授業について
授業のねらいは何か
テキストには何を使うか
どのような形態で授業を行うか
どのような態度で授業にのぞむか
どのように予習してはならないか
どのように予習するか
授業のあとで
試験はどのように行うかスペイン語を学ぶ上での注意
2年生スペイン語購読の授業について
教師から
外国語の翻訳にあたってよく見られる誤りに二つのパターンがあります。一つは意味不明の「直訳」なるもの、もう一つは恣意的な「意訳」なるものです。こうした誤りは、高い価格をつけて書店に並んでいる有名出版社発行の翻訳書でもよくあることですが、とりわけ教室で、学生諸君がきわめて極端な形で見せてくれます。
購読の授業をやっていると「訳せますけど意味は分かりません」という弁明をよく聞きます。これは、「直訳できますけど意味はわかりません」と言いかえてもいいでしょう。
この場合の「直訳」とは、端的にいって「置き換え」です。学生諸君がテキストを読むときによくやるのは、最初から読んでいって、分からない単語が出てくるとすぐ辞書を引き、辞書に載っている訳語からそれらしきものを見つけてくると、それを原語の脇に書き込む、というものです。そして文を「直訳」する段になると、今度は訳語をつなぎあわせて日本語文にしていきます。もちろん、スペイン語と日本語とでは語順が異なりますから、ときには後ろからひっくり返して、ちょうど漢文を読むときの返り点をつけるようにして訳していきます。こうしてできあがった訳文を「直訳」と呼ぶわけです。往々にして、こうしてできあがった訳文は、助詞で相互に結びつけられた漢語の羅列となります。
他方、「意訳」というのは、文の構造にあまり注意することなく、並んでいる単語などからなんとなくそれらしい日本語文にすることであるかのように理解されていると言えます。でも翻訳というのはすべて、原文の意味を日本語に訳すという意味では「意訳」です。ただ、原語の文の構造にどれほど忠実か否か、という点で幅はありますが。
この授業では、外国語の文章を、恣意的な「意訳」ではなしにできるだけ原文に忠実に理解し、かつ意味不明の「直訳」ではなく理解できる日本語に直してやる練習をしたいと思います。
一昨年度から、インターネットのホームページ(スペインの新聞 El Pais )からダウンロードした記事をテキストに使用しています(使用した記事のタイトル)。
ちょっと硬めの、いくぶん歯ごたえがある記事を選んで読んでいきます。できるだけ面白そうなテーマを選ぶよう心がけますが、何か希望があれば遠慮なく申し出てください。
いちばんやりたくない授業の光景はたとえば次のようなものです。
まず誰か学生の一人を指名して訳させ、間違いがあったときには教師がその都度訂正し、最後に模範(?)訳を教師が口述して、学生たちが一所懸命それを筆記する、というあのよくある形態です。
学生が主体的に取り組めるような授業形態をいろいろ模索した結果、次のような形で授業を進めることにしました。
授業は90分の授業時間を前後二つに区切ります。前半は、5人程度のグループに分かれ、責任者(毎回交代します)のイニシアチブの下でグループごとにテキストを検討します。後半は、グループで未解決のまま残された疑問点を全体で検討します。
この方法のメリットはいろいろあります。前半部でのグループ討議では全員が議論に加わります。少人数ですから疑問も出しやすいし、それに対する自分のアイディアも出しやすい。
ともかくこの前半部で、たいていの疑問はあらかた解決してしまいます。理解度の進んだ学生がいわば教師役を務めてくれるからです。それゆえに、後半部では、誰もが突き当たる困難な論点を集中的に検討することができます。
この後半部でも、主役は学生です。前半でのグループの議論で解決がつかなった問題を学生が提起し、それを全体で議論していきます。
ただ、ここが教師の力量が問われる場面となります。提起された問題の質と水準を見極めて、ある場合には学生間の議論の挑発者となり、あるい場合には説明役となったりと、臨機応変に振る舞わなければならないからです。小学校の学級会で、「何か意見がありませんか」を連発する学級委員であってはならないのです。なお、昨年度の後半から、授業の第1公用語をスペイン語としました。すなわち、前半のグループの議論でも、後半の全体での議論でも基本的にスペイン語を用いるというものです。
それには理由があります。昨年度、スペイン語専攻の1、2年生に授業に関するアンケートを実施しました。その際、もっとも多かった不満の一つが会話の授業が十分ではないというものでした。しかし、ネイティブの授業をこれ以上増やすことは実質的に不可能です(ただ、今のような各学年2クラスではなく、会話に限って3クラスにする可能性については検討中です。しかし、スペイン語の外国人教師を現在の2人から1人にすることが大学全体の方針としてほぼ決まっており、そうなるとこの可能性もあまり期待できません)。そこで、日本人教官の授業もスペイン語でやってみたら、と思い立ってはじめたというわけです。
こうした形態での授業が成功するか否かは、学生がどれだけ予習をしてきたかによって決まります。
もしも学生が何の準備もせずに授業に臨めば、前半部のグループでの議論がきわめて貧弱なものになることは明らかでしょう。あらかじめテキストを自分の目で読み自分の頭で理解する努力と準備を学生がしてこなかった場合には、そのグループは単なる烏合の衆に過ぎず、「文殊の知恵」などまったく期待できません。
そして前半の討論が貧弱であれば、当然、それは後半の討論にそのまま反映されることになります。
というのも、学生の方から質問が出ない限り、後半部で議論がなされることは一切ないからです。質問が出ない場合には、その日の授業はそれでお終い。質問もないのに教師から説明することはまったくしません。
だから大事なことは「質問」、「疑問」です。これがなければ話は始まりません。だいたい「質問」や「疑問」がなければそもそも教師なんていらないわけだし。
言いかえれば、どれだけレベルの高い良質な「質問」、「疑問」を持てるかが勝負のポイントです。そうした質問、疑問を準備するのが事前の予習ということになります。
読み始めるや分からない単語が出てくるとすぐ辞書を引く。そしてそれらしい訳語を見つけるとテキストの余白に(あるいは単語帳に)書き込む。それからまた続きを読み始め、また分からない単語が出てくると辞書を引く。この作業のくりかえし。これはやめましょう。
まず、テキストを何回も読むことです。ともかく辞書を引く前に何度も読むこと。これが基本中の基本です。
はじめはほとんど分からなくても、何度も何度も読んでいるうちに、理解できる部分とできない部分が、ちょうと濃淡のあるまだら模様のように見えてくるはずです。
そうした時になって初めて辞書を使います。
その際、最初に引くべきなのは、濃淡模様の中でいちばん黒いところにある単語です。いいかえれば、この単語の意味さえ分かれば黒い部分の意味がはっきりするはず、という単語から優先的に引いていくわけです。
そうやって辞書を引くと、辞書にいくつも異なった意味が載っていても、どれがいちばんぴったりした訳語なのか見当をつけることが容易になります。
また個々の単語の意味は理解できても、単語同士のつながり具合が分からないときには文法書で調べます。かなり詳しい文法書を、巻末にある索引を利用してちょうど辞書を引くように使うとよいでしょう。
辞書や文法書を使って調べても、どうしても分からないところが残るでしょう。それを授業で解決するわけです。
以上のことはいずれもきわめて当たり前のことです。でもこの当たり前のことをやができない学生がかなりの数います。
授業ですべて疑問点を明らかにしたあとは、やったところを丸暗記しましょう。これがいちばん手っ取り早い外国語上達法です。単語や熟語をひとつひとつバラバラに覚えるのではなく、丸ごと文章で覚えてしまう。この方が本当はずっと簡単ですし、応用もきくのです。
丸暗記というと、学生諸君からはいつも「ええーっ?」という声が返ってきます。でも、予習の段階でテキストをあれこれ突っついて分析し、授業でだめ押しした後では、かなりの程度、すでに頭の中にテキストの文章がインプットされています。あとは、それを完全な形に整形してしっかりと残してやればいいのです。やってみると思った以上にずっと簡単なことが分かるはずです。
ただし、丸暗記には条件があります。最初に述べたように、「すべて疑問点を明らかにしたあと」という条件です。この条件がなければ、丸暗記しても応用がまったくききません。なお、テキストに用いた記事はネイティブに頼んでスペイン語で録音し、希望する学生はこのテープをAVセンターで自由にダビングできるようにしておきます。このテープを使えば、暗記もより簡単にできるはずです。
ここ数年、試験は次の2つの形式でやっています。すなわち、試験を第1部と第2部の2つに分け、第1部では「借文」、第2部ではスペイン語の長文読解の試験を行います。
まず、「借文」ですが、これは、授業で使ったテキストの中から応用性の高い文を選び、それを基礎にしながら一部分を入れ替えた文を作るものです。日本語の文が出題され、この日本語文をテキストの表現を利用しながらスペイン語に直せ、という問題です。このように、まったくゼロから新しいスペイン語文を創り出す「作文」ではなく、既成の文を借りながら、それを加工して文を作るという意味で「借文」と名付けました。
この「借文」の試験は持ち込み一切なしで行います。ということは、学生諸君は授業で読んだテキストを暗記しておかなくてはいけないということです。しかも単なる丸暗記だけでは駄目です。テキストにあった文を土台にしながらも、日本語文の意味通りの表現に加工しなければいけないわけですから、文の構造や品詞の用い方など文法的な知識が必要とされます。つまり、授業の予習、授業自体、そして復習の中でどれほどテキストを分析していたか、ということも試されるわけです。
具体的な例は、過去の試験問題とその解説のページを参照して下さい。
第2部の長文読解ですが、これは辞書、参考書などすべて持ち込み可です。ただし、読解の問題文は初見のテキストです。どれほど読みとる力がついたかが勝負となります。
ただ、邦訳の問題は、出るとしてもほんの一部です。というのも、邦訳の回答を見ても、本当にテキストの意味を理解して書いているのか、それとも単に「置き換え」をしているだけなのか(「訳せますけど意味が分かりません」というやつです)、判断がつきかねることがしばしばあるからで、したがって、本当にテキストを理解しているかどうか分かるような問題の出し方をします。たとえば、「この代名詞は何を指しているのか」、とか、「この文が何を言おうとしているのかを分かりやすく説明しなさい」とか、いった具合です。これも、過去の試験問題を参考にして下さい。
こうした形態の試験や丸暗記については、毎年いつも学生の方から疑問が出されます。でも学年の終わりにはほとんどの学生に理解してもらえるようになっていると思います。そうではないこともありますが。試験についての学生諸君の感想については学生の声のページを見て下さい。