歴    史

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朝鮮語の来歴

ルーツを探るというのは,何につけても人びとを魅きつけるものである。朝鮮語のルーツについても,昔から現在に至るまで,学術的にも民間でも,数々の話が出ては消えている。しかしながら,残念なことに,朝鮮語のルーツについてはまだはっきりしたことが分かっていない。一時期,朝鮮語は日本語とともに,アルタイ諸語(モンゴル語・チュルク語などが属する言語の一群)に属するのではないかという説があった。しかし,総合的に判断すると,朝鮮語・日本語はアルタイ諸語と関連があると断言するに十分な証拠を見いだすことが困難であるというのが,現在の言語学の定説である。

朝鮮語が「アルタイ語族」に属するという説を支える例として,例えば語頭にr音が来ないというものがある。これは日本語にもいえることだが,アルタイ語族と朝鮮語・日本語はrで始まる固有の単語がない。試しに朝鮮語・日本語の辞典を引いてみても,rで始まる単語はどれも漢語か外来語である(助詞・助動詞は接辞なので単語とみなさない。また,日本の古語辞典には「ろうたげなり」などラ行の単語があるが,これも元をただせば漢語起源である)。しかし,このような音の特徴の類似があるにもかかわらず,単語の類似性が全くない。インド=ヨーロッパ語族では,例えば英語の「father」,ドイツ語の「Vater」,ラテン語の「pater」がそれぞれ対応する単語としてあるが,朝鮮語・日本語とアルタイ語族の間にはこのような対応がない。これらの事実が,朝鮮語をアルタイ語族と見なすことのできない根拠の1つとなっている。

朝鮮語の歴史

日本社会の歴史は縄文時代から始まって弥生時代,古墳時代,奈良時代,平安時代…というように区分される。朝鮮語という言葉の歴史も同じように区分がなされる。日本の著名な朝鮮語学者であった故・河野六郎博士は,次のように区分している。

  1. 古代朝鮮語(訓民正音創製以前;~15世紀中葉)
  2. 中期朝鮮語(訓民正音創製から秀吉の朝鮮侵略まで;15世紀中葉~16世紀末)
  3. 近世朝鮮語(秀吉の朝鮮侵略以降;16世紀末~)

朝鮮語の歴史区分は学者によって異なりがあるが,例えば韓国の朝鮮語学者である李基文(イ・ギムン)博士は次のような区分を提唱しており,韓国国内ではこの区分が一般的ある。

  1. 古代語(統一新羅以前;~10世紀初頭)
  2. 前期中世語(高麗時代;10世紀初頭~14世紀末)
  3. 後期中世語(李氏朝鮮建国から秀吉の朝鮮侵略まで;14世紀末~16世紀末)
  4. 近世語(秀吉の朝鮮侵略~開化期まで;16世紀末~19世紀末)
  5. 現代語(開化期以降;20世紀以降)

中期朝鮮語は,ハングルが作られた時期の言葉で,この時期にはハングルで書かれた文献も豊富なため,朝鮮語史の上でも最も研究がさかんな時代である。



  コラム    万葉集の謎

ひところ,日本でも「日本語は朝鮮語から分かれ出た」とか「万葉集は朝鮮語で読める」ということを唱える本が一世を風靡したが,この手の話は歴史空想ロマンとしては面白いかもしれないが,実際には,ほぼ100%がこじつけとデタラメである。日本語学者の金田一春彦先生は「manyōshū(万葉集)」の「many」は「多い」,「ō」は「ode」の略で「頌歌」,「shū」は「shew(showの古語)」で,「万葉集」は「多くの頌歌の陳列」という意味だと,皮肉った。早い話が,こじつければ万葉集は何語ででも読めてしまうわけである。

そもそも,15世紀にハングルが作られる以前,朝鮮では漢字漢文で全てが書かれていたわけだから,その当時(高麗時代以前)の朝鮮語がどんなものであったかは,ほとんど解明されていない。ハングル以前には吏読(りとう)・口訣(こうけつ)・郷札(きょうさつ)など,漢字を用いて朝鮮語を表す方法がなかったわけではないが,それらはごく一部分で断片的しか残っていない上,漢字の音と訓を複雑に交えた表記法なので,どの漢字がどう読まれたのかなどは正確に分かっていないし,またそれらが音韻の複雑な朝鮮語を正確に書き表したとは考えられない。高麗時代の朝鮮語でさえ曇りガラスを通して見ているようなものなのに,古代朝鮮語の姿などは,月も出ていない闇夜で物を見ているのに等しいくらいに分かっていないのある。

今,古代朝鮮語まで辛うじてさかのぼれる単語は数えるほどしかなく,それらのうち日本語の単語と何らかの関係があると推測される単語となると,微々たるものである。それらの単語は日本語と朝鮮語がルーツが同じだと証明できるようなものではなく,せいぜい朝鮮語から日本語に借用されたものであるという程度のものに過ぎない。

ある言語とある言語の系統が同じであることを証明するには,いくつかの単語が似ているといった程度では済まされない。「なまえ」と「ナーメ」が似ているから日本語とドイツ語が同じ系統だとは言えないし,「こめ」と「コメール(食べる)」が似ているから日本語は昔スペイン語だったなどとは言えない。厳密にあてはめられた音韻の対応法則を見つけ,それが広範囲にわたって適用されねばならないのである。ある本には,あたかもそのような音韻法則を発見したかのように書かれているが,よくよく読んでみると,「Aという音は,あるときはBになり,あるときはCになり,またあるときはDになる」といった具合で,法則も何もあったものではない。系統を探るというのは,非常に緻密な研究の上にあってこそはじめて成り立つのである。


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