内郷 41.55% 58.43% 16.88
16 桃園県大園郷 37.63% 54.33% 16.70
17 台東県蘭嶼郷 7.38% 24.01% 16.63
18 雲林県褒忠郷 42.93% 59.52% 16.59
19 台中県后里郷 34.21% 50.72% 16.51
20 南投県水里郷 33.19% 49.69% 16.50
21 台中県沙鹿鎮 34.39% 50.79% 16.40
22 台中県大肚郷 33.44% 49.77% 16.33
23 雲林県土庫鎮 46.43% 62.72% 16.29
24 嘉義県六脚郷 54.88% 70.85% 15.97
25 高雄県六龜郷 44.42% 60.38% 15.96
26 台中県大甲鎮 36.73% 52.68% 15.95
27 台南県將軍郷 58.07% 74.01% 15.94
28 高雄県茄萣郷 47.42% 63.35% 15.93
29 台中県清水鎮 39.37% 55.28% 15.91
30 南投県魚池郷 38.74% 54.53% 15.79
《表4》 陳水扁の得票率の伸び
下位30の郷鎮市区
    2000年 2004年 増加
339 台北市信義區 33.84% 39.18% 5.34
340 台北市内湖區 35.96% 41.29% 5.33
341 台北市中正區 34.35% 39.68% 5.33
342 宜蘭県大同郷 13.53% 18.71% 5.18
343 台北市松山區 36.35% 41.33% 4.98
344 屏東県來義郷 2.64% 7.46% 4.82
345 屏東県瑪家郷 9.85% 14.57% 4.72
346 台北市大安區 32.15% 36.84% 4.69
347 連江県南竿郷 2.24% 6.74% 4.50
348 花蓮県秀林郷 9.62% 14.03% 4.41
349 屏東県泰武郷 6.39% 10.71% 4.32
350 屏東県春日郷 4.04% 8.34% 4.30
351 台東県達仁郷 5.90% 10.05% 4.15
352 台東県金峰郷 2.87% 6.97% 4.10
353 金門県烏坵郷 4.17% 8.26% 4.09
354 台北市文山區 29.76% 33.71% 3.95
355 連江県北竿郷 1.45% 5.38% 3.93
356 屏東県獅子郷 3.57% 7.41% 3.84
357 台東県海端郷 5.26% 8.82% 3.56
358 金門県金寧郷 2.82% 6.34% 3.52
359 金門県金湖鎮 3.74% 6.96% 3.22
360 連江県莒光郷 0.56% 3.56% 3.00
361 金門県烈嶼郷 0.89% 3.81% 2.92
362 金門県金城鎮 3.61% 6.43% 2.82
363 連江県東引郷 1.34% 3.56% 2.22
364 金門県金沙鎮 2.77% 4.86% 2.09
365 宜蘭県南澳郷 7.18% 8.98% 1.80
366 花蓮県萬榮郷 8.42% 10.10% 1.68
367 花蓮県卓溪郷 6.37% 7.82% 1.45
368 高雄県茂林郷 9.77% 8.98% -0.79
 陳水扁の得票率の伸び幅が大きい上位30の郷・鎮・市・区を県市別に分類し,多い県から列挙すると,台中県9,南投県5,桃園県3,雲林県3,台南県3,高雄県2,台北県,嘉義県,屏東県,台東県,澎湖県がそれぞれ1となる。この上位30地区には,都市部に属する市と区は一つも含まれていない。人口が比較的多い鎮が3つ含まれているだけで,残りはすべて人口が少なく農漁村に属する郷である。細かく見ていくと,台中県の9つの郷鎮は,国民党系の地方派閥・地方政治家の影響力が強かった場所であり,台中県の黒派,紅派の関係者の地盤,あるいは黒道との関係を指摘される人物の地盤を含んでいる。その地方政治家の多くは,汚職取り締りで起訴されたり,2001年の立法委員選挙で落選するなどして影響力を弱めている。つまり陳水扁は,地方派閥・地方政治家の支配力の弱まった地区で得票を大きく伸ばしたということができる。南投県の5つはすべて山間部の郷で,人口構成では本省人が多く,2000年選挙では宋楚瑜の影響力が強かった場所である。ここでは,陳水扁は宋楚瑜の影響力の弱まった地区で得票を伸ばしたと言える。桃園県の3つの郷はいずれも沿海地区で,ミンナン系の人口比率の高い場所である。桃園県全体で陳水扁の得票率が伸びているが,客家,外省人,先住民の人口比率が高い地区よりもミンナン系の人口比率の高い場所での伸びが小差ではあるが上回っている。上位30の地区は,先住民居住地区である台東県の蘭嶼郷を除けば,ミンナン系人口比率の高い郷鎮で占められている。
 一方,陳水扁の得票率の伸びが低かった30の地区を分類すると,台北市6,金門県6,屏東県5,連江県4,花蓮県3,台東県3,宜欄県2,高雄県1である。整理すると,先住民の人口比率の高い地区が14,特殊な場所にある金門馬祖地区が10,そして都市部の台北市の区が6である。この台北市の6区については興味深いデータがある。2000年選挙で宋楚瑜は台北市で陳水扁を抑えてトップの得票率を得た。そのとき宋楚瑜の得票率が40%を超えた区が台北市の全12区のうち6つあったが,それら6区は今回陳水扁の得票率の伸びが最も低かった6区と一致している。これらの区は台北市において外省人の人口比率が比較的高い地区で,台北市の外省人の間で陳水扁にたいする抵抗感がかなり強いことを物語っている。
 このように郷・鎮・市・区レベルでの陳水扁の得票率を分析してみると,伸びが大きいのはミンナン系の人口比率の高い農業地区で,伸びの低いのは先住民人口比率の高い山間部,福建省に属する金門馬祖,外省人の多い都市部と整理することができる。また,伸びの大きい上位30はもともと陳水扁の得票率の高かった場所が多く,下位の30位はもともと陳水扁の得票率の低かった場所が多い。すなわち,《表3》と《表4》からは,今回の選挙で地域ごとの投票行動の違いが,より顕著になったように見える。このことを確認するため,次に全368の郷鎮市区における陳水扁の得票率を母集団としてその標準偏差を算出してみる。標準偏差は散らばりの度合いを示すもので,郷鎮市区における陳水扁の得票率の散らばりの程度が大きいほど数値が大きくなる。
《表5》 郷鎮市区における
陳水扁の得票率の標準偏差
- - - -
2000年
2004年
標準偏差
14.8
16.7
得票率平均値
36.82%
48.34%
最大値
67.85%
77.34%
最小値
0.56%
3.56%
母集団数
369
368
 《表5》にあるように,標準偏差の数値は2000年の14.8にたいし,2004年は16.7へと上昇している。3人の候補が争った選挙で得票率の標準偏差が14.8というのは,非常に大きな数値と言うことができる。候補者が2人になったことで標準偏差の数値は小さくなるのが普通だが逆に大きくなったということは,郷・鎮・市・区レベルでの選挙民の投票行動の差がさらに大きくなったことを意味する(※候補者が2人の場合は,両者の得票率の標準偏差は同じ数値になる。したがって,2004年については陳水扁と連戰の標準偏差の数値は同じで,以下の分析は双方に当てはまる。)仮にローカルな要因がまったく存在せず,選挙民の投票行動が少数の全国的なメディアにのみ影響されているとするならば,どの郷・鎮・市・区においても,陳水扁の得票率は平均値に近い数字になると考えられる。各郷・鎮・市・区での得票率の差が大きいということは,小さな地域ごとに,特定の価値観,うわさ,アイデンティティ意識などを通じて集団的な投票行動が発生した結果であると推測することができる。
 標準偏差から読み取れる政治状況を,仮の数字を使って説明してみたい。A候補とB候補の全国での得票率が50%対50%であったと仮定する。標準偏差の数値が小さいということは,どの地域社会においても,二つの勢力は50%対50%に近い比率であり,そのような状況では,日常的な会話や政治意識の発露によって反対勢力の存在を身近に意識せざるをえない。反対勢力の顕在化は,対抗意識を押さえられるわけではないが,一つの牽制要素となる。小さな地域社会で半数が反対しているという事実は,さまざまな局面で重みを持つからである。しかし標準偏差の数値が大きいということは,ある地区では70%対30%,ある地区ではその逆の30%対70%という比率が発生していることを意味する。3分の2を超える支持というのは政治的には大きな力となり,そうした地区では多数派の発想や行動が勢いづきやすい。この状況は,全国レベルで考えるとコンセンサスの形成や妥協が難しくなる要素となる。今回の総統選挙では標準偏差の数値が大きくなったという客観的状況があり,選挙後の混乱はその具体的な表れと見ることができるであろう。(2004.04.11記,2004.04.20一部修正) 【2004年台湾総統選挙分析レポート(2)に進む】

 

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