Project MEIS at TUFS
05/05/02-05/12 イラン出張報告(八尾師誠・記)
今回のイラン出張(5月2日〜5月12日)は、中東イスラーム研究教育プログラムを推進するための話し合い を目的とし、具体的な課題は二つあった。ひとつは、本学の交流協定校であるアッラーメ・タバータバーイー大学との学術交流の実質化を探る折衝であり、もうひとつはこのプログラムの目玉のひとつである「中東ニュース」企画を実現する為の下準備である。当該企画は、中東諸国で発行されている新聞を、 日々日本語に翻訳し、当プログラムのホームページにアップすることで、本邦における中東イスラーム理解の一助にしようというものである。そのためには、国によって事情は違うものの、最初のハードルとしてコピーライトの許諾を得る必要があり、今回はその為の出張であった。尤も、イランは現在、著作権協会国際連合(CISAC)に加盟していないので(近々加盟予定―あくまでも予定)、形式上は、許諾を得る必要はないとはいえ、今後のことを考えると、手続きはきちんと踏んでおいた方がよいとの判断に基づく配慮であった。

第一の目的に関しては、話し合いは順調に進み、こちら側が当初考えていた計画をほぼそのまま推進できる条件を整えることが出来た。アッラーメ・タバータバーイー大学は、イスラーム革命(1979年)後に、テヘラン市内に点在するカレッジ、研究所などを統合して立ち上げられた文科系総合大学である。特に、そのペルシア文学・外国語学部や経済学部の水準の高さは、イラン国内でも定評があるが、現在、日本研究を中心に据えた「東アジア研究所」の設立と、ペルシア文学・外国語学部内に新たに日本語学科の立ち上げを計画している。昨年(2004年)に調印された協定合意書に従い、留学生交換は既に始まっているものの、その他の学術交流は未だ、模索状態にあり、今回は、特に、この点についての話し合いを行った。その結果、アッラーメ・タバータバーイー大学が設置を進めている「東アジア研究所」と「日本語学科」を視野に入れ たさまざまな協力を東京外国語大学が行うことで合意に達した。また、今年度は、同大学の研究・教育スタッフ二名を東京外国語大学に招聘し、集中講義などを行ってもらうことでも合意に達した。

第二の目的に関しては、今回は、「シャルグ紙」と「ハムシャフリー紙」を対象に折衝を行った。因みに、「シャルグ紙」は、改革派系の有力新聞であり、現在まで、いわゆる「保守派」の圧力により幾度か発行停止処分も受けている。一方、「ハムシャフリー紙」は、創刊当初は庶民派のタブロイド紙として、華々しく登場し、多くの読者を獲得した。現在は、テヘラン市系の新聞として、微妙な位置をとりつつも、発行部数の面では最有力紙のひとつであるといえる。

さて、「シャルグ紙」との話し合いは、テヘラン入りした当日の夕方に第一回目がもたれた。非常にフランクな雰囲気で、アトリヤーン編集長(マスコミ界における改革派の旗手)だけでなく、同新聞社のラフマニヤーン社主自ら、話し合いの場に同席し、我々の企画についても様々な質問をされ、逆にインタビューを受ける羽目になってしまった 。なお、このインタビュー記事は、“本日の来訪者”として、翌日のシャルグ紙に掲載された。そこで、筆者は“極東の立憲革命研究者”として紹介されることとなった 。[トップの写真参照。クリックすると拡大します。]同紙からの許諾状も5月8日には早くも用意されており、無事に手にすることが出来た[左。クリックすると拡大します 。]

一方、「ハムシャフリー紙」との話し合いは、5月4日に第一回目が持たれ、直接対応してくれたのは、同紙ITディレクターのアージールゴル氏であり、コピーライトの許諾自体に関しては全く問題なしとの回答を得た。ただ、後日、私のテヘラン滞在中に、電話やメールで幾度か再度の詰めを行うこととなった。結局、帰国当日になって、「今回の企画を政治的には利用しない」との一筆を私の方から入れることで、許諾状発行の最終返答を得ることが出来た。

 
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