活動報告

Activity Reports

センターの活動報告です

言語文化学部講演 国際日本研究センター 比較日本文化部門、対照日本語部門共催 1月20日(金)16:30~18:30 研究講義棟226教室

言語の復権:Metroethnicity(メトロエスニシティ)への視座

科学研究費基盤研究C(代表:谷口龍子)主催、言語文化学部、国際日本研究センター 比較日本文化部門・対象日本語部門共催により、東京外国語大学の萩尾生教授と、国際基督教大学のジョン・C・マーハ教授による講演会が開かれた。

Ⅰ「バスク語の存続、教育から対外普及へ」―萩尾生教授
1.バスク地方と言語
バスク地方はスペインとフランスにまたがる地域であり、全部で7領域に分かれている。スペイン領側にアラバ県、ビスカイア県、ギプスコア県の3つのバスク自治州とナバーラ自治州の計4つの領域、フランス領側にラプルディ地方、低ナバーラ地方、スベロア地方の3領域がある。住民の約6割がバスク自治州に住み、彼らにとって自身のアイデンティティはスペイン人よりもバスク人であるという意識の方が強い。それは、彼らが自身のことをエウスカルドゥナク(=バスク語の話し手)と呼ぶことからも見て取れる。
バスク地方で話されている言語はバスク語とカスティーリャ語の2つである。そのうち、バスク語は系統不明の孤立言語であり、少数言語にありがちな方言分化が著しい。また、歴史的に見ても、スペイン領とフランス領に分かれているバスク地方は、両政府から言語アイデンティティを抑圧されることがあった。さらに、20世紀に入りフランコ政権になると、文献に明確な記述はないものの、バスク語はさらに弾圧を受けるようになった。このような状況により、バスク語を話す人口はさらに減ったが、1960年代前半にバスク語教育運動が起こる。これは、バスク語によるバスク語話者の育成や識字教育を目指すもので、初等教育・中等教育で教えるための学校であるイカストラや成人教育のためのバスク語塾の設立にもつながった。そして、1968年にはバスク語アカデミーが設立される。これにより、統一バスク語ができた。統一バスク語は、バスク地方での標準語とされ、教育、行政、メディアで現在も主に使用されている。
これらの動向を踏まえて、バスク語が法的認知されるようになったのは1970年代から1980年代後半にかけてのことである。スペインでは、1978年憲法第3条により、カスティーリャ語が国家公用語であると定められたが、同時に他言語も自治州内の公用語となる可能性が明記されている。また、地域によってバスク語の社会的地位は異なる。バスク自治州では全域でスペイン語とバスク語のどちらも公用語である。1982年に使用正常化基本法が制定され、州全域で二言語主義を取ることになったのである。ここから、バスク自治州では積極的な言語政策が取られていると言える。ナバーラ自治州では州の一部で公用語とされ、1986年にバスク語特別法が制定された。州を3つの言語圏に分けて、現状追認の言語政策を取っている。
このように、スペイン領では憲法による規定を受け、バスク語による言語アイデンティティの復権が目指されているものの、フランスではいかなる公用語の地位も得ていない。

2.バスク語の対外普及へ
2007年に設立されたエチェパレバスクインスティチュートは、バスク語の対外普及を目的とし、バスク地方の現代的な文化や音楽と共にバスクアイデンティティの保護、普及活動を行っている。エチェパレとは現存する最古のバスク語出版物である『バスク初文集』の著者名に由来している。この『バスク初文集』内の「コントラパス(=歩合わせ)」という詩はバスク語を称揚する詩として評価され、1974年にはシャビエル・レテによる楽曲化がされ、バスク地方の民衆に受け入れられた。さらに、バスク語アカデミーによる各国語への翻訳、出版がされ、多くの人々にその活動が高く評価された。エチェパレバスクインスティチュートはハイカルチャー志向、コスモポリタン志向であり、より現代的なアート、音楽、文化の対外普及に取り組んでいる。
そして、もう一つバスク語の普及を主として活動している組織がHABEである。HABEは1981年に設立され、バスク自治州内での成人に対するバスク語教育を行っている。さらに2003年以降は在外同胞への教育に特化している。ここで注目したいのが、言語の普及における"内"と"外"が存在するということである。先述したエチェパレバスクインスティチュートは民族性、領域性どちらをとっても"外"である外国人に向けての普及を目指しているが、HABEは民族性では"内"、領域性では"外"である在外同胞に向けた教育活動であるということだ。そのように、目的と対象によって活動する組織とその役割は大きく異なる。
では、言語を対外普及するのはなぜか。それには4つ理由が挙げられる。1つ目に、言語文化の保護である。言語の専門家を養成し、その言語の話者数を増加させ、その質を保証することで言語文化の保護、伝承が達成されるからである。2つ目に、社会的な理由がある。在外同胞との絆を強くし、移民の社会的統合を促進したり、対外イメージを好転させたり、その言語の持つ価値観の普及をさせたりすることで社会的な言語地位を向上させることができるのである。そしてその影響が3つ目の政治的、外交的な理由につながる。言語の社会的な価値を高めることにより、国家や地域の国際関係における優位な立場を構築することができる。そして、最後に経済的な理由が挙げられる。言語や文化産業による経済的利潤の獲得はさらなる言語、文化普及のリソースとなり、国家存続のための重要な役割を担うのである。
フロアからは、バスク人にとってバスク語とは何か。という質問が挙がった。それに対し、自らのことをエウスカルドゥナク、すなわちバスク語の話し手と呼ぶことからわかるように、バスク7領域ではバスク人であることはバスク語を話すことという認識が高いが、全体をみて、バスク地方に住んでいる人、あるいは住みたい人というのもバスク人としてのアイデンティティを持つだろう、という回答が得られた。さらに、バスク語は肯定的な価値としての言語である、と教授は述べた。
 肯定的な価値としての言語とは、その言語を話す人々のアイデンティティが言語によって付与され、価値づけられ、認められるということだ。バスク語はバスク語を話す人々によって称揚され、保護され、使用が禁止された時代を乗り越えて今もなお存続している。このような言語の復権活動はその他にも多くあるが、日本人にとっての身近な例として、アイヌ語がある。アイヌ語は北海道、樺太、千島列島に居住していたアイヌ民族の言語であるが、現在は極めて深刻な消滅の危機に瀕した言語であるとユネスコに認定されており、アイヌ語の話者は極めて少ない。しかし、1980年代以降、アイヌ語を残そうとするアイヌ民族自身らの運動によりアイヌ語保存への動きが起こった。そして現在ではSTVラジオ(札幌テレビラジオ放送)でアイヌ語ラジオ講座が放送されるなどしており、アイヌ語を保護しようとする活動が続けられている。また、アイヌ語を授業に取り入れている小学校もある(注1)。言語という知的財産を保護し、伝承していくことは、その言語を話す人々のアイデンティティを守ることと同義であり、言語と自己同一性は切り離せないものだ。バスク語の復権運動とその成功は、他の少数言語を話す人々に大きな希望を与えたのではないだろうか。少数言語であるバスク言語が社会的な地位を取り戻し、さらに対外普及まで活動の幅を広げていることは称揚されるにふさわしいものだ。
 ただ、若い世代にとっては、バスク語を知っていることが必ずしもバスク人という民族アイデンティティを保障するとは限らないのではないだろうか。同じように、アイヌ語を知っていることがアイヌ人という民族性を常に証明するわけではないだろう。
 この考察について、続くジョンC.マーハ教授の講演が興味深く関連していた。

Ⅱ「ヨーロッパにおけるケルト語の再生」―ジョンC.マーハ教授
 19世紀、コーニッシュ(ケルト語)は死語であるとされたが、1992年のEuropean Charter for Regional/Minority Languagesの制定により、EUによってコーニッシュ語を含むケルト諸語のステータスは上がった。それは、ケルト諸地域で行われているケルト諸語復権の動きがあるからである。たとえば、スコットランドではスコットランドゲール語が標識や授業のコースにおいて広く使われたり、アイリッシュ語がEUの公式使用言語として認知されたりしている。また、マン島ではマン島語を学ぶことができる学校も設立され、教育や行政のさまざまな面から少数言語が肯定的に価値づけられている。
 このような運動が起こった背景にはいくつかの要因がある、とマーハ教授は述べた。その中の一つに移民の働きを挙げていた。移民はコミュニティに同化するとき、その地域に受け入れられるためにその地域の伝統的な言語を学ぶことがある。それは、おそらく言語は最も接触性が高く、そして地域になじむために最も近道な方法であるからではないだろうか。それはさておき、移民がその地域の伝統的な言語を習得することによって、その地域の少数言語は少なからず良い影響を与える。なぜなら、話者を獲得することで言語の復権が見込めるからだ。すなわち、移民という、領域性では内、民族性では外である存在が、流入した先のコミュニティの言語を話すことによってコミュニティに溶け込んでいくことにより、図らずも言語の復活を助けることになるのである。
しかし、移民はそのケルト語を知っているからといってケルト民族に所属するわけではない。アイルランド政府は「市民権とは民族で想定されるものではなく、言語と文化による」(2015)としている。ここで、マーハ教授の考えるメトロエスニシティという新たな概念が出てくる。
 メトロエスニシティとは、さまざまな民族的背景を持つ人々がさまざまな文化を自己に取り入れ、多文化を受容しながら生活するというハイブリットなアイデンティティである。メトロエスニシティは、アイデンティティを全く新しい観点から捉えた見方だ。この考え方を当てはめれば、ケルトの諸社会においてケルト語を知り、学ぶことはエスニシティを証明することではなく、ケルト語に「かっこいい」「洗練されている」という印象を持ち、それを習得することは「クールさ」を示すサインであるということだ。
 移民にとってもそれは当てはまるだろう。新しいコミュニティの言語、ここではケルト諸語を学ぶことはバイリンガリズムであり、「クールさ」の象徴であり、そしてコミュニティへの同化を図るための手段の一つである。そこに民族性や民族的なアイデンティティを求めるという考えは変わってきているのではないか、というのがマーハ氏の意見であった。
 マーハ氏のメトロエスニシティという概念は、バスク語を話し、バスク語を学ぶ人びとにも当てはめることができるのではないだろうか。もちろん、バスク語の復活により自らのバスク人としてのアイデンティティを形成する人もいるだろう。しかし、それはバスク語を学び、話す、すべてのバスク地方に住む人々に当てはまることなのだろうか。情報化社会の現代では、人々は他言語に接触する機会が増え、言語は常に多くの人々の前にさらされている状況である。その中で伝統的な少数言語を学ぼうとする人々のうち、一体どれくらいの割合が「クールさ」や「洗練性」を求める美的感覚を感じてその言語を取り入れようとしているのだろうか。

注1 2016年12月20日付、日本経済新聞Web刊より
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG09HDA_Q6A221C1CR0000/(アクセス日 2017年1月24日)

(工藤綾乃(本学学生)、谷口龍子)

ジョン・C・マーハ教授

萩尾生教授

Poster ( PDF )

 English page