活動報告

Activity Reports

センターの活動報告です

第3回 若手研究者ワークショップ 開催報告 2011年11月11日(金)

 全東園氏 「近代日本の『朝鮮文化財』調査・研究に関する一考察―1900年代初頭における八木奘三郎の『韓国調査』を中心に―」2011年11月11日 本部事務棟中会議室

 本報告は、1900年に朝鮮半島の文化財調査に乗り出した東京帝国大学理科大学人類学教室の八木奘三郎(1866-1942)の活動を詳細に跡付けるものであった。当時、日本ではまだ人類学と考古学の区別が明確ではなく、朝鮮半島では「国宝」あるいは「宝物」、さらに近代的な美術に関する認識が定着する以前の時期にあたる。こうした時期における八木の調査は、整理分類という研究方法を韓国の文化財や美術品に適用することで、近代的な学問の対象として「可視化」「客体化」した。当然ながらそうした「可視化」「客体化」は朝鮮半島の文脈から離れて文化財や美術品が日本の文脈に包摂されることを意味する。その調査・研究には朝鮮人の参加は一切許されなかった。しかしまたそうした回路をとおってはじめて朝鮮の文化財・美術品は歴史の舞台に登場したといえる。そしてその調査が近代「韓国」の文化財をめぐる学知を形成することになる。しかもそこでは、全報告が対象にした八木のような個人が切り開き、文脈を形成していったのである。

 人類学調査から考古学、文化財、美術品調査へと推移していった八木の軌跡がそうした「帝国の学知」の形成過程を物語っている。一例をあげれば、全報告は八木の「学知」の形成過程について、調査経費の出所=パトロンの精査とともに、その関心が人類学的・考古学的調査であったことに注意を促している。すなわち、学術的関心と個人的な動機がどのように組み合わされることで「帝国の学知」が形成されたかをたどるのである。

 すでに岩波講座『「帝国」日本の学知』がシリーズとして刊行されているように、東アジアにおいても植民地主義と近代的学知の形成は不可分である。しかし、文化財をめぐる「帝国の学知」の研究はまだ端緒についたばかりである。その意味で報告者の研究が今後の帝国と学問をめぐる研究分野に与える意味は大きいといえよう。

(友常勉)

研究会の 資料 (PDFファイル)

研究会の 写真 (PDFファイル)

研究会の ポスター (PDFファイル)

 English page