古代日本語いんちき解釈の一例

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 あらかじめ断っておきますが、この文章は精読するに足るものでは全くありません。言わんとすることは、おそらく最初の数行を読むだけで充分に斟酌していただけるかと思います。また、「万葉集は朝鮮語で読める」と固く信じて疑わない人は、そのような歴史空想ロマンに水をさされ、気分を害するおそれがあるので、熱いロマンを内に秘めたまま、このページを去られるのがよいかと思われます。



 古代日本語のいんちき解釈がどう行なわれているのか、詳しく見てみることにする。例はどれでも構わないが、とりあえず李寧煕氏の『もう一つの万葉集』の中から一首えらんでみよう。

 例えば、次の歌は「従来の解釈」として以下のような説明がある。
如此耳 恋哉将度 秋津野尓 多奈引雲能 過跡者無二(巻四の六九三・万葉仮名)

かくのみし 恋ひや渡らむ 秋津野に
たなびく雲の 過ぐとはなしに

(こんなふうにして 恋しつづけることであろうか 秋津野に たなびく雲のように 思いが消えてしまうというわけでもなく)   (日本古典文学全集)
(このように恋いつづけてばかりいることであろうか。秋津野にたなびいている雲のように、過ぎ去って忘れるということ無しに)  (日本古典文学大系)
 これに対し、李寧煕氏が「解読」したという新解釈では、以下のようになるそうだ。
かく急に/ともに棲まむと/いわれても/秋津野に/すべてをやめて/しりぞける/くもは住み場の/多く無かれに
(急に一緒になろうと 仰せられても 秋津野に すべてを辞めて退いている貊[こま]は 住み場があまり無いのですから)
 それでは、李寧煕氏の「解読」にそって1語1語検証してみよう。なお、解説中のハングルのローマ字表記部分は志部昭平式のローマ字表記法にし、引用した本文のルビは< >で表す。
 (1) 如此耳<がくぎ>(急に)
 「如」は韓国訓で「<がっ>」。此れを終声を消すと「<が>」。
 「此」は日本訓で「これ」「この」。第一字目の「こ」をとり、これを韓国語の「<ご>」にあてます。
 「耳」は韓国訓で「<ぎぃ>」、これを「<ぎ>」とよませます。
 三字合わせて「<がごぎ>」。「急に」意味の古代語「<ががぎ>」または「<がぐぎ>」の酷似音になるのです。現代語で「<がぷじゃぎ>」。この「如此耳」と同じことばに「如是耳」(<がちぇぎ>)と「如是耳也」(<がちぇぎや>)があります。新羅の故地である慶尚道一帯、特に慶山・永川など大邱・慶州付近、または金海・馬山・昌寧など南海地方では、現在でも使われている方言です。
 2つの言語の系統関係を調べる場合、何よりもまず基本となることは、双方の言語をより古い形にさかのぼって比べなければならないことである。これは基本中の基本だ。言語は時代とともにどんどん変化する「ナマ物」である。現代語だけを見て、それが似ているからといって大昔も似ていたとは限らない。幸いにして、日本語は古事記や万葉集など古代の言語の記録が残っており、古代語の姿をはっきりと知ることができるが、朝鮮語の場合は言語の姿をはっきりと知ることのできるハングル文献が15世紀までしかさかのぼれず、それ以前の言語に関しては漢字表記された極めて断片的な資料しか残っていない。そこで、朝鮮語はまずもって15世紀の朝鮮語(中期朝鮮語)をじっくりと調べ上げ、それ以前の古代語については中期朝鮮語の知識を基にして、慎重にその姿を推測しなければならない。

 では、李寧煕氏の「解読」を見ることにしよう。まず、「如」の韓国訓(氏は「固有語」という意味で使っているらしい)としている「 gat」だが、これは形容詞「 gat-da カッタ(同じだ)」の語幹である。一見もっともらしく見えるが、実はこの1つめの単語からして、すでに致命的な誤りがある。「」は中期朝鮮語(15世紀朝鮮語)では「 g@d」であった。ここで、母音が「(a)」ではなく「ヽ(@)」だったことの意味は大きい。母音「ヽ」は16世紀になって「」に合流して消滅するが、16世紀以前においては「」と「ヽ」は全く別個の母音であり、古代においてもそれぞれ別個の母音だったと考えられている。この母音「ヽ」は、日本語への借用においては、日本語の「ö(オ段乙類)」に対応した可能性が高いと推測される。例えば中期朝鮮語「 g@v@r (郡)」と日本語「köpöri (こほり;郡)」のように。従って、もし現代語の「」(すなわち中期朝鮮語の「」)が古代日本語に入っていたとすると、「が」ではなく「ご」という音になってしかるべきであろう。実際に、これに依拠して朝鮮語の「」が「ごとし(如)」の「ごと(götö)-」と関連があるのではないかという見解もある。李寧煕氏のように「」という現代語だけを見て「似ている」といったところで、せいぜい日本語の「なまえ」とドイツ語の「ナーメ」が似ているという程度の、笑い話にしかならないのである。
 また、李寧煕氏は「 gat」から終声(音節末子音)の「t」をとって「 ga」という形を作っているが、ここで終声を取り除くしかるべき根拠は何ひとつない。李寧煕氏は著書のここかしこで、このように終声を取り除いているが、これら全て何ら根拠のない方法だ。朝鮮語が日本語に借用されるときは、終声を落とすのではなく、むしろ後ろに母音をつけた可能性の方が大きいことも付言しておこう。左の図は、朝鮮語からの借用語と推測される日本語の例であるが、ご覧のとおり、日本語には最後に母音がついている。上に出てきた「こほり」や「ごと(し)」の場合も、母音がついた形になっている。このような事実から照らし合わせた場合、李寧煕氏の方法は何ら事実に則したものでなく、氏本人の思い込みである公算が強いのは自明の理であろう。
 このような2重の誤りによって、「如」が朝鮮語の「」であった可能性は皆無に等しい

 次に、「此」を「 go」に読ませる手段として、日本語の「これ」の「こ」を用いているが、「如此耳」という単語の最初と最後の「如・耳」を朝鮮語で読み、真ん中の「此」1つだけを日本語で読む根拠が全くない。これは、いわば「くるま」という語の「る」だけを、ぐるぐる回るから英語の「ループ(loop)」の「ル」だと言っているようなもので、滑稽と形容するのも惜しいほどのレベルの低さである。このやり方を用いていいのなら、私は朝鮮語だけともったいぶらないで、世界のあらゆる言語と日本語を結びつけて、もっとハクをつけたい(笑)。例えば「くるま」という単語なら、「く」はロシア語「kupol (ドーム)」の「ku」、「る」は英語「loop (輪)」の「loo」、「ま」はラテン語「machina (機械)」の「ma」で、「くるま」は「屋根があって車輪がある機械」とみごとに語源解釈される!! 見て分かるとおり、この手法は「語源解釈」ではなく、単なる「言葉遊び」にしかならないことは火を見るより明らかである。こういったものが、ジョーク混じりのお遊びと自認して紹介するのならともかく、「解読」などと呼んで、さももっともらしく吹聴するには、あまりにお粗末すぎはしまいか。

 「耳」は朝鮮の固有語(日本語の和語に当たる。「耳」という漢字の音ではない)で「 gui」と言うのは確かだが、これを「 gi」と短縮する根拠が全く不明瞭である。おそらく、慶尚道方言で「」と言うからと言いたいのだろうが、慶尚道方言の「」という語は、後の時代に音の単純化(ui→i)によって生じた新しい形であり、古代のものではない。上にも述べたように、より古い朝鮮語にさかのぼらねらならないのに、ここでもまた、より新しい方言形を持ち出して云々している。

 なお、「 ga-g@-gi」という古語は確かに朝鮮語に存在する。ただし、これは「古代語」ではなく「中期朝鮮語」、つまり15世紀の朝鮮語である。
 以上、「如此耳」の解釈を検討してみたが、これだけでもかなりの胡散臭さを感じる。明らかな誤りと無理なこじつけによって、もっともらしく吹聴しているだけであり、無から有をひねり出す錬金術のレベルである。
 (2)(3) 恋哉将度<さじぇしょど>(棲もうと仰られても)
 「恋」の韓国訓は「<せんがく>」(思)、「<さもはる>」(慕)など。後者の「<さもはる>」をとり、このうち第一字目の「<さ>」を使います。
 「哉」は韓国訓で「<じぇ>」。
 「将」は日本音で、「しょう」。これを酷似音の「<しょ>」にあてます。
 「度」は韓国音でも「<ど>」「ど」です。
 四字合わせて、「<さじぇしょど>」。「一緒になろうと仰られても」「同棲しようと言われても」の意で、現代語「<さるじゃしょど>」の新羅ことばです。
 「<さじぇ>」は「<さるじゃ>」(生きよう・棲もう)の新羅ことば(現在でも慶尚道地方で使用)、「<しょど>」は「<はしょど>」(「…仰られても」「…なさっても」)の約で、「<へど>」(「…言っても」「…しても」)の敬語です。
 「恋」を「さ」と読む根拠として挙げている朝鮮語「 sa-mo-har」は、実は「韓国訓」(固有語)では全然なく、漢字語である。漢字語とは、日本の漢語にあたるもので、漢字を朝鮮式の音読み(朝鮮漢字音)で読んだものである。最後の「」は日本語の「する」に当たる動詞で、その前の2字「」は「思慕」という漢語をそのまま朝鮮語読みしただけである。日本語に置きかえて言えば、「恋」の意味が漢語の「慕情」と同じだから、「ぼじょう」の頭の「ぼ」をとって「恋」と「ぼ」読んでいるようなものである。これはすでに荒唐無稽を通り越している。しかも「」は現代語である。中期朝鮮語では「思」の音は「 sa」でなく「 s@」と母音が違っていたのである。これでは「恋」を「さ」と読む根拠がなくなってしまったわけで、せっかく智恵を絞って考えたアイデアも全てパーになっている。
 「哉」を「 jai」と読むのも「韓国訓」(固有語)ではなく、単なる漢字の音読みである。
 「将」の解釈を日本語の「しょう」から作るのも、極めて根拠薄弱である。日本音「しょう」は現代語であり、古代では歴史的仮名遣いから分かるとおり「しゃう」であった(そして、当時は実際に「シャウ」と発音したということである)。従って、もし日本の音読みから「将」を解釈するのであれば、「しょ」ではなく「しゃ」でなくてはならない。つまり、ここでも「古い言葉を探れ」の大原則を完全に無視しているのである。いくら現代語で「酷似音」であっても、古代で全く別物であったら何の意味もない。現に、この「将」の場合は、古い時代には何ら酷似していないではないか。従って「将」の解釈で朝鮮語の「」と日本語の「しょ」を結びつけるのは、明々白々な誤りである。

 なお、この本では「新羅ことば」なるものがしばしば登場するが、新羅語がどのようなものであったのかは、ほとんど解明されていない。ここで出てくる「新羅ことば」なるものは、実は単に現代朝鮮語の慶尚道方言に過ぎない。慶州(慶尚道の都市)が新羅の都だったからといって、現代慶尚道方言を新羅語だと決めつけるのは、奈良弁が奈良時代の言葉だと言っているのに等しいわけで、これをまともに受け留める人はいないであろう。いくら朝鮮語のことを知らない日本人が読み手だからといっても、上のようにちょっと置きかえて考えればすぐに分かる話で、人を愚弄するにも程があるといえよう。
 本文に現れる「 (住もう)」の「 jai (「…しよう」という意味の語尾)」も慶尚道方言で、ソウル方言の「 ja」にあたる。この語尾は中期朝鮮語では「 jie」という形であった。 は、おそらく「ズィォ」のような音だったと思われるが、ほぉら、だんだんと「ジェ」から遠ざかっていくではないか。
 (4) 秋津野尓
 この部分は、日本語でそのまま「秋津野に」と詠んでいます。
  (中略)
 大伴千室は、実際「秋津野」に住んでいて、日本をも意味したその地名に「日本」を同時にかけていると考えられるのです。
 日本の古代異称は「あきづしま」(後世「あきつしま」と称しました)で、秋津島、秋津洲、阿岐豆志麻と漢字表記しました。
 この「あきづしま」を韓国語でよむと、どういう意味になるのか試してみましょう。
 「秋」を日本訓でよむと「あき」、これを韓国語にあてると「<あぎ>」で、「子」「赤児」の意の名詞になります。
 「津」は日本音よみで「つ」、または「づ」、韓国語にあてはめると「<じ>」で、所有格「…の」の意の漢字「之」の漢字音よみにあたります。
 「志麻」の日本音よみは「しま」、島の意です。島は韓国語で「<そむ>」。古代語は「<しむ>」(東南部海岸地帯では現在でも「<しむ>」と呼んでいます)です。
 全部合わせて、「<あぎじそむ>」。「子の島」(子である島)という意味になります。「子島」すなわち「別島」「分国」の意味なのです。
 「秋」が日本語で「あき」だからといって、それをさらに音が似ている朝鮮語の「 'a-gi」と見なすことの妥当性が全くない。この論理が成り立つならば、「冬」は「ふゆ」と読むので、英語の「few」と解釈できるなど、朝鮮語のみならず英語でもロシア語でもモンゴル語でも、なに語でも解釈できることになってしまう。
 「津」を日本音よみで「つ」といっているが、「津」の音読みは「シン」であり、「つ」は訓読みである。そしてこれを朝鮮語の「 ji」と解釈しているのも根拠がない。「つ」は子音が「ts」であり母音が「u」である。「 ji」は子音が「j」であり母音が「i」である。全く別物をなぜ同じだと言えるのか、全く理解に苦しむ。
 氏は続いて「志麻」の解釈へと移るが、原文に「志麻」という語はどこにも出てこない。「秋津野」と「秋津志麻」は「秋津」までが同じなので、「秋津野」は「秋津志麻」と解釈できるという考えは、荒唐無稽の極みといえよう。「大阪」と「大分」は「おお」まで同じだから「大阪」は実は「大分」だといえるのだろうか。この部分は、自分の都合のいいように、本文を勝手に作り変えているわけで、「解釈」以前のお遊びである。

 ところで、「島」の意の朝鮮語「 sem」の古代語が「 sim」だというが、これはもちろん「古代語」でも何でもなく、単に現代語の南部の方言にすぎない。「」は中期朝鮮語では「 siem」といったが、この単語はさらに古い語形が推測できる。というのも、『日本書紀』に百済の「主嶋」の読みが「にりむせま」であるという記述があるからである。ここから中期朝鮮語の「」は古代朝鮮語では「 sie-ma」あるいは「 si-ma」のような単語であったのではないかと推測される。そして、日本語の「しま」はこの「 sie-ma」あるいは「 si-ma」からの借用語ではないかともいわれる。
 (5) 多奈引<だねびきん>(すべてを辞め退いた)
 この部分も、二重よみです。
  (中略)
 また、「多」と「奈」の二字を韓国音でよむと、「<だね>」。一方、三字目の「引」の場合は、日本訓の「びく」に日本音(韓国音も同じ)の「いん」を二重に接合させると、「びくいん」となるのですが、これを韓国語にあてはめると「<びきん>」になります。「退いた」「よけた」の意の形容詞です。漢字の「引」自体にも、「退く」の意味が含められています。
 これは非常に面白いよみ方で、漢字一字の音と訓を同時に複合活用し、二字に使っているのです。この部分は韓日二重のよみなので、奇抜な工夫を凝らして、日本語でも韓国語でもよめるようにしているのでしょう。
 「引」を日本語「ひく」と漢字音「いん」を組み合わせて「ひくいん」と読み、これを朝鮮語の「 bi-kin」と関連づけるのは、李寧煕氏の言うとおり、まさに奇抜である。朝鮮の文献、日本の文献のいずれを見ても、このような方法で漢字を読ませるものは1つとしてない。そのうえ、「ひく(hi-ku)」と「いん(in)」を合わせるときに、「ひく」の末母音「u」をいつのまにか落としている点も、実に不可解である。なお、「」という語は中期語の文献には現われない語で、近世以降に新たにできた語である可能性がある。さらに付け加えると、「引」の意味として「」が挙がっている古今の朝鮮の漢字字典を、私は見たことがない。
 (6) 雲能<くもぬん>(貊は)
 同様、韓日二重よみです。
 「雲」は日本訓で、「くも」。「くも」音は、韓国語の「<こむ>」(熊)音によく似ています。熊に似ている動物貊<めく>も、古代日本では「こま」と呼ばれていました。「貊」は「貊族」の約で、古代韓国の主流部族であったので、貊は古代韓国人の代名詞とされていたのです。貊イコール熊、イコール篭毛、イコール雲の順序で、韓国貊族は古代日本において「雲」と呼ばれていたわけです。雲は空のくもであると同時に、古代韓国族の異称でもあったのです。貊族は、貊を崇尚したことから、このように称されたといわれています。
  (中略)
 「能」は韓国音では「<ぬん>」。これを酷似音の「<ぬん>」(nun)とします。助詞の「…は」と、同語です。
 どういういきさつで「貊イコール熊、イコール篭毛、イコール雲」という等式が成立するのか、全く根拠がない。朝鮮語の「 gom」が古くは「 go-ma」であり、この形が日本語に借用されて「くま」となったという仮説は成り立つが、「くま」と「くも」の間には、それが同語である必然性が全くない。

 「能」は「の」を表す万葉仮名であり、後世の変体仮名でも用いられる字である。一方、日本語の助詞「は」に当たる朝鮮語「 nyn ヌン」が「能」と表記された例は、いまだ見つからない。漢字を用いて朝鮮語を表記した「吏読」という表記法では、「」は「隠」という漢字で表されていた。これは「隠」の朝鮮音が「 'yn ウン」であるためである。つまり、「隠()」の母音「− y ウ」と末子音と「 n ン」を「」の母音「−」と末子音「」に当てているわけである。一方「」と「能()」の末音はそれぞれ「 n」・「○ q」と全く別の音であるため、「能」を「」の表記として用いることは不可能である
 カナ表記すると、「」と「」はともに「ヌン」と表記されるため、両者は同じもののように見える。しかし、子音「○ q」と「 n」は、たまたまカナ表記すると「ン」と同じになるだけで、朝鮮語としては全く別の音であって酷似音ではない。このことは、例えば英語の「light」と「right」がカナ表記ではともに「ライト」となるが、英語では「l」と「r」は全然別の音であることと、全く同じ理屈である。こどもだましの理屈といおうか。まさか「light」と「right」が同じ語であるという人はいまい。
 (7) 過跡<じなるで>(住み場)
 「過」は韓国訓で「<じなる>」。「経過する」「住む」の意である。
 「跡」は韓国訓で「<と>」。「土地」、陣地、領地などの意です。新羅ことばでは「<と>」を「<て>」と発音します(慶尚道では、現在でもこのように発音しています)。この「<て>」を、酷似音の「<で>」に使います。「場所」の意です。
 韓国訓としている「 ji-nar」は動詞「- ji-na-」(過ぎる)に連体形の語尾「 r」がついた形である。末音の語尾「」は、吏読などでは「乙」「尸」などによって表記に反映させる。従ってもしこの語が「 ji-nar」であるならば、「過乙」「過尸」などと表記されてしかるべきである。

 えーっと、ここでも「新羅ことば」が登場するが、しつこいようだが、これは単なる現代朝鮮語の慶尚道方言である。だから「慶尚道で現在そう発音している」のは当たり前である。
 なお、「 tei」というのは慶尚道方言の専売特許でも何でもなく、朝鮮半島どこへ行ってもある発音である。なぜならば、「 tei」は名詞「 te (場)」に日本語の「…だ」に当たる単語の語幹「 'i」がくっついた形だからである。
 「 te」は中期朝鮮語では「基」という意味で、語形は「 te-h」のように、語末に「 h」があった。一方、「 dei (所)」は中期朝鮮語では「 d@i」という形であった。現代語ではお互い似ている形でも、中期語までさかのぼると、全く違った形になってしまう。ここでも「酷似音」の論理はもろくも崩れ去ってしまう。
 (8) 者<は>(あまり)
 「者」は日本訓で、助詞の「…は」とよんでいます。この「は」音を韓国語にあてると「<は>」で、「多く」の意の古語になります。現代語では「<まんい>」。
 「過跡」と「者」――、これが難解のハイライトです。
 この部分を従来のように「すぐとは…」と、なんの意味か正体のしれない日本語によんでしまうと、解釈はまったく別の方向にそれていくからです。
 李寧煕氏の言うとおり、まさにここがハイライトである。日本語の「は」の子音は、現代でこそ「ha」という「h」音であるが、中世には「ファ」という唇をすぼめて出す音であり、さらにそれ以前にさかのぼると唇を閉じる「p」であったことが知られている。このことは、日本語と同じ系統である沖縄語で、日本語の「ハ行(h)」に対応する音が「パ行(p)」で現われることや、古代に日本に漢字を導入する際に、中国音の「p」を「ハ行」(当時は「p」のような音だったと思われる)で取り入れていることなど、傍証が数々ある。従って、日本語の「は」は古代には「パ(pa)」であったのである。それに対して、朝鮮語の「h ()」は中期朝鮮語でも「h」のままであり、古代においても「h」であったと推測され、「p」だった形跡は全くない。場合によっては「h」が「k」へさかのぼれることも推測されるが、「p」にさかのぼることを裏付ける資料は何一つない。このことから、(古代)朝鮮語の「ha」を(古代)日本語の「は」で表した可能性は皆無である。現代日本語の「ハ(ha)」が昔は「パ(pa)」だったということは、日本語史をちょっとかじった人なら知らない人がいないほど有名な事実である。この「者」の解釈1つで、氏の「解読」なるものが素人以下のものであることが衆目のもとにさらされてしまっているわけだ。
 この部分をこのように「は」と、何の意味か正体の知れない朝鮮語に読んでしまうと、解釈は全く別の方向にそれていくのである。
 (9) 無二<おぷすい>(ないので)
 「無」は韓国訓で「<おぷする>」(ep-sul)。この第一字目は初・中・終声全部そっくり使い、第二字目は終声だけ消して利用します。「<おぷす>」とするのです。
 「二」は韓国音で「<い>」。
 二字合わせて「<おぷすい>」、三字になります。「無いので」という意味の新羅言葉です。現代標準語では「<おぷすに>」。
 漢字「二」の音は現代語では「 'i」であるが、中期朝鮮語では「 zi」であった。おそらく「ジ」のような音であったと推測される。この時点ですでに李寧煕氏の解釈は破綻しているのだが、さらに追い討ちをかけよう。再三再四でてくる「新羅言葉」、もちろんここでも単なる慶尚道方言に過ぎないわけだが、慶尚道方言の「 'ebs-'y-'i」は、最後の「 'i」が単なる「イ」という音ではなく、実は鼻母音で、日本語話者の耳には「オプスイ」でなく「オプスンイ」のように聞こえる。発音記号で書けば [] である。鼻母音は慶尚道方言の特徴で、これを表記する方法は現在のハングルの正書法にはないため、しかたなく「」と表記しているのである。
 ところで、この鼻母音の「イ」であるが、この音は母音の前に「n」がついた「 ni」にさかのぼることが分かっている。つまり、早い話が何のことはない、標準語の「」の「」が鼻母音化しているだけなのである。よって、この慶尚道方言も古い形は、標準語と同じ「」である。
 となると、「 ni」という音を「二」という漢字で表すことができるかということになるが、現代語で「 'i」、中期朝鮮語で「 zi」と発音される「二」は、どうひっくりかえっても「 ni」と読むことができない。ちなみに、「 ni」という音は吏読では「尼」と表記されたが、「尼」の漢字音は現代語も中期朝鮮語も「 ni」であるので、じゅうぶん理に叶った表記なのである。


 以上、各単語の解釈について批評を加えたが、まともに解釈してある語は1つとしてない。実に、歪曲率100%である! これで、氏の「解読」なるものがどんなものであるか、充分にお分かりいただけただろうと思う。ここでは言語学的な知識を多少動員したが、いくつかの箇所はそのような専門的な知識がなくても充分にそのいかがわしさを感じ取ることができる。これが「解読」の実態である。

 なお、真の朝鮮語系統論を知りたければ、『韓国語と日本語のあいだ』(宋敏著、菅野裕臣・野間秀樹・浜之上幸・伊藤英人訳、草風館) をじっくり読むのがよい。朝鮮語と日本語の関係を探る作業が、いかに困難であるか、いかに厳密さを要求するかが分かるはずである。
 また、上のようなエセ解読でなく、まっとうな古代朝鮮語の解読を知りたい人は、こちらのページでそのさわりを紹介する。