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制字解

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天地之道,一陰陽五行而已。坤復之間為太極,而動静之後為陰陽。凡有生類在天地之間者,捨陰陽而何之。故人之聲音,皆有陰陽之理,顧人不察耳。今正音之作,初非智營而力索,但因其聲音而極其理而已。理既不二,則何得不與天地鬼神同其用也。

天地の道は,一に陰陽五行のみ。坤復の間は太極と為りて,動静の後に陰陽と為る。凡(およ)そ生類有りて天地の間に在る者は,陰陽を捨てて何(いづ)くにか之(ゆ)かん。故に人の声音,皆陰陽の理有れども,顧(た)だ人の察せざるのみ。今正音を之(こ)れ作るは,初めて智營して力索するに非ず,但だ其の声音に因りて其の理を極むるのみ。理の既に二ならざれば,則ち何ぞ天地鬼神と其の用を同じくせざるを得んや。

天地のことわりは,ただ陰陽五行のみである。坤と復の間は太極となり,動いたり留まったりした後に陰陽となる。天地の間の全ての生きとし生けるものは,陰陽を捨てたらどこへ行くのか。だから人の声にもみな陰陽の道理があるのだが,ただ人はそれを察していないだけである。今日,訓民正音を作ったのは,最初から知恵を出し力をふりしぼったのではなく,ただその声音に基づいてその道理を極めただけである。道理が二つとあるものではない以上,どうして天地の神々とその作用を同じくせずにいられようか。

ここまでの部分は,朱子学(儒学)に基づいた世界観を示している。周知のように,李氏朝鮮は儒学を国是としていたので,訓民正音を作るに当たっても儒学を理論的な支えにしていることが分かる。


正音二十八字,各象其形而制之。初聲凡十七字。牙音ㄱ,象舌根閉喉之形。舌音ㄴ,象舌附上之形。脣音ㅁ,象口形。齒音ㅅ,象齒形。喉音ㅇ,象喉形。ㅋ比ㄱ,聲出稍厲,故加畫。ㄴ而ㄷ,ㄷ而ㅌ,ㅁ而ㅂ,ㅂ而ㅍ,ㅅ而ㅈ,ㅈ而ㅊ,ㅇ而ㆆ,ㆆ而ㅎ,其因聲加畫之義皆同,而唯ㆁ為異。半舌音ㄹ,半齒音ㅿ,亦象舌齒之形而異其體,無加畫之義焉。

正音は二十八字,各々其の形を象(かたど)りて之を制(つく)る。初声は凡そ十七字なり。牙音ㄱは,舌根喉を閉すの形を象る。舌音ㄴは,舌上に附くの形を象る。唇音ㅁは,口形を象る。歯音ㅅは,歯形を象る。喉音ㅇは,喉形を象る。ㅋはㄱに比べ,声の出づること稍々(やや)厲(はげ)し,故に画を加ふ。ㄴにしてㄷ,ㄷにしてㅌ,ㅁにしてㅂ,ㅂにしてㅍ,ㅅにしてㅈ,ㅈにしてㅊ,ㅇにしてㆆ,ㆆにしてㅎ,其の声に因りて画を加ふるの義皆同じかれども,唯だㆁは異と為す。半舌音ㄹ,半歯音ㅿも亦(ま)た舌歯の形を象れども其の体を異にし,画を加ふるの義無し。

訓民正音には28の字母があり,それぞれその形をかたどって作られた。初声は全部で17字母である。牙音ㄱは,舌の奥が喉を閉ざす形をかたどっている。舌音ㄴは,舌が上あごに付く形をかたどっている。唇音ㅁは,口の形をかたどっている。歯音ㅅは,歯の形をかたどっている。喉音ㅇは,喉の形をかたどっている。ㅋはㄱに比べて,声がやや激しく出るので1画を加えてある。ㄴからㄷ,ㄷからㅌ,ㅁからㅂ,ㅂからㅍ,ㅅからㅈ,ㅈからㅊ,ㅇからㆆ,ㆆからㅎは,その声(の激しさ)に基づいて1画を加えるという意味でみな同だが,唯一ㆁだけは別である。半舌音ㄹと半歯音ㅿも舌・歯の形をかたどっているのだが,その在り方が異なっているために,1画を加えるという意味はない。

ここまでは,子音字母の創作原理を明らかにしている。中国音韻学に基づいて子音を「牙音,舌音,唇音,歯音,喉音」の5つに分類した上で,それぞれ発音器官の形を模式化して字母を5つ作っている。5つの字母は,声の出が最も弱いとする「ㄱ,ㄴ,ㅁ,ㅅ,ㅇ」を基本として,画(多くの場合,横棒)を1つ書き加える形で別の字母を作り出したという原理を示している。


牙音 ㄱ→ㅋ
舌音 ㄴ→ㄷ→ㅌ
唇音 ㅁ→ㅂ→ㅍ
歯音 ㅅ→ㅈ→ㅊ
喉音 ㅇ→ㆆ→ㅎ

ㄹとㅿは画を加えたものではないと言っている。これらはそれぞれ「舌音,歯音」に分類されず「半舌音,半歯音」という特別な部類に属しており,それに従って字母を作る際にも加画ではなく別の原理に基づいて字母の形を定めたとしている。


夫人之有聲本於五行。故合諸四時而不悖,叶之五音而不戻。喉邃而潤,水也。聲虚而通,如水之虚明而流通也。於時為冬,於音為羽。牙錯而長,木也。聲似喉而實,如木之生於水而有形也。於時為春,於音為角。舌鋭而動,火也。聲轉而,如火之轉展而揚揚也。於時為夏,於音為徴。齒剛而斷,金也。聲屑而滯,如金之屑瑣而鍛成也。於時為秋,於音為商。脣方而合,土也。聲含而廣,如土之含蓄萬物而廣大也。於時為季夏,於音為宮。

夫(そ)れ人の声有るは五行に本づく。故に諸々を四時に合して悖(もと)らず,之を五音に叶ひて戻(もと)らず。喉は邃(ふか)く潤ひて,水なり。声は虚にして通じ,水の虚明にして流通するが如きなり。時に於ては冬と為り,音に於ては羽と為る。牙は錯(まじ)はりて長く,木なり。声は喉に似て実し,木の水より生じて形有るが如きなり。時に於ては春と為り,音に於ては角と為る。舌は鋭くして動き,火なり。声は転じて(あ)がり,火の転展として揚揚たるが如きなり。時に於ては夏と為り,音に於ては徴(ち)と為る。歯は剛にして断ち,金なり。声は屑(こまか)くして滞り,金の屑瑣(せっさ)にして鍛成するが如きなり。時に於ては秋と為り,音に於ては商と為る。唇は方にして合ひ,土なり。声は含みて広く,土の万物を含蓄して広大なるが如きなり。時に於ては季夏と為り,音に於ては宮と為る。

そもそも人が声を持っているのは五行に根ざしたことである。ゆえに,それぞれを四季に照らし合わせても食い違いがなく,これらを五音に照らし合わせても食い違いがない。喉は深くて潤っているので水である。声はうつろで通っていて,水が透き通って明るく流れるのと似ている。時でいえば冬であり,音でいえば羽である。牙は互いにかみ合って長いので木である。声は喉音に似て中味が詰まっており,木が水から生じるのに形があるのと似ている。時でいえば春であり,音でいえば角である。舌は鋭くて動くので火である。声は揺らめいて揚がり,火が揺らめいて高く揚がるのに似ている。時でいえば夏であり,音でいえば徴である。歯は硬くて物を断ち切るので金である。声は細やかで滞り,金が細やかで鍛錬されてできあがるのに似ている。時でいえば秋であり,音でいえば商である。唇は四角くて合わさるので土である。声は含みがあって広く,土が万物を含んで広大であるのに似ている。時でいえば晩夏であり,音でいえば宮である。

ここでは五行説に基づいて,牙・舌・唇・歯・喉の各音と五行との関係を説いている。五行説は,万物は木・火・土・金・水の5つの要素からなるという理論だが,それぞれの要素が表す意味は以下のとおりである。


  方位 性質
角 (牙) 曲直
徴 (舌) 炎上
季夏 宮 (唇)中央 稼穡
商 (歯)西 従革
羽 (喉) 潤下

訓民正音の本文にも出てくる五音の「角・徴・宮・商・羽」は古代の音階である。また,現在の占い界では,唇音を水,喉音を土とし,訓民正音での解釈と五行の配当が入れ替わっている。


然水乃生物之源,火乃成物之用,故五行之中,水火為大。喉乃出聲之門,舌乃辨聲之管,故五音之中,喉舌為主也。喉居後而牙次之,北東之位也。舌齒又次之,南西之位也。脣居末,土無定位而寄旺四季之義也。是則初聲之中,自有陰陽五行方位之數也。

然(しか)れども水は乃(すなは)ち生物の源,火は乃ち成物の用にして,故に五行の中に,水火大と為す。喉は乃ち出声の門,舌は乃ち弁声の管にして,故に五音の中に,喉舌主と為すなり。喉後に居して牙之(これ)に次するは,北東の位なり。舌歯又た之に次するは,南西の位なり。唇末に居するは,土の定位無くして四季に寄旺するの義なり。是れ則ち初声の中に,自ずから陰陽五行方位の数有るなり。

しかしながら,水は物を生み出す源であり,火は物を作り上げる働きがあるので,五行の中では水と火が大いなるものである。 同じように,喉は声を出す門の役割をし,舌は声を分ける道具の役割をするので,五音の中では喉音と舌音が主なものである。 喉が後方にあって牙がその前にあるが,これは北と東の方位である。 舌と歯がまたその前にあるが,これは南と西の方位である。 唇が端にあるのは,土には定まった方位がなく,四季に寄り添って盛んになるという意味である。 このことは,初声の中に自ずから陰陽五行方位の数があるということである。

この部分も引き続き,五音に対する五行説の理論を展開した部分である。


又以聲音清濁而言之。ㄱㄷㅂㅈㅅㆆ,為全清。ㅋㅌㅍㅊㅎ,為次清。ㄲㄸㅃㅉㅆㆅ,為全濁。ㆁㄴㅁㅇㄹㅿ,為不清不濁。

又た声音の清濁を以て之を言ふ。ㄱㄷㅂㅈㅅㆆは,全清と為す。ㅋㅌㅍㅊㅎは,次清と為す。ㄲㄸㅃㅉㅆㆅは,全濁と為す。ㆁㄴㅁㅇㄹㅿは,不清不濁と為す。

また,声の清濁をもって語ってみる。ㄱ,ㄷ,ㅂ,ㅈ,ㅅ,ㆆは全清である。ㅋ,ㅌ,ㅍ,ㅊ,ㅎは次清である。ㄲ,ㄸ,ㅃ,ㅉ,ㅆ,ㆅは全濁である。ㆁ,ㄴ,ㅁ,ㅇ,ㄹ,ㅿは不清不濁である。

いわゆる清音・濁音に関する記述である。全清・次清・全濁・不清不濁(あるいは次濁)という用語もまた中国音韻学で用いるもので,それぞれ現代言語学の無声無気音,無声有気音,有声音,流音・鼻音に当たるものである。朝鮮語には無声音と有声音の対立がないことから,この部分は中国語に関する記述ではないかと見られる。訓民正音の始めの部分で,音を紹介するのに「“君”の字の初めに発する音と同じである」のような記述があるのを見て分かるように,訓民正音での音の記述は原則的に漢字音を用いている。これは中国語の音を用いて音を説明していると考えてよかろう。また,「ㄲㄸㅃㅉㅆㆅ」といった字母は濃音を表す字母なので,ここでの「濁音」とは濃音を指しているのではないかという見方もある。子音を一覧表にまとめると,以下のとおりである。
  牙音 舌音 唇音 歯 音 喉音 半舌音 半歯音
全 清    
次 清      
全 濁    
不清不濁    

ㄴㅁㅇ,其聲最不厲,故次序雖在於後,而象形制字則為之始。ㅅㅈ雖皆為全清,而ㅅ比ㅈ,聲不厲,故亦為制字之始。唯牙之ㆁ雖舌根閉喉聲氣出鼻,而其聲與ㅇ相似,故韻書疑與喩多相混用,今亦取象於喉,而不為牙音制字之始。盖喉属水而牙属木,ㆁ雖在牙而與ㅇ相似,猶木之萌芽生於水而柔軟,尚多水氣也。

ㄴㅁㅇは,其の声最も厲(はげ)しからず,故に次序後に在ると雖(いへど)も象形制字は則ち之を始と為す。ㅅㅈは皆全清を為すと雖も,ㅅはㅈに比して,声厲しからず,故に亦(ま)た制字の始と為す。唯だ牙のㆁは舌根喉を閉し声気鼻を出づると雖も,其の声ㅇと相ひ似たり,故に韻書の疑は喩と多く相ひ混用し,今亦た象(かたち)を喉より取りて,牙音を制字の始と為さず。蓋(けだ)し喉は水に属して牙は木に属すに,ㆁの牙に在ると雖もㅇと相ひ似たるは,猶ほ木の萌芽の水より生れて柔軟にして,尚ほ水気多きがごときならん。

ㄴ,ㅁ,ㅇは声が最も激しくないので,順番が後ろのほうにあるとはいえ,形をかたどり字を作るのにこれを出発点とした。ㅅとㅈはともに全清であるが,ㅅはㅈに比べて声が激しくないので,これまた文字作りの出発点とした。唯一,牙音のㆁは舌の奥が喉を閉ざして声と息が鼻から出るけれども,その声がㅇと似かよっているために,中国の韻書では「疑」の子音(ㆁ)と「喩」の子音(ㅇ)を多くは混同して用いており,従ってここでも形を喉音(ㅇ)から作り,牙音(ㄱ)を文字作りの出発点としなかった。たぶん,喉音は水に属し牙音は木に属すが,ㆁが牙音に属すのにㅇと似ているのは,ちょうど木の芽が水から生じて柔らかく,まだ水気の多いといったことのようなものなのだろう。

この部分はひじょうに興味深い記述である。牙音の字母はㄱを元にして作られるべきなのに,ㆁだけは喉音のㅇを元にして作られた(画面では見にくいかもしれないが,牙音のㆁはㅇの上に短い縦棒がくっついて,りんごのような形をしている)。牙音のㆁは [ŋ] (いわゆる「ng」音),喉音のㅇは子音がない「ゼロ子音」であるが,当時の中国語の発音では,音節頭の [ŋ] の音と「ゼロ子音」の混同が激しかったようである。訓民正音では,当時のそのような中国語の混同を考慮して,あえて牙音のㆁの字母の形を,喉音を元にして作ったのである。そして,その理屈をいちいち五行で説明しているのが面白い。

なお,本文に出てくる「疑」,「喩」というのは「声母」と呼ばれ,中国音韻学で子音を表すのに用いたものである。「疑」の頭の子音は [ŋ] であるが,この音を表すのに「疑」という漢字で代表させて,[ŋ] 音を「疑母」と呼んだ。



ㄱ木之成質,ㅋ木之盛長,ㄲ木之老壮,故至此乃皆取象於牙也。

ㄱは木の成質,ㅋは木の盛長,ㄲは木の老壮なり,故に此に至りて乃ち皆象を牙より取るなり。

ㄱは木の基本の性質をなすことであり,ㅋは木の生い茂ることであり,ㄲは木の老いることであるから,ここまではみな牙(ㄱ)から形を取るのである。

全清並書則為全濁,以其全清之聲凝則為全濁也。唯喉音次清為全濁者,盖以ㆆ聲深不為之凝,ㅎ比ㆆ聲淺,故凝而為全濁也。

全清を並書すれば則ち全濁と為すは,其の全清の声を以て凝ずれば則ち全濁と為るなり。唯だ喉音のみ次清の全濁と為るは,蓋しㆆの声深きを以て之が為に凝ぜざらん,ㅎはㆆに比して声浅く,故に凝じて全濁と為るなり。

全清の字母を並べて書いて全濁とするのは,全清の声が固まれば全濁になるからである。唯一,喉音だけ次清(ㅎ)が全濁(ㆅ)となるのは,おそらくㆆの声が深いためにこれが固まらないのだろう。ㅎはㆆに比べて声が浅いので,固まって全濁となるのである。

ㅇ連書脣音之下,則為脣輕音者,以輕音脣乍合而喉聲多也。

ㅇを唇音の下に連書すれば,則ち唇軽音を為すは,軽音を以て唇乍(たちま)ち合ひて喉声の多きなり。

ㅇを唇音(ㅂ・ㅃ・ㅍ・ㅁ)の下に連ねて書いて(ㅸ・ㅹ・ㆄ・ㅱ)唇軽音となるのは,軽い音で唇がさっと合わさり,喉音の声が多いからである。

唇軽音は,唇が完全に閉じない両唇摩擦音である。中期朝鮮語ではㅸ [β] のみが存在した。残りの「ㅹ・ㆄ・ㅱ」は中国語音を表記するのに用いた。
以上が初声に関する記述である。


中聲凡十一字。ㆍ舌縮而聲深,天開於子也。形之圓,象乎天也。ㅡ舌小縮而聲不深不淺,地闢於丑也。形之平,象乎地也。ㅣ舌不縮而聲淺,人生於寅也。形之立,象乎人也。

中声は凡そ十一字なり。ㆍは舌縮みて声深く,天の子(ね)より開くなり。形の円なるは,天を象るなり。ㅡは舌小縮して声深からず浅からず,地の丑より闢(ひら)くなり。形の平なるは,地を象るなり。ㅣは舌縮まずして声浅く,人の寅より生るるなり。形の立つは,人を象るなり。

中声は全部で11字母である。ㆍは舌が縮まって声が深く,天が子(ね)から開けたということである。形が丸いのは,天をかたどっているからである。ㅡは舌がやや縮まって声は深くもなく浅くもなく,地が丑から開けたということである。形が平らなのは,地をかたどっているからである。ㅣは舌が縮まらずに声が浅く,人が寅から生まれたということである。形が立っているのは,人をかたどっているからである。

母音字母は「ㆍ,ㅡ,ㅣ」の3つを基にして全ての字母が作られている。天地人の3つに基礎を置いているのは,母音も子音と同じく儒学の理論によっているからである。


此下八聲,一闔一闢。ㅗ與ㆍ同而口蹙,其形則ㆍ與ㅡ合而成,取天地初交之義也。ㅏ與ㆍ同而口張,其形則ㅣ與ㆍ合而成,取天地之用發於事物待人而成也。ㅜ與ㅡ同而口蹙,其形則ㅡ與ㆍ合而成,亦取天地初交之義也。ㅓ與ㅡ同而口張,其形則ㆍ與ㅣ合而成,亦取天地之用發於事物待人而成也。ㅛ與ㅗ同而起於ㅣ。ㅑ與ㅏ同而起於ㅣ。 ㅠ與ㅜ同而起於ㅣ。ㅕ與ㅓ同而起於ㅣ。

此の下八声は,一闔一闢す。ㅗはㆍと同じかれども口蹙(せま)り,其の形は則ちㆍのㅡと合ひて成り,天地初交の義を取るなり。ㅏはㆍと同じかれども口張り,其の形は則ちㅣのㆍと合ひて成り,天地の用の事物に発し人を待ちて成るを取るなり。ㅜはㅡと同じかれども口蹙り,其の形は則ちㅡのㆍと合ひて成り,亦た天地初交の義を取るなり。ㅓはㅡと同じかれども口張り,其の形は則ちㆍのㅣと合ひて成り,亦た天地の用の事物に発し人を待って成るを取るなり。ㅛはㅗと同じかれどもㅣより起く。ㅑはㅏと同じかれどもㅣより起く。ㅠはㅜと同じかれどもㅣより起く。ㅕはㅓと同じかれどもㅣより起く。

これより先の8字母は,1つが閉じたもので1つが開いたものである。ㅗはㆍと同じだが口がすぼまっていて,その形はㆍがㅡと合わさってできており,天地が初めて交わる意味を表したものである。ㅏはㆍと同じだが口が開いていて,その形はㅣがㆍと合わさってできており,天地の働きが事物に現れて人を待って発揮されるのを表したものである。ㅜはㅡと同じだが口がすぼまっていて,その形はㅡがㆍと合わさってできており,また天地が初めて交わる意味を表したものである。ㅓはㅡと同じだが口が開いていて,その形はㆍがㅣと合わさってできており,また働きが事物に現れて人を待って発揮されるのを表したものである。ㅛはㅗと同じだが,ㅣ([i]の音)から始まる。ㅑはㅏと同じだが,ㅣから始まる。ㅠはㅜと同じだが,ㅣから始まる。ㅕはㅓと同じだが,ㅣから始まる。

単母音の相互関係は以下のように説明されている。

  舌縮声深 舌小縮声不深不浅 舌不縮声浅
口蹙  
 
口張  

ㅗㅏㅜㅓ始於天地,為初出也。ㅛㅑㅠㅕ起於ㅣ而兼乎人,為再出也。ㅗㅏㅜㅓ之一其圓者,取其初生之義也。ㅛㅑㅠㅕ之二其圓者,取其再生之義也。

ㅗㅏㅜㅓは天地に始まり,初出を為すなり。ㅛㅑㅠㅕはㅣより起きて人を兼ね,再出を為すなり。ㅗㅏㅜㅓの其の円を一とするは,其の初生の義を取るなり。ㅛㅑㅠㅕの其の円を二とするは,其の再生の義を取るなり。

ㅗㅏㅜㅓは天や地で始まっているので,初めに出てきたものである。ㅛㅑㅠㅕはㅣ([i]の音)から始まっていて人を兼ね備えているので,2番めに出てきたものである。ㅗㅏㅜㅓの点(・)が1つなのは,それが初めに生まれたということを意味している。ㅛㅑㅠㅕの点が2つなのは,それが再び生まれたということを意味している。

現在,ハングルの母音字母は「ㅗ,ㅛ」のように長い棒と短い棒とで書かれるが,この訓民正音ができた当初,短い棒は「棒」でなく「点(・)」で書かれた。上にあるように,母音字母は「ㆍ,ㅡ,ㅣ」の組み合わせなので,そのとおりに書いたのである。ここで言っている「点」とは,現在短い棒で書かれている「・」を指している。

ㅗㅏㅛㅑ之圓居上與外者,以其出於天而為陽也。ㅜㅓㅠㅕ之圓居下與内者,以其出於地而為陰也。ㆍ之貫於八聲者,猶陽之統陰而周流萬物也。ㅛㅑㅠㅕ之皆兼乎人者,以人為萬物之靈而能參兩儀也。

ㅗㅏㅛㅑの円の上と外とに居するは,其の天より出づるを以て陽と為すなり。ㅜㅓㅠㅕの円の下と内とに居するは,其の地より出づるを以て陰と為すなり。ㆍの八声に貫くは,猶ほ陽の陰を統べて万物に周流するがごときなり。ㅛㅑㅠㅕの皆人を兼ぬるは,人を以て万物の霊にして能く両儀を参ずると為すなり。

ㅗㅏㅛㅑの点が上や外側にあるのは,それが天から出て陽であるということを表す。ㅜㅓㅠㅕの点が下や内側にあるのは,それが地から出て陰であるということを表す。ㆍが8つの母音(ㅗㅏㅛㅑㅜㅓㅠㅕ)全てに含まれているのは,あたかも陽が陰を統括して万物にあまねく流れているかのようなものである。ㅛㅑㅠㅕがどれも人(ㅣ)を兼ね備えているのは,人が万物の霊長で陰・陽ともにくみすることができることを表す。

これは,朝鮮語の母音に陽母音と陰母音の2つの系列があることを言っている。中期朝鮮語には母音調和が比較的はっきりと残っており,陽母音グループ(ㆍ,ㅏ,ㅗ)と陰母音グループ(ㅡ,ㅓ,ㅜ)そしてどちらにも属さない中性母音ㅣの3グループがあった。

陽母音
陰母音

取象於天地人而三才之道備矣。然三才為萬物之先,而天又為三才之始,猶ㆍㅡㅣ三字為八聲之首,ㆍ又為三字之冠也。

象を天地人に取りて三才の道備はれり。然れども三才は万物の先たれども,天は又た三才の始たり,猶ほㆍㅡㅣ三字,八声の首たれども,ㆍ又た三字の冠たるがごときなり。

形を天地人からとって三才の道理が備わっている。しかしながら,三才は万物に先んじているが天はさらにその三才の始めであり,あたかもㆍㅡㅣの3字母は8つの声の頭目だがㆍがさらにその3字母の頂点にあることと同じである。

ㅗ初生於天,天一生水之位也。ㅏ次之,天三生木之位也。ㅜ初生於地,地二生火之位也。ㅓ次之,地四生金之位也。ㅛ再生於天,天七成火之數也。ㅑ次之,天九成金之數也。ㅠ再生於地,地六成水之數也。ㅕ次之,地八成木之數也。

ㅗは初めて天より生じ,天一生水の位なり。ㅏは之に次し,天三生木の位なり。ㅜは初めて地より生じ,地二生火の位なり。ㅓは之に次し,地四生金の位なり。ㅛは再び天より生じ,天七成火の数なり。ㅑは之に次し,天九成金の数なり。ㅠは再び地より生じ,地六成水の数なり。ㅕは之に次し,地八成木の数なり。

ㅗは初めに天から生まれ,天1で水を生む位である。ㅏはこの次に生まれ,天3で木を生む位である。ㅜは初めに地から生まれ,地2で火を生む位である。ㅓはこの次に生まれ,地4で金を生む位である。ㅛは2度めに天から生まれ,天7で火を作る数である。ㅑはこの次に生まれ,天9で金を作る数である。ㅠは2度めに地から生まれ,地6で水を作る数である。ㅕはこの次に生まれ,地8で木を作る数である。

水火未離乎氣,陰陽交合之初,故闔。木金陰陽之定質,故闢。

水火は未だ気を離れず,陰陽交合の初なり,故に闔(と)づ。木金は陰陽の定質なり,故に闢(ひら)く。

水(ㅗ,ㅠ)と火(ㅜ,ㅛ)はいまだ気を離れておらず,陰陽が交合する始まりなので(口が)閉じている。木(ㅏ,ㅕ)と金(ㅓ,ㅑ)は陰陽が性質を定めたものなので(口が)開いている。

ㆍ天五生土之位也。ㅡ地十成土之數也。ㅣ獨無位數者,盖以人則無極之真,二五之精,妙合而凝,固未可以定位成數論也。是則中聲之中,亦自有陰陽五行方位之數也。

ㆍは天五生土の位なり。ㅡは地十成土の数なり。ㅣの独り位数無きは,蓋し人を以ってすれば則ち無極の真,二五の精の妙合して凝じ,固(もと)より未だ定位成数を以て論ずべからざるなり。是れ則ち中声の中にも,亦た自づから陰陽五行方位の数有るなり。

ㆍは天5で土を生む位である。ㅡは地10で土を作る数である。ㅣだけが位や数を持たないのは,おそらく人というものが,太極の真髄や陰陽・五行の精髄がうまく合わさって固まったもので,そもそも位を定め数を作るということで論じることができないのだろう。このようなことは,中声の中にもまた自ずから陰陽五行方位の数があるということである。

母音ㅣは中性母音で,陽母音にも陰母音にも属さない。よって「ㅣだけが位や数を持たない」と言っている。


以初聲對中聲而言之。陰陽,天道也。剛柔,地道也。中聲者,一深一淺一闔一闢,是則陰陽分而五行之氣具焉,天之用也。初聲者或虚或實或或滯或重或輕,是則剛柔著而五行之質成焉,地之功也。中聲以深淺闔闢唱之於前,初聲以五音清濁和之於後,而為初亦為終。亦可見萬物初生於地,復歸於地也。

初声を以て中声に対して之を言ふ。陰陽は天道なり。剛柔は地道なり。中声は,一に深く一に浅く,一に闔ぢ,一に闢く,是れ則ち陰陽分れて五行の気具(そな)はり,天の用なり。初声は或(あるひ)は虚なり,或は実なり,或は(あ)がり,或ひは滞り,或は重く或は軽し,是れ則ち剛柔著(あら)はれて五行の質成り,地の功なり。中声は深浅闔闢を以て之を前に唱へ,初声は五音清濁を以て之を後に和して,初と為り亦た終と為る。亦た万物の初めて地に生まれ,復た地に帰するを見るべきなり。

初声をもってして中声に対してこれを語る。陰陽は天の道理である。剛柔は地の道理である。中声は,1つは深く1つは浅く,1つは閉じていて1つは開いているが,これは陰陽が分かれて五行の気が備わるもので,天の働きである。初声は,あるものは空虚であるものは充実しており,あるものは揚がりあるものは滞っており,あるものは重くあるものは軽いが,これは剛柔が現れて五行の性質ができあがることで,地の功績である。中声が深浅・開閉をもってこれを前に言えば,初声は五音・清濁をもってこれを後に合わせて,初声になったり終声になったりする。これはまた,万物が始めに地に生まれて,また地に帰るのを見ているかのようである。

以初中終合成之字言之,亦有動静互根陰陽交變之義焉。動者,天也。静者,地也。兼乎動静者,人也。盖五行在天則神之運也,在地則質之成也,在人則仁禮信義智神之運也,肝心脾肺腎質之成也。初聲有發動之義,天之事也。終聲有止定之義,地之事也。中聲承初之生,接終之成,人之事也。

初中終之の字を合成するを以て之を言はば,亦た動静互ひに根づきて陰陽交々変わるの義有り。動は天なり。静は地なり。動静を兼ぬるは人なり。蓋し五行天に在らば則ち神の運なり,地に在らば則ち質の成なり,人に在らば則ち仁礼信義智は神の運なり,肝心脾肺腎は質の成なり。初声は発動の義有り,天の事なり。終声は止定の義有り,地の事なり。中声初を承けて之(こ)れ生じ,終に接して之れ成り,人の事なり。

初声・中声・終声が合わさってできた文字をもってして言うならば,また動と静が互いに根付いて陰陽が交わりあうという意味があるのである。動は天である。静は地である。動と静とを兼ねるのは人である。おそらく,五行が天にあれば神が巡ることであり,地にあれば性質ができあがることであり,人にあれば仁・礼・信・義・智は神が巡ることで,肝・心・脾・肺・腎は性質ができあがったことであろう。初声には生じて動く意味があるので,天の事がらである。終声には止まり定まる意味があるので,地の事がらである。中声には初声を受けて生まれ,終声に接してできあがるので,人の事がらである。

盖字韻之要,在於中聲,初終合而成音。亦猶天地生成萬物,而其財成輔相則必頼乎人也。終聲之復用初聲者,以其動而陽者乾也,静而陰者亦乾也,乾實分陰陽而無不君宰也。一元之氣,周流不窮,四時之運,循環無端,故貞而復元,冬而復春。初聲之復為終,終聲之復為初,亦此義也。

蓋し字韻の要は中声に在り,初終合ひて音を成さん。亦た猶ほ天地の万物を生成して其の財成輔相は則ち必ず人を頼るがごときなり。終声の復た初声を用ゐるは,以て其の動にして陽なるは乾なり,静にして陰なるは亦た乾なり,乾実は陰陽を分てども君宰たらざる無きなり。一元の気は周流して窮らず,四時の運は循環して端無し,故に貞にして復た元,冬にして復た春なり。初声の復た終と為り,終声の復た初と為るも,亦た此の義なり。

おそらく,字韻の要は中声にあり,初声と終声がこれに合わさって音をなすのだろう。またあたかも,天地が万物を生成して,それが有用なものとなり,その助力を得られるようにするには,人に頼るかのようである。終声が初声の字母を再度用いるのは,動にして陽であるのも乾(けん)であり,静にして陰であるのもまた乾であって,乾が実は陰陽を分けるとはいえ,主としてふるまわないことがないのである。一元の気はあまねく流れて終わりがなく,四季の遷り変わりは循環して果てがない。だから貞の後にはまた元が巡り,冬の後にはまた春が巡ってくるのである。初声が再び終声となり,終声がまた初声となるのも,またこの意味である。

吁。正音作而天地萬物之理咸備,其神矣哉。是殆天啓聖心而假手焉者乎。

ああ。正音作りて天地万物の理咸(みな)備はる,其れ神なるかな。是れ殆ど天聖心を啓(ひら)きて手を仮(か)さんや。

ああ。正音が作られたが天地万物のことわりがことごとく備わっていて,何とも神々しいことよ。これはきっと天が聖人を呼び覚まして手を貸してくれたのだろう。

訣曰
天地之化本一氣   陰陽五行相始終
物於兩間有形聲   元本無二理數通
正音制字尚其象   因聲之厲毎加畫
音出牙舌脣齒喉   是為初聲字十七
牙取舌根閉喉形   唯業似欲取義別
舌迺象舌附上   脣則實是取口形
齒喉直取齒喉象   知斯五義聲自明
又有半舌半齒音   取象同而體則異
那彌戌欲聲不厲   次序雖後象形始
配諸四時與冲氣   五行五音無不恊
維喉為水冬與羽   牙迺春木其音角
徴音夏火是舌聲   齒則商秋又是金
脣於位數本無定   土而季夏為宮音
聲音又自有清濁   要於初發細推尋
全清聲是君斗   即戌亦全清聲
若迺快呑漂侵   五音各一為次清
全濁之聲覃歩   又有慈邪又有洪
全清並書為全濁   唯洪自是不同
業那彌欲及閭穰   其聲不清又不濁
欲之連書為脣軽   唯聲多而脣乍合
中聲十一亦取象   精義未可容易觀
呑擬於天聲最深   所以圓形如彈丸
即聲不深亦不淺   其形之平象乎地
侵象人立厥聲淺   三才之道斯為備
洪出於天尚為闔   象取天圓合地平
覃亦出天為已闢   發於事物就人成
用初生義一其圓   出天為陽在上外
欲穰兼人為再出   二圓為形見其義
君業戌出於地   據例自知何須評
呑之為字貫八聲   維天之用流行
四聲兼人亦有由   人參天地為最靈
且就三聲究至理   自有剛柔與陰陽
中是天用陰陽分   初迺地功剛柔彰
中聲唱之初聲和   天先乎地理自然
和者為初亦為終   物生復歸皆於坤
陰變為陽陽變陰   一動一静互為根
初聲復有發生義   為陽之動主於天
終聲比地陰之静   字音於此止定焉
韻成要在中聲用   人能輔相天地宜
陽之為用通於陰   至而伸則反而歸
初終雖云分兩儀   終用初聲義可知
正音之字只廿八   探賾錯綜窮深幾
指遠言近牗民易   天授何曾智巧為

訣に曰く,
天地の化は本より一気,陰陽五行は相ひ始終す。
物は両間に於いて形声有り,元本二ならずして理数通る。
正音の制字は其の象を尚(たっと)び,声の厲(はげ)しきに因りて毎(つね)に加画す。
音の出づるは牙・舌・唇・歯・喉,是れ初声十七字を為す。
牙は舌根の喉を閉すの形を取り,唯だ業は欲に似て取る義別なり。
舌は迺(すなは)ち舌の上に附くを象り,唇は則ち実は是れ口形を取る。
歯・喉は直(た)だ歯・喉の象を取り,斯の五義を知れば声自ずから明らかなり。
又た半舌・半歯音有り,象を取ること同じかれども体は則ち異なる。
那・弥・戌・欲は声厲しからず,次序後と雖も象形の始なり。
諸々を四時と沖気とに配し,五行・五音に恊(かな)はざる無し。
維(こ)れ喉は水と為りて冬と羽となり,牙は迺ち春・木にして其の音角なり。
徴音は夏・火にして是れ舌声,歯は則ち商・秋にして又た是れ金なり。
唇は位數に於て本より定無く,土にして季夏,宮音と為る。
声音は又た自ずから清濁有り,初発に於て細かく推尋するを要す。
全清声は是れ君・斗・,即・戌・も亦た全清声。
若し迺ち快・呑・漂・侵・なれば,五音は各一次清と為る。
全濁の声は・覃・歩,又た慈・邪有り,又た洪有り。
全清の並書は全濁と為り,唯だ洪は虚に自るは是れ同じからず。
業・那・弥・欲及び閭・穣,其の声不清又た不濁なり。
欲の連書は唇軽と為り,唯だ声多くして唇乍(たちま)ち合ふ。
中声は十一にして亦た象を取り,精義は未だ容易に観るべからず。
呑は天に擬して声最も深く,円形なる所以は弾丸の如し。
即は声深からず亦た浅からず,其の形の平なるは地を象(かたど)る。
侵は人の立つを象りて厥(そ)の声浅く,三才の道斯く備と為る。
洪は天より出でて尚ほ闔と為り,象(かたち)は天の円なるの地の平らなるに合ふを取る。
覃亦た天より出でて已に闢と為り,事物より発して就(すなは)ち人成る。
初生の義を用ゐて其の円を一にし,天より出でて陽と為り上・外に在り。
欲・穣は人を兼ねて再出と為り,二円形を為して其の義を見(あら)はす。
君・業・戌・の地より出づるは,例に拠りて自ら知り,何ぞ評を須(もち)ひん。
呑の字を為すに八声を貫くは,維れ天の用(あまね)く流行するなり。
四声の人を兼ぬるも亦た由有り,人は天地に參じて最も靈たると為す。
且つ就ち三声至理を究めば,自ら剛柔と陰陽と有り。
中は是れ天の用にして陰陽分れ,初は迺ち地の功にして剛柔彰はる。
中声之を唱へて初声和するは,天の地に先んじ理自ずから然り。
和する者の初と為り亦た終と為るは,物生じて復た帰するに皆坤に於てす。
陰変じて陽と為り陽変じて陰,一動一静互ひに根と為る。
初声復た発生の義有り,陽の動と為りて天を主(つかさ)どる。
終声地に比べ陰の静にして,字音は此に於て止み定まる。
韻成るの要は中声の用に在り,人能く天地の宜を輔相す。
陽の用たるは陰に通じ,至りて伸ぶれば則ち反りて帰す。
初・終両儀を分つと云ふと雖も,終に初声を用ゐて義知るべし。
正音の字は只だ廿八,探賾(さく)し錯綜して深幾を窮む。
指は遠く言は近く民を牗(みちび)くこと易し,天授は何ぞ曾て智巧して為らん。

要訣に言う。
天地の変化は本来1つの気だけであり,陰陽五行は互いに終わりがない。
万物は2つの間にあって形と声があり,おおもとは2つでないので理と数が通っている。
正音の字を作るのにはその形を重んじ,声の激しさによってそのつど画を加えた。
音は牙音・舌音・唇音・歯音・喉音が出て、これが初声の十七字母をかたちづくる。
牙音は舌の奥が喉を閉ざす形をかたどるが,ただ業(ㆁ)だけは欲(ㅇ)に似てかたどる意味が異なる。
舌音は舌が上あごに付く形をかたどり,唇音は口の形をかたどっている。
歯音・喉音は歯・喉の形をかたどり,この5つの意味を知れば声はおのずと明らかになる。
また半舌音・半歯音があり,形をかたどるのは同じであるが実体が異なる。
那(ㄴ)・弥(ㅁ)・戌(ㅅ)・欲(ㅇ)は声が激しくなく,順番が後だが形をとる始めとなった。
それぞれを四季と沖気に配すれば,五行と五音に食い違いがない。
喉音は水であり冬と羽であり,牙音は春・木でその音は角である。
徴の音は夏・火で舌音であり,歯音は商・秋で金である。
唇音は位・数においてもともと定まったものがなく,土であり季夏であり宮の音である。
声音はまたおのずから清濁があり,初めに発するときに細かく推し尋ねなければならない。
全清の声は君(ㄱ)・斗(ㄷ)・(ㅂ),即(ㅈ)・戌(ㅅ)・(ㆆ)も全清の声である。
もし快(ㅋ)・呑(ㅌ)・漂(ㅍ)・侵(ㅊ)・虚(ㅎ)であれば,五音のそれぞれ1つが次清となる。
全濁の声は(ㄲ)・覃(ㄸ)・歩(ㅃ),また慈(ㅉ)・邪(ㅆ)洪(ㆅ)がある。
全清の並書は全濁となるが,洪(ㆅ)だけが次清の虚(ㅎ)に由来するのはそれらと同じでない。
業(ㆁ)・那(ㄴ)・弥(ㅁ)・欲(ㅇ)と閭(ㄹ)・穣(ㅿ)は,その声が清でもなく濁でもない。
欲(ㅇ)の連書は唇軽音となり,ただ声が多くて唇がさっと触れ合う。
中声は11個あるがやはり形をかたどり,その深い意義は容易に察することができない。
呑(ㆍ)は天を模しており声が最も深く,円い形が弾丸のようである。
即(ㅡ)は声が深くも浅くもなく,その形が平らなのは地をかたどっている。
侵(ㅣ)は人が立っている形をかたどっていてその声は浅く,三才の道がそのように備わっている。
洪(ㅗ)は天から出て閉じており,形は丸い天が平らな地と合わさるのをかたどっている。
覃(ㅏ)も天から出て開いており,事物から出現して人が出来上がる。
初生を意味を用いて丸(ㆍ)を1つとし,天から出て陽となり,初声字の上や外にある。
欲(ㅛ)・穣(ㅑ)は人を兼ねていて再出であり,2つの丸が形を作ってその意味を表している。
君(ㅜ)・業(ㅓ)・戌(ㅠ)・(ㅕ)が地から出るのは,例からおのずと分かるのでなぜ評する必要があろうか。
呑(ㆍ)の字が8つの声(ㅗㅏㅜㅓㅛㅑㅠㅕ)に全て入っているのは,天の働きがあまねく行き渡るからである。
4つの声(ㅛㅑㅠㅕ)が人(ㅣ)を兼ね備えているのも理由があり,人は天地に参与して最も優れているからである。
かつ初声・中声・終声の3声は至極の理を究めれば,おのずと剛柔・陰陽がある。
中声は天の働きなので陰と陽に分かれ,初声は地の効力なので剛と柔が現れる。
中声を唱えて初声が和するのは,天が平地に先んずるもので元々そのような理屈なのである。
和するものが初声にもなり終声にもなるのは,物が生じて再び帰るところがみな坤(地)だということである。
陰が変じて陽となり,陽が変じて陰となり,一たび動き一たび静まって互いに根となる。
初声には再び生ずる意味があるが,陽の動となって天を司るからである。
終声は地に比べ陰の静であるので,字音はここで終わって定まる。
韻が出来上がる要は中声の働きにあるが,人は天地の意義を助けるものである。
陽の働きは陰に通じ,行き当たって伸びればち戻って帰る。
初声・終声が両儀を分かつというが,終声に初声を用いる意味は知ることができる。
正音の字はた28字だけだが,奥深い道理を探り,入り交え集めて奥深いしくみを極めた。
意向は遠く言葉は近くて民を導くのに容易であるが,天の授かりものはどうして智恵や技巧でできようか。