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2012年3月 アーカイブ

2012年3月 7日

ただいま!

はい。おかげさまで無事に下北半島出張から帰ってまいりましたー。出張の詳細は拙HPに載せましたので、お暇の折に見ていただけたら嬉しいですー(例によって写真集)。まー相当な雪でしたが、たいへん意義深い出張でした。(下記は朝の泊漁港です。M先生ナイスショットをありがとうございます)。

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そんな折、たまたまひと月あまり前に放映されたというEテレの「坂本龍一 フォレストシンフォニー森の生命の交響曲」のことを教えてもらい、映像を観たのだが、これが実に今回の出張の体験とも響き合うのであった。坂本氏がこの取り組みを始めたきっかけが、六ヶ所村の核燃再処理施設の問題であったという。「六ヶ所村の再処理工場からは1日で通常の原発から出る1年分の放射能が大気と海にたれ流しだ!こんなことはやめよう!」と。われらがこのたびの出張では海と雪に出合いながら震災や核のことを考えたが、彼の森への取り組みにもうなずけるところがいろいろある。随所で響く音楽も実に美しい。一見の価値アリですー。

で突然話題が変わって恐縮だが、先ごろ書いた原稿が活字になった。週刊エコノミストさまである。全国書店さんに置いてある雑誌に寄稿!うおお、何と稀少な体験っ!お暇な方は(そんな人、いない?)ぜひとも手に取ってご覧くださいませー。

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ろ、老後のお金と仕事... 当方が書いたのはこの部分ではないのだが、何だか経済ってやっぱあけすけに現実的。雪も海も森もある意味ふっとびますなー;

2012年3月13日

20120311@郡山

2011年3月11日の震災から一年、この日は全国(世界)各地でさまざまな催しが行われた。どこに参加しようかと迷ったが、やはりじっとしていられず朝の新幹線に乗って郡山へと向かった。めざすは福島県民集会の行われる開成山野球場である。わがデモ友たちはすでに前日から郡山に入っており、前日や当日午前中の集会に参加していた。一方、当方は前日の某会議の議事録作成を急ぐ必要があり(とほほ)、車中で作業をしているうちにあっという間に郡山に到着した。周囲の座席の乗客が大挙して下車、同じバス停までかたまりのようになって進んでそのままバスに乗車する。東京など県外からの参加者がかなり多いのだろう。バス停を降りたところでデモ友たちと合流して、一塁側二階席にようやく人数分の空きを見つけて座った。

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時折は日差しも温かく、13時になるとオープニングに引き続いて小一時間の「加藤登紀子コンサート」である。球場中心部に据えられたステージ上のお登紀さんは小人形のように小さく見えるが、大型画面が様子を映し出している。3.11にまつわる歌や「百万本のバラ」を歌って場内は盛り上がった。14時に「県民集会」の開会、呼びかけ人代表(福島大学の清水修二さん)や大江健三郎さんが挨拶を行い、「県民の訴え」の数名が終わったところで14:46の黙祷となった。ところで黙祷直前に「黒の携帯電話の落し物」のアナウンスがあり、敬虔な気持ちになっていた場内は一挙に???な気分に包まれた。その直後、「続きまして、白の携帯電話の落し物が」のアナウンス。はああ、なぜ今それをおおお?? この日の集会の司会は終始たいへん上手だったが、あのアナウンスだけはいまだもって謎である。まっそれはともかく、引き続き「県民の訴え」を聞く。
詳しくはこちら  http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=qMA2A2Qstdo

どれも切実なもので、これを聞けただけでも来てよかったと思うのだが、いかんせん寒い。石造りのスタンド席はしんしんと冷え、15時を過ぎたころには「早くデモ行進してあったまりたいよお」という気分が場内に蔓延した。閉会の挨拶もそこそこに立ち上がろうとする観客に「まだ移動しないでください。落ち着いてください」のアナウンスが響くも、われわれももう限界に達しており、いざ!各種デモグッズを取り出して街中へ!夥しい数のノボリ旗がはためき、参加者と警官でごった返すスタート地点からとにかく出発した。
ところが、である。練り歩く道の周囲の雰囲気がいつもと違う。トーキョーじゃないんだからあたりまえというハナシではなく、何というかそぐわないのである。しかもあっという間に「はい、ここで解散です」の地点に辿りついてしまい、完全に不完全燃焼であった。勢い余って郡山駅へと戻る道の途中でも、すれ違うデモの列になおもエールを送るデモ友たち...。あ、わたしもですね、てへへー (^_^;旗の与太ってた「よ」の字なおした)

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ふと見ると不思議なデモ隊が近づいてくる。えっ福島では機動隊もデモをするのか?!と一瞬驚いたが、何のことはない、厳しすぎる警備の列が本来のデモ列を完全に覆ってしまっているだけであった(たしかどこぞの学生さんの団体。学生だからと過剰に警戒するとは失礼だなあ)。

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しかし、そうなのだ、福島で脱原発を叫んでもフクイチの事故が収まるわけではなく、福島の人びとに何か良いことがあるわけではない。開成山球場の線量はわりと高く、好んでそこに向かう気がしないということもあっただろう。県民集会には1万6千人が参加したというが、県外からの参加者の方が多かったのかもしれない。(当方の隣席はたまたま浪江町出身の年配のご夫婦であったが(集会中に回ってきた署名の住所でわかった)、拍手を少しする以外はきわめて静かにじっと座っていた)。外から来て騒ぐわれわれは、もしかして単なる迷惑だったのか?それでも「県民の訴え」の皆さんが語るように、福島の怒りと悲しみに寄り添うことには、なにがしかのイミがあるはずだ。というか、帰り道の途中にあった薄皮饅頭屋K屋さんは遠来の客でごった返し、薄皮饅頭が飛ぶように売れていた。新幹線のホームに並び立つ、同じ紙袋をもった人々...。うぬ、少なくとも経済効果はあったのだろう。

2012年3月22日

島根の自然と原発と

先の週末は島根大学で開催された日本環境会議の全国大会 -メインテーマは「原発災害のない社会を目指して」― に参加してきた。初日のシンポジウムは、ドイツの「安定したエネルギー供給のための倫理委員会」のメンバーであるM.シュラーズさん(ベルリン自由大学)の特別講演と長谷川公一さん(東北大学)の基調講演、その後上園昌武さん(島根大学)が「島根原発のあり方を考える」、植田和弘さん(京都大学)が「福島原発災害以降の日本のエネルギー政策の動向」、除本理史さん(大阪市立大学)が「福島における被害実態調査の中間報告」をパネラー報告した後、全体討論という豪華なプログラムであった。

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どのお話しも具体的でわかりやすく、またきわめて情報も多くとても勉強になった!大会は非会員でも参加でき、わりと広く呼び掛けていたので、聴衆にはかなり地元の人びと(やや年配の)も参加していたようだ。島根県はエネルギー供給県であり関西地方に電気を送っているという。福島ー東京と同じ構造だ。参加したみなさんも基本的には原発なんかやめちまえ!ではないだろうか。なお最後の質疑では、折しもその数日前に米子市が瓦礫の受け入れを表明したからだろうか、これを厳しい声で糾弾する(シンポジウムとはあまり関係のない)「質問」が飛び出して一瞬会場が凍りついたが、司会者の先生がうまく交わしてやれやれである。この問題はほんとうに痛ましい。
翌日のTPPのセッションと原発関連のセッションの分科会はどちらも島根に即した報告もあって迷ったが、やはり原発セッションを選んでみた。昨日と同じく大盛況で、地元の人びとも再び(たぶん、かなりの程度)参加している。第一報告は、さよなら島根原発ネットワーク事務局の芦原康江さんによる「福島と同じ危険性を抱える島根原発」。地元の家を一軒づつ訪ねて脱原発を呼びかけ、「じゃあ経済は?」とか「電気がなくなるんじゃないの」という疑問に答えて署名を集めているという人の話には迫力がある。第二報告は狩野宏さん(NPO法人フォレストアカデミージャパン)の「木質バイオエネルギーと地域づくり」、鳥取日南町の副町長もつとめたという狩野さんの語りはソフトだったが、地元のふんだんな森林を生かしてエネルギー生産や町の活性化を考えるヴィジョンはなかなか野心的なものである。しかし第三報告の橋本真成さん((株)ジオパワーシステム)の「地中熱を利用した環境共生住宅の環境ビジネス」はさらに精力的であった。もともとはある会社の事業部だったという若い会社の二代目社長が、地下5mの地中の一定温度を利用した換気による冷暖房不要の家づくり、身体づくりを説いて聴衆をすっかり魅了した。メディアでもさまざまに取り上げられ、エコデザインやらなにやら各種の賞を受賞して、売上の伸びがすごいというのもうなずける。しかし何ともさまざまな人が新しい取り組みを実践しているのですなあ!このセッションの後もう一つ沖縄の辺野古に関するセッションがあったのだが、飛行機の時間のため退出して空港へ向かった。これは残念であったが、それでもとても実り多く、勇気づけられた大会であった。

せっかくなので年休をとって前泊し、友人と出雲大社や安来の足立美術館も訪れてみたのだが、米子空港が鳥取県にあることも帰りに知ったようなチョー初心者にも(やだ、ばかーん)、この地の自然の豊かさは歴然であった。


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出雲大社は梅がようやく見頃を迎えており、椿も美しかった。松江の水の豊かさ、独特のきめ細かい空気の質、そして魚介類や地酒の素晴らしさ!あと、お菓子も素晴らしかったですねー。ただし、「財布は忘れても傘を忘れるな」と言われるこの地(一度うっかりホテルに傘を置いたままでどしゃ降りにやられた)、初めから終わりまで曇りときどき雨で、名物の「宍道湖の夕日」にだけはお目にかかれなかった。今度はいつかもう少し時間をかけて訪れてみたい。

2012年3月 1日

ラプソディ・イン・ブルーフォレスト?

突然だが、明日からN谷科研の共同プロジェクトで青森出張である。六ヶ所村や東通原発、三沢の基地などをざざーっと訪問する。某所や某氏のアポもとったし(そして参加メンバーのリストを出したらお断りの返信がきたりもしたし;ははは 誰がブラックリストに載ってるのかなー?)、鎌田慧さん(と斉藤光政さん)の『ルポ下北核半島:原発と基地と人々』(岩波書店、2011年)ももう一度読み直して予習も済んだ。よしっ! だから、あとは天候なのー。今日みたいに春のような日でも、青森は最低気温が0度だったりして、週末はマイナス5度?ひょええーレイキャビクより寒いのワカラナーイ。コワーイ。タエラレナーイ。と、一年前のアイスランド出張を思い出してつぶやいているわけにもいかないのである。えーい、女は度胸じゃああ(破れかぶれ?)。明日は朝から着込んで着込んで着ぶくれて行ってきまーす!

2012年3月31日

岡山、快晴!そしてー

3月28日から岡山大で行われた「ポストマルクス研究会」19回大会に参加してきた。岡山はめっきり春めいてぴかぴかの快晴!駅からも近く堂々たる岡山大学キャンパスは、日本でも有数の広さらしい。はあーのびのびするー。

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二日目午前のセッションでは拙訳書『北京のアダムスミス』(G.アリギ著)をとりあげていただいた。みなさん、まずその厚さに言及されるのだが、正直言って持ち運びには不便であっただろう。申し訳ないっ しかし議論はたいへん興味深かった。まだ邦訳のなかった時期に同書に関する論考を書いた若手のK氏、アリギや世界システム分析にも造詣の深いO氏が内容整理と問題提起をしてくださり、帝国主義の問題に詳しいメンバー、アダム・スミスの専門家、アメリカ史の専門家らを交えて議論を行うことができた。ただタイトルが示唆する通り、当然「中国」とその行方が議論の焦点になるのだが、もちろんマルクス主義者のみなさんには中国へのそれぞれの想いや知識、見識があることもあって、論点がそこに傾きすぎると議論がやや発散したようだ。次なる機会には何らかの工夫が必要と痛感した (-今年の社会思想史学会=10月27日、28日@一橋大学でセッション組みますー)。ちなみに午後のセッションでは激しいくしゃみと鼻水に襲われ、堂々4時間のヒルファディング・セッションではどうも集中力を欠いた。これが風邪のせいだったのか花粉症到来なのかいまだにわからないー。

セッション後、翌日の大学での仕事のため失礼して東京へ戻り、翌30日(昨日)はワセダ若手との現社研、N.クラインの『ショック・ドクトリン:惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下』について、T氏とともに報告をつとめた。災害や戦争など惨事に便乗し、ショック療法でフリードマン流の市場原理主義的経済政策を進める(要は「火事場泥棒」ですな)、というきわめて明快なスジで、1970年代以降の世界各地の状況を読み解く視点は、もちろん3.11以降の日本を想起させるものであり、宮城の水産特区のあり方なども議論になったが、他方でフリードマンや市場原理主義者の「信仰」のあり方、ショック・ドクトリンが金融化とどのように連動してきたかの分析が必要であること、大企業が結果的に「統治」を担うことと規律訓練権力のあり方が同じものなのか考える必要があることなど、現社研ならではともいえる議論を堪能することができた。

そういえば研究会でお会いした面々から尋ねられたが、某学会の混乱の件、去る3月10日の臨時幹事会でご議論いただき、当方はその議事録の整理までをお引き受けした後、退会しました。あとは会員諸氏に委ねます。


2012年3月27日

夢の教室

昨日は無事に卒業式が終わり、今年度の行事はおよそ終了である。めでたい。と思ったら本日、風邪でダウン。昨日ゼミ生諸氏と「なんかこのゼミって、全力疾走してはバタッと倒れる人が多いよねー」と話していたのだが、親玉がそれやっててどうするんじゃああ!。明日から岡山出張なのにまずいー!仕方がないので片づかぬ仕事を横目でみつつ寝ていたが、むかし高校受験が終わった春休みに遊びすぎて高校の入学式に出られなかったことなどを苦々しく思い出す;バカは○十年経っても治らないのか... でも昨日の写真をHPにアップしたり卒業生たちにもらった花がとてもたくさんあったので、二つに分けて生け直したりはしてみた。はあー癒されますわー。

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さて、昨今ちょっとムリをしてしまったのは、どうしても見たかった映画2本を立て続けに観に行ったりしたことだ。ヴェンダース監督の『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』とアン・リンセル監督の『ピナ・バウシュ 夢の教室』である。いずれもピナ・バウシュ追悼(2009年6月死去)の映画であるが、これがまーすごい。ヴェンダース作品はピナ・バウシュの舞台のエッセンスを存分に示しており、アン・リンセル作品はピナ・バウシュが晩年に若者に託した思いとそれを伝える教師たち、吸収する若者たちの姿をヒューマンなドラマに仕上げている。いずれも秀作で見応え十分である。

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「大切なのは自分を解き放つこと」。「本番で間違えたっていい。重要なのはそこに至るプロセスだから」。そうですねー、ピナ・バウシュかっこいい―。ああステキな「夢の教室」。しかし本番で大人びた舞台衣装をまとい、真剣な表情で踊る若者たちは、昨日の卒業生たちの姿に重なってみえる。みんな、がんばれ!自分の道をしっかり歩いて行ってー。

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