学生アンケートへのコメントと2学期の授業方針案
(2000年度7月)
1.1学期の学期末試験の位置づけ
まず最初に明確にしておきましょう。小生は試験を「授業の一環」と考えています。すなわち、試験を成績評価のためだけのものとは考えていません。特に、1学期の学期末試験についてはそうです。つまり、学生諸君それぞれが1学期の自分の勉強を振り返り、どのような問題点があったのか気づいてもらうこと、そしてその反省を2学期の勉強に結びつけていくことを最大の目的としています。そしてまた、小生の試験は、このように勉強して欲しい、このように勉強をすれば必ず実力がつくから、というメッセージでもあります。
1学期の試験の際に学生諸君にアンケートを行うのもそうした意味からです。アンケートの一つの目的は、自分の授業の問題点を指摘してもらうことで2学期にその改善と軌道修正を行うためなのですが、それ以上に、小生の授業の狙いをよりよく理解してもらうために学生諸君と対話することにあります。4月の最初の授業で、勉強の仕方や授業の方針について詳しく説明しますが、その説明だけで学生諸君に分かってもらうことはまずありません。実際に授業の中で、テキストを読みながら、どのように勉強すべきか、どのように勉強してはならないか、どうすれば読む力、話す力をつけることができるのかを具体的な事例に則して何度も何度も説明することを通じて、学生諸君にいわば身体レベルで実感し納得してもらうことによってしかありません。そして試験はそれを行うための最良の機会でもあります。またアンケートも、なによりも学生諸君に1学期の授業と勉強を反省的に振り返ってもらうために実施しています。(そうであるからこそ、今回の回答率の低さには正直がっかりしています。質問項目を記載した回答用紙を準備し、必ず提出して欲しいと数度にわたり要請したにもかかわらず、提出者は受講者の半数でした)。
2.テキストについて
まず、難易度については難しいという声が圧倒的でした。と同時に、難しいけれどもこれで良いとの声もかなりありましたが。
テキストが難しい(人によっては「超」がついていました)という反応はかなり意外でした。
ある外国語を学ぶ場合、新聞を自由に読める、というのが一つの到達目標になるでしょう。「スペイン語専攻」というからには、2年生修了の時点で、辞書の世話になりながらもともかくひととおり新聞が読める、というレベルまでには到達して欲しいと思います。言い換えれば、新聞記事を「難しい」と感じずに読めるようになればそれなりの実力がついたと自分で判断してよいでしょう。
もっとも新聞記事といっても、実は記事によって難易度がかなり違います。たとえば、一般に署名入りの論説記事(El Pais では Opinion のセクションがそうです) の場合には筆者が著名人であることが多く、文章も文学的意匠を凝らした歯ごたえのあるものが普通です。それに対して、単なる事件報道は文の構造面について言えば一番やさしいものでしょう。ただ、こうした事件報道の場合には、社会背景に関する知識がないと理解が難しい場合が少なくありません。それに対して、事件の数日後に書かれる解説記事は、事件の背景やその中での位置づけについて説明がなされていることもあって初めて読むものとしては一番手頃なのではないかと思います。これまで読んできたテキストはそのほとんどがこうした解説記事です。
概して、これら解説記事はそれほど文学的修辞で飾られることもなく、比較的素直な文章です。構文的には2年生にちょうどいいと言えるのではないでしょうか。それなのになぜ学生諸君には難しく思えるのかといえば、それは単語です。2年生の段階で知っている単語(および熟語)数などたかがしれていますから、喩えて言えば、小学校1年生(あるいはそれ以下の)単語力でもって大人の新聞を読むようなものであるわけです。当然のことながら、1行に知らない単語がいくつも出てくる。それで「難しい」と感じたのでしょう。
確かに、小学校の国語の授業でのことならば、小学1年生に新聞を渡してこれを読みなさい、というのは無理な要求でしょう。でも、大学生の諸君が小学生と異なるのは、これらの「スペイン語では知らない単語」が意味している概念自体についてはすでに「日本語では知っている」という点です。小学1年生には「派閥」、「深淵」、「開発」などの単語が意味することを理解するのは難しいでしょうが、諸君は違います。4月以降これまでに読んできたテキストの単語は99パーセント、諸君が日本語でなら知っている単語です。大学生も知らないような「専門用語」などこれまで読んだテキストには一つも出てこなかったはずです。取り上げたテキストは専門書でも何でもなく、ふつうの読者を相手に書かれた新聞記事なのですから。それゆえに、回答者の一人が書いているように「専門用語の洪水で、日本語もスペイン語もわからない」というのなら、むしろそのことの方が問題です。もし本当にそうであるならば、そうした学生は日本語の新聞を読む力にもない、ということになるからです。
なお、テキストとして取り上げる記事のテーマについては、なるべく親しみやすいもの、多様なのものという基準で選んできました。最初に日本の記事を取り上げたのは、まず出だしは予備知識なしにスペイン語に集中できるものをと考えたからですし、77ヶ国グループは国際経済についての単語と知識を身につけて欲しいということで選びました。また、グアテマラ、フジモリの記事は、日本との関わりを糸口にすることで、ふだんわれわれにはあまり馴染みのない国々に近づいてもらおうと考えて取り上げました。ブラジルでのスペイン語必修化に関する記事は、政治、経済とは異なったものを、ということで選んだものです。
では、どのように勉強したらいいのか、その対策について述べましょう。
1.日本の新聞 (特に国際面)を毎日しっかり読む。
森首相についてはもちろん、77ヶ国グループの首脳会議、グアテマラのリンチ事件、フジモリの三選問題はいずれも日本の新聞でも報道されていました (ただブラジルのスペイン語の問題については小生の知る限りでは載っていませんでした)。われわれがテキストで読む「エル・パイス」の記事はどうしても数日から数週間遅れますから、ふだんから日本の新聞をちゃんと読んでいれば、「ああ、あの事件か」とすぐ分かるはずです。これは地域・国際コース志望か否かというレベルの話ではまったくありません。いやしくも Tokyo University of Foreign Studies に在籍する学生として当然の常識です。
2.出てきた単語、熟語を片っ端から覚えて自分の単語数を増やす。
「難しい」と感じる最大の理由が単語数の少ないことにあるのですから、これはしごく当然の対策でしょう。とにかく一つでも新しい単語、熟語、表現を覚える。これしかありません。
では覚えるにはどうするか。その一番効率的な方法は、じっくりと読み込み、分析しつくした文章を丸暗記する、ということです。つまり、今度の試験みたいにやればいいわけです。どうしてああした試験をするのか。その理由の一つがここにあります。よく、暗記はニガテだ、とか、大学まで来て暗記中心の勉強なんて、という声を聞きますが、ではいったい暗記することなしにどうやれば外国語が身に付くのか知りたいものです。問題はむしろいかに効率よく暗記するのか、ということにあります。そして小生の信じるところでは、小生の試験で要求されている形で暗記するのがもっとも効率的だということです。
2学期は、テキストの内容をさらに別の分野にも広げていこうと思います。生活、科学技術、情報、教育、文化、芸術、スポーツなど、いろいろな分野でのテキストを取り上げて、多方面にわたって単語力を増やしていきましょう。また、構文的にもより高度なテキストを取り上げる予定です。つまり本当の意味で「難しい」テキストを、ということで、具体的には、上でも述べた論説記事を考えています。
なお、悪文は「必ず」除いてほしい、という要望がありました。最大限努力しますが、悪文をまったく含まない文章というのもなかなかないものです。確かに、推敲に推敲を重ねたガルシア・マルケス、バルガス・リョサ、オクタビオ・パスなどの文章にはさすがにそうしたことはありませんが、日々大量に流されるジャーナリズムの文章にはしばしば悪文が紛れ込んでおり、さっと流して読むだけでは気が付かなくてもいざ厳密に分析してみると構文がおかしい、といったことがしばしば起こります。新聞記事をテキストにする限りは、これまでもやってきたように、悪文に出会ったら小生の方からそれを指摘して真似をしないようにする(つまり暗記しない)ということで切り抜けるしかないと思います。
3.授業のやり方について
現在の2部形式についてはおおむね好評でした。問題は実際の運用面でしょう。
まず何よりも深刻な問題は、A組の欠席と遅刻の多さです。恐らくは1時間目ということが最大の原因だと言えるでしょうが、それだけでもないような気がします。今年の2年生は学ぶことに対する気迫が例年よりも弱い、というのが小生の印象です。それは
(1) 予習をしてこない学生がかつてなく目立つこと
(2) 質問する学生がきわめて限られていること
(3) 前半45分でやっている訳文チェックの希望者がとくにA組の場合に極端に少ないこと (そのために時間的余裕があるので、A組の希望者には文字通りの添削をしてあげています)
(4) 多読用のテキストを借りに来る学生がきわめて少ないこと
などに表れています。特に予習をしていない学生の多さはちょっと異常です。ある時など、もう少しで「切れ」そうになりました。
特に問題なのが、遅刻と予習不足です。というのも、小生のとっている授業方法が効果を上げるためには、
(1) 前半の45分を最大限に使って学生同士で充実した議論をすること。
(2) 充実した議論のために、各人がしっかり予習をし、問題のある箇所を明確にしてくること
という二つの条件が必須だからです。
アンケートの回答でも、授業の悪い点として挙げられている中に、出席が悪かったり、予習が不十分なためにグループでの議論が進まない、という声が目立ちます。
「遅刻しても45分はだいたいだいじょうぶ」 という回答がありましたが、前半の45分は遅刻可能なタイムゾーンなどではまったくありません。この45分がどれほど充実しているかが、後半の45分の授業の質を決定的に左右します。前半の45分で貧弱な中身の議論しかできなかった場合には、後半の45分の中身も貧弱になり、結局、授業全体が中身の貧しいものとなってしまいます。
本学で教えて20年、小生は一貫して出席を成績評価に含めないという主義でやってきました。それは、小生が学生時代に授業にはあまり出なかったのに、教師になってから学生に主席を厳しく要求するのはどうも、という理由からですが、それだけではありません。
小生があるべき授業として目指しているのは、授業を、学ぶことのおもしろさを集団的に体験できる場にしていくことです。
そのためまず、学生自身が自発的に出席することです。すなわち、出席点などの物理的な強制によってではなく、なによりも学びたいという気持ちから出席することが必要です。もっとも、そのためには授業自体が面白くなくてはいけないわけで、「にわとりと卵」の関係になってしまいますが。いずれにせよ、「面白いから出る」、「出ないと損するから出る」という理由で学生諸君が出席するような授業にすることが小生の理想です。そういうわけで、出席点でしばる、ことはやりたくないし、やってきませんでした。
でも、今のように授業開始時に教室にいる学生がせいぜい5、6人、その後、さみだれ式に遅刻者がやってくるという状況では前半45分の議論がきわめて不十分なものに終わってしまい、それゆえ、後半の全体での議論もきわめて低調なものに終わってしまうことになります。いわば授業自体が成り立たなくなるわけで、何かしら思い切った対策をとらざるをえないだろう、と思い始めています。
といっても妙案はまったくありません。とりあえず考えつくのは、何らかのペナルティを課すことです。たとえば、遅刻者は減点するとか、予習をしてない者にはレッドカードを出して退場(退室)してもらうとか。実に不本意なことですが。要するにその趣旨は、出席するのなら予習をした上できちんと授業開始の時点から参加してもらいたいということです。
ともかく、この点については10月最初の授業のときに話し合った上で最終的な方針を決めたいと思います。
では、それ以外にアンケートで出された点についてお答えしましょう。
まず、大きな声で名前を呼ばれるのでびっくりして緊張してしまう、ということなので、今後はもう少しボリュームを下げましょう。その代わり(というのも何ですが)、学生諸君はもう少し大きな声を出して発言して下さい。
もっとも、こうした指摘を受けたのは初めてなので少々驚きました。また、声が大きいということよりも、緊張してしまう、あるいはあてられるかもしれないと焦ってしまう、ということの方が気にかかりました。というのも、授業はできるだけ自由な雰囲気の中で、参加者がのびのびと活発に意見を出し合う形で進めたいと思っているのですが、実際には必ずしもそうはいっていないようだからです。
これまでの印象では、学生諸君は授業中に間違えること、失敗することに対してかなり臆病だという気がします。もっと、肩の力を抜いていいのです。間違えたからといって小生が怒ることも馬鹿にすることもありませんし、皮肉もいいません。おかしな間違いだったときには、「ハハハ」と笑ってそれでおしまいです。
また質問することを恥ずかしいことなどとも思わないことです。みんなの実力は大体同じようなものです。そして前半の45分間で、グループの仲間に聞いても分からないことは、おそらくクラスの大半も分からないことです。また、どこが分からないことか分かる、というのは実はたいしたことなのです。本当に分からない人というのは、どこが分からないのか分からないからです。ともかく、ちょっとでもおかしいと思ったこと、疑問に思ったことはどんどん聞いて下さい。
それと関連しますが、「質問が出るところ以外でも重要なところに説明を加えてほしい」との要望に関しては、答は「ノー」です。何が重要そうなのか、まず自分で考えてみて下さい。テキストを読むときに、これは他でも使える表現なのか(だから重要なのか)、それとも非常に特殊な表現なのか(だから重要ではないのか)を常にチェックしながら分析してみて下さい。そして自分で調べたり、あるいは前半45分の議論でみんなに聞いたりすることで何が重要かどうかかなりの程度はっきりするはずです。でも、それでも不明なところが残るでしょう。そしたら、その箇所が重要なのかどうか、後半の45分の議論の際に質問してください。
なぜ、こうしたやり方をとるのか、分かりますよね。とにかくまず自分の力でテキストに取り組んで欲しいからです。というのもそれが実力をつけるための最短の道だからです。自分で考えただけではどうしても解決できないことを授業ではっきりさせる。そうすれば授業の意義もよりはっきりするでしょう。自分でやってできることを、わざわざ授業でやられるとしたらそうした授業が面白いはずはないでしょう。
1回あたりの量が多いとのことですが、小生の見る限り、そんなことはないと思います。第一、1回の分量はあの大きなフォントで1ページ分もないわけですし、それに、たいがいの場合、前の予告した範囲は授業時間内で全部終わってしまっています。もしも本当に難しいテキストなら質問が多くて1日に進むスピードも少ないはずです。そうした場合には次回の予告範囲も少なくなるでしょう。もしも疑問が残っているのにどんどん進んでしまう、というのなら、質問して下さい。質問があれば、いくらでもつきあいます。そのために1回で1つの段落しか進めなかったとしても、です。
ただ、テキストの予習に5時間も6時間もかかる、というのならその場合には考え直しますので、2学期最初の授業の時に、それぞれが予習にどれほどの時間をかけているのかを聞いた上で判断したいと思います。
「質問にたいし、簡単に答えすぎている。もっと生徒に考えさせるような切り返しを期待したい」とのコメントがありました。小生としては、質問を大きく二つのタイプに分けて答えています。一つは学生に考えさせても意味がない質問、もう一つは、考えさせることで読解力が深まるような質問です。前者のタイプの質問は、新しい知識に関する質問で、辞書には出ていないような単語や表現の意味とか、初級文法では学ばないような文法知識とかです。これは学生に切り返しても時間が無駄なだけで、すぐ答えています。それに対して、これまでの文法の知識を動員するなどすれば読みとれると判断した疑問点については「これは2年生ならできるでしょう」と前置きして別の角度から聞き返したり、他の複数の学生に質問したりしています。気が付きませんでしたか。
「質問するときのスペイン語がみんな同じであまりスペイン語使ういみがないと思います」というのはもっともです。かなり形骸化してますよね。2学期は前半45分の議論の際にもスペイン語中心でやるように徹底させるつもりです。
4.試験について
試験の難易度と量については、難しい、多すぎる、との声が多かったですが、形式についての批判はあまりありませんでした。
難易度についてですが、ちゃんと覚えていればそれほど難しい問題ではないと思います。むしろこの数年でもっともやさしいとさえ言えます。ただ、試験範囲となったテキストの量が例年に比べて多かったので、もしも試験前に一挙に暗記するようだったら大変だったでしょう。アンケートへの回答から見る限り、復習はかなり不十分だったようなので、2学期からは、授業が終わったらその日のうちに覚えてしまうつもりで復習して下さい。また暗誦にはテープが非常に役に立つはずです。ぜひ活用して下さい。
こうした試験の効用は、暗記をしっかりやった人なら実感として分かるはずです。そのことはメールでの回答者も述べています。
なぜ、「テキストの表現を用いて」という制限がつくのか。それについては試験の解説を見てくれれば分かるでしょう。今の諸君のレベルでは「クリエイティブな」表現など望むべくもありません。そのための基本的な蓄積がないからです。今やるべきことは、スペイン語の基本的な「型」、リズムを身につけること、単語力を増やすことです。そのための最善の方法は、しっかりと読み込んで分析しつくした文章をまるごと暗記すること以外にないと小生は確信しています。
ここで「分析しつくした」という条件に注意して下さい。文の構造を理解したままの単なる丸暗記では、実際の応用がききません。おぼえた単語や表現を実際に自分が使えるようになるためには、文法的な知識にもとづいて原文の柔軟が組み替えができなくてはなりません。「テキストを全く変えることなくそのままの形で問題を出題する」ことをしないのはそのためです。
小生が自分の授業で意図していることは、学生諸君が単にスペイン語に関する知識を身につけるだけでなく、なによりも外国語のテキストをどう読めばいいのかその方法を学んでもらうことです。試験についても、単に授業でやったことを覚えているか試すためではなく、こうやればより深く外国語のテキストを読むことができるのかということをいわば身体で理解してもらうのが狙いです。今回の試験の経験をぜひ2学期の授業に生かして欲しいと思っています。
なお、異論、反論があれば遠慮なくメールしてください。