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2011年4月 アーカイブ

2011年4月 5日

見た目も重要

どうやら拙訳『北京のアダムスミス』がついに出るらしいというので(S社さんからは連絡まだない~)ネットで調べていたら、装丁写真付きでじゃーんと現れた。えっっ この表紙、マジ?し、信じられない。まったく相談もお知らせもなかったが、訳者にはそういう権限はないんでしょうか?一応名前でるんですけど…。「アリギ邦訳チーム」の若者のみなさんになんといえば…(いや、とてもここにその画像を転載する気持ちにはなれません。よよ(と泣き崩れる;アホか))。

が今日はそんなハナシではなく、本日舞い込んできた週末の催し物の告知など。4/10(日)はまさかの選挙日であるが(この時期に予定通りやるなんて、まるで火事場泥棒みたいだ)、一方さすがに沸騰しつつある人々@東京が、デモでもしなければやってられないという日曜日になるようだ。
たとえば、「浜岡原発すぐ止めて」とか
http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1069

「原発やめろ」デモとか
http://410nonuke.tumblr.com/

(うーん、掛け持ちで行けるだろうか?)そういえば4/16には大阪のほうでもあるらしい。先日メディアに流れたドイツの25万人反原発デモの映像は相当にインパクトがあったが、いやーアピールするための見せ方や仕掛けも重要ですな。もちろん数も重要だけど。


話変わってこれも一部にはすでに有名だが、アップリンクで下記、緊急上映中。
http://www.uplink.co.jp/x/log/003949.php

観てから拙ブログにアップしようと思っていたが、まずはお知らせを。実は4/2(土)にプレミア上映&ワークショップというイベントあったのだが、キャンセル待ち云十番目で行けなかった。今も連日すごい人出らしい。

速報!(ってほどのことかどうか…)

先日、拙ブログに書いた『北京のアダムスミス』のぶっとびの表紙、一夜明けてどう考えても内容とも符合せず納得できないため、S社さんに連絡してその旨お話しし、(はじめびっくり後しぶしぶってとこだが)刷り直していただけることに決定した。よかったー!!悶々としていたナカヤマの背中を押してくれたS君(パリ帰り)&Mみん@506、感謝ですー。
ほっとして帰宅し新聞を開くと「紙不足苦しむ出版業界」という記事。ぐおおおお! ごめんなさーい、超アンタイムリーなことをしてしまいました! 
でも、こんなときだからこそいつも以上に、つくる本はひとつひとつ大切につくりたい。ぴしっと納得のいくまで丁寧に手をかけて、いつまでも愛し、愛されるようにつくりたいと思うのだ。

2011年4月 8日

ガウディどころではない

またもや大きな余震(というにはあまりに大きな)があったばかりで、その前に見た「爆笑問題スペシャル:外大編」のことをすっかり忘れてしまったが、昨日観た映画のことは忘れないうちに書いておきたい。拙ブログでも紹介した『100000年後の安全』(マイケル・マドセン、監督 2009年、アップリンクで上映中)である。

これはフィンランドのオルキルオトに世界で初めて建設されることになった高レベル放射性廃棄物の永久地下処分場(オンカロ=隠された場所)に、監督が入り込んで撮ったドキュメンタリー映画である。100000年というのは、放射能の強さが3万分の1になる「安全性の目安」である(実は朝日新聞が2010年の11月後半に「廃棄物処分場」の特集を何回か掲載し、11月26日(金)の第4回最終回に100000年に関する記述がある)。このたびの福島の原発事故を経験した後では、映画中の細かい説明の一つ一つがひどくリアリティをもって迫ってくる。ただしこれは、放射性廃棄物を「ただ保存しておく」(日本と異なり再利用しようなどと考えずに)ために、地震が少ないなどさまざまな条件に照らして適した場所を選んだ場合でも、これだけの細心の注意とシュミレーション、ほかにも実にさまざまな検討が必要であることを示す映画である。言い方を変えれば、たった今、日本中のすべての原子力発電所を停止したとしても、ここで議論されているよりはるかに多くの廃棄物について、その処分の場所や手段をこのように相当、考えなければならないということである。原発事故の後(いや現在進行中であるが)に見るのは、何ともしのびない映画である。


しかしこの映画が決定的に成功しているのは、「有限だがとてつもなく遠い未来」という地点への想像力をもって現在をとらえるという視点においてである。ひとはおそらく自分の身の丈を超えた未来の時間を想像することをほとんどしない、あるいはできない。ガウディが自分の命の尽きた後300年はかかるであろうサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を構想したと知るとき、人はそのスケールの大きさに感嘆する(少なくとも当方は感嘆した)。ところがそれが1000年になり、2000年になり(ただいま西暦2011年)、10000年、まして100000年になるとどうだろう。文化も言葉も生活様式もすっかり変わってしまった「人類」に、ここは危険だから掘り起こすなと、どうやって伝えるのか(過去とのシュミレーションで、ネアンデルタール人に現代生活を説明するより差が大きい、という話が出てくる)。なまじに警告を残せば好奇心を掻き立てて逆効果であろう。究極のところ、「ここのことを忘れるように、忘れずに伝えなければならない」という。もちろんそれは限りなく不可能に近い。

映画の原題は Into Eternityであるが、むしろ「永遠」のほうがまだ想像しやすい概念かもしれない。有限だがとてつもなく遠い未来の時間。わたしたちが今直面している「原子力」とは、そのような時間を携えた存在である。人間が自然を飼い馴らせると思うのが傲慢であるのと同様に、このような時間を飼い馴らせると思うことも、やはり致命的ではないか。すでに廃棄物だらけの日本列島を思うと、グレーゾーンどころかお先真っ暗の闇に沈んで見える。

2011年4月12日

先のブログ内容への訂正(と追加)

4/10のデモ参加人数は
正: 芝公園 2500人、高円寺 15000人  (誤: それぞれ2000,10000人)

「大手メディアはなぜ取材に来ないのか!」 
→実は来ていた。夕方のニュースとかで普通に報道されていた(らしい:見たというゼミ生諸氏などからの情報)。 うおお、やったぜい!

謹んでご訂正申し上げます(いえーい)

追記:
高円寺の「原発やめろ」さんのサイトは予想通りデモの様子をアップしている。下のほうまで見ていくと、渋さの光る「浜岡止めて」デモの映像も!(アップしてくださってありがとう!!) なぜか数秒出ている当方…(はい、コスプレしました)。

2011年4月17日

永遠の片想い?

多木浩二さんが13日に亡くなられた。ことを14日朝、I先生からの電話で知った。ちょうどその二日前にI先生と、出来上がった『ピエリア』最新号をもってお見舞いに行こうというお話しをして、当方のケイタイ番号やアドレスをお教えした矢先のことだった。『ピエリア』は外大生、特に新入生に向けた冊子だが、今回I先生が企画した、先生たちから勧める新書の特集「ホネノアル新書」(この命名…なんだかな…)において、当方が多木さんの『戦争論』、『天皇の肖像』を担当したのだった。

多木さんの仕事はずいぶん以前から参照させていただいていたが、ちょうど当方が熊本から東京へ移った二〇〇〇年前後、亡命写真家たちの展覧会をやりたいと考えたことがあって、面識もない多木さんにお手紙を差し上げ(あら大胆)、相当にご協力いただいたものの資金繰りがうまくいかずに挫折したのであった(だははは;)。しかしその折に何度かゆっくりお話しをさせていただき、「亡命」のテーマについては大いに盛り上がって、いずれ研究会を積み重ねて本をつくりましょうというご提案もいただいたのだった(!)。それから数年して多木さんと親しいI先生が外大に赴任され、今度はI先生も含めてこのプロジェクトを改めて始動させようというハナシになったのだが、多木さんが体調を崩されており、少し時期をみてと言っているうちに手遅れになってしまった。かくしてこのプロジェクトは「未完」ならぬ「未始動」の、永遠の片想いのようなプロジェクトになってしまった。いや想いはひとたび通じたもののすれ違いにというところか。やはりできることはできるときにやっておかないといけない。

ただ「亡命」という概念、つまり生まれ育った土地や国を永遠に去ることを余儀なくされるということは、2001.9.11以降、世界の中で大きく位相を変えたように思われたのだ。すんなり企画が立てられなくなったのはそのためだ。そしてこのたび、2011.3.11が(少なくとも日本に在住する人々にとって)あらためてその位相を動かした。今度こそ、少し時間をかけてでも、この概念に向き合ってみたいと思う。果たせなかった約束のためにも。

2011年4月24日

何度デモありマス

以前の予報は雨だったが、今日もすっきりと晴れの日曜日。今日は4月26日のチェルノブイリ25周年を記念(?)して、例の芝公園でデモである(14:30集合で15:30からマーチング)。お散歩気分でみなさんもでかけませんか。23号池付近、最寄駅は御成門ですのでお間違えなく!
昨日見た『みつばちの羽音と地球の回転』のことを書きたいが、もう出かけなければ!そういえば現在進行形の広島のデモはユーストリームで配信中。ちょっと見たところ、ライブとかやってていい感じである。では!

【Ust】4/24(日) 10:30~16:30
「原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ」http://t.co/MnbPy2A
http://nonukesaction.jugem.jp/

次の一歩へ

鎌仲ひとみ監督の最新ドキュメンタリー『ミツバチの羽音と地球の回転』について書いておこう。東京では今ユーロスペースでやっているが、全国各地で上映されている。昨日23日(土)のユーロスペース15:30の回は、外の雨降りのひどい天候にもかかわらず満席で立ち見が出ていた。みんな原発…とか思っているのか厳しい表情である。しかし映画はどこまでも明るく前向きであった。原発がなくても(そして原発設置計画が邪魔をしなければ)十分暮らしていけるということを、祝島とスウェーデンの取り組みから描いていく。今まさに考える材料が満載だ。
お役立ち情報をひとつ、後半部分に出てくる飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所)の談話から;「いわゆる電力という独占を維持したい人たちと、原子力という中央集中的な大きなエネルギー供給体制(企業と御用学者と役所と…)は、重なっている部分も相当あるけど、重なっていない部分もある」。ただし、その両方が小規模分散型の再生可能エネルギーを潰してきた。しかし小規模分散型の再生可能エネルギーの試みや可能性は夥しく存在するのだ。そして意外と簡単である。希望の道筋はじゅうぶん見えている。

さて、昼過ぎにご紹介した芝公園のデモにはおよそ5000人が参加したらしい。前回より明らかに人が多かった。同ジ頃に広島でもデモとご紹介したが、今日はほかに代々木公園でも岐阜でも福岡でも、そして昨日も東京でもデモがあったらしい。やっと少し何かが変わり始めたのだ。
デモ参加も繰り返すと熟練するのか、知り合いのみなさんも前回よりアピール仕様であり、当方も前回より効率よく持ち物をそろえることができた(見た目は今日もやや派手めにした)。さて、マーチングが終わり一般市民モードに戻って帰宅中、拡声器のボタンを誤って押したらしく、電車中にあの(!)うら悲しいような面妖な「メロディ」が一瞬響く; 向かい側の席のお兄さんの「な、なんだ今の音は?」という(強いていえば、いま誰がおならを…?みたいな)表情を忘れることができない。

2011年4月25日

で、出た…

ついに見本できました、『北京のアダム・スミス』!拙ブログで書かせていただいたとおり、不遜ながらやり直しをお願いいたしました件の表紙です。えっ 前と変わらないって? いやマオ様の大きさがぐぐっと控えめです(それでも、天安門からいなくなりはしないのだった)。

20110425a.JPG

ええ、ウリはこの厚みです!(S社のUさん曰く「これまで作った本の中でも最大級の厚みです」と。たしかに背表紙の文字が横書きできるって相当…)

20110425b.JPG

中身については、あまりに長くつきあったので、もう判断力がない。しかしまー、今日のところは表紙ばかりつらつら眺めて喜びに浸ろう。

2011年4月 1日

またそれかよ、と言わないで

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拙HPには29日卒業式の様子をすでにアップしたので、ハナシが後先になってしまうが、28日はPM研で摂南大学に行ってきた。この日もモノレールからみえる「太陽の塔」。またかよというなかれ、顔といい身体バランスといい(顔二つあって身体バランスを云々できるのか)、腹のあたりのヘンな横スジといい、楽しいではないか。うーたまらん。この駅を通過するときにはいつも我が目がその姿を探し、手が勝手に撮影してしまう。

それはともかく、拙著を取り上げていただいたセッションではコメンテーターのS山先生が連絡ほぼなしのドタキャンでびっくりであったが、尊敬するKJ先生やダブルO先生、重鎮Y先生!などの諸先生方、若くて元気のいい研究仲間からコメントをいただけて、とてもよかった。久しぶりに本来の自分の研究のことを考えた(えっ?)。

やや驚いたのは関西と関東での厄災に対する「温度差」であった。しかしそれはおそらく、関西と関東の差にとどまらない。同じように東京に住んでいても、あるいはどこに住んでいても、人によってそのとらえ方には大きな差があるのだろう。さらにいえば本日、月が変わって4月に入った途端に「元通り」にしようという力があちこちに働いていることにも驚く。復旧・復興を願わないわけはないが、さまざまなことを根本的に考え直さなければならないはずなのだ。3.11の厄災に直面し、日本はどうなってしまうんだろうと思った人は多いだろうが、一番恐ろしいのは何事もなかったかのように元に戻ることである。何事もなかった、のではないのだから、それをなかったことにする力は疑ってみるに限る。「最悪」の事態は避けなければならない。未曾有の危機の中、正念場は本当にこれからである。

2011年4月10日

デモ日和

暖かく晴れた日曜日。先日、拙ブログで紹介させていただいたデモ@芝公園に向かう。この日東京では@芝公園、@高円寺でおそらく位相の異なる集団による反原発デモが行われた。前者は従来型(?)で社会運動派のいくつもの団体が主催、後者はワカモノによるネットやツイッターなどを駆使した形で海外とのネットワークも強かった。何となく(失礼ながら)人出に不安がある前者に参加した。さて、東京タワーのふもと@桜満開で1時間ほど集会した後(ここで何人かの知り合いに出会う)、いわゆる丸の内から中電・東電前を通って銀座、常盤橋までデモ行進。シュプレヒコールなど叫びながら歩くので速度は出ず、デモ隊がすべて解散したのは16時半を過ぎていたかもしれない。その足で高円寺に向かったが、ちょうどこちらもデモ隊が帰ってきたところで、かいさーん!の瞬間だった。教訓:デモの掛け持ちは無理である。

まーそれはともかく、沿道では駅伝のときのように(?)警官が交通整理、誘導をしており、道中には私服の「当局」関係者(?)や自衛隊の車もたくさん出ていた。「こんなところにいないで被災地へ行け」と怒る参加者もいたが(その通りだ)、「ああやって写真や映像をとって個人情報を集めている」という不安の声がいくつも聞かれた。おそらく日本でデモが盛り上がらない理由の一つはこれだろう。人々は「ブラックリストに載ってしまうかもしれない」という漠然とした不安をもっている。つまりあの人たちは「脅し」に成功しているわけだ。しかしこのご時世に、デモに集った人々それぞれの個人情報を調べ上げたり記録したりするようなヒマな仕事をしているとしたら、ほんとに「そんなことをしてないで被災地へ行け!」である。

「浜岡原発止めよう」デモは2000人、「原発やめろ」高円寺デモは10000人を超す人出だったという。しかし前者にも海外メディアがいくつも取材に来ていた。参加者たちの多くが「なぜ日本の大手メディアはまったく取材に来ないのだ!」と怒りをあらわにしていたが、ええもちろん、みんな選挙の取材に行ったのでしょう。ああ、どこまでも国内志向な日本のメディアよ…帰宅してTVをつけると選挙速報をやっていて、何重にもがっくりする。日本に原発を何十基も作ったのは自民党政権時代だということを、なぜみんな忘れるのだろう?いや忘れたのではなく知らないって?まさか!

気晴らし情報コーナー;
1.意外と役立つ小型の拡声器
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ドンキで1400円ぐらいで買えるが、拡声のみならず10秒の録音&再生もでき、「メロディ」と称するものも入っている。いやしかし、この「メロディ」が何ともはや…(言葉で表現するのはとても難しいが、あえて言ってみれば…うーん、うーん、言えない。ひょっとしてちり紙交換(死語)で聞いたことがあったかっ?)。デモで「メロディ」を鳴らしたら盛り下がること請け合い(鳴らしてません)。

2.意外と役立たない子どものラッパ
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デモンストレーションには歌舞音曲だろうと思ったのだが、見た目は可愛いものの音量が「3歳児以上」の注意書きを裏切らないはかなさ。ぷわーん しかも「隠し子でもいるの?」と疑われる(?! いえ、いません)。

2011年4月22日

心が鎮まるような言葉を

昨日は久しぶりに開催された早稲田の若手の研究会に行ってきた。現社研とメンバーのかぶる「人種研」(?!)で、テキストは小森陽一『レイシズム』(思考のフロンティア、岩波書店、2006年)であった。いつものようにテキストへの切り込みは活発で、テーマとコンテンツとの齟齬、言語の存在による動物と人間の区別の本質主義など、さまざまな部分への批判の議論がはげしく展開された。しかしもちろん、このテキストとは離れるものの、遺伝子をめぐる近年の技術的進展とこれをめぐるビオポリティクスとビオキャピタリズム、そこから生まれる社会的格差が、あらためて「人種」的問題を提起していることは間違いない。

さて、研究会はいつになく多人数で、その後の食事会もにぎやかであった。しかし研究会でもおしゃべりでも、示される論点の半分以上が原発に関する話しに引き寄せられていく。何かまとまったことを考えようとするとすぐさま原発事故のことが頭をかすめ、そこから離れた思考を展開するのがきわめて難しいのは、当方だけではないようだ。原発事故で漏れ出た放射能は大地や海、家畜や動物のいのち、人々の暮らし、子どもたちの未来と、実にさまざまなものを壊滅的に破壊しているが、脳髄にも暴力的に踏み込んでくる。これはしんどいが、なにぶんことの重大さがケタ外れなのだ。

何ら収束の見通しもないまま40日が過ぎ、人々はこの「有事」に心底疲れ始めている。もう考えたくない、忘れたいと思う人も多いのだろう。ただ、考えなくても忘れようとしても事態がよくなるわけではない。とにかく、やれることは全部やって、一日、一日過ごしていくしかない。願わくば、すっと心が鎮まるような言葉の束を傍らに携えて。

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