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2012年6月 アーカイブ

2012年6月 2日

溜池山王の駅はどちらでしょうか

昨日は夕方まで506関連の仕事をした後、18時からの緊急アクションに参加しようと、はるか多磨地方から途中の@電車中震度4にも負けずダッシュで向かった。が、勢い込んで永田町出口3から出るとあれっ? 辺りにはただ警官さんが多数いらっしゃるばかりである。地図で見るとめざす首相官邸前は溜池山王のほど近くらしい。ああ事前調査不足... 「首相官邸前はどちらへ行けばいいでしょうか」ではさすがに気まずすぎるので、「溜池山王の駅はどちらでしょうか」と「困っている無垢な市民」風に訊くと、やはりそこはお巡りさん、あー行ってこー行って首相官邸のところから下って...とベストな回答ゲット。ありがとうございます、おほほほ。怪しまれないように表面上は余裕で心は猛ダッシュ!で辿りついてみれば、いたいたスピーカーの大音量のスピーチ、ずらりと並んだ集団の列。(正解は国会議事堂前出口3だったようだ) 大飯原発の「安全」対策の不備を指摘するものから、首相が「責任をとる」とはどういうことかと問い、もし事故が起きたら首相が辞任しても何をしても「責任をとる」ことなどできないと静かに語りかけるもの、「用意してきた原稿読みます!」とハイテンションでラリッたような(でその割に内容的にはシブい)もの、福島から駆け付け「まだ福島第一原発事故に関する解明も進まず、誰一人責任をとっていないのに、再稼働とは何事か」と怒るものまで、多士済々のショートスピーチがあり、その合間に「再稼働反対」の合唱というかお囃子(?)が入る。行進ではないのでみんな整列して立っているのだが、途中に拍手や「そうだ!」の掛け声が飛び、用意してきたものを掲げている人もいる。当方の少し前の女性は終始静かながら「どのツラ下げて再稼働?」という紙を掲げており、言い得て妙だが何だか笑えた。ところで途中のスピーチで「ここに1000人もの人がいます。これが民意です!」と叫んだ人があり、1000人もいるのかと仰天したが、最終的な発表では何と2700人もいたそうだ。今日の朝日新聞朝刊に小さな記事を発見。

緊急アピールを少し早めに抜けて新橋へ。当方が高校時代の前半を過ごした某高校の同期有志の集まりである。転校して以来ほとんどつながりがなかったが、最近のナンとかいうソーシャルメディアで当方を「見つけ」てくれた人がいて感動の再会の機会を!となったわけだ。乙女な装いで行きたいところだったが、いたしかたなし戦闘モードである。数名が集まって、思えばおよそ30年ぶり、いやーすごい。

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みんなで写真を撮るチャンスを逃したが、木材関係のバリバリの営業マンAくんからもらったスカイツリー初日の点灯写真をアップします。はあーん美しー。この日も営業中だったそうで...。あとは帰り道に残り3名だけでもと。
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幼なじみ。みんな顔が子どもに戻ってます。うふふ

2012年6月 9日

史的転換点をふりかえる

9日(土)は学会の仕事で京都日帰り出張であったが、行く直前まで下記の文章を書いていて危うく電車に乗り遅れるところだった;ふー危なーい!一日経ってしまいましたがアップしますー。

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昨日は夕方以降まで仕事があって参加できなかったが、大飯原発の再稼働に反対して首相官邸に詰めかけた人は、先週をさらに上回って4000人にのぼるという。大飯原発の下には活断層がある疑いもあるというのに、いったい誰の利益を重要視しているのだろうか。夜のニュースを見ると無性にハラが立ってきて、静かに本を読む気にもなれなかったのでDVDを観ることにした。マーク・ハーマン監督の『ブラス!』(原題はBrassed Off、1996年イギリス)である。公開当時に観てとてもよかった印象が残っていたのだが、先の拙ブログで紹介した熊谷博子さんの本の元になった『三池 終わらない炭鉱の物語』(熊谷博子監督)のDVDを探し求めた際、同じく炭鉱に関わる映画として『ブラス!』を思い出したのだ。
熊谷作品はノンフィクション、ハーマン作品はフィクションなので単純に比較はできないが、いずれも炭鉱閉鎖を手がかりに労働者の視点からつくった作品である。「炭鉱の閉鎖」つまりエネルギー供給が石炭中心から石油中心に変わった史的転換点は、原子力発電の展開期にもあたっている。石油を中心とするエネルギー大消費時代の到来時にはすでに石油不足のリスクが「脅威」として存在したということである。一方、炭鉱閉鎖は、もちろん労働の危険性や健康被害の問題もあってのことだったが、それでも炭鉱労働者たちが作ってきた、あるいは彼らを取り巻く「文化」がそこに存在した。それをイケイケドンドンの風潮の中で、大切なものまでも時代遅れとしてブルドーザーで組み敷くように消し去ったのである。『ブラス!』はテーマが音楽、E.マクレガーも出ていたり恋愛も絡んでいたりと映画的サービス満載だが、ラスト近くの長セリフは明らかにサッチャリズム批判であり、登場人物たちの生活の困窮はおよそフィクションを超えている。他方『三池...』では往時を振り返る人々の表情と言葉が、ものすごい迫力で当時の「現実」をあぶりだす。どちらも秀作である。

なお『三池...』については前回拙ブログで紹介した本『むかし原発いま炭鉱』とも絡めてもう二点、書いておきたい。一つは、著作の刊行が2012年3月(中央公論新社)であり、随所に原発と炭鉱の比較、両者を推進した国と企業、御用学者の複合体の問題性が指摘されている点である。エネルギー供給のためといってとんでもないことを行う事態は、炭鉱の頃も今も変わっていない。
もう一つは向坂逸郎をめぐる論点である。向坂逸郎は『資本論』の訳者でもあり有名なマルクス経済学者だが、三池炭鉱のあった大牟田市の出身で、争議のあった頃に九州大学経済学部で教鞭をとっており、炭鉱労働者や婦人会の主婦たちを相手に勉強会の講師をつとめていたそうだ。それは三池争議を持続させるエネルギーとなったに違いない。しかし当時の婦人会の一人が証言するのである。「私ね、最後に思ったんですよ。...あの争議の結末のみじめさはね、九大の向坂学級のせいだと思いますよ」。この部分を読んだときの衝撃は忘れがたい。学者が現場に出て人びとと直接に話をしていたという事実に何となく好印象を持って読み進めていたからである。しかし証言は次のように続く。「あの人が机の上で勉強したことをね、三池をモルモットにしたんじゃないかって、そのことは腹が立ちましたよね。」(120頁)映画でもこのシーン、女性がこれを語るときのいやーな感じのトーンは後々まで印象に残る。映画ホームページでも賛否両論はげしく、論争が長く続いたそうだ。そしてこの問いはもちろん、現場をまともに考える経済学者に強くのしかかる。

2012年6月17日

あきらめない

大飯原発3,4号機の再稼働(野田首相はなぜいつも再起動というんだろう?パソコンじゃないんだから!)が正式決定されて、腹立たしいことこの上ない。と思うのは当方だけでなく、多くの一般市民である。今日はアクティブな反対派が福井に乗り込んで反対アピールを展開したはずだ。金銭的、時間的に余裕がある人が祝祭的に行うこのような活動は重要だし、行ったら地元で食事などもするだろうから経済効果もあるだろう。しかし大飯町の人びとが求めているのは何かもう少し別のものではないだろうかとも思ったりする。そこでふと、大飯町のホームページに行ってみた。

とりあえず6月14日(大飯町長と県知事が対談した日だ)付で「原発カレンダーつくりました」というお知らせとその旧態依然たる内容にはぶっとんだが、(http://www.town.ohi.fukui.jp/sypher/open_imgs/info//0000000061_0000003777.pdf)結局原発を支えるものには、かつてと同じ戦略、同じロジックしかないのだとあらためて思う。一年の半ばを過ぎようとする季節にカレンダーとは滑稽ではないか!とはいえ「原子力広報用町民カレンダー原画コンクール」を「未来のおおい町」というテーマにし、子どもたちに絵を描かせているところが何ともあざとい。しかしもっと重要に思われるのは、4月26日の町民向け説明会の記録である。後半の質疑応答が興味深い。町民の何人もが地震が来た場合の不安を訴え、また数値を出して再稼働にかなり批判的な見解を示しているお坊さんもいる(うーん福井県だなー)。ところがそれに対するY澤とかいう大臣や資源エネ庁、ふあんいんメンバーらの説明は実に慇懃無礼であり、結局「なるべく安全にします」とか「来年には○○ができます」という回答しかない。これがN首相やY野らの「丁寧に説明し、すべてではないにしてもご理解をいただいた」というものの中身なのだ。(さすがに「すべてではないにしても」をつけたのは、自分でもやましかったからだろうか。)どんなに批判が出ても、そしてこれにこたえることができていなくても、「批判意見は聞きました」と言ってすませる自称「民主主義」である。しかもその後、「長」とつく者をむりやり説得し(=脅し)、了解したという形をとりつけて、採決すらも行わない。大飯町、福井に限らないが、こうしたやり方はまことに人々を愚弄するものである。
さて質疑の最後の発言に、こうある。「...小さな町から発信する声というのはか細い。大都市から言われる荒波にのまれそうな雰囲気である。どうかそういうことに対し、国には適切に対応してほしい。...早く方向性を決めて、わが町の住民の安寧を取り戻していただきたい」
これを、国任せの「薬物依存体質」だと切って捨てることも可能かもしれない。しかし「か細い」声が何を訴えているのか、もう少し考えてみることもできそうである。推進派はおそらく、全国の中でもっとも再稼働しやすい場所を十分に検討し、大飯町をターゲットに決めたのだろうが、町民にしてみればある時点から突然に日本中、世界中の注目の的となり、声の大きい人たちに代わる代わる土足で踏み込まれたようなものである。もう勘弁してほしい、という感覚もわかる気がする。大手メディアはしばしば地元民の声として「やっぱり原発がないと仕事が」というものばかりを2,3拾うのだが、それは出来レース的取材の結果だろう。地元の人びとも一通りではないはずだ。たとえ町民の多数がとにかく仕事を、雇用をと考えているとしても、雇用があれば原発でなくてもいいはずだし、原発を動かさなくても核関連の雇用は失われない。国からの補助金にしても、原発の稼働とセットではないはずだ。これまでのプライドやアイデンティティが、国の迷惑施設を抱え関西に電気を供給しているという点に集約され、その承認に国の権力を恃みとする構図があったとしても、もし今後地元に寄り添った「発展」の青写真がきちんと描かれるならば、変化を否定する必要はない。国にはこれまでのことに感謝してお金を出しなさいと要求しつつ、原発を拒否するというコンビネーションは十分可能である。

と午前中に書いた続きを書こうと思ったが、メーリスで世界からの「大飯原発再稼働反対のメッセージ(拡散希望)」が送られてきていたので、ちょっと長いけど貼り付けることとした。世界は見ている!おーい大飯町のみなさんよー!まだ、手遅れではないから引き返そうよー!地元が拒めば事態は変わるよー!

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オーストラリア
キャンベラ
6月12日、オーストラリア緑の党国会議員であるスコット・ルドラム氏が、抗
議文を在オーストラリア佐藤重和大使に届け出。 

メルボーン
戦争防止医療協会(MAPW)と平和をめざす日本人会が、日本領事館に抗議。

フランス
パリ
6月15日 反核団体「ソティール・デゥ・二ユークリアー」ネットワーク94
0団体の57,000人の会員の署名による抗議文が野田総理宛に提出。
http://www.sortirdunucleaire.org/

フィンランド
抗議行動確認待ち

ドイツ
ベルリン
6月13日 ドイツ緑の党の53人の国会議員全員と緑の党代表全員が抗議文に
署名。他にも署名が集められ、合計6000の署名、野田総理と西川福井県知事
宛の抗議文がベルリンの日本大使館に届けられた。

ベルリン
6月12日、レベッカ・ハルムズ欧州議会議員による野田総理宛の抗議文が提出
された。

フランクフルト
6月15日 日本領事館前で抗議行動が行われ、領事と野田総理宛の抗議文が届
けられた。

インド
ムンバイ
友好共同体委員会 (EKTA) のスクラ・センにより、公開抗議文が送られた。

イタリア
ローマ
6月13日、3700の署名による抗議文がローマの日本大使館に届けられ、記
者会見が行われた。
http://isdepalermo.ning.com/notes/Fukushima

韓国
ソウル
6月15日、11時、在韓国邦人と市民団体エネルギーと正義アクションが日本
大使館前でデモを行なった。

タイ
バンコック
6月15日 「再稼働見直しを、再稼働を止めよ」タイの市民活動家たちがプラ
カートを掲げ、日本政府の二機の大飯原発の再稼働二対する抗議をバンコックの
日本大使館前にて行った。
http://www.daylife.com/photo/04qM6aH6NYfIo?__site=daylife&q=Thailand

アメリカ

6月15日 14:00 ニューヨークにて、「マンハッタン プロジェクト」
主催による決起集会が、日本領事館前にて行われた。大飯再稼働に対する野田総
理宛抗議文が届けられた。

6月15日 
ニューヨークで、同時多発一斉アクション
オレゴンで、同時多発一斉アクション
シカゴで、同時多発一斉アクション
ロスアンジェルスで、原発エネルギー情報サービス(NEIS)が日本領事館前にて
抗議行動

以下は今後のアクション予定です:

6月18日 12時 二ユーヨーク日本大使館にて抗議行動(マサチューセッツ
通り2520)NWアベニュー、デュポンサークル、ニューヨーク

6月22日 15時 「原発廃止、メルトダウン阻止:日本の原発をなく
せ!」 イベント。 ロスアンジェルス 350 サウス グランドアベ
ニュー。野田首相代理に抗議文を提出、16:45から被曝の影響へのアクショ
ンとしてのダイ・イン。 

2012年6月26日

「復帰」40年の沖縄・慰霊の日に

「復帰」40年の沖縄・慰霊の日に合わせて先の週末、日本平和学会の大会が沖縄大学で行われた。拙ブログで書いたが初日23日午前中には知り合いのたくさん出ているセッションもあり、非会員でも参加できるとのことだったので、行ってきた。このセッションを聴けるよう前日に沖縄入りしたため、22日晩の首相官邸前デモに居合わせることができなかったのは残念だったが、わが友人や知り合いが数々参加しており「どうも4万人とかいるらしい」というメール情報が来たときには、驚きと喜びに目を見張った。翌日の発表(さすがにマスメディアも取り上げた)によれば4万5千人、これはこれは。この一年余りでデモが普通に行われるようになったのは大きな変化だが、3.11直後から「毎週金曜日18時、首相官邸前」というきわめてわかりやすい規則性で地道に声を上げてきた人々の思いが、ついに実を結んだのである。今週はさらに増えるだろうが、久しぶりに都合がつくので行きたいとおもっている。ちなみにはるか熊本でもこれに合わせてアクションがあるという知らせをいただいた。少しづつ多くの人びとが声を上げ、手をつなぎ始めている。なんだかとてもステキだ。

さて、平和学会である。初日午前中のセッションは「基地と原発」の問題をつなぎながら地域社会を考えるというテーマであった。

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3つの個別報告はそれぞれ別々のテーマで、興味深い諸論点は出たものの議論の収斂は難しいかと思われたが、我が大学時代の恩師N川先生が実にざっくりと重要な論点を示してまとめあげた。お見事!
大会は二日目24日にも沖縄をテーマとした大変充実したセッションが二つあり、また二日間にまたがった分科会にも沖縄関連のものがいくつもあったので、これらを回るだけでかなりの収穫、とてもよい充電となった。非会員二日参加して300円。チーン(旅費はかかったが実質的収支決算は大幅に「黒字」)。いや申し訳ないっす。今度入会します(;)。

さて今回の沖縄出張のもう一つのポイントは、7月14日のゲストN里さんにお目にかかって打ち合わせをさせていただくことだった。N里さんから、ちょうどその日は慰霊の日記念イベントに出演しているからとお誘いいただいたので、セッションを聴き終わって街へ出た。県庁付近では沖国大・琉大の若者たちが「オスプレイ配備反対」と旗を掲げ、チラシを配りながら叫んでいる。そういえば平和学会の会場でも、6月17日の大規模反対集会@沖縄を報じた新聞を壁に張る学生さんを見かけたが、かなりの熱気である。横目で様子を見ながら「ジュンク堂」の特設会場へ。沖縄の詩人・思想家川満信一さんの朗読ライブである。ここにN里さんが掛け合いで合流するという。はうーん、なんと超豪華な組み合わせ!

ジュンク堂の地階にはなんとかいうディスカウント・ショップが入っているそうで、そこへ向かう家族連れの土曜午後的行楽的雰囲気は、沖縄戦の死者たちへの壮絶な思いを語るにはとても不釣り合いな喧噪をたえず生み出していたが、川満さんもN里さんも意に介さず、密度の濃い語りや朗読を展開する。後半には川満さんの飄々としたユーモアも全開で、集まった聴衆は大満足であった。
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ライブが終わると、川満さんの個人誌『カオスの貌』第8号刊行記念のサイン会。N里さんの御新著にサインをもらう人もいた。当方も川満さんのサインをいただいた。えっへっへ サインに「喫茶去」と書いてあるので調べたら、「お茶でも飲んでいきなさい」すなわち日常即仏法 という禅用語らしい。そういえばライブの途中にも、宮沢賢治を例にひきながら、詩を書く者にはなにか背骨のようなものがないと単なるイマジネーションになるとおっしゃって、お経の一節を示す場面があった。言葉に肉薄するこの詩人の拠って立つところが垣間見える。沖縄と「日本語」、消えゆく島クトゥバと思想的自立の問題は、7月14日イベントの焦点である。

2012年6月29日

連呼・連呼・人波・人波・人波

大飯原発再稼働反対を唱える首相官邸前のデモ。サイカドーハンタイ!をただただ2時間連呼した。街を練り歩くデモよりしんどかったかもしれない。しかし道一杯にあふれた人々の姿をみながら、周りの人々の連呼に合わせていると、なぜか勇気が湧いてくるのであった。しかし、はあーノド枯れました(お勤めの帰りに行ったからメガホン持ってなかった)。今日はあまりに人が多かったから、ショートスピーチもできなかった模様である。ところで帰ってきてテレビをつけると、なんとNHK21:00のトップニュースに!イヤッホー!
もんじゅくん情報によれば、道で片づけものをする警官さんが小声で「サイカドーハンタイ」とつぶやいていたとか。ちょっといい話。

2012年6月 3日

自称杉並区民になる

昨日2日晩は杉並公会堂で「原発はもうたくさんです!」(主催:「杉並区住民による脱原発宣言」集会実行委員会)が行われたので、自称杉並区民になって(?)参加してきた。なーに自宅から数歩のところはもう杉並区なのだから、まあいいではないか。参加者は大ホールをおよそ9割ぐらい埋め尽くした(主催者発表800人とか)。年齢層はやはり高めである。はじめに加藤登紀子さん登場のサプライズ、呼びかけ人代表挨拶に続いて鎌田慧さんの基調講演、休憩をはさんで雨宮処凛さんと松本哉さんの対談、その後にお母さんたち -杉並区で保育園を考える親の会をやっている竹下美穂さん、「八王子市民からの脱原発宣言」を先ごろ行った花崎晶さん、そして双葉郡富岡町から避難して水戸在住の木田節子さん― のリレートーク、最後に「脱原発杉並宣言」を採択して終了と実に盛りだくさんであった。
一番聴きごたえのあったのは、最後のおかあさんたちのリレートークであるが、時間がおしており準備してきたことを十分に話せなかったようだ。残念、何よりこれをもっと聞きたかった!思い出せば、震災後に岩波書店『世界』が体験談を集めた特集号があったが、津波や原発災害を経験した人々の話や言葉にはそれぞれ重みがあり、同じ号にのっていた各種専門家の話や言葉を凌ぐようなインパクトがあった。然るに一般の人々の声を拾うのはなかなか容易ではない。この日のイベントにしても、人は(当方だってそうだが)著名な名前を見てイベントに出かける。お母さんたちのお名前だけだったら(と言うか彼女たちのお名前や肩書はプログラムには出ていなかったが)ここまでの集客力はないのかもしれない。鎌田さんの基調講演で原子力ムラの何兆円とか何百億円とかの話を聞いた後で、お母さんたちの「一人百円づつ会費を出し合ってお菓子を買って、脱原発を考える会合をしてます」みたいな話を聞くと、そのコントラストに泣きたいような気分になる。話したいこと、聞き手の側からもぜひ話してほしいことのある人たちは各地でつつましくがんばっており、そしておそらくほとんど埋もれている。
とはいえ彼女たちも、こうした各種の催しに出るという戦略を意識して動き始めている。この日の会合の呼びかけ人も、「第5福竜丸事件の反対運動も杉並(の主婦たち!)から起こった」ことを考えたそうだ。ナルホド。なおこれは行政区としての杉並区の催しではなく、いわば行政や政党の政治とはとりあえず無関係に「たまたま杉並区を場として」展開しようとする「政治」である(だから自称杉並区民だってイイノダ!)。松本のいう「一揆」かどうかはともかく、可能性を感じさせる「政治」である。

思いがけない拾いもの(?)は呼びかけ人代表の熊谷博子さんの著書、休憩時間に物販で購入して帰り道に読み始めてみたら、これがたいへん面白い。「炭鉱と原発の問題の構造は酷似している。違うところは、炭鉱は文化を生み出したが原発は何も生み出さないことである。」まったくだ!著者の三池炭鉱への思いが伝わってきて、大切に愛撫しながら読みたくなるような本である。著者が水俣を撮った土本さんと一緒に仕事をした映像ドキュメンタリー作家であるというのもうなずける。

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わーい、サイン本だったー!

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