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2010年2月 アーカイブ

2010年2月11日

アンダマン諸島の2言語絶滅 最後の話者、相次ぎ死亡

http://www.asahi.com/international/update/0207/TKY201002060393.html


世界の諸言語のカタログ
エスノローグを見ても、
http://www.ethnologue.com/show_country.asp?name=IN

該当の2言語は上がっていません。
もしかしたら、記事内にある名前(コラ語、ボー語ではなく)
別な名前が見出し語になっているのかも知れません。

アラスカ先住民語の研究者
Dr. Michael E. Kraussによると、
今の21世紀中に、
(エスノローグによると
 6千9百以上ある)世界の言語が
95%死滅するとされています。

これには、特にアフリカ諸言語の
研究者から異論が挟まれていたり
しますが、いずれにせよ
今世紀、多くの言語の死のニュースに、
我々は接することになるでしょう。

永遠の記憶。

http://www.andamanese.net/
http://english.aljazeera.net/news/asia/2010/02/20102543519461807.html
http://www.survivalinternational.org/news/5509
http://news.mongabay.com/2010/0204-andaman.html
http://www.nowpublic.com/culture/dead-boa-sr-takes-great-andamanese-bo-ancient-language-her-2570259.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8498534.stm
http://www.asiasentinel.com/index.php?option=com_content&task=view&id=2287&Itemid=594
http://bit.ly/dAEjoE
http://www.dawn.com/wps/wcm/connect/dawn-content-library/dawn/news/sci-tech/06-ancient-tribe-dies-out-in-indias-andaman-islands-rs-01
http://www.bernama.com/bernama/v5/newsworld.php?id=473657
http://beta.thehindu.com/news/national/article100977.ece
http://in.news.yahoo.com/139/20100204/900/twl-andaman-tribe-s-extermination-comple.html
http://www.indianexpress.com/oldStory/69681/
http://infochangeindia.org/Media/Related-Features/Quiet-death-of-a-language.html
http://www.everyculture.com/South-Asia/Andamanese-Religion-and-Expressive-Culture.html
http://www.newkerala.com/news/fullnews-44987.html
http://www.guardian.co.uk/world/2010/feb/04/ancient-language-extinct-speaker-dies

チェコ料理

チェコ料理屋があるみたいです。

だあしゑんか

http://dasenka.jpn.org/bar/index.shtml

いつか、行かなきゃ!

2010年2月13日

village 80%

どうやら、とある「場所」で
村八分的扱いにされているもようである。

薄々感じてはいたんですけどね。

研究会やプロジェクトに
全然呼ばれなくなってはいました。

はっきりとそれを確信したのは、
先日、その「場所」に属する
とある人が、とある研究会で
興味のある発表をなさっていたので、
そのハンドアウトを戴きたいと
お願いしたら、
「読んだら破棄してください」
「引用は一切しないでください」
と言われたのだ。
当該の研究会に出ていた人にまで
そんなことを言う訳は無いので
あるから、僕は「特別」扱い
なのである。

切欠は、はっきりとわかっている。

その「場所」で、とある論文集を
作った時に、僕は、纏め役でも
なんでもないのに、同じ論文集に
掲載される他の論文から引用して
「まとめ」的なことを
書いてしまったのだ。
それも、本来の纏め役が考えていた
「結論」的なものとは
恐らくだいぶずれた形で。

後から考えると、
自分でも、あれはやっぱり
ヤリ過ぎだったと思います。

こんなことは、(飛躍しますが)
古い派のキリスト教教会であったら
告解して、全てをチャラに
するところであるが、
「世間」はそんなに甘くはない。

まあ、その「場所」だけが
研究の中心でもないし、
発表の唯一の場でもないし、
仲間はずれにされることは
重荷ではあるけれど、
一生背負い続けるしかないのでしょう。

Four First Nations host the Vancouver Olympics

Squamish
http://www.squamish.net/

Musqueam (Halkomelem)
http://www.musqueam.bc.ca/Default.htm

Lil'wat (Lillooet, St'at'imcets)
http://www.lilwat.ca/

Tsleil-Waututh (Halkomelem)
http://www.burrardband.com/

バンクーバー地元の4つのFirst Nationsが
オリンピック開会式にホストの役割をつとめました。
(括弧内は、言語名あるいは別綴りです。)

Four local first nations in the greater Vancouver
area hosted the opening ceremony of the
Vancouver Olympics.
(What are between the parentheses are the language
names and/or alternative names of the First Nations.)

4つとも、セイリッシュ語族に属する集団です。
All the four nations belong to the Salishan language family.

その他にも、他の地域のFirst Nations、
Metisが入場しました。

Moreover, First Nations people and Metis
from other areas of Canada performed in the ceremony.

2010年2月15日

「何気に」考

「何気に」というフレーズ。

最近良く見かけますし、耳にしますけど、
上の方の世代の人はあまり使いません。
僕も、意を決して使う時以外は
使いません。

僕が若い頃は、これは、
「何気なく」と言われていました。

「何の気無しに」なんていうのとも
関係があるかも知れません。

「何気なく」から、「何気に」への発展は、
こう比較するとちょっとはっきりします。

何気   な    -く
「何気」 「無い」 -連用形

何気   に
「何気」 形容動詞語尾「だ」の連用形

「*何気だ」という形容動詞はまだ使われていないようですが、
「なく」の「な」という語彙的意味をもった形態素が
脱落して、その代わりに、「連用」(つまり
用言に連なるということ)を表わす語尾(助詞とも
考えられるが、深くは立ち入らないことにします)
を添えたと解釈できます。

毎年年末になると、今年の流行語なんていうのが
話題になり、順位を競いますが、
この「何気に」のような、
そういうチャートにランクインしないような
流行語の方が、却って、流行り廃りが無く、
長い生命力を保つのかも知れません。

そう言えば、「さり気なく」も「さりげに」と
使う「若い」人が出て来ています。

こちらもチャートにランクインすることは
せずに、次第に社会全体へと広がって
行くのかな?と思われます。

--

<追記>

さらに最近は、
「何気に」→「何気」
「さり気なく」→「さりげ」
という変化が起きているそう。

ことばはどんどん変わっていくんですね。
Sapirのdrift(駆流)に依るのか、
Coulmasの「選択の変化」に依るのか。

2010年2月17日

○○フリー考

英語で○○freeと書いてあったら、
○○lessと微妙にニュアンスが違うが
類義語で、
その○○が無いという意味になる。

ところで、日本語のウェブページを見ると、よく
「このページはリンクフリーです」と
書いてある。

しかし、これが、リンクが無いという意味ではない
ことは、皆さんもご存知のはずである。

これは、「(私に)断ることをせずに
リンクしてくださって構いませんよ」
という意味なのである。

和製英語独特の意味が広がって、
日本のサイバーコミュニティー内で
共有されています。

エンタの神様のあの出演者に歌わせれば、
♪リンク イズ フリーダム♪と歌いそうである。

2010年2月18日

「Wikipedia」が利用できなくなったら…どうする?

http://japan.internet.com/research/20100215/1.html

質の低下というか、もともと高かったんですか?<笑>
まあ、お手軽でしょうけど、もともと「使い方」を
よく知らないと、手痛いしっぺ返しに遭う類いの
媒体だと考えています

--

信憑性が低いし、
出典が明記されていないことが多いし、
されていても、間違って「移植」されていたりするし、
(特に、外国語からの誤訳、誤移植が多い)
書いている人がわかると読む気が無くなるし、
ってことは、知らない人が書いてたらますます怪しいし....
等々。

2010年2月24日

非能格動詞・非対格動詞に関する覚え書き

理論言語学のジャーゴン(符牒)は、
門外の言語学徒を悩ますものである。

まったく何を言っているのか見当もつかないものもある。

「非能格動詞・非対格動詞」は、時にわかったような気がして、でも時に、どっちがどっちかわからなくなってしまうものである。わかりにくいmisnomer(s)だと言う人もいる。

また、そもそも「理論」に立脚せずに、用語に一人歩きさせることには、危険も伴うことかも知れない。

とはいえ、「覚え書き」として、ちょっとヒントを書いておきたい。

グロットペディアによると、
http://www.glottopedia.de/index.php/Unaccusative_verb

非能格動詞も、非対格動詞も両方とも自動詞である。

そこまでは、わかる。

(非対格動詞は、)

"Their single arguments denote direct objects in relational grammar and GB, instead of agent-like participants."

わかるようなわからないような。

"Thus unaccusatives are defined syntactically rather than semantically as verbs that assign no external theta-role and no structural Case."

もうわからない。

でも、その下の実例を見ると、「こういうもののことか?」というアイディアが浮かぶ。

助動詞を伴う完了形を作る言語で、助動詞が"to be"と"to have"の間で使い分けがされる場合、非対格動詞は"to be"を採り、非能格動詞は"to have"を採るんだそうだ。

またオランダ語では、非能格動詞は、(無人称)受動ボイスを作ることができるが、非対格動詞は、(無人称)受動ボイスを作ることができないそうだ。

閑話休題。

エスキモー語学では、他動詞が自動詞活用するときに、もともとの他動詞の主語(agent)がその1項として残るagentive verbs (A=S≠P)ともともとの他動詞の目的語(patient)がその1項として残るpatientive verbs (A≠S=P)とに分けられる。(Pは近年の言語類型論ではO:objectで表わされることが多い。)

それらが、若かりし日のE先生によると、100%一致する訳ではないが、(意味的に似ている)日本語の動詞の分類に、9割方一致するそうである。

即ち、日本語の動詞の1つの分類法では、自・他対応を持つ動詞(相対他動詞、相対自動詞)と自・他対応を持たない動詞(無対他動詞、そして無対自動詞)に分類される。

相対他動詞・相対自動詞のペアは、例えば、「切る・切れる」、「落とす・落ちる」などである。無対他動詞は、例えば「食べる」などであり、無対自動詞は、例えば「走る」などである。

その相対他動詞・相対自動詞のペアが、エスキモー語のpatientive verbsに大方一致し、無対他動詞が、エスキモー語のagentive verbsに大方一致すると。

とすると、エスキモー語のpatientive verbsの自動詞活用したもの、また日本語の相対自動詞が、非能格動詞にほぼ一致するのではなかろうか。

(エスキモー語、日本語で、どの「部分」が非対格動詞に一致するのかは、まだちょっとよくわかっていません。)

--

また、自動詞主語の格標示が、活格、不活格で分かれる言語においては、活格主語を採る自動詞が非対格動詞、不活格主語を採る自動詞が非能格動詞にほぼ一致するのではなかろうか。

シロートの思案

日本語学を知らない者の思案です。

とある日本語学習者に、

「いいじゃん?」というのは、「ん(=の)」が
省略されているんですよね?

と訊かれました。

母語話者の「内省」で、それは違うと思ったのですが、
ちょっといろいろと思案を巡らしてみました。

まあ、首都方言の口語においては、「-じゃん」は
すでに一塊の語尾になってるかも知れませんが、
それを敢えて、(歴史的前段階の)分析的な形式に
分解してみました。(しかも丁寧な形式に。)そうすると、

1. 「いいではないですか?」
2. 「いいのではないですか?」

両方言える。
ただ、イントネーションは異なり、
1は、下がり調子、2は「か」で上がる。

1では、話者が「いい」と思ってそれを主張しており、
2では、話者はそれほど「いい」とは思っていないか
あるいは無関心であるが、相手に判断を丸投げしている。

「いいのだ」は言えるが、「*いいだ」は言えない。
2の「のだ」は、いわゆる「のだ」文であり、「だ」は
コピュラである。

一方、1の「で」は後続する諸形態素の承接の関係から
挿入されたものであり、コピュラとしての機能は
薄いものであろう。

とまあ、日本語学「界」では、すでに議論し尽くされた
問題なんでしょうけどね。

下手な考え休むに似たりをしてみました。

2010年2月27日

名前の日?聖名日考

恩師E先生によると、
チェコには、名前の日というのが
あるそうです。

1年、365日(366日?)に
名前が付いています。
例えば、今日は、マリアの日。
今日は、ヤンの日のように。

スウェーデンでもどうようであることは、
僕が、交換留学で合衆国にいたときの
スウェーデン人の友人、ヨーナス(Jonas)から
『年鑑』を見せてもらい、聞いていました。
スウェーデンでもやはり、
1年、365日(366日?)に
名前が付いています。

E先生によると、その男女まとめて
365個(366個?)の内から
名前を付けないと、
「名前の日の無い子」に
なっちゃうのだとか。
それで何が問題かというと、
それらの国々では、
誕生日の他に、名前の日のお祝いも
するので、後者ができなくなってしまうとのこと。

この「名前の日」というのは、
歴史的流れとしては、ギリシャ正教の聖名日、
西側の一部の教会の霊名日から来ていると
思うのです。

聖名日は、1日に1人ということはなく、
その日に記憶されるべき聖人は、
数人います。
主に、その聖人が永眠した日が
記憶日になっています。
ある1日に、誰が記憶されるかは、
教会暦を見れば載っています。
教会によっては、奉神礼の最後に、
司祷者によって、その日が記憶日の
聖人の名がすべて呼ばれます。

西側の教会の暦(グレゴリオ暦)で
2月14日の筆頭に来る聖人は、
巷で有名な
聖バレンティノではなく、
聖チリロ(キュリロス)と
聖メトディオ(メトディオス)の
兄弟です。



スラブ諸民族に、グラゴール文字と
キリール文字という文字をもたらし、
聖書、聖人伝その他をスラブ語に
翻訳した兄弟です。

東側の教会の内、ユリウス暦を使っている
教会では、今日が(旧暦)2月14日で、
聖キリール(キュリロス)が、
記憶される諸聖人の内の1人です。

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