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淺田榮次と東京外国語大学

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第一章 淺田榮次の生涯

  目次
    (1)誕生・幼少期
    (2)工部大学校への進学
    (3)米国留学へ
    (4)旧約聖書研究でシカゴ大学初の「人文学」博士号取得
    (5)日本への帰国と旧約聖書研究
    (6)旧約聖書研究と青山学院からの転出


(1)誕生・幼少期
淺田榮次は1865年(慶応元年)5月22日(陰暦4月28日)、山口県都濃郡徳山に生まれました。
榮次は1872年(明治5年)7歳頃より旧藩校興譲館に、次いで櫻馬場小学へと進み学問に励みました。
1880年2月、山口県山口中学校に入学し、その後よりよい外国語教育の機会を求め、外国人講師が招聘されていた広島中学校へ転学します。しかし、学生による教頭排斥運動に関わったことで、1880年9月退校処分を受け郷里に戻ります。

             
       櫻馬場小学卒業証書 同校では助導として勤務しながら勉学に励みました。


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(2)工部大学校への進学
1881年3月、京都中学校へ進学した淺田は、米人C. H. ボールドウィンのもと英語の習得に励み、1883年7月同校を優等賞にて卒業します。その後上京し東京英和学校(現:青山学院)を経て、1884年4月官費生として工部大学校へ進むことになります。淺田は工部大学校在学中、英語教師J. M. ディクソンの下で英語研究に没頭し、またその影響を受けキリスト教を信仰します。そして1886年工部大学校予科を優等賞(左下写真)で卒業し、洋書20冊を授与されました。

       
                       工部大学校時代の淺田榮次(明治18年、左より三番目)


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(3)米国留学へ
学制改革に伴い、淺田は第一高等学校を経て帝国大学理科大学へ進学します。専攻は幼年期より得意であった数学でした。しかしキリスト教に対する信仰心は高まり「区々たる科学などに拘泥せんよりは、天地万有の理を究め、神の雄大なる真理を研究せんとの非常な熱心」 をもって、1888年2月理科大学を退学し、同年3月23日米国留学へ旅立ちます。渡米した淺田はノースウェスタン大学に進み、神学の研究に臨みます。

           
         米国留学を決意した淺田が遺した自らの半生を書き綴った「臨別書」


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(4)旧約聖書研究でシカゴ大学初の「人文学」博士号取得
シカゴ大学大学院博言科が創設されると同大学院に進学し、ハーパーに師事を仰ぎます。淺田はギリシャ語、アラム語、ヘブライ語、ラテン語、アッシリヤ語、アラビア語、エティオピア語、セミティック語、フランス語、ドイツ語等を修め、旧約聖書を科学的に検証する高等批評の研究を推し進め、1893年5月1日学位論文”The Hebrew Text of Zechariah 1-8 Compared with the Different Ancient Versions”を提出します。同年6月23日、シカゴ大学創立以来最初の「ドクトル・オヴ・フィロソフィ」の学位を受けました。    

             
                    シカゴ大学在学中の淺田


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(5)日本への帰国と旧約聖書研究
1893年7月、米国より帰国した淺田は日本における旧約聖書研究の進展を目指し、青山学院神学部教授に着任します。淺田は「殆どはじめて海外で専門の学を修めた日本教師」であり、その旧約史に関する講義は学生に多大なる影響を与えたといいます。また教会関係者からも多数の講演依頼を受け、帰国した1893年には5ヶ月の間に30回の講演と説教を行いました。

              
           淺田講演録 講演日時と概要が英語で記載されている


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(6)旧約聖書研究と青山学院からの転出
しかし、彼の先駆的な高等批評に基づく聖書研究は、国内において未だ受け入れられる土壌が形成されておりませんでした。勤務先の青山学院においても、同僚の宣教師から「神学校は学問をのみ教へるところではない」との批判を受けます。その折、東京外国語学校へ転出する話がもたらされ、青山学院神学部教授を退任します。青山学院神学部教授退官後も聖書研究は継続し、未発表の論稿が多数遺されています。なお青山学院とも英語講師として関わり続けました。

         
           淺田遺稿「旧約聖書緒論」:未発表の旧約聖書研究の論稿


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