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2023年7月 アーカイブ

2023年7月 3日

誰も聞いていないラジオ

昨日「げんじぶ」のラジオを聞いていたら、家人が
「また、誰も聞いていないラジオ聞いてる」と
囃し立ててきた。

そうやって、数字があるでもない、仮定のマイノリティーを
バカにするんじゃないよ!って怒っちゃったんだけど、
そうしたら、「いや、誰も聞いていないラジオを聞いていて
『いいな』と思った」って申し開きをするんだけど、
それって、後付けで、「意図がバカにするつもりじゃなかったから
問題ないでしょ?」って言っているようなもの。

それって、よく政治家などが「差別する意図は無かった」って
言うのと同じじゃん。

この前書いた、家人が外国人の日本語の真似をする問題も、
指摘したら、「僕は愛情を持って真似しているんだよ」って
言ってきたんだけど、それも「差別する意図は無いから
問題ないでしょ?」っていう問題のすり替えである。

そういうカテイの内情を公開するんじゃないよ!
って言う人もいるかもしれないけど、
言っても、話をすり替えられるし、
同じような「立ち位置」で合意に至ることは
難しそうだし、なんだかなあ、という感じなのです。

話の内容ではなく、他のところに注目すること

家人が、外国人がラジオで日本語を喋っていると
訛りを真似しだすと何度か書きましたが、

その経緯は、想像ができます。

1つ目は、話の内容に興味が無い。
あるいは、訛りが気になって、内容が入ってこない。

ってことで、訛りを真似するって言う「遊び」を
してしまうんでしょう。

本人に面と向かってはしないんだろうけど、
本人に面と向かってしてしまったら、
アジア人に対する、ching chang chongと
同方向になってしまうし、シボレテにも
近くなるので、やっぱり差別性は孕んでいる。

「訛りが気になって内容が入ってこない」っていえば、
政治家さんが、記者会見で、日本語が母語でない
外国人の記者による日本語の質問に対して、
「Do you speak/understand English?」
みたいな返しをしたことがありましたよね。

それも同様の理由、且つ、外見で判断したのかも
知れない。

むかーし昔のことなのですが、実家のテレビで
ドラマを見ている時に、父に、

「よくあんなに長いセリフ覚えられるよな。
 俺にはできない」

って言われて、「なんでそんなこと言うの?」
ってしばしば思っていたのですが、

それも、「内容に興味が無い」か、
あるいは、「内容を聞こうにも、長いセリフを覚えている
ことの方がフック(異化)になってしまって、
聞けなくなってしまった」ってことなんでしょう。
今考えれば。

僕は、橋田壽賀子が俳優に言わせている、不自然に長い
セリフだろうが、内容を聞くことに興味があったので、
「いや、そんなことに同意を求められても...」と
思っていたのでした。

言語の訛りに関しては、日本語ででも、英語ででも、
他の言語ででも、非母語話者との交流を普段から
している人たちは、そんな「フック(異化)」に
引っかかったりはしないんですけどね。
あるいは、引っかかりそうになっても、
反応はできるだけ抑えようとする。

普段、そう言うことをしていない人たちは、
「フック(異化)」に流されちゃうことも
あるんでしょうね。

2023年7月26日

罵倒か隔離か

カトリックのLGBTQ+の人や、プロテスタントのLGBTQ+の人が、SNS上で他人から「お前らは罪人だ」的に罵倒されているのは、時々見かけ、心が抉られる感があります。

ウチの耶蘇寺ではどうかと言うと、正面から罵倒してくる、断罪してくるっていうのはあんまり見聞きしないですね。

それは、どうしてそうなるかを考えると、カトリックと共通している「告解」のミステリー/サクラメントの際に、「他人を断罪する」、「他人に対して、自分が審判者になってしまう」ことも罪であるということは、学んでくるからだと思うのです。

じゃあ、どうするかと言うと、あるメンバーがLGBTQ+のどれかに該当していると言うことをたまたま知ってしまって、それに違和感がある人は、その当該の人からできるだけ「離れよう」とします。

私も、職場その他で、「苦手な人がいます」と言うことを告解で言うと、「嫌いな人をこそ愛しなさい」とは言われることはむしろ少なく、「次善の策ではあるけれど、できるだけ関わらないようにした方が良いのでは?」とアドバイスされたりします。

それを地で行っているのでしょうかね。

以前、親しい人だと思っていた人が、近づいて行ったら、「スルッと」どっかへ抜けて行っちゃうことは何度か経験していますし、

SNSなどで、できるだけ「関わりを持たないように」されている方もいます。

まあ、正面切って罵倒されるよりは、まだベターかもしれないけど、ベターなだけですよ。それを感知した時には、心寂しくなります。

また、とあるパリッシュでは、「私のG性」が、噂として広まって、人々の間で共有されているようなのです。

と言うのは、面識の全くない、そのパリッシュから来た人に、その「スルッと」をされたことがあるのです。

当事者のいないところで、噂話として広めると言うのは、教会の教え的には、大きな「悪事」としては捉えられていないと思いますが、

最近、一般社会では「アウティング」による被害が労災で認められたと言うことがありました。

「アウティング」後に精神疾患 初の労災認定か
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20230724/1000095136.html

アウティングとは、特に、誰かが「LGBTQ+」であると言うことを、当人の承諾を得ずに、他の人に伝えることです。

「アウティングとは」
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/column/2023.html

今回もアウティングをした人に、刑事罰が課せられたわけでも、民事の罰金が課せられたわけでもなく、被害者の方が労災を受けられるようになったと言うだけですが。

私の場合、ブログを書いています。そこで、LGBTQ+に関することも書いていますから、「全方位向けに」カムアウトした人だと認識されてもし方のない面もあります。

でも、職場や、一般社会では、できるだけ多くの人に知ってほしいなと思ってはいますが、

未だ偏見の強い教会内では、進んでカムアウトもしませんし、広めてほしいとも思いません。

「そんなこと言ったって、お前の名前で検索すれば、ブログが出てくるんだから、そんな自分にだけ都合のいいこと言うな!はい、論破!」

って言ってくるかもしれません。

でも、面識も無い人ってって言うのは、当然私の名前も顔も知らないわけで、検索することもあり得ません。

名前と、「あそこの教会では、日曜日どこどこに立っているから気をつけてね」的に伝えるのは、やっぱりアウティングです。

これは、教会的な「罪」としての断罪ではなく、「一般社会的な」ハラスメントだと言うことをお伝えしているだけです。

教会内で、どういう扱いをすべきかと言うことは、カトリックのようにカテキズムに書かれることも無いので、教役者ごとに、対応も違うと思いますけどね。
(国を挙げて、教会でも弾圧を勧めている国もありますが。)

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ところで、そうやって、僕を「隔離」してくる人たちのことですけど、井戸でサマリヤの女の素性を言い当てたイエスの様に、「情報が漏れてきていない人」に関して、LGBTQ+のどれかだと言い当てる能力は、通常の人には備わっていないと思われます。

当然の様に、バレていない人たちのことは、そういう人たちは「隔離」しないんですよね。

って言うことは、彼らは、「LGBTQ+」の人たちとは関わり合いたくないと思ってらっしゃるのかも知れないけれど、実際のところは、「LGBTQ+であるとの情報のある」人たちを、その他の人たちとは別扱いにしているだけということになります。

一般社会とは違って、教会ですので、違う掟があって当然ですけど、そこから伝わるメッセージは、「カムアウトしなければ、変な扱いを受けることはない」と言うだけです。

ひいては、教会村の掟として「LGBTQ+のどれかであるということは、言わないでおきなさい、またヒントとなるようなことも見せないようにしなさい」と言うものができあがっている感じになっています。

これって、「一般社会」的には、ものすごい抑圧ですよ。

そう言う人たちは、LGBTQ+の人たちには、うちの教会に来ては欲しくないと考えているかも知れません。

でも、ところがどっこい、他の教派の教会で疲れ果てた人たちが、結構集まってくる可能性はあるのです。心の癒しを求めて。それは、当教会が、他教派よりもベターなところがあるかも?と言うイメージが持たれる場合があると言うことなのです。

そこにその仕打ちですか。胸が痛みます。

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